2011年7月31日

ソニー α NEX-3 によるピンホール写真テスト

レンズ Sony NEX-3 with E18-55mm F3.5-5.6

ピンホール Sony NEX-3 with Pinhole Plate

レンズ Sony NEX-3 with E18-55mm F3.5-5.6

ピンホール Sony NEX-3 with Pinhole Plate

一ヶ月ちょっと前「フランジバックが短いミラーレス一眼カメラへの憧憬」という記事を書いた。ミラーレスでフランジバックが短く、センサーがAPS-CサイズのソニーαNEX-5に食指が動くという話だった。特にデジタルピンホール写真に向いてるような気がするが、まだ入手に至っていない。たまたま知り合いがNEX-3を持っていたので、借りてテスト撮影してみた。ピンホールカメラの適正針孔口径は次の式で求めることができる。
NEXのフランジバックは18ミリで、光の波長を550ナノメートル(0.00055ミリ)として計算すると、適正口径は0.155ミリとなる。手持ちのピンホールプレートを見たところ、たまたま0.150ミリのものがあったので、ボディキャップに取り付けてみた。薄いアルミ板にレーザードリルで開けたもので、有効桁数3桁、かなり精度の高いピンホールである。ただボディキャップに手を加えなかったので、若干前に出た感じで、焦点距離は約20ミリくらいだと思われる。絞り優先オートで撮影したが、背面液晶パネルでライブビューしながら撮れるのが、デジタルカメラの本領発揮という感じである。


これは何度か書いたことだが、ピンホール写真は鮮明さを追求するものではない。しかし適正口径の針孔で撮るとかなり鮮明に写る。そしてセンサーやフィルムの面積が大きいほど、同じ大きさにプリントした場合、クリアに見える。逆に同じ写真の場合、小さくプリントしたほうが鮮明に見えるのはいうまでもない。上のピンホール写真は横幅640ピクセルで表示指定してあるが、310ピクセルに縮めるとご覧のようになる。

2011年7月30日

英国BBC放送「写真の天才たち」第5部 - 我ら家族


Having conquered the street and the road, photographers approached the final frontier: the family and the self. The Genius of Photography -- We are Family is about what happens when photography translates personal relationships into photographic ones, when strangers, celebrities, lovers and children get fed to the camera. It's also about what happens when photographers turn their cameras on themselves?what they choose to reveal, and just what they try to conceal.

The chronological heartland of the programme is the me decades of the 1970's and the 1980's. From Diane Arbus's freaks (we meet Colin Wood, the manic boy clutching the hand grenade in Central Park) to Richard Avedon's confrontations with celebrities like Marylin Monroe, from the confessional diaries of Larry Clark and Araki, to the uncomfortably intimate family portraits of Sally Mann and Richard Billingham, the series takes a photographic journey into some of the most intriguing ideas of the photographic self, including an unforgettable encounter as Nan Goldin photographs Joey the transsexual.

英国BBC放送「写真の天才たち」第4部 - 紙の動画


The American photographer Garry Winogrand said that he took photographs to "see what the world looked like photographed". Photographers have always had this as their mission statement, but the three decades from the late 1950's onwards was the real golden age of the photographic journey. The Genius of Photography -- Paper Movies relives the journeys that produced some of the most acclaimed paper movies. The programme takes a fascinating look at Robert Frank's odyssey through 50s America, William Klein's one-man assault on the sidewalks of New York, Garry Winogrand's charting of the human comedy in Central Park Zoo, Tony Ray Jones's dissection eccentricity at the English seaside, and finally, William Eggleston's guide to Memphis and the American South. Episode four of the series also examines the arrival of colour as a credible medium for serious photographers, as controversial at the time as Dylan going electric.

英国BBC放送「写真の天才たち」第3部 - 好機と適所


Being in the right place at the right time, the decisive moment, getting in close ? in the popular imagination this is photography at its best, a medium that makes us eyewitnesses to the moments when history is made. But just how good is photography at making sense of what it records? Is getting in close always better than standing back, and just how decisive are the moments that photographers risk their necks to capture? Set against the backdrop of the Second World War and its aftermath, The Genius of Photography - Right Place, Right Time examines how photographers dealt with dramatic and tragic events like D-Day, the Holocaust and Hiroshima, and the questions their often extraordinary pictures raise about history as seen through the viewfinder. With contributions from Magnum legends Philip Jones Griffiths and Susan Meiselas, soldier-lensman Tony Vaccaro and broadcaster Jon Snow.

2011年7月29日

英国BBC放送「写真の天才たち」第2部 - 芸術家へのドキュメント


In the decades following the First World War, photography was the central medium of the age. "Anyone who fails to understand photography", said the Hungarian artist and photographer Lazlo Moholy-Nagy, "will be one of the illiterates of the future". Precise, objective, rational and apparently machine-like, it was used to promote the radical utopia of the Soviet Union and to bring order and clarity to the chaos of Weimar Germany. But while some prized photography for its ability to objective documents others were using it to explore the irrational, the subjective and the surreal, photography's natural language. The Genius of Photography - Documents for Artists examines in detail the work of some of the greatest and most influential modern photographers: Alexander Rodchenko, August Sander, Man Ray, Eugene Atget, Walker Evans and Bill Brandt. With contributions from Martin Parr, Bernd and Hilla Becher, Joel Meyerowitz and Mark Haworth-Booth.

2011年7月28日

英国BBC放送「写真の天才たち」第1部 - 影を捉える

英国BBC放送の「写真の天才たち」(The Genius of Photography)のビデオが動画共有サイトYouTubeに投稿されています。全6部作ですが第1回「影を捉える」を紹介します。英語の音声を日本語で書き出すのは私には無理ですが、ビデオをご覧になれば理解できると想像します。添付の英文解説を取り敢えず原文のまま転載しますが、これは時間をみて翻訳、後から補填しようと考えています。


Fixing the Shadows tells the story of the birth of photography itself and the profound question that it raised, and which has never been satisfactorily answered: what is photography for? Detailing the rival methods of the pioneers Henry Fox Talbot and Louis Daguerre for 'fixing the shadows', the programme examines how photography took its place alongside other new technologies like the railway and telegraph to transform our understanding of the modern world. It describes how pioneer photographers like the portraitist Nadar asserted the status of photography as an art only for this status to be transformed by the Kodak revolution, which put the camera into the hands of the masses who unlocked its potential for surreality, randomness and surprise. Finally it examines the case of Jacques-Henri Lartigue, the schoolboy photographer who demonstrated the true genius of photography in the hands of the amateur. Includes interviews with Chuck Close and David Byrne.

2011年7月26日

実名あるいは偽名プロフィールを巡るGoogle+の混乱

Pete Cashmore on Google+ 法人アカウント名を個人名に戻したので二重アカウントになっている(7月26日現在)

グーグルの新しいソーシャルネットワーキングサービスGoogle+だが、もうすでに2000万人がユーザー登録したそうだ。ところで最近知ったのだが、プロフィールを巡る混乱があり、今でも尾を引いてるようだ。上掲キャプチャー画像は世界的に名が知られてるニュースサイト「マッシャブル」の創設者、ピート・キャッシュモア氏のGoogle+投稿画面である。曰く「アカウント Mashable News から個人アカウントに乗り換えて欲しいというグーグルの要請があった」とか。そして当初つけた Mashable News というアカウントはご覧のように本名の Pete Cashmore に切り替えたようだ。つまり法人と個人名の二つのアカウントを取得、写真も変えて登録したのだが、法人アカウントテストが間に合わない状態で、キャッシュモア氏のアカウントがダブっている状態のようだ。この混乱の背景にはグーグルが実名登録にこだわっていることに起因したようだ。Google+プロジェクトの「自分の名前とGoogleプロフィール」によると次のような注意書きがある。
1) 1つの言語でフルネーム(氏名)を使用する
2) 名前で通常では使われない文字を使用しない
3) プロフィールと名前が 1 人の人物を表している
4) 他人の名前を使用しない
そして3) に関しては「Google プロフィールでは、カップルやグループのプロフィールはサポートされていません。また、人物以外(ペットや会社など)のプロフィールを作成することはできません」と説明している。キャッシュモア氏の場合はこれに抵触したようだ。グーグルは現在個人アカウントの開設にみを受け付けているが、法人アカウントに関してはテストプログラムを実施している。それにも関わらず法人プロフィールが多数登録されて、グーグルはその削除に追われているという。一種の勇み足だが、グーグルは準備不足を認めてるようだ。さらに「偽名理由に多数のアカウント停止が始まった」という報告があり、ちょっとした恐慌を起こしてるようだ。これもGoogle+のポリシーが浸透していない証だろう。グーグルは13項目の「ユーザーコンテンツと運営方針」を掲げているが、その最後に「スパムとの戦いと偽プロフィール防止のため、あなたの友人、家族または仕事仲間が、普段あなたに電話をする名前を使用してください」と述べている。またグーグルのソーシャル部門担当のヴィク・ガンドトラ氏は、Google+が本名使用を推奨する目的は「一般名称の使用を義務づけて、奇妙な方法で自分の名前を綴る人々を排除することが目的だ。例えば、上下逆さまの文字や "God" のように明らかな偽名を使う人々だ」と説明したという。

Google Plus Widget (http://widgetsplus.com/)


Google+はテスト期間中なのでGoogleからはブログパーツは提供されていない。これは非公式のウィジェットで、友だちを増やすためこのようにブログに貼り付けます。横幅を変更できますから、サイドバーに設置すると良いでしょう。

2011年7月25日

京都府立植物園のパワースポット半木神社

半木神社 京都府立植物園(京都市左京区下鴨半木町) Nikon D80 + Zoneplate

京都府立植物園の案内図を見ると「なからぎの森」が目に飛び込んでくる。四つの池に囲まれ、エノキ、ムクノキ、ケヤキの古木やシロダモ、カゴノキ、シイ、カシ類の常緑樹が混生する貴重な自然林だ。「ながらぎ」は「半木」と書くが「なから木」「なかれ木」「流木」などとも呼ばれたようだ。森の中に朱の鳥居、そして小さな社(やしろ)がある。半木神社である。風雪に侵食され、文字がおぼろげになった駒札によると、賀茂別雷神社(上賀茂神社)の末社で、祭神は天太玉命(アメノフトダマノミコト)とある。さらに神社の歴史として次のように説明が続く。
当神社の御鎮座地を中心とするこの地方は、往古賀茂族が開墾した土地であるが、奈良時代頃から錦部の里と呼んでゐた。これ等の地方が錦部の里と称したのは、古くからこの地に於いて、養蚕製糸の業が営まれ絹織物の生産が盛んであった為である。降って平安時代に入って、後一条天皇の御代に至り、寛仁二年(1018年)十一月二十五日朝廷より正式に賀茂別雷神社の社領地として、錦部郷の名を以て寄進せられた。然るにこれらの産業に携っていた賀茂族と秦族との人々がその職業の守護神として四国の阿波国から、天太玉命を勧請鎮祭した。それが現在の半木神社である。
要するにこの辺りは京都の伝統的絹織物業、すなわち現在の西陣織の発祥地だったらしい。この地が京都府に渡ったのは大正2(1913)年、大正天皇の即位を祝う「大礼記念京都大博覧会」の開催用地として買い上げたものだ。しかし議会等の反対もあり、この博覧会は開催されず、代わりに植物園が計画された。そして大正12(1923)年秋に晴れて開園したという。これは歴史の幸運といえる。植物園というと人工空間と思いがちだが、少なくともこのエリアは自然林である。民間の手に渡っていれば、今ごろ宅地化していたに違いない。平成21(2009)年秋に天皇皇后両陛下が来園されたが、お二人とも植物に詳しいという理由の他に、植物園が皇室と縁が深い歴史を持っているからだろう。ところで半木神社は植物園の守護神であるとともに、今や合格祈願や恋愛成就のパワースポットでもある。多くの木や花が「実を結ぶ」ところから、お守「実守(みのりまもり)」が上賀茂神社で授与されている。

2011年7月23日

500万画素でも半切プリントに耐える

ずいぶん昔、2002年に発売になった、ニコンのコンパクトデジカメCoolPix5700を持っている。これで撮った写真を京都の現像ラボAMSで銀塩ペーパーに出力して貰った。発売当時は10万円を超える「高級機」だったけど、画素数は500万で、昨今の廉価版と比較しても見劣りする。

黄昏の大沢池 大覚寺(京都市右京区嵯峨大沢町) Nikon CoolPix5700

実はこの画素数で半切プリントプリントに耐えうるか今までテストしたことがなかった。私はモノクロの文書用レーザープリンタは持っているけど、カラープリンタは持っていないので、出力はラボに依頼している。出典は忘れてしまったが、デジタルプリントの場合、200dpiだとドットが見えなくなるという。手にとって見る値で、距離は約30センチからだと記憶している。ところで半切の印画紙は14x17インチ、356×432センチである。上記CoolPix5700の解像度は1920x2560で、余白なしのプリントをした場合、長辺から単純計算すると次のような印刷解像度になる。
2560÷17=150.6
つまり約150dpiなので、人間の目(半切だと30センチ以上離れて鑑賞すると思う)ではドットが見えないことになる。実際に出来あがったプリントを見ると、私の肉眼(かなり老化している)では全く判らない。これは私にとって新たな発見である。このような単純計算すらせず、500万画素のカメラならせいぜい8x10インチ(六つ切り)程度が限界と思い込んでいて、それ以上の大伸ばしはしたことがなかった。全紙とか全倍とか、大きなサイズはともかく、一般の写真展では半切で十分だと思う。そういう観点に立てば、画素数に余りこだわる必要がないと痛感した次第である。

2011年7月22日

脱原発/反原発プラカード


by GAME GIRL

by kisimari

NO NUKES ZINE ANTI-NUCLEAR Edition
©2011 8EATER All Rights Reserved

上掲画像は NO NUKES ZINE CREW の脱原発/反原発デモプラカードダウンロードサイトから、その一部を転載したものです。同サイトにアクセスすると、A3サイズ、A4×2組み合わせ、A4サイズの印刷用ファイルがダウンロードできます。「お好きなデザインをダウンロードしてダンボールやカラーテープでオリジナルなデモグッズを作ってください!」とのことです。

ソース:http://nonukesblog.8eater.com/

2011年7月18日

Google+(グーグルプラス)のサークル概念


グーグルが6月28日に発表したSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)「Google+」の招待状が届いた。現在フィールドテストが行われているが、早くもユーザーが1,000万人に到達すると起業家のポール・アレン氏が分析している。私にも招待状が届いたので参加した。別にアーリーアドプターを気取る気持ちは毛頭ない。私はGmailやBloggerなど、グーグルのサービスに言わば囚われの身なので、もうひとつ付け足しただけの感じである。すでに使用していたプロフィールなどがそのまま流用できるので参加し易いという側面もある。さて上図のような「ネットワーキング進化論」に相応しいものかどうか、申し少し時間が経過すれば明らかになるだろう。取り敢えず話題になっているのが先発Facebookとの比較である。

左の風刺画はxkcd.comに掲載されているが、こんな具合だ。「あなたはGoogle+をやるべきよ!」「それ何?」「フェイスブックじゃないわよ!」「何に似てる?」「フェイスブック!」「なんてこった。ぼくが本当に欲しかった全てがここにあったなんて。クリック!」

確かにGoogle+はFacebookに似ているし、これで両者の戦争が勃発したという見方もあるようだ。私の第一印象としては、デザインがシンプルで垢ぬけしている。このシンプルさはブラウザChromeに相通ずるもので、たいへん好ましい。そして肝心の機能だが、Facebookを研究し尽くし、その欠点を補っていることである。その真髄は「サークル」の概念にあると言えるだろう。デフォルトでは「知人」「友だち」「家族」「フォロー中」の4つのサークルが用意されてる。そしてこれは例えば「同僚」とか「著名人」といったようなサークルを自分で付加できる仕組みになっている。Googleアカウントに登録されている連絡先や、Google+で知り合った人などを読み込んで、ここに振り分けて行く。フォルダではなくいわばラベルのようなものだが、ひとりを複数のサークルに登録することもできる。TwitterのタイムラインやFacebookのウォールにはすべての人たちの発言が表示されるが、時に追い切れないことがしばしば発生する。ところがGoogle+では、サークルごとにストリーム表示を切り替えることが可能になっているので、上手く設定知れば、自分にとって大事な発言は見逃さないだろう。


Google+サークル設定画面

Google+プロジェクトはこの点を「人と人との関係は、すべて同等ではない」のにも関わらず、既存のSNSでは、すべての人間関係を「友だち」というひとつの括りにまとめ、このことが情報の共有に様々な問題をもたらしていると指摘、具体的には
  • 大雑把である。ときには特定の人とだけコミュニケーションを取りたくても、オンラインではいつでもすべての人の発言が目に飛び込んできます。
  • 勇気がいる。100人以上の「友だち」に見られているオンラインでの会話は、舞台の上で発表するようなもの。皆の目を気にして情報共有も滞りがちになってしまいます。
  • 繊細さに欠ける。「友だち」や「家族」の意味するところは、私たち一人ひとりによって異なります。しかしこうしたニュアンスは、オンラインでは失われてしまいます。
と主張している。確かにその通りだと思う。しかしどうだろう、Facebookでもグループを作れば、この弊害は避けられるのではないだろうか。いずれにせよ、人々がリアルな実生活の場でより、オンラインのバーチャル空間で会話するようになった世相ゆえのシステムなのだろう。実はこのことこそ重大な問題を含んでると私は思っている。現実と虚構の世界の隙間を埋めるためにもFacebookやGoogle+が「実名主義」を採用しているのがせめての救いではある。とにもかくにもFacebookはソーシャルというよりも、実名制の徹底によるインターネット上のアイデンティティの確立という意味で成功したわけだから。

2011年7月17日

勇壮豪快な祇園祭神幸祭

神幸祭の子どもたち 八坂神社(京都市東山区祇園町北側) Fujifilm Finepix X100

新聞社の京都支局スタッフ時代、何度か祇園祭の山鉾巡行の写真取材をしたことがある。正直言って、巡行はダラダラ行列、岸和田のだんじり祭りと比較するとまるで覇気がないと思うのは私だけだろうか。いわば静的な行事である。だから暑さに耐えながらの巡行見物は仕事を離れてはしたことがない。今日もパスしたが、夕方の神幸祭には出かけた。長刀鉾の稚児の社参はあるが、巡行の山鉾が八坂神社の前を通るわけではない。神幸祭は八坂神社の神輿が出発する催事であるので、このほうが本来のメイン行事と言って良いかもしれない。西楼門前いわゆる「石段下」の交差点に着いたのは午後5時前、神輿渡御は6時過ぎなのに、すでに舗道は見物の人たちで一杯だった。職業的性癖というのは困ったもので、別に写真を撮るつもりはなく、コンパクトデジカメ一台しか持っていなかったが、やはり欲めいたものが頭をもたげてしまった。この神幸祭、正確に言えば神事の後、宮出しされた三基の神輿が勢ぞろいしたシーンが定型写真のようだ。その陳腐を避けるため、人垣をかき分けて境内へ。宮出しされた神輿に担ぎ棒が付けられ、境内を一周し、南楼門から石段下に出るまでを見守った。実に勇壮豪快、動的な行事である。神輿はそれぞれのコースを辿って、四条通寺町の御旅所へ向かった。24日の還幸祭まで御旅所に鎮座するが、この間に「無言参り」が行われる。文字通り無言でお参りして願い事をするのだが、芸妓舞妓についてゆき、何とか喋らそうという遊びが花街に残っている。いや、若いころそういった遊びをしたが、祇園町にはまだこの風習が残ってると思う。

2011年7月14日

住んでないのに長刀鉾のちまきを求める弁解

京都市下京区四条通烏丸東入る長刀鉾町
長刀鉾のちまき

四条通に出たついでに長刀鉾に寄ったが、猛暑に関わらず大勢の人が見物に押し寄せていた。古い厄除けちまきを返納、新しいのを求めた。ちまきが厄除けの役割を担っているのは、八坂神社の祭神、素戔嗚尊(スサノオノミコト)が旅の途中でもてなしてくれた蘇民将来に対し、お礼として「子孫に疫病を免れさせる」と約束し、その印として茅の輪を付けさせたのが始まりと言われる。そして「ちのわ」が「ちまき」に変じたという。長刀鉾のちまきを玄関につるす習慣は我が家では長い。どうせ鉾町に住んでないのだからから、別の鉾のにしようかと家人に訊ねたら、やはり先頭を行く長刀鉾のがいいという。家人の今は亡き母親、つまりわたしにとっての義母は山鉾町に生まれ育ったことが自慢の様子だった。四条通から醒ヶ井(さめがい)通を下った所だったらしいので、油天神山か太子山だったのだろう。ところで長刀鉾は下京区長刀鉾町に建っている。祇園祭は7月1日の「長刀鉾町お千度」という行事からスタートした。これは「長刀鉾町内一同稚児を伴なって八坂神社に御千度詣をし、神事の無事を祈る」と解説されている。ところが肝心の長刀鉾町に稚児はおろか、町内一同衆が住んでるわけではないのである。ずいぶん昔、20年も前になろうか、調べたら住民は老女ひとりだった。再び調べてみてもよいが、たぶんゼロかもしれないのだ。マンションでもできない限り、居住者が増えることは考えられない。と、書き綴ったのは、住んでないのにちまきを求める自分の弁解に違いない。

2011年7月12日

祇園囃子が聴こえてきた

京都の夏を彩る祇園祭が幕開けした。一昨日の7月10日から京都の山鉾町で「鉾建・山建」が始まった。そして今日、長刀鉾、函谷(かんこ)鉾、鶏鉾、菊水鉾、月鉾の曳初めがあった。17日には祇園祭のクライマックスとでも言うべき山鉾巡行が行われる。このシーズンになると私は決まって松田元著『祇園祭細見』を広げることにしている。

長刀鉾辻回し 松田元著『祇園祭細見』《山鉾編》より (画像をクリックすると拡大表示されます)

祇園祭に関してはこれ以上のものはないという名著である。初版発行は昭和52(1977)年6月に「郷土行事の会」から発行されたが、私が所持しているは平成2(1990)年6月に発行された第3版で、発行所は「京を語る会」になっている。ネット通販のアマゾンで調べたところ、1点だけ古書店から出品があったが、12,000円のプレミアム価格がついていた。著者は前書きで写真を使ってない理由として「写真には写真の長所があることはもちろんですが、安易にこれを用いるよりも、筆者自身が描くことによって一層観察の度を深め、読者の皆さまもより御注意頂けると考えたからです」と述べている。フェルメールの「デルフトの眺望」はカメラオブスクラを使ったか?という一文を寄稿したばかりであるが、写真が持つ細密さはしばしば絵画に利用されてきた。しかし写真が必ずしも明解性を持っているかは疑問である。例えば私は野鳥図鑑の場合、写真のそれよりも、イラストによるものを愛用している。イラストは事物のディテイルを省略・強調できるからだ。同じ意味で松田元氏のイラストは、祇園祭の様々な写真を凌駕していると私は思う。

祇園会長刀鉾巡行 秋里仁左衛門・竹原信繁『都名所図会』安栄9(1780)年

ところで江戸時代、それこそ写真がない時代に『都名所図会』というベストセラーが生まれた。安栄9(1780)年、秋里仁左衛門、雅号籬島(りとう)が編纂したもので、さし絵は竹原信繁、画号春朝斎が描き、京都寺町五条上ルの書肆、吉野屋為八が出版した。京都の名所案内で、当然のことながら祇園祭も活写されている。これを解説した宗政五十緒編『都名所図会を読む』には100図が収録されている。その続編といえるのが『拾遣(しゅうい)都名所図会』で、同じ編者による解説書が本書である。いわば江戸時代の人気京都ガイドブックが現代に引き継がれているのである。現代の京都の情景と比べ見ると、興味が尽きない面白さがある。『拾遣都名所図会』は、本篇の『都名所図会』が爆発的人気を呼んだので、拾遣編として刊行されることになったという。

祇園会鉾の稚児社参 秋里仁左衛門・竹原信繁『拾遣都名所図会』天明7(1787)年

同じ編者、絵師、版元によって天明7(1787)年秋に発行された。実はその原本とも言うべき木版画2点を京都河原町三条上ルの古書店「キクオ書店」で手に入れた。そのうちの1点が祇園会の行事、稚児の祇園社(八坂神社)参詣を描いたものである。この絵には床几が流水に出されていて、下部に仮り橋が架かってることから、鴨川の四条通りを祇園社から帰ってゆく行列を南東から描いたものと知られているという。稚児は位を貰うので、左上に「しばらくは雲のうへ也鉾の児(ちご)」の発句が見える。つまり祭礼の期間中、稚児は雲上人になるというわけだ。この祇園社参りの行事が7月1日、長刀鉾の稚児が八坂神社に参詣して臨んだ「お千度の儀」である。

2011年7月9日

ライカM9を凌駕する富士フイルムX-100のマクロ機能

シオカラトンボ(塩辛蜻蛉) 立本寺(京都市上京区七本松通仁和寺街道上る) Fujifilm Finepix X100

梅雨が明けた。ハス(蓮)を撮ろうと思案したが、さて何処へ行こうか迷う。ハスは仏教の匂いがするので、やはり寺院が似合う。京都市観光情報サイトの「花だより」を見ると、大覚寺や天龍寺、勧修寺、そして先日仏足石を拝観に行った法金剛院の名が上っている。いずれもやや遠いので、というか早起きしないと駄目なので、比較的近い立本(りゅうほん)寺に出かけた。水上勉の小説『五番町夕霧楼』の舞台に近い場所にある、日蓮宗の寺院である。余り知られていないようだが、春のサクラ(桜)が見事である。本堂の前に50個はあるだろうか、ハスを植えた甕(かめ)が並んでいる。しばらく観察しているとシオカラトンボがハスの蕾(つぼみ)に止まっていたので、レンズを向けてみた。昆虫の生態には不案内だが、テリトリーを主張しているのだろう、かなり近づいても逃げない。飛び立ってもまた元の所に戻って来る。富士フイルムのX-100は固定焦点で、ライカ判に換算すると35mmのレンズに相当する。だからこの写真は相当接近して撮ったことになる。実はこのような接写は光学式一眼レフにマクロレンズを付けたほうが撮影距離が離れて撮り易い。それでも何とかなるのは、同社が開発した「ハイブリッドビューファインダー」のお陰だろう。つまり光学ファインダーと電子ビューファインダーをワンタッチで切り替えることができるからである。残念ながら前者は二重像合致式レンジファインダーではないが、電子ファインダーに切り替わる点は便利。オートフォーカスのタイムラグが若干あるが、レンズを通した画像を確認しながら撮れる。某海外サイトがX-100を「ライカM9を買えない貧乏人向け」と揶揄していたが、さて、X-100のほうがデジタル技術を活かしていると私は思う。M9のようなフィルムカメラを引きずった、光学式レンジファインダーではこのようなマクロ撮影は無理だからである。

2011年7月6日

デジタル時代のピクトリアリズム写真


Summer across Low Common
Copyright©Sarah Jarrett

これまで何度かピクトリアリズム(絵画主義)写真について触れてきた。それは主として私が時々トライしているゾーンプレート写真がらみで、いわばなぜ不鮮明な写真を撮るのかという観点からからだった。従って正確には絵画を模倣した写真ということではなかった。ここに掲示した写真は、まさにデジタル時代のピクトリアリズム写真といえる作品である。作者のサラ・ジャレットさんは、1966年生まれの英国人で、ノーフォークの美しい田園風景を撮り続けている。1998年、カラー写真の上にペイントする試みをしたという。その後、デジタル技術を導入、ご覧のように絵画に限りなく近い写真を発表している。ハーネミューレ・ファインアート社のペーパーにインクジェットプリントして販売していて、彼女のウェブサイトから購入できる。

2011年7月5日

電柱を視界から消し電線がない空を取り戻そう

切り通し(京都市東山区祇園町北側)

テレビの「世界遺産」番組でため息が出るのは、海外の古都の美しさである。電柱や電線が視界にないことが、その美しさの要因を大きく担っていると思う。写真は京都の花街、祇園の街並みだが、花見小路は電線の地中化が進み、すっきりとして美しい。一方、祇園白川に抜ける切り通しは風情がある街並みにも関わらず、空中はご覧の通りである。これを私は密かに「祇園の南北問題」と呼んでいる。京都の電線に関し何度か旧ブログで触れたが、これからも執拗に取り上げて行きたい。今回の東日本大震災で気になったのは、福島第一原発事故によって露見した電力会社の傲慢体質が、電線の地中化を遅らせているのではという懸念である。嫌が上にも彼らの体質を知ってしまったのである。地中化にはお金がかかる。その工事費は税金+電力・通信会社などの負担となる。どうやらそれに対して電力および通信事業者は出し渋っているのではという疑いを持っているのは、はたして私だけだろうか。

花見小路(京都市東山区祇園町南側)
日本の電力、通信事業はほぼ独占企業に寄って賄われている、といっても過言ではないだろう。取りはぐれのない料金が彼ら、特に電力会社の懐に入っているにも関わらず、地中化には消極的に見えてしょうがない。電力会社は総経費の3.5%が適正報酬と決められているため、電気料金=経費+経費×0.035と設定されているそうだ。だから大きな金が動く原発産業は電力会社にとってみれば良き経費バラ撒き場になっている。その無駄遣いを景観改善に回して欲しい。誰が見ても醜い空中の蜘蛛の巣は放置したままである。さて地中化のメリットだが、私の主眼は無論景観の改善にある。京都の場合、社寺や一部歴史的な景観地区の地中化が顕著であることは確かである。しかし街全体、都市全体が美しくあってこそ、国際的な古都といえるのではないだろうか。その点で、京都市内のあちこちが絶望的な景観になっていることを強調したい。景観の他にも重要なことがある。地中化された電線は架空線に比べて強いということである。また災害時には電柱が様々な活動の支障になることがあるという指摘がある。これは阪神大震災の調査で判明されたことだが、今回の東日本大震災でもどのようであったか調査が待たれる。その他にも地中化のメリットを列挙できるが、この辺りで留めておこう。取り敢えず国際観光都市京都の名に恥じない街づくりの観点から、電柱を1本でも多く視界から消し、電線がない空を取り戻して欲しいと願っている。

2011年7月3日

2011年版「憲法9条京都の会」ポスター


Peace & Love 平和と愛
画像をクリックすると拡大表示されます

9条は9条通のことではありません、憲法9条のことです。有馬賴底(臨済宗相国寺派管長)安斎育郎(安斎科学・平和事務所所長)梅原猛(哲学者)瀬戸内寂聴(作家)鶴見俊輔(哲学者)益川敏英(京都産業大学教授)が代表世話人の「憲法9条京都の会」の新しいポスターができたので、同会のサイトより転載します。

カンパ(1枚100円)+送料(注文者のご負担)で、注文制となります。必要枚数を事務局までご注文ください。事務処理の都合上⇒ 専用「申し込み・注文書」(PDF)により、FAX(075-712-5657)にてお願いいたします。

 ポスター見本(436KB)

ソース:憲法9条京都の会

2011年7月1日

清楚で陰りがあるユリの美しさ


平野神社(京都市北区平野宮本町)

ユリ(百合)の花が女性の同性愛を意味することは、ごく最近まで知らなかったけど、植物としての語源はどうやら「揺り」というのが有力のようだ。風に吹かれて花がゆらゆらすることかららしい。そういえば「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」はその揺れる様を女性の美しさに重ね合わせたものだという。それはともかく、6月から7月にかけて咲くユリは、夏咲く花では最も美しいと思う。種類が多すぎて、その名前を的確に判断することは私には無理だが、やはり白いユリが好きである。とにかく清楚ですがすがしい。私が愛好するアメリカの伝承歌謡の中にはよく Lily White Hand という言葉が登場する。
The Banks of the Ohio (The Blue Sky Boys)

I taken her by her lily white hand
I let her down and I made her stand
There I plunged her in to drown
And watched her as she floated down

Only say that you'll be mine
And in our home we'll happy be
Down beside where the waters flow
Down on the banks of the Ohio
これは「オハイオの岸辺」というバラードの一部である。結婚を承諾してくれない女性の喉にナイフを突き付ける。彼女は「どうか殺さないで」と懇願する。しかしユリのような白い手を引っ張り、川に突きき落とす。東南部パラティア山系にはこのような Murder Song がいくつか伝承されているが、過酷な生活を強いられた人々の陰鬱たる風土を垣間見ることができる。ユリの美しさは、そのような風土と符丁が合うような気がしてならない。同じ夏の花でも、ヒマワリ(向日葵)に見られる陽気さはなく、清楚だけど、陰りがある美しさである。ユリは仏花として使われる。それゆえだろうか、ふと「死のイメージ」を連想してしまうのは、飛躍が過ぎるだろうか。

追記(7月2日)

連想ゲームのように「オハイオの岸辺」という歌を紹介してしまった。本文にあるように、直接ユリを歌ったものではない。ただ私の趣味からブルースカイボーイズという兄弟デュオを聴いて欲しかったからである。録音は1936年で、いわばカントリー音楽の黎明期に属する。後にジョニー・キャッシュやジョーン・バエズなど、多くのシンガーが歌っているが、伝承歌謡ゆえ、それぞれ微妙に歌詞が違う。ところでユリに直接関係すると思われるものに Lily of the Valley という讃美歌がある。ところが Lily of the Valley というのはユリでなく実はスズランのことである。スズランはユリ科の花だから「谷間の百合」と訳しても間違いではないのだが、やはり別の花というイメージは拭えない。讃美歌集には「我が魂の慕いまつる」という邦題がついていて「谷間の鈴蘭」ではないようだ。といった「勘違い」を集めて書くと面白いと思う。