イブン・アル=ハイサム 最初の科学者 |
イスラームいう言葉に接すると日本人は何を連想するだろうか。左手に聖典クルアーン、右手に剣という比喩に代表される宗教的攻撃性だろうか。中東に燃え盛る戦火だろうか。それとも産油国の為政者の豪奢な暮らしぶりだろうか。歴史的にはヨーロッパを震撼とさせた、オスマン帝国の覇権主義だろうか。いずれにしても、その結束力は時空を超えて、アジアからアフリカに至るまで、繋がりを持っている。多くの人々がプラスのイメージを持たず、負のそれを抱いてるのではと想像する。しかし工業立国日本は石油なしには生き延びることができない。その観点のみから外交政策が行われ、その文化に対する認識は立ち遅れてるような気がしてならない。だから10世紀において、イスラーム圏の科学がヨーロッパより遥かに進んでいたという史実が、日本人の認識の中に欠落しているかもしれないのである。サブタイトルを「最初の科学者」とした本書は、史上最も偉大な科学者の一人であるイブン・アル=ハイサム(アルハゼン 965-1038)の伝記および評論である。ペルシャ(現イラン)のバスラで生まれ、バグダードで科学を学んだ。アリストテレス、ユークリッド、アルキメデス、そしてプトレマイオスの業績を研究考察した。そして目から出た光が対象を走査し、そのことによって目の中に像が出来るというといった、彼らの視覚論を批判する。太陽その他の光源から出た光が対象に反射し、それが目に入って像を結ぶという正しい理論を提出し、現在から見てもかなり正確な眼球の構造を記している。本書は児童向け図書で、日本の子どもたちのために邦訳が待たれる。
イラク中央銀行の10,000ディナール紙幣(2003年) |
実験というメソッド使用することで科学へのアプローチを開発したのであるが、光学の分野での功績は余りにも大きい。ロジャー・ベーコン(1214-1294)からピエール・ド・フェルマー(1608-1665)までの中世ヨーロッパの科学者と数学者、そして天文学者ヨハネス・ケプラー(1571-1630)に影響を及ぼしたのである。彼はカメラオブスクラを作って視覚の研究をした。3本の蝋燭を一列に並べ、壁との中間に孔を開けた衝立を置いたのだが、右側にある蝋燭の光が壁の左側に像を結び左側の蝋燭の像は右に出ることに気が付いたのである。このことからは光の直進性を導き出したが、像を結ぶのが小さな孔だけであることに注目した。像の左右の入れ替わりに触れているが、像が倒立することには言及していない。エジプトのファーティマ朝の第6代カリフ・ハーキムによってカイロに招かれ、ナイル川の洪水を治める研究をするよう指示された。しかしそれが困難と知った彼は独裁者の逆鱗を買ったが、気が触れたと偽る。結局カリフが没するまで幽閉されてしまうが、最終的に釈放されバグダッドに戻る。死ぬまでに科学に関するもう90冊の本を書いたと言われる。幽閉中に書かれた『光学宝典』著書は1572年に出版されたが、上記ケプラーを筆頭に、ルネ・デカルト(1596-1650)、クリスティアーン・ホイヘンス(1629-1695)、アイザック・ニュートン(1642-1727)などが更に光学を発展させていった。少なくとも10~11世紀において、イスラーム圏は科学の先進を走っていたのである。
Ḥasan Ibn al-Haytham | Arab astronomer and mathematician | Encyclopædia Britannica
0 件のコメント:
コメントを投稿