2016年7月18日

天平の甍 唐招提寺再訪


咲き競う蓮(奈良市五条町の唐招提寺)

唐招提寺金堂(国宝)
戦後復原された朱塗りの南大門をくぐると、懐かしい金堂が見えた。二十二年ぶりの唐招提寺参詣だ。かつてはその手前に中門があったそうだが、決して現在の姿は不自然ではない。いや、いきなり金堂が視野に入ることのほうが、ある種の感動を呼ぶ。白砂を踏んで吹き放しの円柱をすり抜け、私は金堂の内部を覗き込んだ。低い須弥壇の中央に本尊盧舎那仏、左に千手観音菩薩、右に薬師如来が並んでいる。いずれも巨大な像で圧倒される。本尊の両脇には帝釈天と梵天、そして須弥壇の四隅には四天王が控えている。私は円柱をスライドして、天井に届かんばかりの千手観音菩薩立像の顔に網膜のピントを合わせた。蓮華王院三十三間堂の千一体の観音像群は、実は十一面四十二臂であったが、この像は正真正銘十一面千臂である。大型の手だけを数えれば四十二臂となるが、小さな手が付属している。これを数えると本当に千本ということになる。もっともちゃんと数えると現在は九百五十三本で、四十七本足りないということになるのだが。額にはもう一眼刻まれている。

私は突然、少年の頃読んだ『第三の眼』という本を思い出した。内容はよく覚えていないが、確か著者は英国人で、ダライ・ラマと会い第三の眼、すなわち千里眼の極意を得たというものだった。ミイラの話しとか、断片的な記憶があるのだが、今や朦朧としている。しかし、妙にその神秘性に興奮したような気がする。神秘というのは、文字通り神の秘密なのだろう。そしてその神というのは特定の宗教のものではなく、普遍的な存在、絶対的な存在を指す。キリスト教の聖堂、回教のモスク、仏教の伽藍、神道の神殿、いずれもなにがしらの畏怖を人間に与えるような気がする。夕闇迫った鎮守の森は、それが人間の手になるものであっても、何か近寄りがたい霊気が宿っている気配がする。今ここで見上げている千手観音像は、きっと『千手千臂観世音菩薩陀羅尼神呪経』の具現化に違いない。そこに畏怖感を抱いたとすれば、きっと造像者にとって心外なことだろう。蓮華王院とは別の形で、千手観音菩薩信仰の極致をここに見ることができる。孔雀の羽根のような千臂は、私にはマルチストロボの残像のように見える。

金堂内陣 (左から)千手観音、盧舎那仏、薬師如来
突然の喧噪。定期観光バスだろうか、大勢の観光客にガイドさんが説明を始めた。「本尊は東大寺の大仏さんと同じ盧舎那仏で、密教では大日如来と呼んでいます。脱活乾漆という作り方で、内部は空洞になっています。奈良時代にできたもので、現存するこの作り方の像では最大の大きさです」云々。なかなかわかりやすい解説だ。私は円柱ひとつ分向こうにある盧舎那仏に視線を移した。衣を偏袒右肩、つまり、ちょっと右肩にかけている。この像に限らず、このような風俗は鑑真和上の国のものではなく、遠く天竺のものに違いない。八重蓮華座に坐した盧舎那仏は、おだやかな尊顔の向こうに千体の化仏を配した光背が見える。東大寺の大仏もそうだが、この姿は『梵網経』の教主の姿でもあるそうだ。経には「我れ今盧舎那、方に蓮華台に坐し、周りに千花を匝したる上に、復た千釈迦を現し、一花に百億国、一国に一釈迦、各菩提樹に坐して、一時に仏道を成ず、是の如き千百億、盧舎那本尊なり」とあるという。時系列の欠損によって実際には八百六十四体しか残っていない。

現在はその姿を見ることはできないが、寺伝には、像の背後の壁と柱にそれぞれ千体の仏が描かれていたと記録されているそうだ。千眼千臂にせよ、この千体の化仏にせよ、仏師たちは信仰の願いをこのような形で具象化しようとした。千百億は具体的数字だが、微分しないととらえることのできない数字である。その底流にあるのは広大無辺、無限の時空間である宇宙の表現ということなのだろう。この本尊の右側にはさらに薬師如来像が立っている。金堂に安置されたこれらの三体の巨大な像の組み合わせが、どのような教義的意味を持つのか。これに関しては定説がない。というより、金堂造像の歴史的経緯が複雑過ぎてその事情の把握が難しいということらしい。諸説紛々だが、延暦時代に薬師如来立像、千手観音立像が追加され、法量の差については薬師が貧弱に見えたから最後に千手を造ったという説が私には面白い。三尊のバランスについては、均整が取れてるようで、なんとなく崩れてるような気もする。金堂西隣の池で咲き競う蓮の花を観賞した後、売店に寄ったら、金堂内陣の三尊をプリントしたA4のクリアファイルがあった(写真左上)。これはお勧めの仏像グッズである。

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