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国宝本堂(奈良市秋篠町) |
元講堂であった本堂に入る。須弥壇の正面にあるベンチに座り、電灯光に浮かび上がった諸像を見上げる。暑い、暑い、風が通らない。中央に薬師如来像、そしてその左右に日光月光の両菩薩像が控えている。薬師如来といえば薬師寺の三尊を思い出すが、作造によってずいぶん印象が違うものだな、と感心する。この如来はよく言えば柔和ということになるが、やや気迫に欠けるような気がする。この寺で一番有名なのが、左端にある伎芸天だろう。どのガイドブックもこの像に触れている。天は天上界に住む神々、バラモン、ヒンドゥーの神々の化身だ。拝観の栞によれば「大自在天の髪際から化生せられた天女」なのだそうだ。大自在天というのはヒンドゥー教のシヴァ神のことだ。仏教の宇宙観によれば、衆生は欲界、色界、無色界の三つに分けられた世界に住むという。欲界というのは淫欲と貪欲がある世界、色界はそのふたつがない世界だそうだ。色というのは物質のことだから、無色界には物質すらない清浄な世界なのだろう。天上世界は普通は天部と呼ばれている。その天部には、梵天、帝釈天、四天王、毘沙門天、兜跋毘沙門天、韋駄天など、数知れぬ神々がいる。その性別ははっきりしていて、例えば吉祥天は毘沙門天の后である。伎芸天も天女で、その名の通り芸能の守護神であろう。これらはバラモン、ヒンドゥーといった異教の神々だが、仏教はこれらを取り込んで守護神としている。この包含力が仏教の凄さだと私は思うのだが、これ故、キリスト教のように一元的でないと言われるようだ。如来と言っても、釈尊の法身である釈迦如来ひとつではない。では、仏教は多神教なのだろうか。
多神論と想い誤ってはならぬ。すべての仏法は、一や多の如き相対 の念に止まることを許さぬ。本体をいつも「不二」に見るが故に、一にも多にも非ざるものを見ているのである。(途中略)「不二」とは数からの解放を意味する。(柳宋悦『南無阿弥陀仏』岩波文庫1986年)
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頭部のみが奈良時代の乾漆造り |
唯一絶対という言葉があるが、はたしてそれは相対を越えたものなのだろうか。仏教の宇宙観は無碍である。すべてのものを許す包容力がある。それが仏教の素晴らしさであり、一神多神論を乗り越え、さらに無神有神論も乗り越えているものだと私は思っている。ベンチから立ち上がり、左端の伎芸天立像に近づき、凝視した。さらに左に回り込んで側面から見上げる。歴史という時系列に漂流を続けた像は、かなり傷みが激しいように思われる。頭部は奈良末期あるいは平安初期ごろの脱活乾漆造で、身体部は鎌倉時代に補作された木造だそうだ。しかし、不思議なことに時間断層の違和感はない。伎芸天像の色彩をどう表現したらいいのだろうか。墨にわずかな紫。頭髪はオレンジ、いや違う、南瓜色である。唇の上、瞼、眉毛の一部の塗料がはげ落ちている。柔らかな微笑み、それはまさに天女の姿である。具象が抽象に勝ったその写実は、かつていただろう実在の女性のモデルを彷彿とさせる。法華寺の十一面観音に伺える昇華がここでは希薄だ。天部像というのは、言い換えれば菩薩像よりさらに世俗的と言ってよいのだろう。
現在の像は頭部のみが奈良時代の乾漆造りで、頚部以下はの身体は鎌倉時代の寄木造りだが、違和感はない。視線がその身体部に移ると、側面からだったためだろうか、ある発見に私はギクっとした。ゆったりとした宝衣をまとった天女はわずかに腰をひねっている。そしてその腰の下の腹部が盛り上がっているのである。肉付きのよい豊満な肉体とはこのことなのだろう。古寺巡礼を続けたためだろうか、私も和辻哲郎にある部分で近づいてきたのだろうか。まさか? そのまさか、である。私は強烈なエロティシズムをこの像に感じてしまったのである。いつの間にか天女の裸体を、生身の裸体を想像していた私に、私自身が驚愕する。それは動かない堂内の熱気が作った幻影なのだろうか。この像は極彩色だったという。着衣の彩色が落ち、往時の姿は想像にまかせるしかない。その風化が惜しまれる。そういえばかつて訪れた浄瑠璃寺の吉祥天女立像は厨子に守られて、その色彩を失っていない。再び境内を抜け、南門を出た私は、近くの自動販売機で冷たいお茶を求めて石段に腰掛けた。田圃の稲はじっとして動く気配もない。
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