2014年9月9日

キャパの名に隠れたゲルダ・タローの報道写真


ゲルダ・タローとキャパ(1936年)
ロバート・キャパ著『ちょっとピンぼけ』の後書きで、キャパの友人でもあった翻訳者の川添浩史氏が「ゲルダは、ヴィリドラッグ、ルノワール、ピカソ、アラゴン、ニザン、マルロオなどの心をこめた葬いの下に、この"戦争と革命の時代"に文化を希望すべく、パリに咲いた美しい花のような一生をおえた。キャパは、半ヵ月も自分の部屋にただ泣き伏していた」と述懐している。恋人ゲルダが、1937年7月、27歳の誕生日前に戦場で散ったからだ。ロバート・ウィーラン『キャパその青春』によると1934年、キャパは仕事で美しいモデルを探す必要に迫られた。そこで公園で声をかけたのがゲルダだったという。ゲルタ・ポホリレスは1911年、ドイツのシュトゥットガルドで生まれた。ナチスの反ユダヤ主義から逃れ、1934年にゲルダはフランスのパリへ引っ越した。彼女は上述のようにハンガリー出身で同じくユダヤ系の写真家、アンドレ・フリードマンに出会い、彼の個人的な助手となり撮影技術を学んだ。ゲルダとアンドレはニュース写真をロバート・キャパという架空名義で売ったが、後にアンドレはこの名を冠するようになったのである。だからキャパ作の作品にはアンドレだけではなく、ゲルダのそれも含まれているのである。キャパの名に隠れたゲルダだが、その作品展がニューヨークの国際写真センター(ICP)で2008年に開催されて以来、初の女性報道写真家として次第に注目されるようになったようだ。彼女はゲルダ・タローを自称したが、キャパと親交があった岡本太郎に由来する。

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