2013年12月18日

行く川のながれは絶えずして しかももとの水にあらず

桂川 嵐山(京都市右京区嵯峨天龍寺造路町)

京都のギャラリーマロニエで昨12月17日から「第14回京都写真展」が始まったが、来場できないかたに出展した作品を披露しておきます。小品を複数出展することも考えたが、全倍1点にした。搬入時に金属フレームの重さで枠が外れるというアクシデントがあったが、京都写真クラブ代表の森岡誠氏の力を借りてネジ止め、なんとか展示にこぎつけた。印画紙の大きさは900x600mmで、原板は4x5インチのピンホール写真である。フィルムスキャンして銀塩ペーパーに出力したが、ゼラチンシルバープリントとは言い難い。というのは、ペーパーはネガカラ―用で、発色現像のあと、最終的に漂白によって銀が捨てられるからだ。作品には次のようなキャプションを加えた。
針孔写真機を持って嵐山に出かけた。川を眺めていたら、突然ヘルマン・ヘッセの言葉が蘇ってきた。川は至る所において、源泉において、河口において、滝において、渡し場において、早瀬において、海において、山において、至る所において同時に存在する。川にとっては現在だけが存在する。過去という影も、未来という影も、存在しない。これは鴨長明の「方丈記」に通ずるものがある。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。
ところで今年の7月初め、京都写真クラブの総会で私は「ピンホール写真は卒業、そろそろ大判カメラによるストレート写真の制作をしたい」と挨拶したが、結局、ピンホール写真を出展することになってしまった。実はこの数週間、過去にローライフレックスで撮影したフィルムのスキャンニング作業をしている。ときどき作業がとん挫するが、それは見ていて何故か「つまらない」からである。言いかえればストレート写真は、被写体の魅力に依存する。そういうことから、一口でいえば「難しい」のである。さて、来年こそと思っているが、どうなるかな?

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