2011年5月31日

卯の花の雪崩のごとき咲きこぼれ

ウツギ(空木) 平野神社(京都市北区平野宮本町) Fujifilm Finepix X100

多くの花が姿を隠すこの季節の平野神社、桜池にひっそりとウツギ(空木)が佇んでいた。別名ウノハナ(卯の花)だが、私の年代はこの花から、唱歌『夏は来ぬ』(佐々木信綱作詞・小山作之助作曲)を思い出す人が多いに違いない。
卯の花の 匂う垣根に
時鳥(ほととぎす) 早も来鳴きて
忍音(しのびね)もらす 夏は来ぬ

さみだれの そそぐ山田に
早乙女(さおとめ)が 裳裾(もすそ)ぬらして
玉苗(たまなえ)植うる 夏は来ぬ

橘(たちばな)の 薫るのきばの
窓近く 蛍飛びかい
おこたり諌(いさ)むる 夏は来ぬ

楝(おうち)ちる 川べの宿の
門(かど)遠く 水鶏(くいな)声して
夕月すずしき 夏は来ぬ

五月(さつき)やみ 蛍飛びかい
水鶏(くいな)鳴き 卯の花咲きて
早苗(さなえ)植えわたす 夏は来ぬ
このウノハナはユキノシタ科の落葉低木、茎が空洞なのでウツギ(空木)の名がついたという。わずかに青みがかかった白色を「卯の花色」と呼ぶようだ。従って白色五弁の小花が一般的だが、写真のような紅色もある。陰暦四月を「卯月」と呼ぶのはこの花に由来すると言われている。明日からもう六月、どうやら駆け込み投稿になってしまった。

2011年5月29日

食品摂取制限に関する放射線暫定基準値への疑問


(左)飲食物摂取制限に関する指標 (クリックすると拡大表示

福島第一原発事故によって引き起こされた放射線汚染で気がかりなのは、その被曝であることはいうまでもないが、やはり農産物などの安全性も大いに気になる。厚生労働省が示している放射性物質の「暫定基準値」は原子力安全委員会が作成した原子力防災指針の「飲食物摂取制限に関する指標」を基に設定されている。指標では摂取制限すべき放射性物質として、放射性ヨウ素、放射性セシウム、ウラン、プルトニウムなど4つを選定。そして対象食品を飲料水、牛乳・乳製品、野菜類、穀類、肉・卵・魚・その他の5項目に分けている。

例えば飲料水および牛乳・乳製品の場合、放射性ヨウ素は1キログラム当たり300ベクレル、放射線セシウムは200ベクレル以上。野菜類の場合だと、放射性ヨウ素は1キロ当たり2000ベクレル、放射線セシウムは500ベクレル以上と摂取制限の基準を定めている。数値は国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告などを基に算出したという。しかも放射性ヨウ素は年間約33ミリシーベルト、他の放射性物質は年間5ミリシーベルトまでなら摂取しても安全と判断したというのだ。

この飲食物摂取制限暫定基準値を、海外の基準値と比較したのが上に掲げた「世界もおどろく日本の基準値2000ベクレル」である。放射線に関してはある程度専門知識が必要だが、これは分かりやすいインフォグラフィックである。厚労省の基準は、食品の安全基準を定めた食品衛生法に放射能の基準がないために取られた緊急措置だそうである。それにしても数字が甘すぎないだろうか。早急に再検討すべきだだろう。研究者による専門的な記事として、三重大学勝川俊雄准教授の「食品の放射性物質の暫定基準値はどうやって決まったか」を読まれることを薦めたい。

参考資料:ベクレル(Bq)シーベルト(Sv)換算 - 放射能・放射線の量

2011年5月27日

デジタル針孔写真あるいは動画への道

針孔あるいはゾーンプレート写真に取り組んでる写真愛好家グループに誘われ、京都府立植物園に出かけた。本来、写真撮影は孤独な作業だけど、同好の士と供にするのも楽しい。近畿地方は昨日梅雨入りしたが、幸いなことに雨が上がり、何とか写真を撮れる天気模様になった。

カルミア

北門から園内に入ると鉢植えのカルミアが咲き誇っていた。カルミアはいろいろな種があるようだが、これはアメリカシャクナゲ(亜米利加石楠花)である。ただ同じツツジ科でも、カルミア属はシャクナゲ亜属とは分岐しているので、この花をシャクナゲと呼ぶのことに違和感を感ずる人がいるかもしれない。

シャクヤク

南に少し歩くとシャクヤク(芍薬)が目に飛び込んできた。立てば芍薬座れば牡丹、という諺は余りにも有名だが、シャクヤクはボタン科の多年草である。ボタンが樹木、シャクヤクは草であるが、花はよく似ている。余りにも似ているので、私は見分ける自信がない。ゾーンプレート写真は不鮮明だけど、雨の滴が写っている。

バラ 京都府立植物園(京都市左京区下鴨半木町) Nikon D80 + Zoneplate

シャクヤクやボタンは様々な色、形があって、その種を見分ける力を持ち合わせていないが、バラ(薔薇)に至ってはお手上げである。多種多様、私には白いバラ、赤いバラ、黄色いバラと極めて大雑把な呼び方しかできない。そのバラだが、雨上りにその香りが際立つと聞いたことがる。なるほど、甘い香りが園内に充満していた。

さて標題の件だが、現在私はニコンの一眼レフD80にゾーンプレートをつけている。これはこれでいいのだが、若干の不満がないわけではない。フランジバック(マウント面からセンサーまでの距離)が46.5mmとやや長い。ミラーが入った一眼レフゆえの宿命だが、ミラーレス一眼ならもっと短い。例えばソニーのNEX-5の場合は18mmである。ライカ判に換算すれば概ね28mmレンズ相当の画角を得られるはずだから、針孔写真向きではないかと想像する。さらに動画も撮れればフィルムカメラが及ばない世界が展開するかもしれなのだ。富士フイルムのX100を買ったばかりなのだが、またしても物欲がモヤモヤしてきた感じである。

2011年5月26日

ときは今 あめが下しる さつきかな

サツキ 本能寺(京都市中京区寺町通御池下る) Fujifilm Finepix X100

造花 ストアデポ(京都市中京区寺町通三条上る) Fujifilm Finepix X100

昼下がり、寺町通を歩いた。御池通から南に下ると、本能寺の山門にサツキ(皐月)が咲いていた。ツツジ(躑躅)が4月中旬から5月上旬に開花するのに対し、サツキは5月中旬から6月上旬に咲く。旧暦の五月(皐月)に咲くのでこの名が付いたのだろう。天正10年6月2日、本能寺の変が起きたが、その直前に明智光秀が愛宕山で詠んだ歌が標題に使った「ときは今…」である。有名な「愛宕百韻」の発句であった。サツキにレンズを向けたあと、さらに南に歩き、事務用品店で買い物をした。レジで支払いを済ませて店外に出た所で綺麗な花を見つけた。実は造花であったが、英語では二つの呼び方がある。imitation flower そして artificial flower である。前者は偽物の花と言う意味だが、後者は人造の、あるいは人工的という意味である。なんだ同じじゃないかと一瞬思ったが、英語の art は日本語では技術と供に。芸術という意味をそなえる。そういえば日本でも、染め花などをアートフラワー、すなわち芸術的な花と呼んだりする。芸術とは自然なものに対し人為的な「造りもの」を作る、人間特有の行為と言えそうだ。

2011年5月21日

絵馬に託す恋の成就と地獄脱出

神社仏閣を訪れる観光客、とりわけ外国人にとって印象が残るのは、お御籤(みくじ)と絵馬らしい。確かに引いた夥しい数の御籤が、木の枝や専用のロープなどに結ばれた光景は壮観である。また願い事を書いた絵馬にも目を奪われるようだ。日本人は何と信心深いのだろうと誤解を与えそうだが、信仰というより、むしろ現世利益を願う現代人の象徴かもしれない。絵馬は神霊を和らげて奉るために生きた馬を神社に奉納したのが始まりだという。生きた馬がやがて木馬になり、さらに板に描いた馬になった。そして馬だけではなく、様々な絵が描かれるようになり現代に至ったようだ。五角形の名所説明立札を駒札と呼ぶが、将棋の駒に由来するようだ。駒は仔馬、若馬を意味するし、絵馬の形も将棋の駒の形を模したものではないかと考えたことがあるが、ちょっと無理なようだ。五角形でない絵馬もある。

縁結び絵馬 上賀茂神社(京都市北区上賀茂本山) Fujifilm Finepix X100

片岡社は上賀茂神社楼門の前に鎮座する第一摂社で、傍らの説明板によると『延喜式』には片山御子神社とあるそうだ。玉依日売命(たまよりひめ)を祀った社で、絵馬には「ほととぎす声待つほどは片岡のもりのしづくに立ちやぬれまし」と書かれている。これは紫式部が詠んだもので、ホトトギスの声を待っている間は、片岡の森の梢の下に立って、朝露の雫に濡れていようかという意味である。新古今和歌集巻第三夏歌の詞書には「賀茂にまうでて侍りけるに、人の、ほとゝぎす鳴かなむと申しけるあけぼの、片岡の梢おかしく見え侍りければ」とあり、詠った情景が理解できる。ホトトギスとは未来の結婚相手の声のことだそうだ。絵馬はハート型に見えるが、葵の葉ををかたどったものである。

救い絵馬 矢田寺(京都市中京区寺町通三条上る) Fujifilm Finepix X100

矢田寺は京都の繁華街、三条通商店街から寺町通を北へ上ったところにある。正面の梵鐘は、精霊を冥土に迷わず送るために撞く「送り鐘」で、これは東山区にある六道珍皇寺の「迎え鐘」と一対になった呼び方という。本尊の地蔵菩薩は苦しみを代わりに受けてくれるという「代受苦(だいじゅく)地蔵」として知られるが、その手前にある赤い炎を彫った衝立が印象的である。地獄の火焔であるが、これをデザインしたのが「救い絵馬」である。寺に伝わる重要文化財の「矢田地蔵縁起絵巻」に描かれた一場面で、火焔に包まれた釜であえぐ罪人に僧侶が手を差し伸べている。地蔵菩薩の化身である。一見恐ろしげな図柄だが、地獄から救ってくれるわけだから、有難い絵馬として人気があるようだ。

2011年5月17日

神山や 大田の沢の杜若 深き頼みは 色に見ゆらむ

上賀茂神社で市バスを降り、明神川沿いに東に向かって歩く。この辺りは社家(しゃけ)町という街並みを形成している。それぞれの門前に石の小橋がかかり、独特の雰囲気を醸し出している。やがて道は川と別れ、しばらく歩くと京都市指定有形文化財の井関家に着いた。門をくぐると鳥居型の内玄関があり、ちりめんを使った香袋や匂い袋などの手作り商品が並んでいる。竹の井戸蓋の上に何気なく置かれたちりめん作りの椿が心憎い。視線を落とすと、鉢植えのフタバアオイ(双葉葵)が見えた。この葉は葵祭に使われるので、カモアオイ(賀茂葵)という別名がある。井関家は代々上賀茂神社に仕えていた社家で、賀茂十六流のうち「直」の流れに属するそうだ。上賀茂神社の摂社、大田神社はすぐ近くにある。境内東側の池は「大田の沢」と呼ばれ、国の天然記念物、野生のカキツバタ(杜若)の群生で有名だ。

井戸と賀茂葵 井関家(京都市北区上賀茂北大路町)Fujifilm Finepix X100

大田の沢の杜若 大田神社(京都市北区上賀茂本山)

平安時代の和歌の大家で『千載和歌集』の編者として知られる藤原俊成がこのカキツバタを「神山や…」と標題のように歌っているいるが、これまた有名な話である。英文のウェブサイト The Tale of Genji は次のように英訳している。
Mountain of gods, irises of Ota marsh,
people's deepest wishes
can be seen in their color
池畔に着くと早速愛用のX100を取り出した。カメラを右に振ると、今様の風情がない民家が写り込むし、左に振ると参詣客の派手な色のジャンパーが入ってしまう。これはやはり単焦点レンズと欠点といってよいだろう、ズームレンズのように撮影段階でトリミングができないからだ。路上のキャンディッドなら、自分自身が動いて距離を縮めたり伸ばしたりすればよいが、撮影場所が固定され勝ちの風景写真はそうはいかない。あれこれ思案しているうちに、俄かに空が暗転、激しい雨になってしまった。慌てて隣の児童公園に仮設されてるテントに逃げ込んだが、雷鳴が響きわたり、霰(あられ)が降ってくる始末。しかし、いわば通り雨。しばらく待つと雨が上がったので、大急ぎで池に戻った。人影がないほうが良いからだ。再びカメラを構えると、雲が切れて一条の光線が池を走り抜けた。写真は光線次第、光画とは言い得て妙ではある。(写真はいずれも画像をクリックすると拡大表示されます)

2011年5月16日

風わたりお土居に騒ぐ青楓

新緑 お土居(京都市上京区馬喰町) Fujifilm Finepix X100 画像をクリックすると拡大表示されます

春は桜、秋は紅葉、というのが京都観光の定番だが、私はこの季節が一番好きだ。いつものように平野神社を散策、そして住宅街を抜け、北野天満宮横の紙屋川に出た。平日の午後のせいだろうか、紅葉狩りで秋にあれほど賑わうこのお土居界隈もひっそりして誰もいない。昨日の葵祭に続き、今日も晴れて、薫風が心地よい。明日も晴れたら上賀茂の太田神社へ足を伸ばしてみよう。杜若が咲き誇っている筈だから。

2011年5月15日

葵祭をゾーンプレートカメラで撮る

斎王代の金井志帆さん

女人列の童女(わらわめ) 下鴨神社(京都市左京区下鴨泉川町) Nikon D80 + Zoneplate

今日5月15日は葵祭の日。祇園祭、時代祭と合わせて、京都三大祭のひとつだが、さらに鞍馬の火祭を加えて四大祭として欲しいところだ。いずれにしても私はこの葵祭が好きだ。青もみじ、新緑の風が心地よい季節ということもその大きな理由かもしれない。毎年観てることもあって、午前の行列は省いて、昼過ぎに下鴨神社(正式には賀茂御祖神社)に出かけた。持参したカメラは富士X100とゾーンプレートを付けたニコンD80の2台と軽装備。足首の骨折が完治したとはいえず、若干の後遺症があり、飛び回ることができないからだ。京都御所を出発した行列の人々は、神事の間ここで休憩になる。神事を撮らないカメラマンもここで休憩となるが、私はここでキャンディッドするのが好きだ。さて撮影だが、X100で最初は撮っていたのだが、途中でゾーンプレートに切り替えた。平安装束の典雅な重ね色に、軟焦点が相乗すると思ったからだ。ゾーンプレートはピンホールと比べると、絞り値が大きいので手持ちでも撮れる。私のゾーンプレートは約f90で、感度をISO800にセットすると、太陽光線下で1/20~1/25秒のシャッターを切ることができる。

2011年5月14日

デジタル画像のフィルター加工ツール

いささか旧聞に属するが4月20日、TechCrunch(日本語版)に「Yahooの製品責任者、躍進する Instagram を見て曰く"初期の Flickr のようだ"」という記事が掲載された。InstagramFlickrを比較して「いずれも、その時の時代精神となるテクノロジー概念をうまく利用している/いた。Flickrはタグ付けと、メールアドレスによる写真のアップロードを活用し、InstrgramはiPhoneカメラや Twitter、そして写真をフィルター加工することで新奇な価値を付加する流行に乗った。いずれも驚くほどの人気を経験したが、一方の影響力は、他方の台頭と共に衰退しつつある」と述べている。アップル社のiPhoneを所有していない私はInstagramを利用したことがないが、TwitterやFacebookを通じて何度かその映像に接している。そして蛇足ながらAndroidスマートフォン用に、トイカメラなど様々なフィルターエフェクトを得ることができるFxCameraというアプリがあるようだ。これまた私はAndroidノートは持ってるものの、スマートフォンを持ってないので自分では試していない。しかしサンプル画像は見ている。ただ、Flickrにもサードパーティによる「fd's Flickr Toys」といったフィルター加工ツールが早くからあったので、このTechCrunchの解説が、必ずしも適切だとは思えないが、どうだろうか。

Original:  瑞饋祭の稚児(京都市中京区西大路通丸太町下る) NikonD700 MicroNikkor105mmF2.8

Painting:  BigHugeLabs

そのひとつBigHugeLabsには"Do fun stuff with your photos"と謳ってるように、実に様々な面白い画像加工ツールが用意されている。余りにも数が多いので選択に迷うが、FX: Transform your photos with fun special effects というページに飛んでみた。ここでは黒白やセピアなどの色調変換の他に、いろいろな変形ツールがある。そのひとつ、Painting(お絵かき)フィルターを通したのが上掲写真である。

Artistic:  PhotoshopCS4

さて、これは画像処理ソフトの定番、アドビ社フォトショップ付属の絵画風フィルターを使ってみたものだ。フォトショップのフィルターはそれぞれ調節できるので、ほぼ無数にあると言っても過言ではないだろう。またフィルターの自作も可能で、遥か昔から存在する。というわけで、このソフトを使ってきた人々は様々な画像加工をしてきたわけで、決して珍しいといったものではないだろう。だからここにきてデジタルカメラ内蔵、あるいはクラウド上にある特殊効果のフィルターが注目されてることに、ある種の感慨を覚えざるを得ない。面白いといえば面白いのだが。

2011年5月10日

同時代的絵画主義写真という言葉が次第に色褪せてきた

神苑 平野神社(京都市北区平野宮本町) Nikon D80 + Zoneplate

芸術史、とりわけ絵画史、写真史に精通しているわけではないが、絵画における印象主義と写真における絵画主義(ピクトリアリズム)は時代的に重なることは容易に理解できる。つまり両者は19世紀末から20世紀初頭にかけて発生したもので、類似点が多い。絵画においては写実主義から抽象主義の一過程であったが、いわば写真はそれを追従したと言えるだろう。しかし絵画と写真は、表現手段として根本的に違う。絵画は抽象に流れたが、写真は再び本来の機能と連動した写実主義に戻り、ストレート写真が復権したといえる。

Fujifilm Finepix X100

オルラヤ・ホワイトレース 京都府立植物園(京都市左京区下鴨半木町) Nikon D80 + Zoneplate

これまで何度か書いてきたように、私がいま手がけているゾーンプレート写真は、不鮮明である。その不鮮明さが果たして同時代的絵画主義写真と言えるか、という点も過去に触れた。さて実際に撮った作例を再び提示することにした。果たして、どうだろう? 私はこの2作を見比べて、新たなる発見をした思いに浸っている。それは善し悪しではない、写真が持つ多様性に今さらながら気付いたということである。選別するのではなく、その多様性を大事にする。すると同時代的絵画主義写真という言葉が次第に色褪せてきたのを実感するのである。ところでサンプル用に撮影した園芸種の花、オルラヤ・ホワイトレースの英名は White Lace Flower、学名は Orlaya grandiflola だそうである。小さく可憐な花だ。

2011年5月7日

第36回2011日本写真家協会JPS展

社団法人日本写真家協会(JPS)は1950年に創立し、2010年に60周年を迎え、現在会員約1,800名を擁するプロ写真家の団体です。写真展をはじめ、写真教育、講演会やセミナーなど各種の事業を行っています。写真家協会の事業の核として毎年開催しているJPS展はおかげさまで今回で36回を数える事ができました。(JPSホームページより

東京展
会場:東京都写真美術館 B1F映像展示室
会期:2011年5月21日(土)~6月5日(日)10:00~18:00(月曜休館 木・金曜20:00閉館)
名古屋展
会場:愛知県美術館 展示ギャラリーH・1
会期:2011年7月5日(火)~7月10日(日)10:00~18:00(金曜20:00閉館 最終日17:00閉館)
関西展
会場:京都市美術館 別館
会期:2011年8月9日(火)~8月14日(日)9:00~17:00(最終日16:30閉館)
広島展
会場:広島県立美術館 B1F県民ギャラリー
会期:2011年8月30日(火)~9月4日(日)9:00~17:00(最終日20:00閉館)

入場料:各展共通 一般700円(団体割引560円)/学生400円(団体割引320円)/高校生以下無料/65歳以上400円(東京・広島展)/65歳以上無料(関西・名古屋展)※団体は20名以上
主催:社団法人日本写真家協会 共催:東京都写真美術館 後援:文化庁

2011JPS写真公募展入賞・入選者リスト

2011年5月6日

富士フイルムX100のフィルムシュミレーション

富士フイルムのデジタルカメラX100の撮影メニューに「フィルムシュミレーション」というのがある。カラー撮影では富士フイルムの3種類のカラースライドフィルム、すなわちPROVIA、VELVIA、ASTIAの発色に模した撮影ができるという。もっともこれはこれらのフィルムを使った経験がない人には不可解な設定に違いない。さらに黒白のモノクロームモードがあり、フィルターなし、Y(黄)、R(赤)、G(緑)フィルターを使った効果を得るように選択するようになっている。これまた黒白フィルムを使った経験がないと無縁のものだが、かつて使っていた人々には歓迎されるかもしれない。何しろ硝子にせよ、ゼラチンにせよ、トリアセテートにせよ、物理的なフィルターを用意する必要がないからだ。いずれにしてもこのカメラはライカを彷彿とさせる外観といい、このフィルムシュミレーションといい、フィルムからデジタルカメラへシフトした、あるいはシフトを視野に入れている写真愛好家を強く意識した設計であることが想像できる。蛇足ながら画質設定をRAW単独にしたままだと、これらのフィルター情報は保存されないので、FINEあるいはRAW+FINEモードで撮影する必要がある。

アイスランドポピー(西比利亜雛罌粟) 京都府立植物園(京都市左京区下鴨半木町) Fujifilm Finepix X100

私はこれまで何度か黒白写真の魅力について書いてきた。かつて私が揶揄したのは、デジタルカメラで撮影、これを画像処理でカラー情報を破棄した写真をモノクロームと呼んでいることだ。これをカメラ内部の画像処理で行うのがX100のフィルムシュミレーションである。しかし字義通りシュミレーションであって、デジタルカメラはフィルムを使う訳ではないことは言うまでもない。ところで同じ銀塩でもカラーフィルムと黒白フィルムの仕組みは似て非なるものである。前者の場合、カラードカプラーの発色現像が終ると、銀粒子は漂白されて捨てられる。画像は色素で組成されるが、後者の場合は銀粒子そのものが画像を形成する。多くの銀塩アナログ写真愛好家が黒白写真を好むのは、この銀粒子の美しさだと思う。しかしその美しさは、こうしたウェブ上では再現ができない。ついでながらX100にはセピアに変換するモードもあるが、化学的なセピア調色処理とは似て非なるものであることはいうまでもない。黒白やセピアなどへのモノクローム変換は、撮る段階にせよ、後処理にせよ、フィルムのそれとは根本的に違う。これは大事なことだと思うけど、肝心の銀塩写真が瀕死状態にある現在、きっと虚しい主張なんだろうなと諦めの境地に陥って私ではある。

2011年5月4日

平野神社植物誌

タンポポ(蒲公英) 平野神社(京都市北区平野宮本町) Nikon D80 + Zoneplate

京都市産業観光局のウェブサイト京都観光NAVI「花だより」にリストアップされてるのは、神社仏閣のそれである。真に草花を楽しむなら、人工空間でない自然な場が理想だろうけど、やはり神社仏閣は手っとり早い。というか京都において神社仏閣は、季節の移り変わりを体感するのに最も相応しい空間と言えるかもしれない。私が一番足を運ぶのは平野神社である。家の近所ということもあるが、同じ近所でもわら天神や北野天満宮には余り足を向けない。その平野神社だが、桜の名所として名が通っている。上記「花だより」にも桜しか登場していないと記憶している。ところが桜以外にも、四季を通じて様々な草花に出会うことができる。境内南東にある柵に囲まれた桜苑や、社務所の東隣にある桜池周辺は雑然として、例えば平安神宮の神苑のように綺麗に整備されていない。いったい手入れをしているのかと疑わせるような雑然とした庭園だが、その様相が私は好きだ。すでに私の脳裡には私的「平野神社植物誌」ができあがっている。

2011年5月2日

撮りながら考える不鮮明な写真の意味

オランダカイウ(和蘭海芋) 京都市北区平野宮北町 Nikon D80 + Zoneplate

Calla Tachihara Fielstand45II Fujinon150mmF5.6 Neopan100Acros (写真はいずれもクリックすると拡大表示されます)

もし人間の目が突然超進化して、顕微鏡のような視力を持ったらどうなるだろう。事物が余りにも仔細に見え、きっと卒倒するに違いない。時に写真は人間の視力では追いつかないものまで描写することがある。写真術の黎明期、写真が持つこの機能を多くの画家たちは「ディティールの表現は愚かで表面的」と決め付けた。「写真は芸術も何も理解しておらず、実物そっくりの絵を好む大衆の虚栄心を満足させる手段に過ぎなかった(ジゼル・フロイント『写真と社会』)」といった背景から、やがてソフトフォーカスを主体としたピクトリアリズムが一世風靡し、写真は「芸術」の道を歩み始めた。それは19世紀における反自然主義、ディティールへ嫌悪に連動したものであった。前述「ゾーンプレート写真論考のための覚え書き」は、ゾーンプレートやピンホール、あるいはロモやホルガなど所謂トイカメラが創り出す不鮮明な作品が、同時代的絵画主義写真になり得るか否か、と言う内なる伏線を土台にしたものだった。しかしタイトル通り覚え書きに終わってしまっている。いや実は今書いているこの一文も覚え書きから脱することができないようだ。一昨年5月に私はゾーンプレート写真による個展を開催したが、以来このシステムから遠ざかっていた。ところが思うことがあり、今年になって再開した。同じ被写体を、普通のレンズカメラで撮ったり、ゾーンプレートで撮ったり、試行錯誤の連続である。走りながら考えるという表現があるが、撮りながら考えてみようというわけだ。結論はまだまだ先になりそうだ。

2011年5月1日

街角の仏花

仏花 花市商店(京都市中京区六角通烏丸東入る) Fujifilm Finepix X100

草の虫

空に煙落ち まばゆい光に
揺れる母の背で 乳飲み子は泣きじゃくり
四十いくとせ 時は流れ去り
夢を飲込み 草の虫笑う

    あれはあいつは
    この地なのか
    翼失い静かな海原
    そっとそっと 柔らかな着陸を

長い長い行列はもういやだ
毒に染まった 白い粉ふりかけ
ひび割れ写真は やがて剥げ落ち
父なき乙女は 涙をこらえる

胸に下がった 白いハンカチ
大きな時計の 振子に化けて
ピンクのチョークは 小さな命を
描く楽園 花びら散らして

これはメロディが付いた自作の歌詞なのですが、何を歌ったものか解説すると詰まらなくなってしまうような気がします。と書いてしまうと身も蓋もありません。昨今の時勢、例えば東日本の状況などを想像していただければと思います。