2025年4月28日

名門ハーバード大学の苦闘

Harvard University
Harvard University has refused to make changes in hiring, admissions and DEI programs

ハーバードの学生と教員は、トランプ大統領との対決から生じる影響に直面している。多くの人々が「最も優秀な人々」がもはや歓迎されていないと感じるかもしれない、変化したキャンパスについて述べている。解雇を警告するタウンホールミーティング。メンタルヘルスのための病気休暇。国外退去を覚悟する学生たち。これらは、キャンパスが包囲されていることを示す暗い兆候だ。しかし、これはただのキャンパスではない。アメリカで最も古く、最も裕福な高等教育機関であるハーバード大学は、トランプ政権の攻撃を乗り切りながら、岐路に立たされている。ハーバード大学は、表向きには大学の要求に屈しない反抗の象徴となっているが、キャンパス内では、特に留学生や教職員の間で、フラストレーションと恐怖が蔓延していると多くの人が語っている。この衝突に対する反応は様々だが、ドナルド・トランプ大統領が脅しを実行に移せば、ハーバード大学はもはやハーバード大学ではなくなるのではないかと懸念する声が多い。NBCニュースによると「学生たちは、論文を出版できるのか、旅行できるのか、学位を取得できるのか不安に思っているのです」と、ハーバード大学で女性・ジェンダー・セクシュアリティ研究科長を務め、社会学教授でもあるジョセリン・ヴィテルナは留学生について語ったという。曰く「学生たちは、Facebookでたまたま「いいね!」した何かのせいで、ルイジアナ州の刑務所行きになるかもしれないと不安に思っていることも知っています」云々。

HarvardTrump

今週のインタビューで、20数名の教職員、学生、そして職員が、今回の対決によって生活が一変した様子を語った。一部の教職員は、自分のメッセージが政府に共有されることを懸念し、メッセージを暗号化・自動削除するシグナルを使って連絡を取っている。一部の留学生は、移民関税執行局(ICE)に路上から引きずり出されることを恐れ、集団で歩いている。最近大学が主催したウェビナーでは、ある弁護士が留学生ビザの取り消しが「急増する可能性がある」と警告した。ハーバード大学はアメリカで最も古く、最も裕福な高等教育機関であるが、政府からの資金援助に大きく依存している。トランプ政権は、22億ドルの資金を凍結した後、他の重要な点でもハーバード大学を標的にしている。同政権は、大学の非営利の地位と、学生の約4分の1を占め、学内のあらゆる分野で研究を活発化させている留学生と教員を受け入れる能力を脅かしたのだ。一部の教授陣は、ハーバード大学がもはや優秀な人材を引きつけることができなくなるのではないかと懸念を表明した。「これはアメリカが世界中の最も優秀で聡明な人材に対し、歓迎しないと言っているようなものだ」と、ハーバード・ケネディスクールの民主主義とガバナンスのタレク・マソウド教授は述べたという。下記リンク先は CNN の「トランプ政権によるハーバード大学への攻撃は数カ月に及ぶ、紛争の年表」です。

CNN News  Attacks on Harvard by Trump administration have built for months. A timeline dispute.

2025年4月25日

ロバート・キャパの弟で総合施設国際写真センターを設立したコーネル・キャパ

JFK
John F. Kennedy shaking hands, Michigan, September 5, 1960

Cornell Capa

コーネル・キャパ(本名:コルネル・フリードマン)は、ハンガリー出身のアメリカ人写真家、マグナム・フォトのメンバー、写真キュレーターであり、フォトジャーナリストだった。ブダペストで1918年4月10日に生まれ、イムレ・マダーフ・ギムナジウムを卒業した。当初は医学を学ぶつもりだった。1930年に反ユダヤ主義が強まっていたハンガリーから逃れてきた兄ロバートのもとへ1936年にパリへ移住した。医学を学ぶつもりだったが、コーネルは兄の影響で写真に興味を持ち、兄のほか、アンリ・カルティエ=ブレッソンやシム(デヴィッド・シーモア)のためにプリントを作り始めた。この経験がきっかけでプロのフォトジャーナリストになることを決意し、1937年にキャリアを積むためニューヨークへ移住した。数年間、ピックス・エージェンシーや『ライフ』誌の暗室で働いた後、1939年に最初のフォトストーリーを『ピクチャー・ポスト』誌に掲載した。第二次世界大戦中、アメリカ陸軍航空隊写真諜報部隊と陸軍航空隊広報部に勤務した。 1946年にキャパは『ライフ』誌の専属カメラマンとなり、主にアメリカ中西部を拠点に、その後3年間で約300件の仕事をこなした。2年間イギリスで同誌の専属カメラマンを務めた後、アメリカに戻り、アドレー・スティーブンソンの大統領選挙運動や知的障害児の教育などを題材にした、最もよく知られたフォトエッセイを制作した。

Alec Guinness
Alec Guinness in his dressing room, London, 1952

1954年に兄ロバートが死去すると、コーネルは『ライフ』誌を離れ、ロバート、アンリ・カルティエ=ブレッソン、シム(デヴィッド・シーモア)、ジョージ・ロジャーが1947年に共同設立した国際協力写真家団体マグナム・フォトで兄の仕事を引き継いだ。その後20年間、キャパはマグナムのために、アルゼンチンのペロン政権の活動、1956年、1960年、1968年の民主党全国大会、ジョン・F・ケネディの就任100日間など、多くの重要なストーリーを撮影した。1970年代半ば、キャパの写真作品の制作は停滞し、国際写真基金を通じて他の写真家の作品の保護と宣伝に力を注ぐようになった。そして1964年に "The Concerned Photographer"(憂慮する写真家展)を企画した。フォトジャーナリストとして30年近くにわたり一貫して守ってきた職業倫理は、このタイトルに最もよく集約されている。

Political dissidents
Political dissidents arrested, Managua, Nicaragua, 1956

彼は人類の理解と幸福に貢献する仕事に情熱を傾け「商業的な皮肉や利害関係のない形式主義よりも、人間の真の感情が優勢なイメージ」というフレーズを、作品生み出す写真家を表現するためによく使っていた。これがニューヨークの ICP(国際写真センター)の設立につながったのである。この組織はコミュニケーションと創造的表現の手段としての写真の支援と、20世紀の歴史の重要な要素としての写真アーカイブの保存に取り組んでいる。キャパは1995年に ICP の生涯功労賞を受賞した。そして2008年に亡くなるまで ICP の名誉理事を務めた。写真家としてのキャパの最大の関心事は、政治と社会正義だった。1950年代、アドレー・スティーブンソンの2度の大統領選挙キャンペーンを取材し、スティーブンソンと親しい友人になった。

Annie Mahaffey
80 year old Annie Mahaffey, Philadelphiam, Pennsylvania, 1959

1960年のジョン・F・ケネディの大統領選での勝利を取材し、その後、マグナム・フォトの仲間9人の写真家とともに若き大統領の就任後100日間を記録するプロジェクトを主導し "Let Us Begin: The First One Hundred Days of the Kennedy Administration"(さあ、始めよう: ケネディ政権の最初の100日間)という本を出版した。彼はケネディ家と親しく、ジャクリーン・ケネディ・オナシスは ICP の初代理事の一人となった。アルゼンチンでは、キャパはペロン政権(1946~55年)のますます抑圧的な戦術と、その後政権を打倒した革命を記録した。イスラエルでは、1967年の六日間戦争を取材した。任務中に彼が制作した膨大な数の写真エッセイの主題は、ラテンアメリカのジャングルのキリスト教宣教師から、冷戦中のソビエトロシアのロシア正教会、イギリスのエリート女王近衛兵、ニューイングランドの知的障害児の教育まで多岐にわたる。

Activist priest
Activist priest, José Inocencio "Chenco" Alas, El Salvador, 1970-73

彼の作品は『ライフ』誌の写真の視覚的な特徴、すなわち明確な主題、力強い構成、大胆なグラフィックのインパクト、そして時にはウィットさえも備えたものをすべて備えていた。たとえば、フォード・モーター・カンパニーに関する1959年のエッセイでは 7,000人のエンジニアが、全員が開発に携わった最初の小型車、フォード・ファルコン1台の後ろにずらりと並んでいる様子を俯瞰した写真が紹介されている。彼は「私は芸術家ではありませんし、そうなるつもりもありませんでした」「良い写真が撮れたことを願っていますが、本当に望んでいるのは、要点を述べ、場合によっては変化をもたらすような、記憶に残るイメージで、良い写真ストーリーが撮れたことです」と1992年の著書 "Cornell Capa: Photographs"(コーネル キャパ: 写真)で書いている。 コーネル・キャパは2008年5月23日、ニューヨークで自然死、90歳だった。

ICP  Cornell Capa (1918-2008) | Biogrphy | Art works | International Center of Photography

2025年4月23日

極右インフルエンサーのローラ・ルーマーは何者か

Laura Loomer
Far-Right Influencer Laura Loomer ©2025 Kyoto Photo Press

ドナルド・トランプ大統領による国家安全保障局長解任の背後にいる極右インフルエンサー、ローラ・ルーマーとは一体何者なのか? 様々な情報源から極右 、白人至上主義者、またオルタナ右翼とも評されており、自身を誇り高きイスラム嫌悪者、白人至上主義者と称している。ホワイト・ナショナリストは何年もトランプの周辺にいるが、ホワイトハウスは時に彼女を傍観しようとしてきた。ローラ・ルーマーは、ドナルド・トランプ大統領との接触により、4月3日の国家安全保障会議(NSC)スタッフ数名の解雇を含む、彼の決断のいくつかに影響を与えてきた、長年の挑発者である。彼女は2人の兄弟とともにアリゾナ州ツーソンで育った。両親は現在もツーソンに住んでいるが、ルーマーは東海岸に引っ越し、現在はフロリダに住んでいる。彼女はマサチューセッツ州のマウント・ホリヨーク・カレッジに1学期だけ通ったが、保守的であることで差別されていると感じて退学したと説明している。その後フロリダ州マイアミ・ショアーズのバリー大学に入学した。彼女は下院議員選挙に2度出馬し、いずれも落選しており、トランプとの親密な関係に一部の共和党員は懸念を抱いている。。ルーマーは2001年の 9.11アメリカ同時多発テロ事件を内部犯行と主張したり、最近ではオハイオ州スプリングフィールドのハイチ移民が地元住民の犬猫を食べているというデマを流したりするなど、陰謀論を広めたことで有名になった。

Donald Trump with Laura Loomer
Donald Trump with Laura Loomer ©2024 LauraLoomer/X

トランプは民主党のカマラ・ハリスとの大統領選討論会で、この主張を増幅させている。バリー大学でルーマーは ISIS 支持の学生グループを立ち上げるよう大学当局に要請した際のビデオを公開した。このビデオは、隠しカメラを使ってビデオを演出し、ジャーナリストなどを陥れ、リベラルな偏向報道を暴露しようとする右翼団体、プロジェクト・ヴェリタスに取り上げられた。彼女は2020年のフロリダ州のアメリカ合衆国下院議員選挙で共和党のフロリダ州第21選挙区の候補者だったが、民主党のロイス・フランクルに敗北した。2022年にもフロリダ州第11選挙区で行われた共和党予備選挙に立候補し、現職のダニエル・ウェブスターに敗北した。2024年の大統領選挙期間中、彼女がトランプに近いことから、根拠のない陰謀説を広めた過去があり、トランプ候補の足を引っ張るのではないかとの懸念が共和党各党の間で巻き起こった。下記リンク先は AP 通信の記事「長年トランプ側近だったローラ・ルーマーが人種差別的な投稿や 9.11 陰謀論で批判されている」である。

AP A look at Laura Loomer longtime Trump ally criticized for racist posts & 9.11 conspiracies

2025年4月21日

崩壊する運命のドナルド・トランプ政権

Trump
Donald Trump has begun a mafia-like struggle for global power

ロナルド・トランプ大統領の政権は、胸を張ったレトリックにもかかわらず、実際には脆弱であり、無力になるか、崩壊するか、またはその両方になる運命にある。アメリカ人は、この体制の包括的な性質に驚くかもしれないが、これは何も新しいことではない。歴史上、あらゆる決定を下す全能の指導者と、その周囲を取り囲むおべっか使いの部下たちが、弱い組織を支配し、自らの地位を私腹を肥やす場として利用している体制の例は数多くある。このような体制は、ありふれた独裁政権とは一線を画す。独裁者は必ずしも無制限の権威と服従を享受できるわけではないからだ。実際、第二次トランプ政権は、人間の経験の全体性について全てを知っていると主張し、その全体性を監視し、導き、形作ろうとする全能の支配者を特徴とする全体主義的な政治体制に類似している。当然のことながら、全体主義的な指導者はしばしば、自らの好みに合わせて全てを変えようとする革命的なアジェンダを掲げている。こうした体制は強大に見える。なぜなら、全能の指導者は、並外れて賢明で、恐れ知らずで、有能な統治者として、力強く男性的なイメージを投影するからだ。しかし実際には、こうした体制は致命的な欠陥を抱えており、それは体制の中心的な組織原理にもなっている。それは過度の中央集権化である。全体主義衰退理論への最も重要な研究は、ハーバード大学の優れた社会学者カール・W・ドイッチュによるものである。1954年に発表された画期的な論文で、理想的な「全体主義的意思決定システム」を構築した。このシステムの重要な機能は「指揮と情報の統一」であり「意思決定の単一の源泉を保証するための何らかの仕組み、あるいは複数の源泉間の意思決定の一貫性を保証するための一連の取り決めや装置」を必要とする。ドイッチュはさらに、そのようなシステムが必然的に「集中的な意思決定能力には限界がある」ことを示した。その結果、システムは「耐え難い遅延、あるいは潜在的に重大なミスの可能性の増大という代償を払わなければ対処できないほどの意思決定で過負荷になる」ことになったのである。ドイッチュによれば「長い目で見れば、あらゆる全体主義的な政府システムには、意思決定のための中央機関に過負荷をかける傾向、あるいは、元々の中央集権的な構造が自動的に腐食して、ますますばらばらの部分に分解していく傾向のいずれかが内在しているのかもしれない」という。言い換えれば、極度に集中化されたシステムは、情報の不足、誤った決定、全体主義的な支配者の弱体化、部下の不服従をもたらし、そしてシステムの崩壊につながるのである。社会科学の専門用語はさておき、ドイッチュのモデルがトランプ政権を巧みに描写していることに注目して欲しい。

全知全能とされる大統領が頂点に君臨している。そのすぐ下には、大統領に正しい情報を提供したり、彼の見解に異議を唱えたりすることを恐れる、おべっか使いの大臣たちが20人ほどいる。既存の政府機関はイーロン・マスクによって骨抜きにされつつあり、残された職員たちは極めて脆弱で細分化された立場に置かれ、問題の先送り、責任転嫁、その他多くの機能不全な行動が助長されている。こうした行動は、システムの効率的かつ効果的な意思決定能力を構造的に損なうばかりだ。大統領が真実を無視しているように見えるのは、聞きたいことだけを聞かされ、実際の事実は聞かされていないからかもしれない。そうでなければ、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領の支持率は世論調査で50%を超えているのに、実際には4%だと主張するトランプの主張のような、とんでもない主張をどう説明できるだろうか? あるいは、ウクライナがロシアとの戦争を「始めた」などという主張も。追従者たちは支配者の機嫌取りに躍起になり、悪い(あるいは正確な)ニュースを伝えることでトラブルに巻き込まれることを重々承知している。当然のことながら、ドイッチュのモデルはウラジーミル・プーチン政権の実態を正確に描写している。そして理論が示唆するようにウラジーミル・プーチンはわずか3年でロシア軍と経済を壊滅させることに成功した。彼自身は、おそらく心から、ロシアを再び偉大な国にしたと信じているのである。トランプ政権発足から数週間で、既に大きな失策が見られた。カナダ、メキシコ、パナマ、欧州、ウクライナといった同盟国を侮辱することは、トランプの突飛な要求に正当性があったとしても、明らかに不必要だった。ケネディ・センターの会長に自ら就任することは、絶対的な支配者としての自己イメージという点では完全に理にかなっているとはいえ、どの大統領にとってもあまりにも大きな挑戦かもしれない。外交政策の希望を全てプーチン大統領に託すということは、ロシアにトランプを弱く愚かに見せかけさせようとするようなものだ。プーチンがロシアにとって災厄であったように、トランプもまたアメリカにとって災厄となるだろう。幸いなことに、黄金時代を告げていると信じるトランプにとっては、極端な中央集権化は良い考えのように聞こえるかもしれないが、実際にはうまくいかない。トランプもプーチンも、彼ら自身は知らないが、歴史の灰燼に帰す運命にあるのだ。もう一つの朗報は、両氏が自ら構築した超中央集権的なシステムの中核を担っているため、彼らがいなくなったらこれらのシステムは存続しそうにないということである。アメリカ、そしておそらくロシアにおいても、民主主義の復活への希望が生まれるのではないだろうか。

PDF  Karl W. Deutsch (1912-1992) Social Mobilization and Political Development | PDF 4.32MB

2025年4月19日

カリフォルニア州ニューサム知事が関税問題でトランプ政権に異議を唱える

California Governor Gavin Newsom

カリフォルニア州ギャビン・ニューサム知事は、今月初めに導入された関税に対し、ドナルド・トランプ大統領を提訴する計画を明らかにした。ニューヨーク・タイムズ紙によると、カリフォルニア州北部地区連邦地方裁判所に提起されたこの訴訟は、関税を無効にし、連邦当局による執行を阻止することを目的としている。世界第5位の経済大国であるカリフォルニア州は、これらの関税により大きな経済的リスクに直面しており、シリコンバレーのテクノロジー産業から世界市場に依存する農業に至るまで、幅広い産業が脅威にさらされている。この法的措置により、カリフォルニア州はトランプ大統領の広範な関税措置に正式に反対する最初の州となるだろう。ソーシャルメディア X に投稿された動画の中で、ニューサム知事はカリフォルニア州が法的措置を開始すると発表し、同州が米国有数の製造業拠点であり、世界貿易において重要な役割を担っていることを強調した。動画の中でニューサム知事は、「トランプ政権による近年の米国史上最大規模の増税を一方的に課すことで、カリフォルニア州ほど大きな影響を受ける州は他にありません。トランプ大統領には、このような抜本的な関税を審査なしに強制する法的権限はありません。我々は彼を阻止するために法的措置を講じています」と述べた。

Trump

トランプ大統領は、国家非常事態宣言後の経済活動に対する大統領の広範な権限を規定する国際緊急経済権限法に基づき、今回の関税を発動した。緊急事態宣言は4月2日に発令され、今回の訴訟のきっかけとなった関税発動への道が開かれた。カリフォルニア州の訴訟では、トランプ大統領が相互関税政策を強制するために国際緊急経済権限法(IEEPA)を発動したことは「違法かつ前例のない」行為であると主張する。当局者は、特にカリフォルニア州が製造業や農業といった分野で全米をリードしていることから、この関税はカリフォルニア州経済に深刻かつ差し迫った損害をもたらすと述べている。ホワイトハウスは訴訟に関して反発し、ニューサム知事の優先事項を批判した。報道官のクシュ・デサイは「カリフォルニア州の犯罪増加、ホームレス問題、住宅価格高騰の問題に取り組む代わりに、ギャビン・ニューサム知事はアメリカの慢性的な貿易赤字に立ち向かうトランプ大統領の歴史的な努力を妨害しようとしている」と述べた。下記リンク先はカリフォルニア州知事の公式サイトの記事「ニューサム知事がトランプ大統領の関税撤廃を求めて訴訟を起こす」です。

court_bk  California Governor Gavin Newsom files lawsuit to end President Donald Trump's tariffs

2025年4月17日

関税と貿易戦争は双方に経済的損害を与える

Donald Trump and Xi Jinping
Tariff Trade War between the United States and China

圧倒的多数の経済学者の見解に反して、ドナルド・トランプ大統領が依然として関税を好んでいることは明らかだ。関税を交渉材料として利用するだけでなく、気まぐれに変更する用意もある。4月2日の「解放記念日」に発表された関税に対し、各国はそれぞれ異なる対応を見せたが、トランプ大統領は方針を撤回し、90日間の猶予を発表した。しかし、猶予を認められなかった中国は譲歩を拒否し、アメリカからの輸入品に独自の追加関税を課すことで反撃し、主に農産物に影響を与えた。トランプ大統領が開始した2018年の米中貿易戦争に関する最近の研究では、アメリカ国民がそれ以降、甚大な被害を受けていることが明らかになっている。関税は主にアメリカ消費者に転嫁され、価格上昇と消費者の選択肢の減少をもたらした。これらの影響は、政府歳入の増加と国内生産者の競争優位性の増加を相殺したのである。太陽光パネルや洗濯機など、アメリカの関税が導入された分野で中国の経済活動が大幅に減少したことがその証拠である。したがって、双方にとって損失が大きいことは明らかでである。外国製品への関税の導入は、自国の消費者に損害を与える可能性がある。もしその国が報復関税による反撃を考えているのであれば、最終的な目標は何かをよく考えなければならない。また支払う覚悟のある代償についても考えなければならない。潜在的な目標の中には、特に2つが際立っている。1つ目は貿易戦争を開始した国に関税を撤回するよう説得すること。2つ目は将来的に他国からの関税を回避することである。効果的な関税報復措置は、特定の品目を対象とすべきでだ。これにより、国内経済への悪影響を最小限に抑え、外国経済への打撃を最大化できる。これは、国内経済において容易に代替品が入手できる品目を対象とすることで実現できる。例えば、イギリスではバーボンの代替としてスコッチウイスキーが利用されている。そしてライバル国の強力なロビー団体が支援する製品をターゲットにすべきだ。例えばアメリカでは砂糖や大豆などがそうだ。これらの業界が打撃を受けると、これらのロビー団体は力を発揮し、政府に改革を迫ったり、損失を補填するための補助金を要求したりすることができる。しかし複雑な要因も存在する可能性がある。 政府は物品をターゲットにする際に、グローバルバリューチェーンと国家間の相互に関連した生産に注意する必要がある。

itanic trade war
Titanic trade war ©2025 Schot

第一次トランプ政権後に発表された研究によると、トランプ大統領の2018年の追加関税に対し、各国は自国の経済で容易に代替でき、トランプの支持基盤に打撃を与える商品を標的にして報復措置を取ったという。これは EU が現在一時停止している報復計画で示した内容を反映しているように思われる。EU は2024年の大統領選でトランプに投票した国からの主要輸出品に関税を課すとしている。対象製品には、大豆、タバコ、鉄鋼などが含まれる。またアメリカの大手テクノロジー企業に対する新たな課税も検討している。トランプ大統領の解放記念日関税委員会は各国に適用された税率を表示している。アメリカの関税は「解放記念日」に発表され、トランプ大統領が急遽発表した90日間の猶予期間を経て、今まさに発効する予定だ。この報復戦略は貿易戦争を開始した国に対し、当初の関税を撤回するよう圧力を高めるはずだ。少なくとも理論上は。5波にわたる関税賦課とそれに続く報復措置をもたらした最初の米中貿易戦争は、 2020年1月に貿易協定で終結した。この協定に基づき、アメリカは関税の一部を削減し、中国は今後2年間でアメリカからの輸入を2,000億ドル増やすことを約束した。報復関税が米中緊張の緩和に役割を果たしたかどうかは断言が難しい。しかしアメリカの企業や消費者は確かに中国製品への関税による痛みを感じていた可能性がある。これがアメリカの交渉意欲に影響を与えた可能性がある。2018年にアメリカ産鉄鋼とアルミニウムをめぐる並行貿易戦争において EU はジーンズやハーレーダビッドソンのバイクといったアメリカを代表する製品に報復関税を課した。これにより 2021年に一部の関税の再交渉が行われた。これらの関税は最終的に、ジョー・バイデン大統領の政権下で一時停止されたのである。貿易戦争は双方に損害を与えるものであり、紛争が発生した場合はまず交渉を手段とすべきである。トランプ大統領がこの問題に関して予測不可能な行動をとることを考えると、イギリスが報復措置に踏み切らないという対応は賢明なアプローチと言えるだろう。しかし同時に、イギリスは将来の交渉において関税の脅威を念頭に置いておくべきだ。トランプ大統領の政権下では、すべての国が予期せぬ事態を覚悟しておくべきである。

BBC News  What would a US-China trade war do to the world economy? | by Ben Chu BBC Verify

2025年4月14日

グラフ誌『ライフ』がフォトルポルタージュの隠れた師匠だった

John Dominis (1921-2013) Frank Sinatra and Count Basie, 1965
LIFE Magazine April 23, 1965

朝日新聞社のグラフ誌『アサヒグラフ』に関わるようになったのは1972年だった。同誌の創刊は1923年で、アメリカの『ライフ』の創刊が1936年だったから、世界で最も古いグラフ誌のひとつだったことになる。フランスの『パリ・マッチ』やドイツの『シュテルン』などが同類の雑誌である。グラフ誌のフォトルポルタージュは組写真、すなわち複数の写真で構成される。岩波新書『写真の読みかた』(1963年)の著者、名取洋之助(1910-1962)は、戦前の1930年代にドイツのフォトルポルタージュの手法を日本に紹介した。私が強く影響を受けたのは『ライフ』だった。学生時代、写真工学を学んでいた私は、写真関係の技術者になろうと漠然と思っていた。ところがある日『ライフ』で見たゴードン・パークス(1912–2006)のリオの貧民街ファヴェーラの写真に感動、技術者ではなく、撮る側の人間になることを目指すようになったのである。

Frank Sinatra LIFE cover
Frank Sinatra LIFE cover, April 23, 1965

大学卒業後、撮る側の人間になることができた。最初の赴任先は大阪本社写真部だった。つまり新聞カメラマンになったわけだが、しばらくして『週刊朝日』『アサヒグラフ』『朝日ジャーナル』などの雑誌を発行していた出版局への異動を願い出た。念願が叶ったのは1972年2月で、東京本社出版写真部員になった。2月19日、新左翼組織連合赤軍の残党メンバー5人が、管理人の妻を人質に河合楽器製作所の保養所に立てこもった。所謂「あさま山荘事件」が最初の印象深い取材になった。以降、さまざまな事件を取材したが、グラフ誌特有の紀行写真の撮影、特にアフリカ諸国やインドなどの海外取材が楽しい思い出になっている。撮影の隠れた師匠が『ライフ』だった。ごく最近、ジョン・ドミニス(1921-2013)が撮影したフランク・シナトラ(1915 -1998)の私生活を撮影したシリーズを「発見」した。オリジナルの写真と共に、実際の誌面が掲載されていて、グラフ誌の構成がよく分かるアーカイブである。下記リンク先でその詳細を見ることができる。

LIFE  John Dominis (1921-2013) Franjk inatra at His Home Bar: Intimate Photos of a Legend

2025年4月12日

タンポポの花が咲いて日差しは黄色

Dandelion Fluff
タンポポの綿毛(京都市左京区下鴨半木町)©2016 大塚 努

1980年代半ば、京都を離れた私は東京で独り暮らしをしていた。雑誌のフォトエディターなどをしていたが、仕事上では、ある意味で充実していたのかもしれない。ただやはり独り暮らしには小さな隙間があったように記憶している。そのころ発表するアテもなく作った歌のひとつがこの「タンポポの花が咲いて」だった。

タンポポの花が咲いて
日差しは黄色
あの娘はおかしく
やさしいね

バベルの塔は
目に虚ろ
線と点を
散歩する

花びらひとひら
酒に浮く
言葉の裏に
耳傾け

ランボーは不良かい
詩人は不良なのよ
墓場のダンス
月明り

白い帽子の
手鞠歌
風が吹いて
飛んでゆく

逃げる歌を
追い求め
絵の具がひび割れ
褪せてゆく

1988年秋、昭和天皇の病状が悪化した。テレビは連日「本日のご容体は…」と報じ、日本中すべてが重い自粛ムードに包まれてしまった。年の瀬の12月末、私は皇居内の宮内庁に駐車していた報道用小型バスの中で、無線電話によって大阪への転勤を命ぜられた。私の東京生活が終り、そして昭和も終わったのだった。なお上に掲げた拙作の歌詞は、下記リンク先のミズーリ州立大学のウェブサイトにコレクションされている1969年収録のフォークソング Ramblin' Round のメロディで歌うことができる。

university  Ramblin' Round | As sung by Tom Aley, Ozark, Missouri on February 8, 1969 (2:03) MSU

2025年4月10日

続・続)アメリカ合衆国大統領ドナルド・トランプの風刺漫画五選

The great customs office
Tariffs and Stockmarket
US-China tariff war
Trump's trade war
Big bad wolf

今年2月10日にポストした「(続)アメリカ合衆国大統領ドナルド・トランプの風刺漫画五選」の続編。ドナルド・トランプの大統領の就任以来、その言動が何かと物議を醸しているせいか、オランダのハーグを拠点とする風刺漫画の国際ポータルサイト Cartoon Movement が活況を帯びている。新聞、雑誌など、紙媒体では政治風刺漫画が衰退しているが、このような「ニューメディア」に引き継がれている。風刺漫画といえば2015年1月7日に起きたフランスの風刺画週刊新聞「シャルリ・エブド」襲撃事件が思い出される。社屋内でイスラム教徒の襲撃犯ふたりが銃を乱射、有名漫画家ら12人が死亡した。さらに後日、関連した襲撃事件がパリで発生し、5人が亡くなったのである。風刺漫画は政治家や有名人などを題材にすることが多いため、名誉毀損やプライバシー侵害にあたるとして、法的責任を問われるリスクが高まっている。トランプ大統領はホワイトハウスの主だった2017年から2021年までの4年間、風刺漫画の恰好の対象だったが、彼がクレームを付けたという報道はないようだ。第二次トランプ政権が打ち出した無謀な関税政策をテーマにした作品が連日寄稿されている。再びその政治風刺漫画5点を抜粋してシェアすることにした。

cartoon movement  A global platform for editorial political cartoons and comics journalism | Cartoon Movement

2025年4月7日

ドナルド・トランプ大統領の不可解な思考回路

Pac brain

ドナルド・トランプ大統領が、最初の3週間で拘束された移民を国外追放し、エイズ予防プログラムを閉鎖し、関税戦争を開始・停止し、再開し、ガザの厄介な住民を浄化すると誓い、すべてのイスラエル人質をハマスに解放するよう要求し、さもなければ「地獄が勃発する」と要求する中、西側のリベラル派の心には無理解が漂っている。彼らは、アメリカ国民の大部分がこの男をただ容認するだけでなく、積極的に支持しているという考えに反発している。トランプに見られるのは、権力が人間の脳に与える影響である。それはコカインのように作用して、高用量になると、人々は高揚し、超自信を持ち、攻撃的になる。 まるで深夜に酒を飲む人たちが、見知らぬ人にパンチを投げつけるようなものである。トランプの強大な権力は、若返りと活力、つまり晩年の老化に対する解毒剤でもある。パワーはテストステロンを増加させ、コカインと同じようにドーパミンを増加させる。これは、特にトランプのような支配的で非道徳的な性格の人に、攻撃的で心地よい心の状態を煽る。それはまた、落ち着きのない、過活動的な心の状態を作り出し、それが全能感と組み合わさると、指を鳴らしてすべての問題を整理できるという妄想を助長する。そしてそれが実現しない場合、つまりガザやグリーンランドが買収できなかったり、アメリカ出生権が廃止されなかったりすると、妨害されたことに対する異常な怒りが高まり、さらに熱狂的で無分別な反応が次々とエスカレートする。だからトランプがなぜこのような行動をとっているのかということよりも、もっと大きな疑問は、なぜ彼の支持率がこれほど高いのか、そしてアメリカ国民がなぜこれを容認し、称賛さえしているのかということなのかもしれない。私たちは集団として進化してきた。私たちの行動、考え、感情は、ほぼすべて私たちの規範によって形作られている。これらの規範が変化すると、何が正しくて何が間違っているかの判断も変化し、したがって、何をして何を言うのが許容されるかが変わってしまう。人間は、道徳的に正当であり、感情的に傷ついていないと感じながら、客観的に見てひどいことをする能力があることは、すでにわかっていることだ。この極端な例は、1940年に東ヨーロッパの新たに占領された地域に送られた民間人で構成されたハンブルクのいくつかの部隊のひとつであるナチスドイツの予備警察大隊101である。1938年11月にナチスが扇動した水晶の夜の大規模な暴動の後、ドイツのユダヤ人所有の店の外にいた人々だ。

ulture Trad

これらの表向きは立派な男たちは、軍事戦闘によって残虐な扱いを受けておらず、強要されることもなく、いつでも制裁や批判を恐れることなく、そのような作戦からの移送を要求することができたにもかかわらず、ユダヤ人や他の民間人の組織的な大量処刑に精力的に参加したのである。参加を拒否したり、他の任務を任されることを求めたりした人はほとんどいなかった。彼らが持っていたかもしれない道徳的な良心の呵責は、幼い子供が母親から離れることを拒否し、一緒に撃たなければならないことは不穏だったと後に報告した人もいたが、彼らの部隊の部族のエスプリと、同僚の警官や上級将校の承認の必要性によって消滅した。規範について重要なのは一度グループに埋め込まれると、それらは自明のように見えるということである。その中には、ミレニアム前後にピークに達した歴史的に珍しい部族、つまり西洋のリベラル派の規範も含まれている。この部族は、世界はルールに基づくべきであるという規範を持っていた。 そして、これらのルールは、主に国連の1948年の世界人権宣言に基づいていた。経済、政治、司法制度における平等、公正、公平性の概念が君臨していた。その結果、何百万人もの人々の行動に顕著な変化がもたらされ、部族の種のより原始的な衝動、つまり、内集団のえこひいき、外集団の非人間化、力が正しいという仮定など、その傾向に逆らった。第2次世界大戦後のルールに基づく世界秩序のコンセンサスがいかに短命であったかを理解すると、ぞっとする。「時が来れば、人が来る」がトランプのモットーかもしれない。彼は、ルール、つまり私たちが一般的に道徳と呼ぶものとはあまりにもかけ離れており、権力に酔いしれているため、このルールに基づく人類文明の驚くべき発展をズタズタにし、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領の型に則ったグローバルなギャングの精神に置き換えることができる人物である。プーチンはモスクのクレムリンで野放しの権力を振るっている。認識可能な道徳律と、政治または企業統治のメカニズムは、人間の脳に対する大権力の影響の唯一の既知の制約です。欧米世界には、今や地球上で最も強力な国の指導者がいるが、彼は前者を欠いているように見え、後者を解体している。しかし、人間の頭脳にはもう一つ大きな力が及ぼす影響がある。それは判断を歪め、リスクからあなたを盲目にし、あなたを衝動的にする。独裁者の大多数は、最終的には行き過ぎて間違った決定を下し、それが彼らに打撃を与えてしまう。1812年のナポレオンのロシアへの悲惨な侵攻は、その典型的な例である。トランプが行き過ぎたことは明白だ。彼の頭脳を腐食させる権力中毒に対する最良の解毒剤、つまり慎重でルールに基づいた政治的および法的ガバナンスの良識を強化するために団結するのは、普通の道徳的な人々次第なのである。下記リンク先はポーランドの研究者ピオトル・ヴォジニャク博士の分析「ドナルド・トランプの頭脳の謎」である。

AI  Mystery of Donald Trump's brain | Article by Dr. Piotr Woźniak | The SuperMemo Guru

2025年4月5日

写真家ビル・エプリッジは20世紀で最も優れたフォトジャーナリストの一人だった

Motorcyclists
Motorcyclists racing 75 miles cross country through Mojave Desert, September 1971

Bill Eppridge

ビル・エプリッジはアルゼンチン生まれのアメリカの写真家、ライフ誌のフォトジャーナリストであり、1968年6月に撮影された瀕死のロバート・ケネディ上院議員の写真で知られている。1938年3月20日にアルゼンチンのブエノスアイレスでアメリカ人の両親のもとに生まれ、ヴァージニア州リッチモンド、テネシー州ナッシュビル、デラウェア州ウィルミントンで育った。化学エンジニアだった父親は、南米をはじめ、多くの国で仕事をしていた。ミズーリ大学ジャーナリズム学部に入学し、1960年にフォトジャーナリズムを専攻して卒業した。大学在学中、竜巻の空を背景にした一頭の白馬の写真で、全米報道写真家賞の第一位写真賞を受賞した。次に就いたのはライフ誌でのインターンシップで、同誌の有名な写真ディレクター、ロイ・ローワンの下で働いた。大学卒業後、エップリッジはナショナル・ジオグラフィック誌でほぼ1年間の任務に就いた。エプリッジは、有名人、淡水および海水の釣り、北極圏、その他多くのテーマに精通していた。1965年、リンドン・ジョンソンがアメリカの利益を守るために陸軍を派遣した後、彼はドミニカ共和国で殺されかけた。

The Beatles with Ed Sullivan, February 9, 1964

また映画『パニック・イン・ニードル・パーク』の原作となった、若いヘロイン中毒者たちに関する強烈にドラマチックなライフ誌シリーズのために、ほとんど誰も想像できなかった世界を明るみに出した。しかし、このようなことがあったにもかかわらず、彼の記憶に残るのはおそらくたった1枚の写真であろう。1965年、過剰摂取した仲間の命を救おうとするヘロイン中毒のカレンを追った。この物語のために、エプリッジはニューヨークの病院でヘロイン中毒者の二人組と2ヶ月間一緒に暮らした。この夫婦を説得するために、彼は作家とともに彼らの世界に完全に侵入することを許可し、社会に貢献するチャンスだと告げた。夫婦はよく考えた末 "OK"と答えた。

Herion addicts Karen
Herion addicts Karen lying on hotel bed, New York, 1965

ヘロイン中毒者のみだらで絶望的な生活にすっかり染まってしまい、ある時、彼がカメラとライフ誌の身分証明書を盗んだと確信した麻薬捜査官が、彼を刑務所に連行しようとしていた。この記事のライターがやってきて、ようやく事態を収拾したのである。1968年6月5日、大統領選に出馬しようとしていたロバート・ケネディ上院議員は、カリフォルニア州予備選に勝利し、ロサンゼルスのアンバサダー・ホテルで勝利演説を行った後、会場を出るための近道として調理場を通る途中に難民でエルサレム出身のパレスチナ系アメリカ人、サーハン・ベシャラ・サーハンの銃撃を受けて右脳を損傷し、翌6日の早朝に死亡した。

Robert F. Kennedy
Busboy Juan Romero kneeling to help Robert Kennedy, June 6, 1968

エプリッジはケネディがサーハンに射殺されたホテルにいた。「私の目の前には、バスボーイに抱えられて床に倒れている上院議員がいた。周りに誰もいなかったので、最初のフレームを作ったのですが、カメラのピントを合わせるのを忘れてしまいました。2コマ目はもう少しピントが合っていた......そして一瞬、すべてが開いている間に、バスボーイが顔を上げ、このような目をしていた。その写真を撮った後、突然、すべての状況が再びクローズアップされたんだ。そして大騒動になった」という。バスボーイの名ははケネディと握手を交わしたばかりの17歳のフアン・ロメロだった。

LIFE Magazine
Robert Kennedy on the LIFE Magazine, November 18, 1966

激動、そして流転の1960年代、第35代大統領ジョン・F・ケネディ、アフリカ系アメリカ人公民権運動の穏健派指導者マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師、そしてこのロバート・ケネディ上院議員が暗殺されている。1972年にライフ誌が廃刊になった後、エップリッジは他のタイム社の雑誌で働き、最終的にはスポーツ・イラストレイテッド誌にたどり着き、数多くの冬季オリンピックを撮影した。2013年10月3日、敗血症感染による肺炎のためコネチカット州ダンベリーのダンベリー病院で、敗血症感染症による肺炎で死去、75歳だった。

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