朝日新聞社のグラフ誌『アサヒグラフ』に関わるようになったのは1972年だった。同誌の創刊は1923年で、アメリカの『ライフ』の創刊が1936年だったから、世界で最も古いグラフ誌のひとつだったことになる。フランスの『パリ・マッチ』やドイツの『シュテルン』などが同類の雑誌である。グラフ誌のフォトルポルタージュは組写真、すなわち複数の写真で構成される。岩波新書『写真の読みかた』(1963年)の著者、名取洋之助(1910-1962)は、戦前の1930年代にドイツのフォトルポルタージュの手法を日本に紹介した。私が強く影響を受けたのは『ライフ』だった。学生時代、写真工学を学んでいた私は、写真関係の技術者になろうと漠然と思っていた。ところがある日『ライフ』で見たゴードン・パークス(1912–2006)のリオの貧民街ファヴェーラの写真に感動、技術者ではなく、撮る側の人間になることを目指すようになったのである。
大学卒業後、撮る側の人間になることができた。最初の赴任先は大阪本社写真部だった。つまり新聞カメラマンになったわけだが、しばらくして『週刊朝日』『アサヒグラフ』『朝日ジャーナル』などの雑誌を発行していた出版局への異動を願い出た。念願が叶ったのは1972年2月で、東京本社出版写真部員になった。2月19日、新左翼組織連合赤軍の残党メンバー5人が、管理人の妻を人質に河合楽器製作所の保養所に立てこもった。所謂「あさま山荘事件」が最初の印象深い取材になった。以降、さまざまな事件を取材したが、グラフ誌特有の紀行写真の撮影、特にアフリカ諸国やインドなどの海外取材が楽しい思い出になっている。撮影の隠れた師匠が『ライフ』だった。ごく最近、ジョン・ドミニス(1921-2013)が撮影したフランク・シナトラ(1915 -1998)の私生活を撮影したシリーズを「発見」した。オリジナルの写真と共に、実際の誌面が掲載されていて、グラフ誌の構成がよく分かるアーカイブである。下記リンク先でその詳細を見ることができる。

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