2023年4月19日

カーター・ファミリーの隠れた助力者レスリー・リドルの功績

Lesley Riddle and Nancy Drum
Lesley Riddle and Nancy Drum in Rochester, New York, June 1977

レスリー・リドルは、アフリカ系アメリカ人のミュージシャンで、カーター・ファミリーへの影響により、カントリー・ミュージックの形成に貢献した。1905年にノースカロライナ州バーンズビルで生まれ、ヴァージニア州との州境にほど近いテネシー州キングスポートの近くで父方の祖父母のもとで育つ。若い頃セメント工場で働いていた彼は、1927年8月、削岩機(につまずき、右足の膝を切断する怪我を負った。回復するまでの間、ギターを始め、革新的なピッキングとスライドのテクニックを身につけた。やがて、スティーブ・ターター、ハリー・ゲイ、ブラウニー・マクギー、ジョン・ヘンリー・ライオンズなど、サリバン郡やスコット郡のミュージシャンたちと共同作業を行うようになる。1928年12月、カーター・ファミリーを結成した A.P.カーターと出会った。

Lesley Riddle and Brownie McGhee
Lesley Riddle and Brownie McGhee in Kingsport, Tennessee

カーター・ファミリーは1927年8月のブリストル・セッションズでの録音で知られるようになっていた。リドルはキングスポートとバージニア州メイススプリングのカーター宅を行き来するようになる。リドルとカーターは、この地方を中心に曲集めの旅に出た。リドルは「人間テープレコーダー」として、メロディーを記憶し、カーターは歌詞を集めた。カーター・ファミリーは、"Cannonball Blues" "Hello Stranger" "I Know What It Means To Be Lonesome" "Let the Church Roll On" "Bear Creek Blues" "March Winds Goin' Blow My Blues Away", "Lonesome For You" など、リドル作曲あるいはリドル発信による多くの曲を録音することになった。リドルのギターテクニックはメイベル・カーターに印象を与え、彼女はその要素を自分のスタイルに取り入れた。1937年、リドルは結婚し、1942年、ニューヨーク州ロチェスターに移住した。

Rounder ROUCD 0299 Released 1993

やがて音楽から引退し、1945年にはギターを売り払い、その後20年間は無名のままであった。1965年、メイベル・カーターと共演したばかりのマイク・シーガーがリドルを探し出し、レコーディングに復帰するように説得した。その後13年間、リドルとシーガーは何度もスタジオ録音を繰り返した。リドルはまた、スミソニアン・フォーク・フェスティバルやマリポサ・フォーク・フェスティバルにも出演した。リドルは1980年7月、ノースカロライナ州アッシュビルで死去した。1993年、マイク・シーガーとのセッションからの選曲が、ラウンダー・レコードから "Step By Step"として発売された。カーター・ファミリーの曲は A.P. の作詞作曲と思われがちだが、彼は伝承歌謡蒐集家であり、リドルのコラボレーションなしには珠玉の作品群は生まれなかっただろう。

Mountain  Lesley Riddle (1905–1979) Historic Artist, Blues Musician | Blue Ridge National Heritage

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