2022年8月28日

昭和の妖怪岸信介と統一教会

祖父の岸信介に抱かれた安倍晋三
母方祖父の岸信介に抱かれた安倍晋三(右)と寛信(1957年2月)

写真は岸信介(1896–1987)が第56代内閣総理大臣に任命された1957年2月25日、溺愛してやまない孫を囲んでの祝賀会だと思われる。岸信介は1930年代、中国東北部の傀儡国家・満州国を搾取的に支配したことで知られ「昭和の妖怪」の異名を持つ。戦時中の東条英機内閣で商務大臣、軍需副大臣を務め、1941年12月7日の対米宣戦布告に共同調印を行った。第二次世界大戦後、A級戦犯の疑いで3年間収監された。しかしアメリカ政府は起訴も裁判もせず、最終的には釈放した。岸は戦後の日本を親米的な方向に導くのに最適な人物と見なされたからだ。米国の支援を受けて、彼は1950年代、日本社会党の脅威に対抗して日本の保守陣営を強化することになった。1955年に保守系小政党の合併により強力な自由民主党(LDP)の結成に尽力し「1955年体制」(自民党が圧倒的に優位な政党であった期間)の開始の立役者とされる。首相として岸は1960年の日米安全保障条約の改訂を誤って処理した。日本の近代史における最大の抗議行動である安保闘争を引き起こし、岸首相は不名誉な辞任を余儀なくされる。弟の佐藤栄作も総理大臣になったが、孫である安倍晋三は二度にわたって首相を務めた。その安倍は2022年7月8日、第26回参議院議員通常選挙のため、街頭演説を奈良県奈良市の近鉄大和西大寺駅前付近にて行っていた際に、犯人自作の銃で背後から撃たれて死亡した。

家系図
戦後日本の政財界を席巻した岸・安倍家の閨閥

容疑者の母親が統一教会に多額の寄付をしたため、家庭崩壊したのが犯行の動機らしいと報じられると、同教団と安倍の関係が俄かに脚光を浴びることになった。安倍晋三は「反韓」「嫌韓」の右翼保守層の間で圧倒的な支持を得ていたが、教団は韓国で生まれた。朝鮮半島問題専門誌『コリアレポート』の辺真一編集長は「安倍氏は根っからの対韓強硬派ではない。そもそも外祖父の岸信介元首相は日韓の黒幕と称されたほどの日韓国交正常化の立役者であり、父親の安倍晋太郎元外相も代表的な親韓派政治家であった。安倍氏はその二人のDNAを受け継いでいるのである」と書いている。教団と自民党との関係は半世紀に及ぶ。1954年に文鮮明によって韓国で創設されたが、1959年ごろから日本で布教を始めた。1964年に宗教法人として認証されたが、本部を渋谷区南平台町に移転。岸内閣時代には首相公邸として使用された場所で、隣には岸の自宅があったという。教団は1968年に設立した反共産主義の政治組織「国際勝共連合」を梃子に、党内きっての反共親米派だった岸信介と気脈を通じ繋がりを深めた。両者の関係は岸の孫、安倍晋三に受け継がれた。これを機会に改めて青木理著『安倍三代 』を紐解いた。特筆すべきは父安倍晋太郎が自民党重鎮の政治家で、保守でありながらリベラル姿勢を貫いたことである。そして岸信介と違って平和主義者だった父方の祖父安倍寛も深堀りしている。残念ながら安倍晋三はそのいずれも受け継がなかったことを本書で再認識した。ご一読を。

Amazon  青木 理(著)『安倍三代』 (朝日文庫) 朝日新聞出版 (2019年4月30日第1刷発行)

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