2022年6月2日

絶滅していなかったフロッピーディスクの記憶

Different data storage media
5.25" and 3.5" FD, Cassette and 8mm tape, CD, DVD, ZX, SDHC, CompactFlash, USB disk (WIKI)

山口県阿武町で誤って1世帯に4,630万円を振り込んだ、いわゆる誤送金問題で、町役場から銀行に依頼データの入ったフロッピーディスク(FD)を渡したことが報じられると「旧石器時代」「時代遅れ過ぎる」など、驚きや嘆きの声が上がった。ところが絶滅していたかのように思われた FD は、一部の中央省庁や役所、銀行、企業ではいまも日常的に使われていることがわかった。10年前に製造中止に追い込まれたシステムで、顧客データなどを扱ってることに私も驚きを禁じ得ない。絶滅危惧種化した FDD 駆動装置メーカー主要3社が生産撤退に動き始めたのは2009年だった。ティアックは4月に生産を終了、ワイ・イー・データも販売を終了した。残るソニーも2009年9月に終了、他社と足並みをそろえたようだ。また FD も、三菱化学が今年2009年3月末で販売を終了した。ソニーは3.5型 FD 全6機種を2010年4月に販売終了した。3.5型 FDD は1984年からコンピュータ搭載が始まった。ウィンドウズ95の発売で、空前のパソコンブームが起きた1995年がフロッピーディスク需要のピークだったようだ。さらに光磁気ディスク MO だが、日立マクセルと三菱化学メディアが販売を終了した。私が最初に触れたコンピュータは、学生時代、大型のそれであった。

Floppy Disk

真空管を使っていた筈で、かなり巨大なものだった。カナタイプライターでオペレートするものだったが、ディスプレーはなかった。記録媒体は紙の鑽孔(さんこう)テープだった。簡単な住所録を作ったことがある。自作の入力項目をパンチした円環状のエンドレステープが、いわばソフトだったと記憶している。次に触れたコンピュータが、時代は大幅に下って1979年、NEC の PC-8001 だった。外部記憶装置はカセットテープレコーダーを使用したもので、遊びでカラオケソフトを BASIC で書いたことを思い出す。オプションで5インチフロッピーを使用できたようだが、記憶にない。その後、1983年に NEC が FDD を内蔵した PC-9801 シリーズを発売、フロッピーディスクが一気に広まったことが懐かしい。わずか 20MB HDD が珍しい時代だった。

PowerBook 2400c
Macintosh PowerBook 2400c/240

フロッピーディスクで思い出し、押し入れの奥にしまってあったアップルの PowerBook 2400c/240 を引っ張り出してみた。外付けながら我が家にある唯一の FDD 駆動装置である。1997年5月に発売された180をクロックアップ、1998年4月発売されたものだ。外部記憶装置は FDD のみで、光学ドライブは付属してない。日本 IBM との共同開発で、今見てもデザインは優れてると思う。三次元 CAD でデザインされたが、日本 IBM は二次元のソフトしか持ってなく、製作に苦労したというエピソードがある。角が丸みを帯びた流線型で、だからだろうか、初代モデルの開発コードネームはコメットだった。日本のみで売られたものだが、B5ノートは小さすぎて、本国の米国では受け入れられなかったという記事を読んだ記憶がある。ところで FDD 装置があるものの、肝心のフロッピーディスクがないのに気付いた。ずいぶん前に処分してしまったからだ。知りあいに電話したところ、持っているという。あるところにはあるものだ。再生品を通販サイトが販売しているようだ。

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