近代オリンピックは、参加することに意義があるという名言を残した、フランスのピエール・ド・クーベルタン男爵(1863-1937)によって創立された。その基本精神はアマチュアリズムの尊重であり、逆に、アマチュアリズムの象徴がオリンピックであった。スポーツは金のためにあるのではない、という精神といったものがかつてその根本にあった。しかしそれは裏返せば、有産階級の発想であり、差別思想であるという批判も当然ながら出た。プロ組織がない競技では、選手はみなアマチュアである。しかし学生なら特待生制度があるし、社会人なら企業のバックアップがある。スポーツの大衆化によって、アマチュアリズムを高らかに謳うことは困難になったともいえる。だから現在のオリンピック憲章にはアマチュア規定が削除されている。毎日新聞社の月刊写真雑誌『カメラ毎日』が健在だったのは何時までだったろう。植田正治(1913–2000)が「アマチュアこそシリアス・フォトグラファーだ」と寄稿していたのが、何故か今でも印象に残っている。
所謂ハイ・アマチュアというのはおそらく和製英語だと思うけど、シリアスとか、アドバンスド・アマチュアという用語を英語圏では使うようだ。要するにアマチュアこそ純粋に芸術写真に没頭できる。だからプロの仕事などに目もくれず、アマチュアとしての誇りを持つべきだという主張だったように記憶している。植田正治は山陰をベースにしていたが、関西を通り越して東京で知名度を上げた作家であった。関西写壇との確執については氏自身から伺ったことがあるが、西日本はアマチュアリズムに関し昔から意気軒昂である。また日本最古の写真クラブ「浪華写真倶楽部」や「地懐社」「京都丹平」など、歴史を持った写真団体が今でも健在である。これらの団体に共通しているのは、文化の首都圏集中に対する反骨精神が漲っていることである。戦前の「浪華写真倶楽部」や「丹平写真倶楽部」で重要な働きをしたのが安井仲治(1903-1942)だった。ピクトリアリズムからストレートフォトグラフィーという軌跡を辿った東京の野島康三(1889-1964)とオーバーラップする。
二人に共通するのは、いずれも素封家に生まれたディレッタントであったことだ。海外に目を向けると、まず思いつくのがジャック=アンリ・ラルティーグ(1894– 1986)である。あるいはアルフレッド・スティーグリッツ(1864–1946)を引き合いに出して良いかもしれない。彼らもまた裕福な家庭に生まれ、それゆえの自由を謳歌した写真家たちであった。スポーツの世界では、その技量において、プロがアマを上回るとされているようだ。だから、もしアマあるいはプロアマ混成チームに負けたのでは沽券に関わる、という深層心理がイチロー選手をしてオリンピック辞退に繋がったのかもしれない。プロの棋士がアマ相手の場合はコマ落ちで将棋を指す心理に似たものだ。写真もまた、プロがアマを上回ると思われてるフシがある。確かに技量においてはそうでなくてはならない。スポーツにおいては、その技量が勝敗に直結するが、写真表現に関しては違うと私は思う。所詮シロウトですから、趣味ですから、と言った消極姿勢があるとすれば残念である。蛇足ながら写真愛好家に対しアメリカには shutterbug というスラングがある。直訳すればシャッターの虫、言い得て妙である。
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