ロシアのウラジーミル・プーチン大統領はこの数カ月もの間、ウクライナを攻撃して侵攻するつもりはないと繰り返していた。しかし2月21日にはついに、停戦協定を破棄し、ウクライナ東部で親ロシア派の武装分離勢力が実効支配してきた2つの地域について、独立を自称してきた「共和国」を承認した。そして24日、ロシアは陸海空からウクライナ侵攻を一斉に開始した。大義名分なき戦争をプーチンは仕掛けたのである。世界の政治風刺画家のポータルサイト Cartoon Movement に寄せられた作品の中から、5点を抜粋して転載した。
A global platform for editorial cartoons and comics journalism | Cartoon Movement2022年2月27日
ロシアのウクライナ侵略風刺画集
2022年2月25日
非現実的なほど歪曲し抽象的な遠近感を生み出した写真家ビル・ブラントのカメラ
Bill Brandt (1904–1983) |
ビル・ブラントは1904年5月3日、ドイツのハンブルクに生まれた。1920年に結核を患い、ダボスの病院に6年間入院する。退院後はウィーンに渡り、グレタ・コリナー(1907-1942)のポートレートスタジオで働くことになった。このスタジオで、彼はアメリカの詩人エズラ・パウンド(1885-1972)のポートレートを撮影した。その写真に感銘を受けた彼に勧められて1929年、ブラントはパリに渡り、マン・レイ(1890–1976)のスタジオで働くことになった。わずか3カ月間の滞在だったが、ブラントはシュルレアリスムのスタイルに大きな影響を受け、またパリの写真家、ウジェーヌ・アジェ(1857–1927)の作品にも魅了されるようになる。マン・レイと仕事をする傍ら、ブラントはフリーランスとして『パリ・マガジン』誌に写真を掲載することもあった。1930年にイギリスに渡り、フリーランスの写真家として活動を続ける。1934年、パリを拠点とするシュルレアリスム雑誌『ミノタウロス』に、彼の最初のシュルレアリスム作品のひとつが掲載される。1936年には、イギリスの経済・社会状況を記録した初の写真集『家庭でのイギリス人』を出版。 その後も数年間旅を続け、バルセロナ、トレド、マドリードで撮影を行った。1937年に創刊された写真専門の美術雑誌『リリパット』にブラントの写真が多数掲載された。ブラントがこれらの雑誌で行った社会的な記録は、画期的なものだった。イギリスは不況の真っ只中にあった。苦しんでいる人々の本質をとらえ『リリパット』のために最高のフォト・エッセイを制作したのだった。
著名なキュレーター、作家、歴史家、評論家であるフランシス・ホジソンは「ブラントが偉大な英国の写真家であり、フォックス・タルボット(1800–1877)をもその中に含む、という非常に単純な認識から始めましょう。ブラントは、写真が独立した芸術形式としての寿命を終えようとしている現在、絶対に世界に通用する唯一の英国人写真家である。不思議なことに、彼は写真を独立した芸術とみなしていなかったからです。彼は若い頃から本や演劇、ダンスなどの教養があり、芸術に対して情熱的でしたが、重要なのは、彼は常に何か言いたいことがある人間だったということです。私個人としては、これ以上の写真家はいないと思っています。なぜならそのメッセージは非常に重要であり、彼は社会の平等と、ある種の牧歌的な英国人生活の衰退を本当に信じていた人物だからです」と評している。1938年には2作目の『ロンドンの夜』が出版された。第二次世界大戦中、彼はロンドンで戦争の影響を記録した。多くの写真は、停電中の夜間にフラッシュなしで撮影された。生涯の友であったブラッサイ(1899–1984)の影響を受けたブラントの夜の写真は、ムードと雰囲気に満ちあふれている。1930年代から1940年代の終わりまで、英国情報省や『ナショナル・ビルディング・レコード』『リリパット』『ピクチャー・ポスト『ハーパーズ・バザー』などで仕事をした。
ハーパーズでの仕事は、彼のキャリアの新しい時代の到来を告げるものであった。肖像画やファッション写真は、ブラントにとって社会的な記録と同じくらい重要なものとなった。サルバドール・ダリ(1904–1989)セシル・ビートン(1904–1980)ヘンリー・ムーア(1898–1986)ルネ・マグリット(1898–1967)フランシス・ベーコン(1909–1992)ジョアン・ミロ(1909–1992)など、多くの人々を撮影したのある。さらに多くの旅をしているうちに、風景を撮影することが楽しくなってきたようだ。1950年になると、より表現力豊かな芸術的アプローチへと再び大きく舵を切る。彼は、自分の芸術的スタイルに合う広角レンズのついた古い木製のカメラを購入した。「ある日コヴェント・ガーデン近くの中古品店で、70年前の木製のコダックを見つけたんだ。嬉しかったですね。19世紀のカメラのようにシャッターはついてなく、レンズはピンホール並みの口径で、無限遠にピントが合っていた。1926年、エドワード・ウェストン(1886–1958)は日記に『カメラは目よりも多くのものを見ている、なぜそれを利用しないのか』と書いているんだ」。
曰く「私の新しいカメラは、より多くを見て、違った見方をした。このカメラは、空間の大きな錯覚、非現実的なほど急な遠近感、そして歪曲を作り出しました。ヌードを撮り始めたとき、私はこのカメラに導かれるままに、自分が見たものを撮るのではなく、カメラが見ているものを撮ったのです。私はほとんど干渉せず、レンズは私の目が見たことのないような解剖学的なイメージや形を生み出してくれました。オーソン・ウェルズ(1915–1985)が『カメラは単なる記録装置ではない』と言った意味が分かった気がした。カメラは記録装置以上のものであり、別の世界からメッセージが届く媒体なのだ」。レンズが生み出す鋭い歪みは、その後の彼の風景、ポートレート、ヌードにおいて抽象的な遠近感を生み出したのである。不自然な遠近感、異常な視点、奇妙なライティングを駆使したイメージは、当時の人々に衝撃を与え、イメージの境界を広げることになった。彼の影響力のあるヌード作品のほとんどは、ノルマンディーとサセックス海岸で撮影されたものだ。1961年、ブラントは最初のヌード写真集『ヌードのパースペクティブ』を出版した。
その後、ブラントの作品を集めた『光の影』が出版される。1969年、ニューヨーク近代美術館で初の回顧展が開催された。この展覧会をきっかけに、パリ、ストックホルム、サンフランシスコ、ヒューストン、ワシントンD.C.など、世界各地で展覧会が開催された。ブラントは、ロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アートから名誉博士号を授与され、そして英国王立写真協会の名誉フェローの称号を授与された。1968年6月、オブザーバー紙が宣言した「世界で最も偉大な写真家」の一人である。40年以上糖尿病を患い、1983年12月20日、短い生涯を閉じた。遺灰は本人の希望により、オランダ公園に撒かれた。ブラントは結婚していたが、子供には恵まれなかった。しかし「写真家は、まず被写体を、あるいは被写体のある側面を、日常を超越したものとして見ていなければならない」と、洞察に満ちた言葉を残している。「写真家の仕事は、普通の人よりも強く見ることだ。初めて世界を見る子供や、見知らぬ国に入った旅行者のような感受性を持ち続けなければならない...彼らは不思議な感覚を自分の中に持っているのだ」。最も重要なことは、彼が写真を完全に探索的なメディアとして、あらゆる側面にオープンであったことである。1984年、国際写真殿堂入りを果たした。
Bill Brandt (1904–1983) Biography, Works and Exhibitions | The Museum of Modern Art2022年2月18日
大阪の医療崩壊を招いた維新の会
2月17日に判明した大阪府のコロナウィルスによる死者は過去2番目に多い54人だった。新規感染者は東京都の17,864人と比べると、大阪府は13,912と若干少ない。しかし累計死者数は3,509人で、人口100万人あたりの死者数は397人。東京都や北海道、沖縄県を上回ってダントツに多いが、死者数が多いのは何故だろうか。昨春の第4波の時、大阪では重症病床が満床になった。あふれた重症者は軽症中等症病床での治療や自宅療養を余儀なくされ、死者の激増を招いた。端的に推測すれば、医療体制がまたしても崩壊しているから死者数が激増しているのである。遠因として保健所の統廃合が考えられる。1999年に遡るが、磯村隆文市長の時代、大阪市の24区にあった保健所の1保健所への統合する条例が可決された。
2014年に橋下徹が市長に就任、吉村洋文、松井一郎と維新の会の市長が三代続き「ムダを徹底的に排除した効果的・効率的な行財政運営」を行うことを目的とした「市政改革プラン」でさまざまな削減がされてしまったのである。保健所の統廃合に続き、2017年には市立環境科学研究所と府立公衆衛生研究所を統合、独立行政法人化により人員が削減され、PCR検査が十分にできない状態に陥ってしまう。維新は2018年に住吉市民病院廃止を強行する。さらに新型コロナウイルス感染の急拡大で看護師不足が深刻となっている中、維新府政が補助削減、府内の看護専門学校2校が相次いで閉校されることが決まっている。大阪の医療崩壊は三代にわたる維新の会の大阪市、大阪府への失政の結果であることは明らかである。ソーシャルメディア Twitter に登場したハッシュタグ「#吉村はんはよう殺っとる」が、主権者の荒んだ怒りを象徴している。
都道府県別人口あたりの新型コロナウイルス死者数の推移 | 札幌医科大学フロンティア医学研究所2022年2月17日
コロナウィルス新規感染者7日間移動平均とは
図は京都市の昨年12月12日から、今年2月12日までのコロナウィルス感染者数である。棒グラフは実測値を示しているが、かなり凸凹である。新聞、通信、放送各社は京都市ではなく、京都府の数値を公表している。前日、あるいは前週との比較は分かるが、全体の傾向は掴みにくい。そこでコロナの感染者数を評価するのに、一躍有名になったのが赤い折れ線の「移動平均」である。移動平均は同じ平均でも、通常の平均とは違う。時系列データにおいて、ある一定区間ごとの平均値を区間をずらしながら求める手法である。例えば7日間移動平均は6日前から当日までの7日間の報告数の平均値を示している。図を見ると火曜日の患者報告数が少ない。週末に医療機関が休業することなどの人為的な問題により、PCR検査数が減少するためだろう。移動平均では、そうした影響を除外することができるため、全体の感染動向が分かり易くなる。つまり日単位の変動からノイズが削減、欠損データを推定値で補うのである。新規感染者の移動平均は Excel で計算、グラフ化できる。ただ各行政が公表しているので見方さえ分かればよく、計算する必要はないだろう。その場合、あくまで移動平均に注視し、判断することが肝要である。テレビのニュース番組で「○○日ぶりに○○人を下回った」という解説が流れたりするが、これは「感染拡大がちょっと治まった」という間違った印象を与えてしまうからだ。
累積の陽性者数 | 入院治療等を要する者 | 累積の死亡者数 | 都道府県別累積の陽性者 | 内閣官房2022年2月12日
モデルナ社製コロナワクチンを忌避する不可解
昨日、コロナワクチンブースター、いわゆる3回目の集団接種をした。会場は岡崎公園の京都市勧業館「みやこめっせ」で、妻も一緒に接種した。ワクチンはモデルナ社製で接種量は 0.25 mL だった。一晩経過したが、接種部位に痛みがあるものの、極めて軽微で、副反応という表現はそぐわない。妻は接種部位に痛みがあり、微熱が出ている。どうやら人によって違うようだが、俄な断言は避けたい。ただ、アセトアミノフェンなどの解熱鎮痛剤を用意しておくべきだろう。首相官邸のデータによると、3回目接種完了者は2月10日時点で 9,970,283人、接種率は 7.9% となっている。都道府県別では佐賀県が 13.09% でトップ、最低は秋田県の 5.51%、京都府は 6.78% と低い。海外ではイスラエルの接種が一番進んでいるが、1回目が 70%以上なのに対し、2回接種を完了した人は 65%、3回目はおよそ 54% と徐々に減少しているという。特筆すべきは医療従事者、病気などで免疫機能が低下している人に対して、4回目の接種を進めていることだろう。
いずれにせよ、日本の3回目接種率は海外と比較すると大幅に遅れている。この遅れについて一番の要因は2回目からの接種間隔を前倒しするという判断が遅れたことにある。8か月間隔に拘ったのは大きな判断ミスで、現政権の責任は重い。各メディアの報道によると「モデルナを打ちたがらない人が多いからだ」との声を聞くそうだ。実際の数字は不明だが、この理由によって、接種予約が進まない地域もあるようだ。おそらく「副反応」を恐れてのことだと推測するが、私には不可解である。私は心筋梗塞の既往症があり、血をサラサラにする薬、抗血小板薬を常用しているため、第1回目のとき接種を躊躇った。しかし過去に他のワクチンでアナフィラキシーショックになったことがある人などは例外で「打ってはいけない人は非常に少ない」と判断した記憶がある。接種は義務ではないが、オミクロン変異株の激震を抑える特効薬はワクチンしかない。
Moderna COVID-19 Vaccine (also known as Spikevax) Overview and Safety | CDC2022年2月9日
ニュース配信サイトに頼らず新聞を読もう
この絵はダニエル・セレンタノ(1902–1980)が1935年に描いたニューヨークの地下鉄電車車内だ。満員電車だが、乗客が新聞を読んでいる。ニューヨークの地下鉄は1904年に開業したが、少なくとも20世紀末までこの光景が続いたと思われる。日本でも朝の電車で新聞を読む通勤客が多かったが、大きな紙面は広げることができなかったため、コンパクトなタブロイド判が普及するようになった。それでも日本のラッシュアワーの込み具合は異様で、首都圏などではタブロイド判でも広げることができない状態だった。およそ100年を経過、アメリカでも日本でも、スマートフォンが凌駕、車内で新聞を読んでいる人は稀有である。いや電車やバスの中だけでは、多くの人たちが新聞の購読をやめ、ニュースをスマートフォンやパソコンで入手するようになってしまった。ときにネットで「マスゴミ」と揶揄されることがあるが、新聞、通信、放送記者が取材した記事がニュース配信サイトのソースになっていることを忘れているのだろうかと思うことがある。
私は「Amazonに頼らない生活」を始めてからずいぶん久しいが、ふと、例えば「ニュース配信サイトに頼らない生活」をしようかと思うことがある。Yahoo!ニュースなど、いろいろなサイトがあるが、私はマイクロソフトのMSNニュースは避けている。スポーツ紙に掲載された、橋下某、ひろゆき某などの発言を顔写真入りで大きく取り上げているからだ。閑話休題。ついニュース配信サイトを覗いてしまうが、折角購読している新聞をちゃんと読むべきだと自戒している。1月22日付け smartFLASH に池上彰の「新聞はオワコンじゃない」という興味深い記事が掲載されている。曰く「新聞は情報量も非常に多い。朝刊の文字数は、およそ20万字。新書2冊ほどの分量に当たります。毎日、新書2冊を読むのは難しいかもしれませんが、一覧性のある新聞は全体を見渡すだけでも価値はありますし、そこで気になった記事を読めばいいのです」という。
池上彰 | 部数減で苦境も…新聞はオワコンじゃない 読まない人は損をします | smartFLASH