2021年4月17日

羽飾りを拒否した英国の女性たち

woman behind the gun
Emily Williamson

アルゼンチン生まれで英国の作家 W・H・ハドスン(1841–1922)は『鳥たちをめぐる冒険』(講談社学術文庫)の中で、美しい野鳥の殺戮に力を貸しているのは「殺された鳥の飾り羽や残骸で自分の頭を飾りたがる、おそろしき女性の一連隊だ」と嘆いている。このファッションは次第にヨーロッパに広まり、後には植民地アメリカにも広まっていった。1850年には、世界各地で何十万羽もの鳥を殺すという大規模な商売が行われるようになった。 中でも白鷺は、最も優雅な羽を持つ繁殖期の鳥の格好の標的となった。 成鳥は殺し、雛は灼熱の太陽の下に放置した。 時には傷ついた鳥から羽毛を抜き取り、そのまま放置して餓死させることもあった。 東海岸やエバーグレーズでは、サギなどの渡り鳥が大量に屠殺されていた。鳴禽類も人気があり、鳥を丸ごと剥製にしてヴィクトリア朝の女性たちの帽子に飾っていた。アジサシやカモメの羽毛もよく使われ、1万羽以上の繁殖コロニーが丸ごと殺された。女性の帽子のための羽毛の野蛮な取引に対抗するために立ち上がったのがエミリー・ウィリアムソン(1855–1936)だった。1889年にがマンチェスター郊外のディズベリーにある自宅で友人たちをお茶に招待し、羽毛を身につけないという誓約書に署名してもらう。

The Feather'd Fair in a Fright by John Collet (1725-1780) Courtesy of the British Museum

1891年、マンチェスター郊外ディズベリーのエミリー・ウィリアムソンのグループと、ロンドン南部クロイドンのエリザ・フィリップス(1823–1916)の「毛皮と羽毛の会」が合併し「鳥類保護協会」が誕生したが、設立当初の会員はすべて女性だった。羽飾りと毛皮という女性の「おしゃれ」に対し、女性たちが批判したのである。10月に協会の報告会があり、W・H・ハドスンの「ミサゴあるいは白鷺と羽根飾り」などのパンフレットが配布された。そして1904年11月3日、王立憲章により法人化、王立鳥類保護協会(The Royal Society for the Protection of Birds)となった。1921年、30年に及ぶキャンペーンの末、「羽毛法」が成立し、外来種の鳥の皮の取引が廃止された。かくして危機に瀕していた鳥類は回復に向かったのである。

PDF  RSPB Centre for Conservation Science by Chris Gomersall (PDF File 3.06MB)

0 件のコメント: