新型コロナウィルス感染者数の増加が見え始めたにも関わらず、政府は緊急事態宣言を解除した。25日からの松明リレーに無理やり合わせた狂気である。JOC(日本オリンピック委員会)はじめ、大会関係者は松明リレーを必須イベントと考えているようだ。近代オリンピック第1回大会は、1896年にギリシャのアテネで開催されたが、いわゆる「聖火台」はなかった。
河出文庫(2020年) |
1928年、アムステルダムオリンピック開催にあたって、スタジアムの設計に松明塔を取り入れ「聖火」が燃え続けるというアイディアを盛り込んだ。そして1936年のナチス政権下のベルリンオリンピックで、ジョセフ・ゲッベルス(1897–1945)の指導のもと、組織委員会の責任者であったカール・ディーム(1882–1962)の発案で松明リレーが始まった。ギリシャで採火した炎をベルリンまで運ぶという発想はゲルマン民族こそがヨーロッパ文明の源流たるギリシャの後継者である、というアドルフ・ヒトラー(1889–1945)の思想に適った物でもあった。2004年のアテネオリンピックに合わせて出版された作家トニー・ペロテット(1961-)の著書『古代オリンピック全裸の祭典』は、ナチス政権が松明リレーを利用したというパラドックスを捉えている。曰く「皮肉なことに、その忌まわしい起源を考慮すると、松明リレーは今日、国際的な兄弟愛の象徴となり、華やかなオリンピック開会式の目玉となっている」云々。ペロテットによるとオリンピックの炎がギリシャからドイツまで12日間かけて運ばれ、最後にベルリンのスタジアムで巨大な松明に点火されたと紹介している。松明には、ドイツの兵器メーカーであるクルップ社のロゴが入っていたという。夏季オリンピックの炎は常にギリシャの古代オリンピアで点火されてきたが、冬季オリンピックは違う。1952年と1960年の冬季オリンピックでは、ノルウェーのモルゲダルで点火された。1956年の冬季オリンピックでは、ローマで点火されたのである。いささかちぐはぐな「伝統」ではある。
Torch relay ©2020 Jeff Koterba Omaha / World-Heral |
1984年のロスアンゼルス大会では米国最大手の電話会社 AT&T が松明を持って走れる「キロレッグ」を販売し商業化、1992年のバルセロナ大会では、コカ・コーラ社がスポンサーになった。最終的には手を引いたが、これを快く思わなかったのがギリシャで「ロサンゼルスにオリンピアの火を灯させない」と抗議した。慌てたファン・アントニオ・サマランチ(1920–2010)IOC(国際オリンピック委員会)会長が緊急対策を考えたほどの騒ぎだったようだ。2008年の北京大会でもトラブルが発生した。リレーの半分の地点で反中派とチベット派の抗議活動の対象となったし、中国が台湾を国内ルートに入れようとしたときに台湾にボイコットされた。IOC のジャック・ロゲ(1942-)会長が「オリンピックとリレーは危機に瀕している」と発言したほどの混乱ぶりだった。北京オリンピックの終了後、IOC はリレーの国際部門を廃止したのである。米 NBC 放送電子版が元プロサッカー選手でパシフィック大教授ジュールズ・ボイコフ(1970-)の「新型コロナウイルスのパンデミックのまっただ中で始まった聖火リレーは、ずばりナチスによって始められた五輪の伝統儀式だ。今回も公衆衛生を犠牲にするリスクを冒している。特にナチスの宣伝活動に由来するような伝統のいくつかは廃止されるべきだ」という記事を掲載した。巨額な放映料を IOC に支払い、多大な影響力を持つ放送局だけに興味深い。ヒトラーのナチスに利用されたという負のレガシー、しかも新型コロナウィルス感染症が拡散するというリスクが予想される松明リレーは廃止すべきだという、極めて常識的で真っ当な主張である。
Why are we still using a Nazi progapanda stunt to open the Olympic Gamaes? | NBC News