2018年7月7日

氾濫を繰り返してきた鴨川


濁流(京都市中京区の三条大橋から)7月7日午後

鴨川が「氾濫注意レベル」というニュースが、昨日6日流れ、驚いた。鴨川は昔から荒れ川で、しょっちゅう氾濫したようだ。鴨川の治水の歴史は古く、平安京造営の頃から築堤工事が行われていたと言われており、天長元年(824)には鴨川治水を担当する「防鴨河使(ぼうがし)」と呼ばれる官職がおかれ、より積極的に築堤工事が進められた。また、貞観13年(871)には堤防を害することのないようその近辺での耕作を禁止する命令が出されるなど、朝廷では鴨川の治水を非常に重要視していたことがうかがえ、平安時代末期頃には既に現在見られるような連続した堤防が設置されていたと考えられている。しかしながら、このように治水対策が進められたにもかかわらず、鴨川は氾濫を繰り返し、白河法皇でさえ「天下三不如意」の一つとして嘆いたと伝えられている。その後も豊臣秀吉による洛中を囲む「御土居」や、江戸時代の京都所司代による「寛文新堤」などは、京宮古の防御や市街地の整備が主目的であったと言われているが、鴨川の氾濫から市街地を守る本格的な治水対策としても評価されており、鴨川の治水は時の為政者の重要な課題であったものと思われる。鴨川における近代治水のはじまりは、昭和10年(1935)6月29日の大水害を契機としている。今日は四条大橋から三条大橋まで、川沿いを歩いてみたが、昨日より水位は下がったようだった。

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