2017年4月6日

桜の樹の下には屍体が埋まっている

近衛邸跡(京都市上京区京都御苑)

京都御所近衛邸跡の枝垂れ桜を見に出かけた。京都の枝垂れ桜は円山公園や平安神宮などが有名だが、近衛邸跡の桜を京都人は異名の「糸桜」と呼ぶ。桜情報は京都新聞が随時写真を掲載しているので、それを頼りにしている。わずか数日前までは蕾だったが、満開をやや過ぎた状態だった。美しい。美しい故に、ある種の不気味がある。パッと咲き、パッと散る、その潔さが日本人の心を惹きつけるのだろう。しかし私は満開の桜に、その先の桜吹雪を連想、儚さを感じてしまう。死のイメージである。桜の樹の下には屍体が埋まっている、という書き出しで有名な梶井基次郎の『桜の樹の下には』の一節を引用してみよう。
いったいどんな樹の花でも、いわゆる真っ盛りという状態に達すると、あたりの空気のなかへ一種神秘な雰囲気を撒き散らすものだ。それは、よく廻った独楽が完全な静止に澄むように、また、音楽の上手な演奏がきまってなにかの幻覚を伴うように、灼熱した生殖の幻覚させる後光のようなものだ。それは人の心を撲うたずにはおかない、不思議な、生き生きとした、美しさだ。
蓋(けだ)し名文、流石である。帰路、自宅近くの平野神社に寄ってみたら、数日前にはこれまた蕾だった染井吉野が満開状態になっている。驚いたことに何と神門前の「魁(さきがけ)桜」の花びらが残っているではないか。京都の春を告げる早咲きの枝垂れ桜だが、三月中は気温が上がらず、開花が例年より10日以上も遅れたせいかもしれない。まさか両方の桜の繚乱を目の当たりにするとは思ってもいなかった。そういえばは今年は東京の桜の満開が全国で一番早かったそうである。これは異常気象のなせる業なのだろうか。

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