DENON DNP-730RE |
2016年8月28日
ネットワークオーディオプレーヤの導入
2016年8月25日
五輪憲章を遵守しないIOCは解体し東京大会は返上すべきだ
日の丸を掲げるメダリスト(リオ五輪)
スポーツそのものは素晴らしいし、それ自体を否定する気持ちは毛頭ない。しかし現行のオリンピックは別である。本来、個人あるいは競技チーム同士の闘いである筈なのに、実態は国家間の争いの様相を帯びてしまっているからである。新聞やテレビは、何個メダルを取ったか、まさに狂想曲のごとく連日報じた。リオが終わったものの、次は4年後の東京開催を目指す喧噪が続くと思うと、うんざりするのは私だけだろうか。オリンピック憲章を紐解くと、第1章6「オリンピック競技大会」には
つまり現行のオリンピックは、一番肝心なところでオリンピック憲章を遵守していないのである。これは私ひとりが書いてどうなるというものではないが、現在のIOCは一旦解体、オリンピック憲章を守る組織を作り直すべきである。2020年大会の招致プレゼンテーションで安倍首相は「福島は完全にコントロールできている」と発言した。廃炉が未だに遅々として進まず、汚染水を垂れ流している福島原発の現状を見れば、それが真っ赤な嘘であったことは自明の理である。この虚偽は国家犯罪に等しいといっても過言ではないだろう。これでは国際世界に顔向けできないし、海外からアスリートたちを招聘する資格はない。東京オリンピックは速やかに返上すべきであろう。なお、IOCはかつて浮上した国歌国旗廃止案を葬ってしまった。一橋大学スポーツ科学研究室、黒須朱莉氏の、この件に関する論文を下記リンク先からダウンロードして読むことができる。
IOCにおける「完全な国歌国旗廃止案」の消滅 1973-1974(PDFファイル 606KB)
オリンピック競技大会は、 個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない。 大会にはNOCが選抜し、IOC から参加登録申請を認められた選手が集う。選手は関係IFの技術面での指導のもとに競技する。と明記されている。さらに第5章56「表彰式、メダルと賞状の授与式」には「表彰式、メダルと賞状の授与式はIOCプロトコル・ガイドに忠実に従い催されるものとする。メダルと賞状のデザインはIOCに提出し事前の承認を得なければならない」とある。さらに同章57「入賞者名簿」には「IOCとOCOG は国ごとの世界ランキングを作成してはならない」とあるのである。つまりオリンピックは国家間の競争ではないから、開会式では国旗ではなく競技団体の旗を持って行進すること、さらに表彰式でも国旗掲揚、国歌演奏せよなんて書いてないのである。国旗、国歌が許されるのは閉会式だけで「優勝旗の掲揚に使用されてきた中央の旗竿の右側に立つ旗竿にギリシャの国歌の演奏にあわせてギリシャの国旗が掲揚される。つづいて、中央の旗竿に開催国の国旗が掲揚され、その間に開催国の国歌が演奏される。最後に、次期オリンピック競技大会の開催国の国旗がその国歌の調べにあわせて左側の旗竿に掲揚される」とあるのみである。
つまり現行のオリンピックは、一番肝心なところでオリンピック憲章を遵守していないのである。これは私ひとりが書いてどうなるというものではないが、現在のIOCは一旦解体、オリンピック憲章を守る組織を作り直すべきである。2020年大会の招致プレゼンテーションで安倍首相は「福島は完全にコントロールできている」と発言した。廃炉が未だに遅々として進まず、汚染水を垂れ流している福島原発の現状を見れば、それが真っ赤な嘘であったことは自明の理である。この虚偽は国家犯罪に等しいといっても過言ではないだろう。これでは国際世界に顔向けできないし、海外からアスリートたちを招聘する資格はない。東京オリンピックは速やかに返上すべきであろう。なお、IOCはかつて浮上した国歌国旗廃止案を葬ってしまった。一橋大学スポーツ科学研究室、黒須朱莉氏の、この件に関する論文を下記リンク先からダウンロードして読むことができる。
IOCにおける「完全な国歌国旗廃止案」の消滅 1973-1974(PDFファイル 606KB)
2016年8月22日
炎天下の六地蔵巡り
大善寺(京都市伏見区桃山町西山)
木造地蔵菩薩率像(クリックで拡大) |
2016年8月19日
2016年8月18日
古都祝奈良 - 時空を超えたアートの祭典
期 間:2016年9月3日(土)~10月23日(日)
主 催:奈良市・東アジア文化都市2016奈良市実行委員会
詳 細:http://culturecity-nara.com/kotohogunara/
主 催:奈良市・東アジア文化都市2016奈良市実行委員会
詳 細:http://culturecity-nara.com/kotohogunara/
2016年8月16日
紙の感触が読書の愉しみを増幅する
丸善京都本店復活一周年記念のブックカバー
丸善京都本店が8月21日で「復活一周年」を迎える。文庫本を一冊購入したら、ご覧のような記念ブックカバーをつけてくれた。安野光雅さんのイラストをあしらったもので、梶井基次郎の小説『檸檬』をイメージしたものである。アマゾンが上陸してからは、書籍、レコードはもっぱらネット通販で購入することが多かった。というのは、書店では現物がないことが多いからだ。もっぱら買うのは文庫本だが、例えば岩波文庫をちゃんと揃えている書店は少ない。京都市内の大型書店といえば、イオンモール大垣書店だが、自宅からはちょっと遠い。だから京都地区最大級の売り場面積を誇る、丸善京都本店の復活は有り難かった。一時アマゾンの電子書籍リーダーKindle導入を考えたこともあるが、海外に住むとか、長期旅行するとか、という状況は今の私には考えられないので、見送ったままになっている。紙の感触、それが読書の愉しみを増幅するのである。
2016年8月9日
天皇のメッセージが意味するもの
皇太子明仁親王と美智子妃の結婚祝賀パレード(1959年4月10日)
現在の明仁天皇といえば、カトリック系の聖心女子大学を卒業した民間人の正田美智子さんと結婚、所謂「ミッチーブーム」が社会現象になったことを思い出す。即位して28年の月日が流れたが、その天皇がビデオメッセージを公表した。8月7日夕、皇居内の御所で収録されもので、昨日の8日午後、各テレビ局が放送、ビデオとそのテキストファイルが宮内庁のホームページに掲載された。歴史的発言なので、私自身のための記録を兼ねてここに転載することにした。
※ 殯(もがり)とは、日本の古代に行われていた葬儀儀礼で、死者を本葬するまでのかなり長い期間、棺に遺体を仮安置し、別れを惜しみ、死者の霊魂を畏れ、かつ慰め、死者の復活を願いつつも遺体の腐敗・白骨化などの物理的変化を確認することにより、死者の最終的な「死」を確認すること。(ウィキペディア)
戦後70年という大きな節目を過ぎ、2年後には、平成30年を迎えます。各メディアはおおむね、天皇が「生前退位」の意向を滲ませたと報じている。しかし、それ以上の気持ちが込められているような気がする。というのは「象徴」という言葉が8回も繰り返され、しかも「天皇は国政に関する権能を有しません」と述べている。これは天皇が「元首」であると明記した、安倍政権の自民党憲法改正案を否定する言葉である。奇しくも東京都知事に就任した小池百合子氏が「帝国憲法復活」を主張する超右翼を特別秘書に抜擢したばかりである。さらに安倍首相は、内閣改造を行い、月刊誌「WiLL」2006年9月号で「靖国神社というのは不戦の誓いをするところではなくて『祖国に何かあれば後に続きます』と誓うところでないといけないんです」と公言した、これまた極右の稲田朋美氏を防衛大臣に入閣させた。大日本帝国憲法の「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」という条項の復活を、天皇が身を挺して拒否したのではないだろうか。そして「国民の理解を得られることを」と私たちに問いかけたのである。
私も80を越え、体力の面などから様々な制約を覚えることもあり、ここ数年、天皇としての自らの歩みを振り返るとともに、この先の自分の在り方や務めにつき、思いを致すようになりました。
本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。
即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。
そのような中、何年か前のことになりますが、2度の外科手術を受け、加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から、これから先、従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合、どのように身を処していくことが、国にとり、国民にとり、また、私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき、考えるようになりました。既に80を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。
私が天皇の位についてから、ほぼ28年、この間私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行なって来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。
天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。また、天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には、天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。
天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)※ の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き、その後喪儀に関連する行事が、1年間続きます。その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります。
始めにも述べましたように、憲法の下、天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。
国民の理解を得られることを、切に願っています。
※ 殯(もがり)とは、日本の古代に行われていた葬儀儀礼で、死者を本葬するまでのかなり長い期間、棺に遺体を仮安置し、別れを惜しみ、死者の霊魂を畏れ、かつ慰め、死者の復活を願いつつも遺体の腐敗・白骨化などの物理的変化を確認することにより、死者の最終的な「死」を確認すること。(ウィキペディア)
2016年8月6日
絶滅危惧種になりそうな氷旗の波千鳥
波千鳥の氷旗(京都市東山区東大路通松原上る)
千鳥がいない氷旗(金閣寺道) |
これは後撰和歌集に集録されている朝忠朝臣の恋歌である。白波の現れる浜にいる浜千鳥は、波に足跡が消されるので、あなたとの恋が跡形もなく終わることを示しているのでしょう。古来から千鳥は歌に詠まれてきたが、季節の鳥ではないのに関わらず、あらわれる千鳥はほとんどが冬。そして千鳥の季語が冬であることから、涼を呼ぶという意味で夏の意匠に使われるようになったという説がある。そういえば浴衣地にもこの文様に使われている。しかし氷旗との関係を結びつける資料は見つからない。それはともかく、千鳥を外し、波だけというデザインはいただけない。旗屋さんが伝統を忘れてしまったのだろうか? それともかき氷を売ってる店に、それを指摘する知識がないのだろうか? そういえば氷旗を扱っている通販サイトを覗くと、千鳥がついたもの、ないものの両方が見本として掲載されている。実に嘆かわしいことだ。些細なことかもしれないが、些細なことに拘ることが伝統を守るということではないだろうか。千鳥を配しないなら、いっそのこと、波も外した新しい氷旗のデザインをして欲しいと思う。白波の打ちいづるはまの浜千鳥 跡やたへぬるしるべなるらむ
波に千鳥の浴衣地
追記:Ryujiさんのコメントを基に「官許氷龍紋氷室」をキーワードにして検索したところ、下記史料に辿り着きました。現在の氷旗に近いデザインの旗の画像が掲載されています。感謝。(8月6日)
皆川重男編著『氷業史資料文献目録』昭和41年5月10日発行(限定100部・非売品・孔版印刷)
2016年8月1日
東京都民はトンデモナイ女性を知事にしてしまった
あの閃光が忘れえようか
小池百合子氏はPHP研究所の月刊誌『VOICE』2003年3月号での鼎談を、自らのウェブサイトで「日本有事3つのシナリオ」と題して掲載している。曰く「軍事上、外交上の判断において、核武装の選択肢は十分ありうるのですが、それを明言した国会議員は、西村真吾氏だけです。わずかでも核武装のニュアンスが漂うような発言をしただけで、安部晋三官房副長官も言論封殺に遭ってしまった」云々。東京都民はトンデモナイ女性を知事にしてしまった。1945年8月6日、広島に原爆が投下され、罪なき人々が殺されたことをお忘れか。
峠三吉 (著)『原爆詩集 』(岩波文庫)
八月六日峠三吉『原爆詩集』を7月15日、岩波書店が文庫化した。アーサー・ビナード氏は同書の巻末で「日本語で書かれた『戦後文学』の中から、もし最優秀詩集を一冊のみ選出するとなったら、ぼくは『原爆詩集』をノミネートしたいと思う」と書いている。アメリカ人が日本人を諭しているのである。ぜひ手に取って欲しい。
あの閃光が忘れえようか
瞬時に街頭の三万は消え
圧おしつぶされた暗闇の底で
五万の悲鳴は絶え
渦巻くきいろい煙がうすれると
ビルディングは裂さけ、橋は崩くずれ
満員電車はそのまま焦こげ
涯しない瓦礫がれきと燃えさしの堆積たいせきであった広島
やがてボロ切れのような皮膚を垂れた
両手を胸に
くずれた脳漿のうしょうを踏み
焼け焦こげた布を腰にまとって
泣きながら群れ歩いた裸体の行列
石地蔵のように散乱した練兵場の屍体
つながれた筏いかだへ這はいより折り重った河岸の群も
灼やけつく日ざしの下でしだいに屍体とかわり
夕空をつく火光かこうの中に
下敷きのまま生きていた母や弟の町のあたりも
焼けうつり
兵器廠へいきしょうの床の糞尿ふんにょうのうえに
のがれ横たわった女学生らの
太鼓腹の、片眼つぶれの、半身あかむけの、丸坊主の
誰がたれとも分らぬ一群の上に朝日がさせば
すでに動くものもなく
異臭いしゅうのよどんだなかで
金かなダライにとぶ蠅の羽音だけ
三十万の全市をしめた
あの静寂が忘れえようか
そのしずけさの中で
帰らなかった妻や子のしろい眼窩がんかが
俺たちの心魂をたち割って
込めたねがいを
忘れえようか!
峠三吉 (著)『原爆詩集 』(岩波文庫)
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