2014年11月29日

第40回2015JPS展作品募集

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主 催: 日本写真家協会
共 催: 東京都写真美術館
後 援: 文化庁・東京都

公益社団法人日本写真家協会(略称JPS)は全国に1,600名余りの会員を擁する職業写真家の団体です。協会の文化活動としての展覧会活動は、協会発足当時から始まっています。本協会創立の翌年1951年には「日本写真家協会 第1回展」を開催、1962年の第10回展まで行われました。同展は1976年に「JPS展」と名称を新たにし、1977年からは一般公開を開始、91年からは写真学生を対象とした「ヤングアイ」にまで規模を拡大し、東京、広島、名古屋、京都などで開催しています。一般公募では、文部科学大臣賞・東京都知事賞・金・銀・銅賞の他、奨励賞、優秀賞が与えられ、プロの写真家への登竜門となっています。

 第40回2015年JPS展応募要項(PDFファイル 567KB)

2014年11月27日

ブレボケ写真考

八坂神社(京都市東山区祇園町北側)
Harman TiTAN 4x5 Pinhole with Kodak Portra160

1970年代初頭に日本で「ブレボケ写真」と総称する手法が一世風靡したことがある。発端は1969年創刊の『プロヴォーク』で、中平卓馬や森山大道といった写真家たちがその旗手だった。極端に荒れた粒子、ピントがボケてブレた不鮮明な写真は、ウィリアム・クラインの影響を受けたものだった。写真史を少しバックすると、面白いことに鮮明な画像をを嫌ってピクトリアリスムが黎明期に生まれた。日本では野島康三が有名だが、1932年創刊の『光画』に写真評論家の伊奈信男が「写真に帰れ」を発表、ストレート写真が復活する。そしてさらにそれを否定したのが「ブレボケ写真」だったのである。私は1年ほど前から、三脚を使わずにピンホールカメラで撮影を始めた。ピンホールは口径が小さいので長時間露光が強いられる。だから一般には三脚を使って画面を固定する。手持ちで撮ると必然的に「ブレボケ写真」になる。しかし私自身の意識の中では1970年代のそれとは一線を画しているつもりだ。カラ―フィルムで撮ると色が混ざるので面白い。印象派の絵画のような写真が撮れたらと思っている。蛇足ながらブレの語源は英語のBlurで、霞んで見えるという意味。ボケは英語やフランス語などでもBokehと書き、似た発音をする。これは日本語から派生したものだろうと思われる。

2014年11月26日

おいしおすえ京野菜キャンペーン

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日 時: 2014年11月29日(土)10:30~16:30・30日(日)10:00~15:30
会 場: 京都府総合見本市会館(京都パルスプラザ)京都市伏見区竹田鳥羽殿町5番地
主 催: 京都府農林水産フェスティバル実行委員会

PDF  フライヤーの表示とダウンロード(PDFファイル 4.49 MBB)

2014年11月22日

ソニーのXperiaZ3がやって来た

Xperia・GALAXY・iPhone6のスペック比較(予約ゲット.com)

昨21日、ソフトバンクからソニーのスマートフォンXperiaZ3がリリースされたので、さっそく機種変更手続きをした。これで2年間お付き合いしたアップルiPhone5とはお別れになってしまった。先月半ばに当ブログにポストした「アップルiPhoneからソニーXperiaZ3に乗り換え」で触れたように、スマートフォンは私にとって電話が掛けられるウォークマンに過ぎない。だから「CDを超える音質のハイレゾ音源に対応」というキャッチフレーズにコロリと参ってしまったのである。MP3やAACなどの圧縮音源をハイレゾ相当の高音質にアップスケーリングするということなので、パソコンからMP3ファイルを転送して聴いてみた。良い音である。音質評価は主観に左右されるので、これ以上の言及は避けたい。ところで上図を見ると、XperiaZ3とiPhone6Plusのバッテリー容量が同じだということが分かる。筺体が大きいのでバッテリーも大きくできるという理屈だが、駆動時間が長くなると期待している。なおカメラ機能に関しては圧倒的画素数を誇り、しかもISO12800の高感度撮影ができるということなので、夜景のテスト撮影をしてみようと思っている。

2014年11月19日

自公90議席近くを失っても勝利という安倍晋三の戯言


解散、選挙である。来年10月に消費税率を10%に引き上げると判断すれば、景気がますます後退する。だから先送りを表明したが、アベノミクスの失敗と採られ兼ねない。閣僚の政治とカネに関する疑惑の発覚が止まらない。これらの杞憂をご破算にしたいというのが首相の本音だろう。ところでNHK電子版によると、衆議院選挙のいわゆる勝敗ラインについて「自民党、公明党の連立与党によって過半数を維持できなければ、3本の矢の経済政策、アベノミクスも進めていくことはできない。過半数を得られなければアベノミクスが否定されたことになるから、わたしは退陣する」と昨日の記者会見で首相は述べたそうだ。今やアベノミクスを持ち上げているのは、アベノプレス化した読売や産経新聞などだけであって、多くのの経済アナリストたちは失敗したと分析しているし、景気低迷の冷たい風を肌に感じているというのが偽りのない生活実感なのである。それに自民・公明両党で過半数である238議席以上の獲得を目指すというのだが、これは90議席近くを失っても勝利だと言ってるに等しい。ハードルを低くして保身を謀ろうとする魂胆、まさに黒星を重ねても綱を放そうとしない横綱のようなものだ。安倍晋三の一人相撲に付き合わされる愚かさを、ひたひたと感ずる。

2014年11月9日

キーラ・ナイトレイは何故トップレス写真を撮らせたのか

Keira Knightley by ©Patrick Demarchelier - Interview Magazine

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写真は米国の「インタビュー誌9月号」に掲載された英国の女優、キーラ・ナイトレイのトップレス姿である。ナイトレイが、写真を撮影したパトリック・ドゥマルシュリエにインタビューする、という構成になっている。つまりモデルが写真家に質問しているのである。フィルムとデジタル写真について、核心をついた興味深い応答をしている。このトップレス写真に関し、何故か最近になってネット上で話題になっている。例えば英国のガーディアン紙の11月7日付ブログで、ファッション担当編集者のモーウェナ·フェリアーは、フォトショップその他の画像処理によって加工されないことを条件に、ナイトレイがトップレスの撮影を許可した、という意味のことを書いている。というのは、2004年公開の歴史映画「アーサー王」のポスターを目にしたとき「これは私ではない」とショックを受けたことが、その伏線になっているようだ。左がそのポスターになったビフォー&アフター写真だが、確かに画像処理によって胸が膨らんでいる。つまり彼女はスレンダーな胸を公開することにより、フォトショッピングに反撃の矢を放ったのである。

2014年11月8日

誘われるままLinkedInのアカウントを取得した

Social Media Comparison Infographic 2014 (via Leverage)

私がアカウントを所有しているソーシャルメディアは、Facebook、Twitter、Google+、そしてPinterestだけど、一番利用しているのはFacebookである。ページを抱え、グループの管理人をしているので勢いそうなってしまった。あとはブログの更新情報を流す程度で、いわば幽霊会員といって良いかもしれない。そんな状況にも関わらず最近、知人に誘われるままLinkedInのアカウントを取得した。始めたばかりなのでコンタクトはごく少数、これからどうなるか不透明である。LinkedInの特長は上掲インフォグラフィックで分かる通り、アメリカのビジネス上ではごく当たり前に使われているツールであり、LinkedInを通して企業のHRはヘットハンティングをも行うそうだ。企業紹介ページによると、本社をカリフォルニア州マウンテンビューに置き、世界各国の主要都市にオフィスを構えているという。現在32の言語で利用でき、会員数は3億3200万を超えているが、日本の会員数は約300万で、約2100万のFacebookと比べると桁違いに少ない。それでも1年前は僅か約80万人だったことを思えば、かなり注目を浴びてきた感じはする。この辺りは昨年の記事だが、ビートラックスの「なぜ日本では流行らない? 米国ビジネス上欠かせないLinkedIn」を読むと面白い。なお、下記リンクボタンをクリックすると私のプロフィールページにジャンプする。

LinkedIN  My profile on LinkedIn

2014年11月7日

トイ・ストーリー4がやって来る

バズ・ライトイヤーとウッディ

ディズニーのファンクラブ「D23.com」によると、ディズニー社は人気アニメ映画「トイ・ストーリー4」を制作し、3年後の2017年6月16日に公開するという。監督はジョン・ラセター、脚本はラシダ・ジョーンズとウィル・マコーマックが担当する。第1作がアメリカで公開されたのは1995年だが、翌年私はそれをを映画館で観た。フルCGの3Dアニメーションという興味からで、技術面に目を奪われ、肝心のストーリーをすっかり忘れていたが、後に3作のDVDを購入、仔細を観察、理解できた。第3作では大学生になったアンディから玩具好きの女の子ボニー・アンダーソンにウッディやバズ・ライトイヤーを預ける。これはピクサーのCEOだったスティーブ・ジョブスの息子リードが高校を卒業したこととオーバーラップする。この3部作はジョブスが大事に温めていたもので、最後は大きくなったアンディが実家を離れ、大学に進学するというものだった。だから続編制作はジョブスの遺志に反するし、まさか続編が作られるとは思っていなかったが、果たしてどんなストーリーになるのだろうか。写真は我が家にある実物大フィギュアである。

2014年11月6日

メトロポリタン美術館が400,000余りの画像をオンライン公開


ニューヨークのメトロポリタン美術館が、非営利目的ならダウンロードし使用することができる、400,000余りの高解像度デジタル画像をオンライン公開した。レンブラントが1660年に描いた自画像の12メガピクセルの画像から、おおむね2世紀にまたがる18,000以上の写真に至るまで、アーカイブされた画像をダウンロードできる。下記メトロポリタン美術館のロゴをクリックすると当該ページに移動する。

 http://www.metmuseum.org/collection/the-collection-online

2014年11月5日

エボラ出血熱に対し渡航制限などの措置をした国々

Ebola virus: Countries with travel restrictions in place
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朝日新聞11月1日付電子版によると、カナダ政府は10月31日、エボラ出血熱が大規模に流行している国に滞在していた人を対象にビザの発給を停止すると発表。先進国では、オーストラリアに続く2カ国目の措置とみられるという。WHO(世界保健機関)が「渡航禁止が防御の有効な手段であることを示す証拠はない」と、オーストラリア政府の対応を批判したばかりだった。上掲の地図はCNN11月4日電子版に掲載されたもので、渡航制限などの措置をした国々を図示している。11月3日にインターナショナルSOSが公表したデータを元に作成したという。詳細は下記ボタンをクリック、リンク先を参照していただきたい。

International SOS  Travel restrictions, flight operations and screening. Nov. 03, 2014 14:54 GMT

2014年11月2日

東京藝術大学教授を退任する河北秀也さんの回顧展

河北秀也「空想の惑星で」(iichikoのボスター)2013年

帰らざる傘(1976年)
河北秀也さんの「東京藝術大学退任記念・地下鉄10年を走りぬけて・iichikoデザイン30年展」が今月13日(木)から26日(水)まで、東京藝術大学大学美術館で開催されることを知った。2003年から務めた東京藝術大学美術学部教授の退任を記念して行われる同展で、これまでに手掛けてきた作品の数々を展示、「人間の幸せという大きな目的のもとに、創造力・構想力を駆使して私たちの周囲に働きかけ、様々な関係を調整する行為がデザインである」を活動理念に掲げる河北の作品世界を探るという。河北さんといえば出世作、東京地下鉄の路線図、そして旧東京営団地下鉄のマナーポスターが思い出される。マリリン・モンローの映画ポスターのパロディ「帰らざる傘」や、同じくチャーリー・チャップリンの「独占者」など、数々の傑作が今でも脳裡に強烈に残っている。一世風靡したシリーズで、1982年まで続いた。地域が限定されていたし、時代が遡るので、一連のポスターを知らない人も多いだろう。しかし全国の駅に現在貼られている大分県宇佐市の焼酎「いいちこ」のポスターと言えば「ああ、あれか」と頷く人が多いのではなかろうか。河北さんが企てた焼酎「いいちこ」の商品企画で、醸造元は売り上げを伸ばし、日本蒸留酒ランキング第1位に押し上げたという。そのポスター展が2008年4月に大阪であり、そのあたりのエピソードをいろいろ聞いて大いに感心したことが思い出される。九州の名もなき焼酎メーカーの社長さんが、地下鉄ポスターの評判を知り、河北さんを訪ねたらこう言われたそうである。「宣伝部を作らないことを約束してください」と。そのような中間部署のスタッフは必ず邪魔になるという。つまり「商品の写真が小さい」などということを会社の上層部に進言する。

独占者(1976年)
するとそれがデザインの現場に圧力となって跳ね返ってくるというのだ。そういえば浅井慎平さん撮影の焼酎の瓶は小さい。一連のポスターは海外で撮影されているそうだ。人々はポスターの風景を見て安堵し癒される。それは日本の景観が破壊され、余りにも悪化してしまったことへのアンチテーゼだという。「美術や音楽は、個人的自己表現を通 じて個性を世の中に対峙させ、人心の変革を迫るものであるが、デザインは世の中に対して直接的に変革のプログラムを提出する」と彼は強調する。1980年代半ば、ある雑誌のために2回ほど河北さんと仕事をしたことがある。その時「写真は素材である」と強調していたのが印象的だった。私は彼の指示で猫の写真を撮った。まさにそれは「部品」としての写真で、最終的には合成によって猫がパソコンのキーボードを叩いてる画像になった。それは無論、広告写真ではなかったが、広告業界というのはデザイナーがカメラマンの上に立つ司令官なのかと思ったものである。著書『デザイン論』では「料理でもいい素材を使うかどうかがおいしさのキメ手であると同様、素材は重要である」と続く。さらに「デザインはある意味で個人的な創作活動ではない」と主張、「問題は表現手段や発表の方法ではないのである。絵画も、精神的豊かさと 金銭的豊かさを同時に求め出したことで失敗しかかっている。軽文化として軽蔑されてきた分野にチャンスが巡ってきた時代に煽られずに、自分なりの表現手段を信じてやれば、この混沌の中では充分開花できる可能性がある」というのだ。 一緒に仕事をした当時、私はこの点を理解していなかったようだ。