河北秀也「空想の惑星で」(iichikoのボスター)2013年
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帰らざる傘(1976年) |
河北秀也さんの
「東京藝術大学退任記念・地下鉄10年を走りぬけて・iichikoデザイン30年展」が今月13日(木)から26日(水)まで、東京藝術大学大学美術館で開催されることを知った。2003年から務めた東京藝術大学美術学部教授の退任を記念して行われる同展で、これまでに手掛けてきた作品の数々を展示、「人間の幸せという大きな目的のもとに、創造力・構想力を駆使して私たちの周囲に働きかけ、様々な関係を調整する行為がデザインである」を活動理念に掲げる河北の作品世界を探るという。河北さんといえば出世作、東京地下鉄の路線図、そして旧東京営団地下鉄のマナーポスターが思い出される。マリリン・モンローの映画ポスターのパロディ「帰らざる傘」や、同じくチャーリー・チャップリンの「独占者」など、数々の傑作が今でも脳裡に強烈に残っている。一世風靡したシリーズで、1982年まで続いた。地域が限定されていたし、時代が遡るので、一連のポスターを知らない人も多いだろう。しかし全国の駅に現在貼られている大分県宇佐市の焼酎「いいちこ」のポスターと言えば「ああ、あれか」と頷く人が多いのではなかろうか。河北さんが企てた焼酎「いいちこ」の商品企画で、醸造元は売り上げを伸ばし、日本蒸留酒ランキング第1位に押し上げたという。そのポスター展が2008年4月に大阪であり、そのあたりのエピソードをいろいろ聞いて大いに感心したことが思い出される。九州の名もなき焼酎メーカーの社長さんが、地下鉄ポスターの評判を知り、河北さんを訪ねたらこう言われたそうである。「宣伝部を作らないことを約束してください」と。そのような中間部署のスタッフは必ず邪魔になるという。つまり「商品の写真が小さい」などということを会社の上層部に進言する。
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独占者(1976年) |
するとそれがデザインの現場に圧力となって跳ね返ってくるというのだ。そういえば浅井慎平さん撮影の焼酎の瓶は小さい。一連のポスターは海外で撮影されているそうだ。人々はポスターの風景を見て安堵し癒される。それは日本の景観が破壊され、余りにも悪化してしまったことへのアンチテーゼだという。「美術や音楽は、個人的自己表現を通 じて個性を世の中に対峙させ、人心の変革を迫るものであるが、デザインは世の中に対して直接的に変革のプログラムを提出する」と彼は強調する。1980年代半ば、ある雑誌のために2回ほど河北さんと仕事をしたことがある。その時「写真は素材である」と強調していたのが印象的だった。私は彼の指示で猫の写真を撮った。まさにそれは「部品」としての写真で、最終的には合成によって猫がパソコンのキーボードを叩いてる画像になった。それは無論、広告写真ではなかったが、広告業界というのはデザイナーがカメラマンの上に立つ司令官なのかと思ったものである。著書『デザイン論』では「料理でもいい素材を使うかどうかがおいしさのキメ手であると同様、素材は重要である」と続く。さらに「デザインはある意味で個人的な創作活動ではない」と主張、「問題は表現手段や発表の方法ではないのである。絵画も、精神的豊かさと 金銭的豊かさを同時に求め出したことで失敗しかかっている。軽文化として軽蔑されてきた分野にチャンスが巡ってきた時代に煽られずに、自分なりの表現手段を信じてやれば、この混沌の中では充分開花できる可能性がある」というのだ。 一緒に仕事をした当時、私はこの点を理解していなかったようだ。
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