2011年3月18日

早春のメリークリスマス

見覚えがある筆記体のスネークメール(通常郵便)が届いた。ケンタッキー・ジムからの便りだ。懐かしい。どうやらネット検索して私の住所が分かったらしい。沖縄で出会ったこと、我が家を訪ねてくれたこと、アメリカで再会したこと、そして世界旅行に旅立ち私と音信不通になたったことなどが綴られている。私も東京から京都に転居、彼の住所を紛失していた。キャビネサイズの写真が同封されていて、それは去年のクリスマスカードだった。一家が写ってる写真を取り敢えず私に見せたかったのだろう。息子のジェイコブ君はウィスコンシン州のベロイト大学の最終学年在学中だそうで、何とコメディアンの卵、ホームページを持っているという。へーっ、こんな大きな息子さんがいたのかと驚く。ジムも白いヒゲ、年月の急流を痛感する。

海洋博があった1975年、私はフレームザックを肩に沖縄の島々を巡った。途中、本島北端の国頭村奥の民宿でふたりの米兵と知り合いになった。聞けば休暇でスキューバダイビングに来たという。そのひとりがジムで、ベトナムからの負傷兵の看護が仕事のようだった。どうやら前線で精神の病に冒された兵士のメンタルヘルスケアが任務のようだったが、詳しいことは語りたくない様子だった。翌年、兵役を終えた彼は帰国途中新宿の我が家に滞在、そして故郷ケンタッキー州ルイヴィルに戻った。その年はジミー・カーターが大統領に選ばれた年だったが、選挙期間中の秋、思うことがありワシントンDCを出発点に、東南部グレイハウンドバス旅行をした。カリフォルニア州ロングビーチで購入したフィドルが旅の友だった。ジムの家の地下室にしばらく寄宿したが、古きアメリカの伝統的家庭生活を垣間見たような気がしたものである。


Greyhound Bus 1976
Rolleiflex2.8F Planar80mm Tri-X

ケンタッキーといえばブルーグラス音楽を思い出すが、ブルーグラスは同州のニックネームである。青草は馬の飼料だが、ルイヴィルはケンタッキーダービーで知られている。その競馬場を訪れたのは無論だが、ジムのお陰で山奥の修道院その他を見学、知らぜらるアメリカの断面に触れることができた。彼の家を辞した私は、アラバマ州アテネ大学で毎年開催される伝統的なフィドル弾きの大会 Tennessee Valley Old Time Fiddlers Convention に出場した。しかしバス旅行に疲れた私は、当初計画して大陸横断を断念、テキサス州ダラスで飛行機に飛び乗り、西海岸に戻った。そのジムと手紙のやりとりが何回続けた。寄宿中にに紹介されたクレールさんはまだ学生だったが、その後ふたりは結婚、その写真が届いたことも今回思い出した。少なくとも30年以上の断絶を破る便り、不覚にも目頭が熱くなってしまった。Emailに慣らされた昨今、久しぶりにペンを取って返信を書いた。東北、関東地方が物凄い地震、津波に襲われたが、私は京都に住んでるから大丈夫だと。

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