2023年11月9日

ニューヨークのアパートの窓から四季の移り変わりをなどを撮影したルース・オーキン

Card Players
The Card Players, New York, 1947
Ruth Orkin

ルース・オーキンはフォトジャーナリストであり、映画製作者だった。オーキンは1921年9月3日、マサチューセッツ州ボストンでサイレント映画女優のメアリー・ルビーとオーキンクラフトというおもちゃのボートを製造していたサミュエル・オーキンの間に生まれた。彼女は1920年代から1930年代の全盛期のハリウッドで育った。10歳の時に39セントのユニベックスをプレゼントされ、被写界深度の浅いコンパクトな折りたたみ式カメラで、学校で友人や先生を撮影することから始めた。14歳のとき、オーキンは1ドルのベイビー・ブラウニーに乗り換えた。しかし、初めて「本物の」カメラ、中判のパイロット6一眼レフ(なんと16ドルで購入!)を購入したのは16歳の時で、1939年の万国博覧会を見るために、ロサンゼルスからニューヨークまでアメリカ横断の記念碑的な自転車旅行に出かけ、その道中を撮影した。彼女はすぐに35mmに移行し、コダック・インスタマチックやニコンFなど、いくつかの異なるバリエーションを使用したが、キャリアの大半はより小さなフィルムフォーマットを好んだ。1943年にニューヨークに移り、ナイトクラブのカメラマンとして働きながら、昼間は赤ちゃんの写真を撮り、初めてプロ用のカメラを購入した。1940年代には主要な雑誌の仕事をこなし、夏にはタングルウッドに通って音楽祭のリハーサルを撮影した。

 Teargas Drill
WACs in Training, Teargas Drill, Ohio, 1950

アイザック・スターン、レナード・バーンスタイン、アーロン・コープランド、ヤッシャ・ハイフィッツ、セルゲイ・クーセヴィツキーなど、当時世界で最も偉大な音楽家の多くと仕事をすることになった。1951年、グラフ誌『LIFE』が彼女をイスラエル・フィルハーモニー管弦楽団とともにイスラエルに派遣した。その後、オーキンはイタリアに渡り、フィレンツェで、"American Girl in Italy "(イタリアのアメリカンガール)の被写体となった、美大生で同じアメリカ人のニーナ・リー・クレイグと出会った。

American Girl
An American Girl, Florence, Italy, 1951

この写真は、戦後のヨーロッパを女性一人で旅する彼女たちが遭遇したものについて、当初『一人旅を恐れないで』と題されたシリーズの一部であった。 ニューヨークに戻ったオーキンは、写真家で映画監督のモリス・エンゲルと結婚。1953年にアカデミー賞にノミネートされた名作『小さな逃亡者』を含む2本の長編映画を共に制作した。オーキンは1970年代後半にスクール・オブ・ビジュアル・アーツで、そして1980年にはインターナショナル・センター・オブ・フォトグラフィーで写真を教えた。

View From My Window
The View From My Window at 53 W. 88, NYC, 1952

セントラルパークを見下ろすニューヨークのアパートの窓から、オーキンはコンサート、マラソン、パレード、デモ、四季の移り変わりの美しさなどを撮影した。これらの写真は "A World Through My Window"(私の窓からの世界)と "More Pictures From My Window"(私の窓からのその他の写真)という2冊の本の題材となり、広く称賛された。ガンの長い闘病生活の後、1985年1月16日、オーキンは窓の外に広がるセントラルパークを眺めながら、彼女が残した素晴らしい写真遺産に囲まれ、アパートで息を引き取った。

Central Park
Central Park South Silhouette, NYC, 1955

2023年のベルリン映画祭では、マーティン・スコセッシ監督やティルダ・スウィントンら国際的な映画監督や俳優たちに「映画における青春」をテーマにした作品の中から個人的に好きな作品を選んでもらい、回顧上映部門の作品を発表した。ウェス・アンダーソン監督は、ルース・オーキン、モリス・エンゲル、レイ・アシュレイが共同監督した『リトル・フュージティブ』を選んだ。オーキンは、1953年にヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞を受賞したこの作品の編集も担当した。

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2023年11月5日

パレスチナ人政治風刺画家モハマド・サバーネ作品集

self‐portrait

モハマド・サバーネは1978年、ヨルダン川西岸のパレスチナ自治区チェニーンで生まれた。2002年より政治風刺画家として活動、チーヴニング奨学生としてイギリスの UCA 芸術大学でイラストレーションの修士号を取得した。Al-Etehad、Al-Quds Al-Arabi、Al-Ghad Al-Ordoni、Al-Akhbar Al-Lubnanieh など多くのアラビア語新聞で作品を発表し、現在はパレスチナの新聞社 Al-Haya Al-Jadejaで活躍している。国際風刺画運動のメンバーでもあり、多くのグラフィック賞を受賞。また、イギリス、スペイン、ワシントンで個展を開催したほか、ベルリン、ノルウェー、オランダ、ジュネーブ、カタール、シリアで開催された多くの国際展に参加した。スペインのバスク県アキッツォ大学、イギリスのアトランティック・カレッジ、ニューヨークのビジュアル・アート・スクール大学、ノースカロライナ大学、シアトル大学、エクセター大学などで風刺画の講義を行った。また、多くの国際的なリーフレットや書籍にも参加。彼は諷刺画という芸術を聴覚障害者の生徒たちに用い、彼らが複数の対話言語を使って自分の感情を表現できるよう手助けし、イスラエルによる暴行を目撃した子どもたちを心理的に手助けした。サバーネは批判的思考を養うために子供たちに特化した多くのワークショップにも参加した。アメリカ議会図書館が彼の原画を所蔵している。ジョージタウン大学は彼の風刺画を科学研究に活用している。2017年、サバーネはパレスチナの影響力のある知識人の若手人物として、ニューヨークの国連ビルにパレスチナ代表として招待された。2017年4月にジャストワールドブック出版社を通じて彼の最初の本がアメリカで出版された。同年に国際エスタークフェスティバル一等賞を受賞し、イギリスのアル・サキ出版社が彼の本を出版した。2018年にエジンバラブックフェスティバルに参加、最近、著書がスペイン語とカタロニア語で出版された。

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2023年11月3日

矢が突き刺さったコウノトリが鳥の渡りについて教えてくれたこと

Pfeilstorch
Pfeilstorch was a White Stork that changed our understanding of migration

1822年の春、ドイツのメクレンブルク=フォアポンメルン州クリュツ村にコウノトリが飛来し、村の人々を騒然とさせた。この種は夏の間、ヨーロッパ全土を飛び回るのが普通だが、この鳥が地元の地主の敷地に舞い降りたとき、何かが際立っていたのである。具体的には、30インチの矢の穂先が首筋を垂直に突き刺していたのだ。コウノトリの遺体はロストック大学の動物学コレクションに収められ、植物学者のハインリヒ・グスタフ・フレーケが調査を行った。その矢は「太い鉄の先端に筋がついている」もので「非常にきめの細かい熱帯産の木」であったことから、この鳥は「上ナイル地方」(現代のスーダン)で越冬中に刺された可能性が高いと結論づけられた。現在この鳥の剥製は Pfeilstorch(ファイルシュトルヒ「矢のコウノトリ」の意味)として知られ、クルッツ村のボートマー城に展示されている。これは最も有名な例ではあるが、矢の破片を身につけたコウノトリはこの鳥だけではないようで、おそらく20数羽が観察されている。鳥の移動は何世紀にもわたって人々を困惑させてきた。先住民のコミュニティは鳥の移動にまつわる豊かな伝承を育んできたが、鳥がどこに行き、なぜ移動するのかを正確に知ることは、古代においてはほとんど当てずっぽうであった。紀元前4世紀には、アリストテレスが「鳥はスキタイの草原からエジプトの南の湿地帯に移動する」という仮説を立て、イランからのツルの移動に言及している。しかし、具体的な証拠がないため、鳥が湖底で冬眠し、月のかなたまで旅をするという神話は、ファイルストルヒが登場するまで続いた。ロストックのファイルシュトルヒは、鳥類による長距離移動の最初の具体的な証拠と考えられているが、鳥類の専門家であるスコット・ワイデンソールは、一夜にしてこの現象の理解が変わったわけではないと言う。「必ずしも "ハッ" とする瞬間があったわけではなく、多くの発見が少しずつ積み重ねられてきたのです」と彼は言う。渡りに関する直接的な知識は、多くの鳥が冬を過ごす南半球をヨーロッパ人が探検するにつれて増えていった。また、イギリスの博物学者ヘンリー・ベイカー・トリストラムのように、鳥類に詳しい地元の人々から学んだ旅行者もいた。

Bothmer Castle
Children explore arrow stork in the Bothmer Castle, Klütz, Germany

19世紀半ばにサハラ砂漠を探検したトリストラムは「原住民はツバメの渡りの事実をよく知っている」と記録している。現地での観察に加え、鳥が遠く離れた別の場所で過ごしていることを研究者たちが知る強力な手がかりとなったのは、ファイルシュトルヒのおかげである。ヨーロッパで普及した独自のコード化されたアルミニウムのリングを使用することで、科学者たちは個々の鳥を追跡し、毎年何羽が戻ってくるかを理解することができるようになった。アメリカでは Bureau of Biological Survey(生物学的調査局)は、アメリカ全土に鳥類標識の装着を拡大し、渡り鳥の飛翔経路の考え方を確立するのに役立った。19世紀末には、夜間飛行時の鳴き声の録音から、鳥類は主に夜間に移動し、群れを維持するためにさまざまな鳴き声を発することが証明された。さらに最近では、衛星と無線追跡技術によって、鳥がどこに行き、どのように移動するのか、より詳細に理解できるようになった。「鳥類が一般的に冬を暖かい気候の地域で過ごすというのはひとつのことですが、特定の鳥類がどこに行くかを知ることはまったく別のことです」とワイデンソールは言う。ファイルシュトルヒは、鳥が旅の手がかりを持ち運ぶことができる初期の非常にわかりやすい例であったが、科学の進歩に伴い、より微妙なヒントが他にも見つかっている。1979年の研究では、研究者たちはヨーロッパのマーシュ・ウグイスの鳴き声から、アフリカ南東部で越冬中に出会ったと思われる45種のアフリカの鳥の鳴き声を特定した。安定同位体分析のような技術は、鳥が旅の途中で拾う化学的なサインを解読することで、私たちの知識をさらに発展させた。現在では、鳥の腸内細菌叢が旅の途中でどのように変化するかを追跡することもできる。ファイルシュトルヒはヨーロッパの鳥の渡りを理解する上で極めて重要であった。渡りが理解される以前、人々はコウノトリやツバメのような鳥が毎年突然姿を消すことを説明するのに苦労していた。渡りの他にも、他の種類の鳥やネズミに変身したり、冬の間水中で冬眠したりするという説もあり、そのような説は当時の動物学者にまで広まっていた。 特に「矢のコウノトリ」は鳥が越冬地まで長距離を移動することを証明したのである。まお下記リンク先のオーデュボン協会の記事では、コウノトリに刺さっていたのは槍と説明している。しかし長さを含めた形状から弓矢と判断した。頭上、例えば枝に止まっていたコウノトリを、下から狙ったのではないだろうか。

Audubon Society  What This Gruesome Stork Taught Us About Bird Migration | National Audubon Society

2023年11月1日

イスラエルの首相ベンヤミン・ネタニヤフの風刺画集

SWAH
Mahmoud Rifai
Sanouni Imad
Mohammad Sabaaneh
Sherif Arafa

イスラエル・パレスチナ戦争の最中、イスラーム原理主義過激派軍事組織ハマースが実効支配するガザ地区への激しい攻撃が続き、子供を含めた多数の住民が犠牲なっている。国際世論の強い批判にも関わらず、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は「ハマースとの停戦には応じない」と述べ、攻撃の手を緩めない姿勢を続けている。今まさにジェノサイド(大量殺戮)前夜の様相を呈しているようだ。第二次世界大戦中のナチスによるホロコーストにより、ユダヤ人が大量虐殺されたが、その末裔であるユダヤ人の保守勢力がガザ地区のパレスチナ人を殺そうとしているのである。これに対し世界各地では大規模な抗議デモが行われている。オランダのアムステルダムを本拠地にした、政治風刺画の国際ポータルサイト Cartoon Movement にも連日イスラエルを批判した作品が寄稿されている。ネタニヤフ首相の風刺画5点を抜粋して掲載することにした。

cartoon movement  A global platform for editorial political cartoons and comics journalism | Cartoon Movement