ノルウェー国営放送 NRK によれば、ノーベル平和賞受賞者のマリア・コリーナ・マチャドは授賞式に間に合わなかったが、ドナルド・トランプの助けを借りてベネズエラを脱出、オスロに到着した。ノーベル賞受賞者が宿泊するグランドホテルのバルコニーから群衆に手を振り、人々と共にベネズエラ国歌を歌った。1901年にアルフレッド・ノーベルの遺言に基づき設立されたノーベル賞は、平和に関して「人類の利益のために最も多く、あるいは最も優れた貢献をした個人または団体」に毎年授与されることになっていた。しかし、創設当初から、その基準の解釈はノルウェー委員会に委ねられており、その決定は、特に政治的にデリケートな問題において、繰り返し論争を巻き起こしてきた。この歴史は、「平和の基準」がこれまで明確な定義を持たなかったこと、そして今日の「平和のための努力」の政治的解釈が賞の本来の意味を失わせていることを示している。アウン・サン・スー・チーからシーリン・エバディ、そして現受賞者のママチャドに至るまで、受賞者のリストを見れば、その基準がますます政治的かつ権力主導的になっていることが分かる。これらの選出は、真に制度化された平和を称賛するよりも、過激で政治化された、さらには軍事的な行動を正当化することの方が多かったのである。実のところ、彼らは平和そのものではなく、戦争を通して平和を求めた人々なのである。そして、そのような平和に真の意味は決してあり得ません。実際「戦争による平和」が意味のあるものとして受け入れられるならば、もはや人間的または道徳的な平和などというものは存在しないことになる。いわゆる「平和」という称号と、この賞を受賞した人々の行為との間には、明らかな矛盾の例が無数にある。
ミャンマーの名家出身のアウン・サン・スー・チーは、亡命生活や自宅軟禁生活の間も長らく非暴力抵抗の象徴として認められ、1991年にノーベル賞を受賞した。しかし、政権を握った後、同氏の政権によるラカイン州での軍や武装集団による暴力やロヒンギャ危機への対応は、国際社会から広く報道されるようになった。国連事実調査団(2018年)は、広範囲にわたる人権侵害とそれに対する軍の役割を記録した。これは、かつて平和の擁護者として称賛されていた人物にとっては歴史的な汚点であり、苦い皮肉である。かつて非暴力闘争の象徴であったスー・チーは、後にロヒンギャ少数民族に対する政府の行動と国家弾圧への共謀を非難された。彼女の経歴は根本的な疑問を提起する。大量迫害と人権侵害に対し、結局のところ弱腰で、あるいは協調して行動した人物や政府に、どうして「平和」というレッテルを貼ることができるのだろうか? もう一つの例は、1973年のノーベル平和賞を受賞したヘンリー・キッシンジャーである。彼の選出は即座に激しい非難を引き起こした。批評家たちは、ベトナム戦争を長期化させて多数の民間人の犠牲を招いた政策の責任をキッシンジャーに負わせ、ノーベル委員会の委員2名が抗議して辞任した。この歴史的な事例は「非伝統的な平和」の教科書的な例であり、ノーベル平和賞の信頼性を損なったのである。バラク・オバマもまた、その好例だ。2009年の受賞は、実績ではなく、意欲と希望に対して与えられた「前払い賞」と評された。多くの人は時期尚早だと考え、その後、オバマ政権の軍事政策と外交政策の実績は、具体的な成果を期待していた人々から批判を浴びた。
アメリカ政府の報告でさえ、オバマ政権はジョージ・W・ブッシュ政権以来最多の軍事作戦を指揮した。これは、オバマ政権の平和的な言辞と現実世界での行動が根本的に矛盾していたことを物語っている。シーリン・エバディについてでだが、彼女の選出は純粋に政治的なものであり「平和」というレッテルを都合よく利用したものだと多くの人が主張している。批評家は、彼女のその後の立場やイランへの侵略的介入の擁護は、真の非暴力の模範というよりも、むしろ対立の擁護者寄りになっていると指摘している。近年、ドナルド・トランプの名前がノーベル平和賞の候補として様々な個人や団体から挙げられているが、これは真剣というよりむしろ荒唐無稽な提案に思える。「地球温暖化の仕掛け人」と呼ぶべき人物が、自らを「平和の大統領」と称しているのだ。彼と彼の取り巻きが彼をそのように位置づけようと粘り強く努力したにもかかわらず、その賞は今や意味を失い、依然として彼の手には入らなかった。かつてかのマハトマ・ガンジーが平和と非暴力抵抗の象徴であったこの世界で、国際的な放火犯が自らを平和の象徴として描き、ノーベル平和賞の影に自らの残虐行為を隠すような状況にまで至っている。かつて反植民地主義と非暴力抵抗の象徴であったこの賞は、今日の地政学的なパワーゲームを正当化する道具となってはいないだろうか。歴史的にも現代的にも、政治的利害、国家からの圧力、そして戦略的な計算がノーベル委員会の決定をしばしば覆い隠し「平和」という概念そのものが空虚で真実味を欠いたものにしてきたことは明らかである。下記リンク先は1901年から2025年までのノーベル平和賞受賞者一覧で、個人112名、団体 31 組織となっている。
All the Nobel Peace Prizes between 1901 and 2025, 112 individuals and 31 organisations


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