2025年10月26日

直面する不正義と対峙するパレスチナ系オランダ人写真家サキル・カデルの眼差し

Beita
Beita, Nablus, West Bank of the Jordan River, Palestine, 2021
Sakir Kadel

サキル・カデルは1990年11月25日、フラールディンゲンで生まれたパレスチナ系オランダ人ドキュメンタリー写真家である。ヨルダン川西岸地区にあるジェニン難民キャンプ(現在は都市化している)での生活を捉えた写真シリーズに対し、2023年にオランダで最も権威のあるフォトジャーナリズム賞であるシルバーカメラ賞を受賞した。審査員は彼の作品を「写真の質と感情的なインパクトにおいて傑出している」と評価した。アメリカの作家スーザン・ソンタグは、2003年のエッセイ『他者の痛みについて』の中で「1839年にカメラが発明されて以来、写真は死と隣り合わせだった」と述べている。ソンタグの最後の著書となる本書は、戦争におけるイメージ形成の役割をより広く考察し、カメラの背後にいる人物、特に極限の恐怖を描いた場面で果たす役割を綿密に検証している。パレスチナ系オランダ人写真家サキル・カデルのでの展覧会では、イスラエル占領の残虐性の特定の側面が強調されており、ソンタグの言葉の重みが改めて問われる。特にアムステルダムの写真美術館 フォーム の展覧会の制作に役立ったのは「残虐な映像に心を奪われましょう。映像は語りかけています。人間にはこんなこともできるのだ、と。忘れないで」という一節である。この感情は、事実上、証言への行動への呼びかけであり、カデル初の組織的展覧会 "Yawm al-Firak"(分離の日)にも反映されている。

Beita, Nablus
Beita, Nablus, West Bank of the Jordan River, Palestine, 2021

この作品は、ヨルダン川西岸で殺害された7人の若者と、その死を嘆き悲しむ母親たちの物語を前面に押し出している。カデルは2021年から2024年にかけてジェニンとナブルスを訪れ、彼らと親交を深めた男女たちと交流した。「それらは私にとって主題ではない」「彼らは人間であり、友人です。私は彼らの心の中を覗き込み、繋がりを持とうとします。そして、まさにその瞬間を写真に撮りたいのです」と彼は明言する。フォームで展示された写真の多くは白黒で撮影されており、モノグラフ "Dying to Exist"(存在するために死ぬ)に初めて掲載された。このモノグラフでは、赤ちゃんの写真やポラロイド写真を含む500点の写真を通じて、ジェニン難民キャンプで暮らすパレスチナ人の日常生活の厳しさが強調されている。

mothers
The mothers of the Martyrs, Jenin refugee camp, 2023

アムステルダムにあるフォーム写真美術館のキュレーター、アヤ・ムサは「カデルのカメラは証人とツールの両方の機能を果たし、パレスチナをリアルタイムで記録します」「彼の作品は単なる出来事の記録ではなく、不在、喪失、そして記憶との対峙なのです」と語る。「アヤは私にとって兄貴のような存在です」「だからフォームとの仕事はとても心地よかったんです。西洋の美術館なので、最初は戦いになるんじゃないかと不安でした。こんな視点で展覧会を見るのは、一体何回あるでしょうか?」と写真家は、このコラボレーションが展覧会にどのような影響を与えたかを振り返りながら述べている。

Jenin
Jenin Refugee Camp, West Bank of the Jordan River, Palestine, 2023

ヨーロッパやアメリカの無数の美術館やギャラリーが、パレスチナの自由を支持するアーティストたちの活動を封じ込めている今、この展覧会の意義は一層高まっている。カデル自身も、今回の展覧会への招待は、マグナム・フォトからの推薦による副産物でもあると考えている。昨年7月、彼は1947年に パリで設立された歴史ある写真エージェンシー、マグナム・フォトにパレスチナ系写真家として初めて選出されたのだ。サキル・カデルは「マグナムの一員になれたことは本当に光栄ですが、私が見ている世界、私が歩いている世界は、ほとんどのマグナムの写真家のそれとは違っているので、これは彼らにとっても勝利です」とカデルは、自身の中東出身のアイデンティティに触れながら言う。

Refugee Camp
Jenin Refugee Camp, West Bank of the Jordan River, Palestine. 2023

そして「例えば、マグナムがアメリカで手がけた作品を見れば、アメリカのありのままの姿が描かれています。そして、それがマグナムにとっての勝利です。パレスチナを内側から描いているのです。私は歴史を捉え、人々と長期間共に活動してきました。私の作品は生と死に焦点を当てています。それこそが私が貢献しようとしていることです。私たちが生きていること、私たちが耐え忍ぶ痛み、この地域で起こっている不正義、そしてあらゆる困難を乗り越えて生きる人々の強さを見せたいのです。そこには多くの悲しみがありますが、小さな喜びの瞬間もあります」と語っている。下記リンク先は『アパーチャー』誌によるサキル・カデル(1990年生まれ)の写真と記事「パレスチナ人の忍耐のポートレイト」です。

aperture  Sakir Khader (born 1990) Portraits of Palestinian Perseverance by the Aperture Foudation

写真術における偉大なる達人たち

Herd
F. Dilek Uyar (born 1976) Dusty Journey of Sheep in Bitlis

2021年の秋以来、思いつくまま世界の写真界20~21世紀の達人たちの紹介記事を拙ブログに綴ってきましたが、2025年10月26日現在のリストです。右端の()内はそれぞれ写真家の生年・没年です。左端の年月日をクリックするとそれぞれの掲載ページが開きます。

21/10/06多くの人々に感動を与えたアフリカ系アメリカ人写真家ゴードン・パークスの足跡(1912–2006)
21/10/08グループ f/64 のメンバーだった写真家イモージン・カニンガムは化学を専攻した(1883–1976)
21/10/10圧倒的な才能を持ち現代アメリカの芸術写真を牽引したポール・ストランド(1890–1976)
21/10/11何気ない虚ろなアメリカを旅したスイス生まれの写真家ロバート・フランク(1924–2019)
21/10/13作為を排した新客観主義に触発されたストリート写真の達人ロベール・ドアノー(1912–1994)
21/10/16大恐慌時に農村や小さな町の生活窮状をドキュメントした写真家ラッセル・リー(1903–1986)
21/10/17日記に最後の晩餐という言葉を残して自死した写真家ダイアン・アーバスの黙示録(1923–1971)
21/10/19フォトジャーナリズムの手法を芸術の域に高めた写真家ユージン・スミスの視線(1918–1978)
21/10/24時代の風潮に左右されず独自の芸術観を持ち続けたプラハの詩人ヨゼフ・スデック(1896-1976)
21/10/27西欧美術を米国に紹介した写真家アルフレッド・スティーグリッツの功績(1864–1946)
21/11/01美しいパリを撮影していたウジェーヌ・アジェを「発見」したベレニス・アボット(1898–1991)
21/11/08近代ストレート写真を先導した 20 世紀の写真界の巨匠エドワード・ウェストン(1886–1958)
21/11/10芸術を通じて社会や政治に影響を与えることを目指した写真家アンセル・アダムス(1902–1984)
21/11/13大恐慌を記録したウォーカー・エヴァンスの被写体はその土地固有の様式だった(1903–1975)
21/11/16写真少年ジャック=アンリ・ラルティーグは個展を開いた 69 歳まで無名だった(1894–1986)
21/11/20ハンガリー出身の世界で最も偉大な戦争写真家ロバート・キャパの短い人生(1913–1954)
21/11/25児童労働の惨状を訴えるため現実を正確に捉えた写真家ルイス・ハインの偉業(1874–1940)
21/12/01マグナム・フォトを設立した写真家アンリ・カルティエ=ブレッソンの決定的瞬間(1908–2004)
21/12/06犬を人間のいくつかの性質を持っているとして愛撮したエリオット・アーウィット(1928-2023)
21/12/08リチャード・アヴェドンの洗練され権威ある感覚をもたらしたポートレート写真(1923–2004)
21/12/12デザインと産業の統合に集中したバウハウスの写真家ラースロー・モホリ=ナジ(1923–1928)
21/12/17ダダイズムとシュルレアリスムに跨る写真を制作したマン・レイは革新者だった(1890–1976)
21/12/29フォトジャーナリズムに傾倒したアラ・ギュレルの失われたイスタンブル写真素描(1928–2018)
22/01/10ペルーのスタジオをヒントに自然光に拘ったアーヴィング・ペンの鮮明な写真(1917-2009)
22/02/25非現実的なほど歪曲し抽象的な遠近感を生み出した写真家ビル・ブラントのカメラ(1904–1983)
22/03/09男性ヌードや花を白黒で撮影した異端の写真家ロバート・メイプルソープへの賛歌(1946–1989)
22/03/18ニューヨーク近代美術館で写真展「人間家族」を企画したエドワード・スタイケン(1879–1973)
22/03/24公民権運動の影響を記録したキュメンタリー写真家ブルース・デヴッドソンの慧眼(born 1933)
22/04/21社会的弱者に寄り添いエモーショナルに撮影した写真家メアリー・エレン・マーク(1940-2015)
22/05/20早逝した写真家リンダ・マッカートニーはザ・ビートルズのポールの伴侶だった(1941–1998)
22/06/01大都市に変貌する香港を活写して重要な作品群を作り上げたファン・ホーの視線(1931–2016)
22/06/12肖像写真で社会の断面を浮き彫りにしたドキュメント写真家アウグスト・ザンダー(1876–1964)
22/08/01スペイン内戦取材で26歳という若さに散った女性戦争写真家ゲルダ・タローの生涯 (1910–1937)
22/09/16カラー写真を芸術として追及したジョエル・マイヤーウィッツの手腕(born 1938)
22/09/25死と衰退を意味する作品を手がけた女性写真家サリー・マンの感性(born 1951)
22/10/17北海道の風景に恋したイギリス人写真家マイケル・ケンナのモノクロ写真(born 1951)
22/11/06アメリカ先住民を「失われる前に」記録したエドワード・カーティス(1868–1952)
22/11/16大恐慌の写真 9,000 点以上を制作したマリオン・ポスト・ウォルコット(1910–1990)
22/11/18人間の精神の深さを写真に写しとったアルゼンチン出身のペドロ・ルイス・ラオタ (1934-1986)
22/12/10アメリカの生活と社会的問題を描写した写真家ゲイリー・ウィノグランド(1928–1984)
22/12/16没後に脚光を浴びたヴィヴィアン・マイヤーのストリート写真(1926–2009)
22/12/23写真家集団マグナムに参画した初めての女性報道写真家イヴ・アーノルド(1912-2012)
23/03/25写真家フランク・ラインハートのアメリカ先住民のドラマチックで美しい肖像写真(1861-1928)
23/04/13複雑なタブローを構築するシュールレアリスム写真家サンディ・スコグランド(born 1946)
23/04/21キャラクターから自らを切り離したシンディー・シャーマンの自画像(born 1954)
23/05/01震災前のサンフランシスコを記録した写真家アーノルド・ジェンス(1869–1942)
23/05/03メキシコにおけるフォトジャーナリズムの先駆者マヌエル・ラモス(1874-1945)
23/05/05文学と芸術に没頭し超現実主義絵画に着想を得た台湾を代表する写真家張照堂(1943-2024)
23/05/07家族の緊密なポートレイトで注目を集めた写真家エメット・ゴウィン(born 1941)
23/05/22欲望やジェンダーの境界を無視したクロード・カアンのセルフポートレイト(1894–1954)
23/05/2520世紀初頭のアメリカの都市改革に大きく貢献したジェイコブ・リース(1849-1914)
23/06/05都市の社会風景という視覚的言語を発展させた写真家リー・フリードランダー(born 1934)
23/06/13写真芸術の境界を広げた暗室の錬金術師ジェリー・ユルズマンの神技(1934–2022)
23/06/15強制的に収容所に入れられた日系アメリカ人を撮影したドロシア・ラング(1895–1965)
23/06/20劇的な国際的シンボルとなった「プラハの春」を撮影したヨゼフ・コウデルカ(born 1958)
23/06/24警察無線を傍受できる唯一のニューヨークの写真家だったウィージー(1899–1968)
23/07/03フォトジャーナリズムの父アルフレッド・アイゼンシュタットの視線(1898–1995)
23/07/06ハンガリーの芸術家たちとの交流が反映されたアンドレ・ケルテスの作品(1894-1985)
23/07/08家族が所有する島で野鳥の写真を撮り始めたエリオット・ポーター(1901–1990)
23/07/08戦争と苦しみを衝撃的な力でとらえた報道写真家ドン・マッカラン(born 1935)
23/07/17夜のパリに漂うムードに魅了されていたハンガリー出身の写真家ブラッサイ(1899–1984)
23/07/2020世紀の著名人を撮影した肖像写真家の巨星ユーサフ・カーシュ(1908–2002)
23/07/22メキシコの革命運動に身を捧げた写真家ティナ・モドッティのマルチな才能(1896–1942)
23/07/24ロングアイランド出身のマルクス主義者を自称する写真家ラリー・フィンク(born 1941)
23/08/01アフリカ系アメリカ人の芸術的な肖像写真を制作したコンスエロ・カナガ(1894–1978)
23/08/04ヒトラーの地下壕の写真を世界に初めて公開したウィリアム・ヴァンディバート(1912-1990)
23/08/06タイプライターとカメラを同じように扱った写真家カール・マイダンス(1907–2004)
23/08/08ファッションモデルから戦場フォトャーナリストに転じたリー・ミラーの生涯(1907-1977)
23/08/14ニコンのレンズを世界に知らしめたデイヴィッド・ダグラス・ダンカンの功績(1907-2007)
23/08/18超現実的なインスタレーションアートを創り上げたサンディ・スコグランド(born 1946)
23/08/20シカゴの街角やアメリカ史における重要な瞬間を再現した写真家アート・シェイ(1922–2018)
23/08/22大恐慌時代の FSA プロジェクト 最初の写真家アーサー・ロススタイン(1915-1986)
23/08/25カメラの焦点を自分たちの生活に向けるべきと主張したハリー・キャラハン(1912-1999)
23/09/08イギリスにおけるフォトジャーナリズムの先駆者クルト・ハットン(1893–1960)
23/10/06ロシアにおけるデザインと構成主義創設者だったアレクサンドル・ロトチェンコ(1891–1956)
23/10/18物事の本質に近づくための絶え間ない努力を続けた写真家ウィン・バロック(1902–1975)
23/10/27先見かつ斬新な作品により写真史に大きな影響を与えたウィリアム・クライン(1926–2022)
23/11/09アパートの窓から四季の移り変わりの美しさなどを撮影したルース・オーキン(1921-1985)
23/11/15死や死体の陰翳が纏わりついた写真家ジョエル=ピーター・ウィトキンの作品(born 1939)
23/12/01近代化により消滅する前のパリの建築物や街並みを記録したウジェーヌ・アジェ(1857-1927)
23/12/15同時代で最も有名で最も知られていないストリート写真家のヘレン・レヴィット(1913–2009)
23/12/20哲学者であることも写真家であることも認めなかったジャン・ボードリヤール(1929-2007)
24/01/08音楽や映画など多岐にわたる分野で能力を発揮した写真家ジャック・デラーノ(1914–1997)
24/02/25シチリア出身のイタリア人マグナム写真家フェルディナンド・スキアンナの視座(born 1943)
24/03/21パリで花開いたロシア人ファッション写真家ジョージ・ホイニンゲン=ヒューン(1900–1968)
24/04/04報道写真家として自活することに成功した最初の女性の一人エスター・バブリー(1921-1998)
24/04/20長時間露光により時間の多層性を浮かび上がらせたアレクセイ・ティタレンコ(born 1962)
24/04/2820世紀後半のイタリアで最も重要な写真家ジャンニ・ベレンゴ・ガルディン(born 1930)
24/04/30トルコの古い伝統の記憶を守り続ける女性写真家 F・ディレク・ウヤル(born 1976)
24/05/01ファッション写真に大きな影響を与えたデヴィッド・ザイドナーの短い生涯(1957-1999)
24/05/08社会の鼓動を捉えたいという思いで写真家になったリチャード・サンドラー(born 1946)
24/05/10直接的で妥協がないストリート写真の巨匠レオン・レヴィンシュタイン(1910–1988)
24/05/12自らの作品を視覚的な物語と定義している写真家スティーヴ・マッカリー(born 1950)
24/05/14多様な芸術の影響を受け写真家の視点を形作ったアンドレアス・ファイニンガー(1906-1999)
24/05/16芸術的表現により繊細な目を持つ女性写真家となったマルティーヌ・フランク(1938-2012)
24/05/18ドキュメンタリー写真をモノクロからカラーに舵を切ったマーティン・パー(born 1952)
24/05/21先駆的なグラフ誌『ピクチャー・ポスト』を主導した写真家バート・ハーディ(1913-1995)
24/05/24グラフ誌『ライフ』に30年間投稿し続けたロシア生まれの写真家リナ・リーン(1914-1995)
24/05/27旅する写真家として20世紀後半の歴史に残る象徴的な作品を制作したルネ・ブリ(1933-2014)
24/05/29高速ストロボスコープ写真を開発したハロルド・ユージン・エジャートン(1903-1990)
24/06/03一般市民とそのささやかな瞬間を撮影したオランダの写真家ヘンク・ヨンケル(1912-2002)
24/06/10ラージフォーマット写真のデジタル処理で成功したアンドレアス・グルスキー(born 1955)
24/06/26レンズを通して親密な講釈と被写体の声を伝えてきた韓国出身のユンギ・キム(born 1962)
24/07/05演出されたものではなく現実的なファッション写真を開発したトニ・フリッセル(1907-1988)
24/07/07スウィンギング60年代のイメージ形成に貢献した写真家デイヴィッド・ベイリー(born 1938)
24/07/13著名人からから小さな町の人々まで撮影してきた写真家マイケル・オブライエン(born 1950)
24/07/14人々のドラマが宿る都市のカラー写真を制作したコンスタンティン・マノス(born 1934)
24/08/04写真家集団「マグナム・フォト」所属するただ一人の日本人メンバー久保田博二(born 1939)
24/08/08ロバート・F・ケネディの死を悼む人々を葬儀列車から捉えたポール・フスコ(1930–2020)
24/08/13クリスティーナ・ガルシア・ロデロが話したいのは時間も終わりもない出来事だ(born 1949)
24/08/30ドキュメンタリーと芸術の境界を歩んだカラー写真の先駆者エルンスト・ハース(1921–1986)
24/09/01国際的写真家集団マグナム・フォトの女性写真家スーザン・メイゼラスの視線(born 1948)
24/09/09アパルトヘイトの悪と日常的な社会への影響を記録したアーネスト・コール(1940–1990)
24/09/14宗教的または民俗的な儀式に写真撮影の情熱を注ぎ込んだラモン・マサッツ(1931-2024)
24/09/23アメリカで最も有名な無名の写真家と呼ばれたエヴリン・ホーファー(1922–2009)
24/09/25自身を「大義を求める反逆者」と表現した写真家マージョリー・コリンズ(1912-1985)
24/09/27北海道の小さな町にあった営業写真館を継がず写真芸術の道を歩んだ深瀬昌久(1934-2012)
24/10/01現代アメリカの風変わりで平凡なイメージに焦点を当てた写真家アレック・ソス(born 1969)
24/10/04微妙なテクスチャーの言語を備えた異次元の写真を追及したアーサー・トレス(born 1940)
24/10/06オーストリア系イギリス人のエディス・チューダー=ハートはソ連のスパイだった(1908-1973)
24/10/08映画の撮影監督でもあったドキュメンタリー写真家ヴォルフガング・スシツキー(1912–2016)
24/10/15芸術のレズビアン・サブカルチャーに深く関わった写真家ルース・ベルンハルト(1905–2006)
24/10/19ランド・アートを通じて作品を地球と共同制作するアンディ・ゴールドワージー (born 1956)
24/10/29公民権運動の活動に感銘し刑務所制度の悲惨を描写した写真家ダニー・ライアン (born 1942)
24/11/01人間の状態と現在の出来事を記録するストリート写真家ピータ―・ターンリー (born 1955)
24/11/04写真を通じて現代の社会的状況を改善することに専念したアーロン・シスキンド(1903-1991)
24/11/07自然と植物の成長にインスピレーションを受けた写真家カール・ブロスフェルト(1865-1932)
24/11/09ストリート写真で知られているリゼット・モデルは教える才能を持っていた(1901-1983)
24/11/11カラー写真が芸術として認知されるようになった功労者ウィリアム・エグルストン(born 1939)
24/11/13革命後のメキシコ復興の重要人物だった写真家ローラ・アルバレス・ブラボー(1903-1993)
24/11/15チリの歴史上最も重要な写真家であると考えられているセルヒオ・ララインの視座(1931-2012)
24/11/19イギリスのアンリ・カルティエ=ブレッソンと評されたジェーン・ボウン(1925-2014)
24/11/25カラー写真の先駆者ソール・ライターは戦後写真界の傑出した人物のひとりだった(1923–2013)
24/11/25サム・フォークがニューヨーク・タイムズに寄せた写真は鮮烈な感覚をもたらした(1901-1991)
24/11/29ゲイ解放運動の活動家だったトランスジェンダーの写真家ピーター・ヒュージャー(1934–1987)
24/12/01複数の芸術的才能に恵まれていた華麗なるファッション写真家セシル・ビートン(1904–1980)
24/12/05ライフ誌と空軍で活躍した女性初の戦場写真家マーガレット・バーク=ホワイト(1904–1971)
24/12/07愛と美を鮮明に捉えたロマン派写真家エドゥアール・ブーバの平和への眼差し(1923–1999)
24/12/10保守的な政治体制と対立しながら自由のために写真を手段にしたエヴァ・ペスニョ(1910–2003)
24/12/15自然環境における人間の姿を研究することに関心を寄せた写真家マイケル・ぺト(1908-1970)
24/12/20ベトナム戦争中にナパーム弾攻撃から逃げる子供たちを撮影したニック・ウット(born 1951)
25/01/06記録映画の先駆者であり前衛映画製作者でもあった写真家ラルフ・スタイナー(1899–1986)
25/01/10アメリカ西部を占める文化の多様性を反映した写真家ローラ・ウィルソンの足跡(born 1939)
25/01/15フランスの人文主義写真運動で活躍したスイス系フランス人ザビーネ・ヴァイス(1924–2021)
25/02/03サルバドール・ダリとの共作でシュールな写真を創出したフィリップ・ハルスマン(1906–1979)
25/02/06ベトナム戦争に対する懸念を形にした写真家フィリップ・ジョーンズ・グリフィス(1936-2008)
25/02/18芸術に複数の糸を持っていたシュルレアリスムの写真家エミール・サヴィトリー(1903-1967)
25/03/19シュルレアリスムの先駆的な写真家でピカソのモデルで恋人だったドラ・マール(1907-1997)
25/03/25ホロコースト前の東欧のユダヤ人社会を記録した写真家ローマン・ヴィスニアック(1897-1990)
25/04/01ソーシャルワーカーからライフ誌の専属写真家に転じたウォレス・カークランド(1891–1979)
25/04/04写真家ビル・エプリッジは20世紀で最も優れたフォトジャーナリストの一人だった(1938-2013)
25/04/25ロバート・キャパの弟で総合施設国際写真センターを設立したコーネル・キャパ(1918-2008)
25/05/01激動1960年代の音楽家たちをキャプチャーした写真家エリオット・ランディの慧眼(born 1942)
25/05/23生まれ故郷ブラジルの熱帯雨林アマゾン川流域へのセバスチャン・サルガドの視座(1944-2025)
25/06/22風景への畏敬の念と激動の気象現象への驚異が伝わるミッチ・ドブラウナーの写真(born 1956)
25/07/26ティンタイプ写真でアパラチアの伝承音楽家に焦点を当てたリサ・エルマーレ(born 1984)
25/08/03色彩の卓越した表現を通して写真というジャンルを超越したデビッド・ラシャペル(born 1963)
25/08/20ヨーロッパ解放やコンゴ紛争などでの勇敢な取材で知られるドミトリ・ケッセル(1902–1995)
25/08/25長大吊り橋を撮影したピーター・スタックポールはライフ誌創刊の写真家になった(1913-1997)
25/09/08アパラチアや南東部の農村地帯の人々の肖像写真で知られているドリス・ウルマン(1882-1934)
25/08/25長大吊り橋を撮影したピーター・スタックポールはライフ誌創刊の写真家になった(1913-1997)
25/09/15指導者であり預言者であり歴史家であり学者だった写真家ジョン・ローエンガード(1934-2020)
25/09/17女性を客体ではなく主体として描写した写真家エレン・フォン・アンワースの視線(born 1954)
25/09/22精巧に演出された赤ちゃんたちの愛らしい写真で世界的に評価されるアン・ゲデス(born 1956)
25/09/26エロティックで都会的なスタイルの頂点を極めた写真家ヘルムート・ニュートン(1920-2004)
25/10/06モデルからファッション写真家に転じたスリランカ系英国人ナイジェル・バーカー(born 1972)
25/10/15ヴィクトリア朝イギリスで最も有名な写真家ジュリア・マーガレット・キャメロン(1815-1879)
25/10/17革新的手法を用いたドイツ系ユダヤ人写真家エーリッヒ・ザロモンの悲劇的な運命(1886-1944)
25/10/20地球の環境破壊と気候変動の壊滅的な影響を明瞭に伝える写真家ニック・ブラント(born 1964)
25/10/23政治家や作家など世界の重要人物の精緻な肖像写真を撮影したユーサフ・カーシュ(1908-2002)
25/10/26直面する不正義と対峙するパレスチナ系オランダ人写真家サキル・カデルの眼差し(born 1990)

子供の頃「明治は遠くなりにけり」という言葉を耳にした記憶がありますが、今まさに「20世紀は遠くなりにけり」の感があります。掲載した作品の大半がモノクロ写真で、カラー写真がわずかのなのは偶然ではないような気がします。20世紀のアートの世界ではモノクロ写真が主流だったからです。しかしデジタルカメラが主流になった21世紀、カラー写真の台頭に目覚ましいものがあります。ジョエル・マイヤーウィッツとサンディ・スコグランド、ジャン・ボードリヤール、 F・ディレク・ウヤル、マーティン・パー、コンスタンティン・マノス、久保田博二、ポール・フスコ、エルンスト・ハース、エヴリン・ホーファー、アレック・ソス、アンディ・ゴールドワージー、ウィリアム・エグルストン、ソール・ライタ、などのカラー作品を取り上げました。

photographer  Famous Photographers: Great photographs can elicit thoughts, feelings, and emotions.

2025年10月23日

政治家や作家など世界の重要人物の精緻な肖像写真を撮影したユーサフ・カーシュ

Winston Churchill
Winston Churchill, Ottawa, 1941
Yousuf Karsh

ユーサフ・カーシュは1908年12月23日、オスマン帝国領ディヤルバクルのマルディン(現在のトルコ)で、アルメニア人の両親、商人アムシ・カーシュ(1872-1962)とバヒア・ナカシュ(1883-1958)の間に生まれた。父親はカトリック教徒、母親はプロテスタントであった。彼にはジャミルとマラクという2人の兄弟がいた]マラクは写真家でもあった。読み書きのできない父親は家具、絨毯、香辛料の売買のために各地を旅していたが、母親は当時としては珍しく教養のある女性で、特に聖書をよく読んでいた。オスマン帝国(現在のトルコ)でアルメニア人としてカーシュは迫害と困窮に耐えた。カーシュと彼の家族は1922年、クルド人のキャラバンと共に1ヶ月かけてシリアのアレッポにある難民キャンプに徒歩で逃れた。2年後、彼の父親は彼をカナダへ送ることに成功し、そこで彼はケベック州シャーブルックに住む写真家の叔父のもとに加わった。1926年から、カーシュは叔父のもとで働き、写真芸術と科学を学び始めた。1928年から1931年まで、彼はボストンの画家で肖像写真家のジョン・H・ガロに弟子入りし、美術学校の夜間クラスに短期間通った。ガロはカーシュに人工照明技術を紹介し、これがカーシュの肖像写真におけるドラマチックな照明の使用の基礎となった。

John Buchan
John Buchan, 1st Baron Tweedsmuir, 1937

1931年にカナダに戻ったカーシュは、叔父の資金援助を受けてすぐにスタジオを設立した。オタワ・リトル・シアターと提携し、俳優の撮影をする機会を得た。リトル・シアターを通じて、妻となる女優のソランジュ・ゴーティエと知り合い、1939年に結婚した。オタワで独り暮らしを始めたころ、カーシュの肖像写真がカナダの定期刊行物やイラストレイテッド・ロンドン・ニュースに掲載されるようになった。フォトジャーナリズムにおける彼の飛躍的進歩は、1936年にフランクリン・D・ルーズベルト米大統領とマッケンジー・キング首相の会談を撮影した時に訪れた。この任務の後、カーシュはカナダ政府の常勤カメラマンとなった。1947年にカナダ国籍を取得する。

Fidel Castro
Fidel Castro, 1941

カーシュは、少数精鋭のアーティストの一人であり、その作品は私たちの人間観や思想への認識に影響を与えただけでなく、歴史の流れにも影響を与えた。1941年にオタワで撮影された英国の首相ウィンストン・チャーチルの肖像写真は、イギリスの戦時指導者の不屈の決意を鮮やかに伝え、カーシュに初めて国際的な名声をもたらした。チャーチルの写真は1942年に『ライフ』誌の表紙を飾ったが、アメリカ国民の目を英国の窮状に向けさせ、人々の闘志と生き残るための決意を納得させる上で大きな役割を果たしたと一般的に認められている。カーシュは常に英国と特別な関係を持っていた。

Alberto Giacometti
Alberto Giacometti, 1956

チャーチルの写真が国際的に成功した後、1943年にカナダから英国に向かう爆薬を積んだノルウェーの貨物船に乗り込み、ロンドンに停泊して戦時中の指導者や知識人を撮影した。これらの写真の多くはイラストレイテッド・ロンドン・ニュースに掲載され、国民の士気を高めるのに独自の役割を果たした。それ以来、彼は何度も英国を訪れ、1976年の訪問の際にはマーガレット・サッチャーを撮影した。チャーチルだけでなく、ジョン・F・ケネディ、ニキータ・フルシチョフ、フィデル・カストロ、アーネスト・ヘミングウェイ、アルバート・アインシュタインやからウォルト・ディズニーやグレース・ケリーなど、数多くの偉人たちの「決定版」肖像写真を描き出したカーシュの才能は、決して容易なものではなかった。

Jacqueline Kennedy
Jacqueline Kennedy, 1957

彼はしばしば長時間の撮影を強いられただけでなく、モデルに会う前に綿密なリサーチを行い、1930年代にオタワ・リトル・シアターで初めて学んだ、緻密なスタジオ照明は伝説となっている。また、勇気も必要とされました。チャーチルの口から葉巻を引き抜いたり、フルシチョフに大きな毛皮のコートを着せるよう説得したりできる人物は、他に誰がいただろうか。カーシュは1993年に写真家としてのキャリアを終え、1997年にボストンに移住した。2002年7月13日、ボストンのブリガム・アンド・ウィメンズ病院で手術後の合併症により他界、93歳だった。オタワで密葬が行われ、ノートルダム墓地に埋葬された。下記リンク先はロンドンの国立肖像画美術館によるユーサフ・カーシュのバイオグラフィーと作品紹介です。

National Portrait Gallery  Photographs by Yousuf Karsh (1937-1987) Armenian Canadian | National Portrait Gallery

2025年10月20日

地球の環境破壊と気候変動の壊滅的な影響を明瞭に伝える写真家ニック・ブラント

Two Rangers
Two Rangers with Tusks of Killed Elephant, Amboseli, Kenya, 2011
Nick Brandt 

英国のロンドンで1964年に生まれたブラントは、幼いころから自然界への愛と写真(特にリチャード・アヴェドン、エドワード・スタイケン、ダイアン・アーバスの作品)への興味を抱き、すぐにその両方を組み合わせて「人間の手による破壊の激化に対する自分の気持ちを表現できる」ことに気づいた。故郷のセントラル・セント・マーチンズ芸術デザイン大学で絵画と映画を学び、その後カリフォルニアに移り、そこで数年間、世界的に有名な数多くのアーティストのミュージックビデオの監督を務めた。2001年、ブラントは「この地球上で」と題した最初の写真プロジェクトを開始した。これは東アフリカの広大でありながら急速に失われつつある美しさを捉えた3部作の第1弾である。動物たちを「人間らしく」見せるため、ブラントはモノクロフィルムを装填した中判カメラを用いて、動物たちの「存在」そのものを撮影した。これは自然写真によく見られる色鮮やかでアクション満載のイメージではなく、古典的なポートレート写真によく見られるスタイルである。

Elephant Herd
Elephant Herd, Serengeti, Tanzania, 2001

ブラントは「私は人間と動物を同じものだと考えています。生命と福祉を尊重する点で、感覚を持つ生き物として対等であるべきです。知能――少なくとも私たちが認識している種類の知能――は関係ありません。アルバート・アインシュタインを『知能が低い』自閉症の子供よりも優遇しますか?もちろん違います。ですから、動物にも同じことが当てはまるはずです」と主張している。彼は2005年から2008年の間に何度もこの地域にたち戻り、2009年にシリーズ "A Shadow Falls"(影が落ちる)を、2013年に "Across the Ravaged Land"(荒れ果てた大地を越えて)を発表、それぞれのタイトルは単一の心を打つメッセージとなるようにデザインされている三部作を完結した。前2作の印象的な動物の肖像画に加え、シリーズでは初めて人間の被写体を導入した。

Lion
Lion Before Storm, Maasai Mara, Kenya, 2006

ブラントのビッグ・ライフ財団(ケニアとタンザニアの重要な生態系を保護するためにブラントが5年前に設立した財団)のレンジャーたちが、密猟者によって殺された象の牙を手にしている姿が描かれている。2013年後半、彼はタンザニアのナトロン湖の岸辺に打ち上げられた動物の死骸を、まるで生きているかのように配置した"The Petrified"(石化)を発表し、翌年再び東アフリカに戻り "Inherit the dust"(塵を継ぐ)シリーズを制作した。彼は「自然界に残された生息地の減少に対する人間の影響」を示すために、以前撮影した動物の肖像画を等身大でプリントし、それらを、かつては動物たちが歩き回っていたが、人間の介入により、もはや歩き回らなくなった場所に設置した。完成した大規模なパノラマ写真は、他に類を見ないほど力強い。美しくも衝撃的な写真の数々は、この地域の破壊の劇的なスケールを伝えている。かつて広大な平原だった採石場、工場、ゴミ山と対比される雄大な動物たちの姿は、深い悲しみを抱かせる。

Giraffe skull
Giraffe skull, Amboseli National Park, Kenya, 2010

モノクロームのトーンはドラマチックでメランコリックな雰囲気を醸し出しており、ブラントは「画像を必要最低限にまで削ぎ落とし、鑑賞者の視線をフレーム内の図形や構図に集中させる」という点が、この作品のコンセプトと主題に合致していると述べている。東アフリカで撮影されたものの、ブラントは「かつて動物たちが歩き回っていた場所ならどこにでも当てはまる」と主張している。このコンセプトを基に、一時的にそして彼らしくなくカラーに切り替えたものの、2019年のシリーズ "This Empty World"(この空虚な世界)は、動物と人間が今も共存する、保護されていない最後の風景のひとつであるケニアのアンボセリ国立公園近くのマサイ牧場の土地に焦点を当てている。それぞれの写真は、数週間の間隔を置いて撮影された2つの別々のシーケンスから生まれた。 最初のシーケンスでは、完成間近のセットに迷い込んだ動物たちを撮影し、その後セットは完成し、人々が詰め込まれた。 そして2つ目のシーケンスは、前のシーケンスと全く同じ位置から撮影された。

Sleeping Children
Women with Sleeping Children, Jordan, 2024

ブラントは、このコンセプトを視覚化した際「すぐに夜の写真を思い浮かべました。現代社会の不自然で、しばしばけばけばしい色彩」を基調としており、「白黒では現代性に欠け、侵入感も薄れてしまうでしょう」と述べている。これは賢明な選択だった。結果として生まれた合成写真は、都市化された環境の中で動物たちが不釣り合いな存在であることに不快感を抱かせるからだ。ブラントは近年 "The Day May Break"(破壊される日常)と題した三部作シリーズに取り組んでおり、第三部は現在も制作中である。ケニア、ジンバブエ、ボリビアで撮影されたこれらの映像は、気候変動の犠牲者、サイクロンで家を失った人々、長年の干ばつで生計を失ってしまった人々、そして生息地の破壊や親の密猟によって保護された動物たちを描いている。下記リンク先は新進アーティストを支援する国際写真賞とオンラインマガジン「インデペンデント・フォトグラファー」のジョッシュ・ブライトによるニック・ブラントのバイオグラフィーおよび作品の紹介記事です。

independent Nick Brandt (born 1964) | Profile by Josh Bright | Art Works | Independent Photographer

2025年10月17日

革新的手法を用いたドイツ系ユダヤ人写真家エーリッヒ・ザロモンの悲劇的な運命

Conference
Hague Reparation Conference in the early morning hours, 1930
 Erich Salomon

エーリッヒ・ザロモンは、外交官や法律専門家の写真と、それらの撮影に用いた革新的な手法で知られるドイツ系ユダヤ人の報道写真家だった。ベルリンで1886年4月28日、裕福なユダヤ人銀行家で王立商業評議員であったエミール・ザロモン(1844-1909)とテレーゼ・ザロモン(旧姓シューラー1857-1915)の息子として生まれた。ベルリンの上流階級の一家はイェーガー通り29番地に住み、後にティアガルテン通り15番地に住んだ(現在、バーデン=ヴュルテンベルク州議会がここにある)。ザロモンは第一次世界大戦まで法律、工学、動物学を学んだ。西部戦線に従軍し、1914年にフランス軍の捕虜になった。戦後はウルシュタイン出版帝国の宣伝部門で看板広告のデザインに携わった。彼が初めてカメラを手にしたのは1927年、41歳の時で、いくつかの法的紛争を記録するためだったが、その後まもなく、薄暗い場所でも使えるエルマノックスカメラを山高帽に隠した。ザロモンは帽子にレンズ用の穴を開け、ベルリンの刑事裁判所で裁判を受けている警官殺害犯の写真を撮影した。1928年以降、ザロモンはウルシュタインのベルリナー・イルストリルテ・ツァイトゥングで写真家として働き始めた。多言語能力と巧みな隠蔽工作により、彼の評判はヨーロッパの人々の間で急上昇した。

Kissing couple
Kissing couple at the Cologne Carnival, 1929

1928年にケロッグ・ブリアン条約が調印された際、ザロモンは調印室に入り、ポーランド代表の空席に座り、数枚の写真を撮影した。同年、ドイツのコーブルクで行われたヨハン・ハイン殺人裁判の写真がベルリナー・イルストリルテ紙に掲載されたことで有名になった。このときからザロモンはフリーランスの写真家となり、最も機密性の高い会合や宴会にも参加できるようになった。サロモンは最初の「キャンディッド・カメラマン」と呼ばれ、自らを「ビルドジャーナリスト」と称した。これは当時もドイツ語で「フォトジャーナリスト」の意味で使われていた。ザロモンは当初、一般的なジャーナリスト用カメラ、13×18cmのコンテッサ・ネッテルを使用していたが、彼の用途には大き過ぎた。

Aristide Briand calls
Aristide Briand points to Erich Salomon "Ah ! Le voilà ! Le roi des indiscrétions !", 1931

そしてすぐに室内でフラッシュなしで撮れる100ミリF2の大口径レンズの小型プレート式エルマノックスに切り替えた。ザロモンはこの技術を習得し、1932年にライカに乗り換えるまで使い続けた。ザロモンはエリス島への航路を写真に撮った。当時エリス島は拘留所と移民センターだったため、アメリカへの移民たちが頻繁に通っていたルートだった。ザロモンはアメリカ最高裁判所の審理を写真に撮った2人のうちの1人である。1933年、アドルフ・ヒトラーがナチス・ドイツで政権を握ると、ユダヤ人であったザロモンとその家族は、保護を求めて妻の故郷であるオランダへ逃れざるを得なかった。

Football
Football between Yale and Harvard, Boston, 1932

ハーグを拠点に政治会議への参加が容易になっただけでなく、コンサートなどの文化イベントの写真撮影も始めた。ザロモンは妻と共にオランダに逃れ、ハーグで写真家としてのキャリアを続けた。ザロモンはライフ誌からのアメリカ移住の誘いを断った。1940年のドイツ侵攻後、彼と家族は低地諸国に閉じ込められた。ザロモンと家族はヴェステルボルク通過収容所に収容され、その後約5か月間テレージエンシュタット強制収容所に移送され、1944年5月にテレージエンシュタット家族収容所に移送された。彼と妻は1944年7月7日にアウシュビッツで殺害された。ザロモンの写真が今日まで残っているのは、彼の先見の明によるものである。

Ellis Island
Illegal immigrants in a family home on Ellis Island, New York, Undated

戦時中、ネガを安全に保管するため、彼はオランダの3か所に別々の場所に隠した。最初のグループはオランダ国会図書館に収蔵された。2番目のグループは友人宅の鶏小屋に埋められた。このグループは湿気によって深刻な損傷を受けたが、多くのプレートはまだ印刷可能です。3番目のグループは友人のピーター・ハンターの保管下にある。11952年、コレクションはアムステルダムに統合された。1950年代以降、彼の作品は数々の展覧会で展示され、1958年にはスミソニアン博物館に収蔵された巡回展も開催された。1978年、ザロモンは国際写真殿堂博物館入りを果たした。

Smithsonian Erich Salomon | Photographic History Collection | National Museum of American History

2025年10月15日

ヴィクトリア朝イギリスで最も有名な写真家ジュリア・マーガレット・キャメロン

I Wait
I Wait (Rachel Gurney), 1872
Julia Margaret Cameron 

力強いポートレートで最もよく知られるキャメロンの写真は、非常に革新的だった。意図的にピントをぼかし、傷や汚れなど、制作過程の痕跡をそのまま残すことも少なくなかった。生前、型破りな技法を批判されたが、構図の美しさや、写真は芸術であるという信念は高く評価された。ジュリア・マーガレット・パトルは1815年6月11日、カルカッタで7人姉妹の4番目として生まれた。父は東インド会社の役人、母はフランス貴族の娘アドリーヌ・ド・レタンだった。ジュリア・マーガレットはパトル姉妹の中で最も華やかで、社交性と芸術的な奇抜さで知られていた。主にフランスで教育を受けた彼女は1834年にインドに戻った。1836年、南アフリカで病気療養中に、南半球の天体観測をしていたイギリスの天文学者ジョン・ハーシェル卿(1792-1871)と出会う。1842年、ハーシェルは彼女に写真術を教えた。ハーシェルはその後も彼女の生涯にわたる友人であり、写真に関するやり取りを続けた。南アフリカ滞在中、ジュリア・マーガレットはチャールズ・ヘイ・キャメロン(1795-1880)と出会う。キャメロンはインドの法律と教育の改革者であり、後にセイロン(現在のスリランカ)のコーヒー農園に投資することになる。二人は1838年にカルカッタで結婚し、ジュリアは植民地社会で著名なホステスとなった。10年後、キャメロン一家はイギリスへ移住した。

George Frederic Watts
Portrait of George Frederic Watts, 1865

1860年にワイト島のフレッシュウォーターに定住した。ジュリア・マーガレットはここで後に写真撮影を始めた。ジュリア・マーガレットが写真を始めた頃は、危険物を扱う重労働でした。三脚に載せる木製のカメラは大きくて扱いにくいものだった。彼女は当時最も一般的な製法、湿式コロジオンガラスネガから鶏卵紙プリントを制作した。この製法では、暗室で約12×10インチのガラス板に感光剤を塗布し、まだ湿っているうちにカメラで露光する。その後、ガラス板ネガは暗室に戻され、現像、洗浄、ニス塗りの工程が行われる。プリントは、感光剤を塗布した印画紙に直接ネガを置き、太陽光に当てることで作られた。プロセスの各ステップには、ミスを犯す余地がありました。壊れやすいガラス板は最初から完全に清潔で、全体にわたって埃のない状態にしておく必要があった。また、さまざまな段階で均一にコーティングして浸す必要があり、化学溶液は正しく新しく準備する必要があった。

Call
Call, I Follow, 1867

しかしジュリア・マーガレットはすぐに写真撮影にのめり込み、カメラを受け取ってから1ヶ月も経たないうちに、彼女が「最初の成功」と呼ぶ写真を撮影した。それは、ジュリア・マーガレットが住んでいたワイト島に滞在する家族の娘、アニー・フィルポットのポートレートだった。1865年に大型カメラを手に入れたジュリア・マーガレットは、物語性や寓意性を表現したタブロー作品の制作を続け、以前の作品よりも規模が大きく大胆なものとなった。彼女はこの新しいカメラを使い、大規模なクローズアップポートレートのシリーズを制作し始めた。これは、従来の写真技法を否定し、より精密さに欠けるが、より感情に訴えかけるポートレート表現を目指したものだと彼女は考えていた。彼女はサウス・ケンジントン美術館(現在のヴィクトリア&アルバート博物館)の館長ヘンリー・コールに宛てた手紙の中で、この新しいシリーズは「あなたを歓喜で震撼させ、世界を驚かせる」ことを意図していると記している。

The Sunflower, 1866-1870

写真「メーデー」では、メイドのメアリー・ライアンがテニスンの詩「五月の女王」の主人公に扮している。この写真は、五月一日に少女を五月の女王として戴冠するというイギリスの田舎の風習を描いている。ジュリア・マーガレットは後に、テニスンの詩の挿絵を収めた二巻本の中で、このテーマを再び取り上げている。このシリーズの写真の一つ「聖ヨハネの頭部」は、ジュリア・マーガレットの姪メイ・プリンセップの肖像画でaある。横から照らされ、髪をほどいたプリンセップは、男性聖人のように両性具有的な印象を与える。彼女はこの写真に「拡大ではなく実物から」と銘打ち、頭部がほぼ実物大であることを強調した。彼女はキャリアを通して、ポートレート、マドンナのグループ、そして「絵画的な効果を狙った派手な被写体」といったテーマを巧みに組み合わせ、より広い社交界と、家族や家庭といった身近な世界を自在に行き来しながら作品を制作し続けた。

Dream
The Dream, 1869

ジュリア・マーガレット・キャメロンのプリントコレクションは、彼女の幅広い主題と、その先進的で実験的な制作プロセスを代表するものである。チャールズ・ヘイ・キャメロンは彼女の写真を売却し、サウス・ケンジントン美術館(現在のヴィクトリア・アンド・アルバート博物館)に寄贈した。1868年、同博物館は彼女に肖像画スタジオとして2部屋の使用を許可し、事実上、当博物館初のアーティスト・イン・レジデンスとなった。キャメロン一家は1875年までワイト島に住んでいましたが、4人の息子と一族のコーヒー農園の近くに住むためセイロン島に移住した。移住後、ジュリア・マーガレットの写真制作は大幅に停滞した。セイロンで彼女のモデルとなったヨーロッパ人は、植物画家のマリアンヌ・ノースだけだったからだ。ジュリア・マーガレット・キャメロンは1879年1月26日、セイロン南西部のカルタラで亡くなった。63歳だった。

Museum of Modern Art Julia Margaret Cameron (1815-1879) British, born India | Biography | Works | Exhibitions