Steve McCurry |
ティーヴ・マッカリーは1950年2月24日、ペンシルヴァニア州ニュートンスクエアの小さな町で生まれた。デラウェア郡のマープルニュータウン高校に通い、その後ペンシルヴァニア州立大学に進学し。映画撮影を専攻し、1974年に優秀な成績で卒業した。大学在学中に写真に興味を持ち、卒業後はペンシルバニア州キング・オブ・プルシアの "Today's Post"(今日のポスト)紙で2年間働く。彼は若い頃からインドを中心に広く旅行していた。写真家として世界中を飛び回り、その写真技術で数々の賞を獲得したのも不思議ではない。1980年、初めてアフガニスタンを訪れたあと、彼は初めて海外からの写真報道に与えられるロバートキャパ賞を授与された。パキスタンとアフガニスタンの間で戦争が続いており、過酷な環境のため、マッカリーは国境地帯に入るために現地の服装に変装しなければならなかった。国境を越えてフィルムを持ち帰るには、フィルムストリップを衣服の内側に縫い付けなければならなかった。危険と命がけの状況に直面するのはこれが最後ではなかった。海外で経験した最も恐ろしい瞬間は、ユーゴスラビアで飛行機が墜落したときだった。軽飛行機で航空写真を撮っていたとき、パイロットが機体の制御を失ってしまう。
飛行機は湖に墜落し、マッカリーはシートベルトを外して沈みゆく飛行機から脱出しようと奮闘した。最終的に彼は浮上して泳ぎ、ボートで救助されなんとか岸にたどり着いた。しかしマッカリーが遭遇したこれらの危険な状況は、彼が愛する仕事から遠ざかるものではなかったのである。マッカリーが撮影した写真の中でお気に入りの1枚は "Dust Storm, India"(インドの砂嵐)とタイトルされたの作品である。1983年にインドのラジャスタンで撮影された、木の後ろに身を寄せて雨宿りする女性たちの写真は、マッカリー自身の言葉を借りれば、まさに「魔法のよう」であった。機材が壊れるのではないかと心配していたにもかかわらず、彼は「それが自分の目的だった」ので、とにかく嵐の中に出かけた。
彼の写真スタイルは、人々が自分らしくいるときの、人間の生活のありのままの瞬間を捉えるのである。マッカリーは、被写体と一緒に待ち、冗談を言って雰囲気を和らげるのが好きだと言いう。最終的には、彼らはカメラがあることさえ忘れ、彼らの本質が輝き出すと彼は言う。おそらくマッカリーの最も有名な写真のひとつつである「アフガンの少女」は、彼が論じている本質を捉えている。1984年に撮影されたこの写真は、パキスタンの難民キャンプに逃げてきたアフガンの少女を撮影したものである。撮影当時、彼女はわずか13歳で、その顔は世界中で知られるようになったが、身元は不明だった。「私は、この素晴らしい目をしたひとりの小さな女の子に気づきました。そして、これが私が本当に撮りたい唯一の写真だとすぐにわかりました」と彼は語っている。
ナショナルジオグラフィック協会の機関誌に掲載されたこの写真でマッカリーは数々の賞を受賞し、ナショナルジオグラフィックはこれを最も有名な写真としたのである。初めて彼女の顔をフィルムに収めてから18年後の2002年、マッカリーは再びアフガニスタンに戻り、この無名の少女を見つけて写真を撮影した。疲れ果てていたが、旅は成功し、彼女の写真は2002年4月にナショナルジオグラフィックの表紙に再び掲載されたのである。現在、マッカリーが写真撮影のために海外へ行くお気に入りの場所はアジアだが、米国西部、特にグランドキャニオン地域は「世界で最も素晴らしい場所のひとつ」だと考えている。彼はほとんどの時間を旅行に費やしており、残りの人生もそうするつもりである。
2016年、マッカリーはフォトショップやその他の手段で広範囲に画像を加工し、個人やその他の要素を削除したとして非難された。しかしデジタル写真とカメラに特化したウェブサイト PetaPixel とのインタビューでは、あえて強い否定はせずに、現在は自分の作品を「視覚的な物語」であり「芸術」であると定義していることを示した。マッカリーは、自身のコレクションを書籍の形で数多く出版している。また、彼の作品はアメリカ全土および海外で展示されている。2021年、ドゥニ・デレストラク監督作品『マッカリー:色彩の追求』と題されたドキュメンタリー伝記映画が制作され、ニューヨーク・ドキュメンタリー映画祭、マラガ映画祭(スペイン)、グラスゴー映画祭(スコットランド)などに正式出品された。スペインでの公開は2022年6月。現在ペンシルヴァニア州とニューヨーク州にオフィスを構えているが、ほとんどの時間をニューヨークで過ごしているという。
1985年6月、12歳のアフガニスタン難民としてナショナルジオグラフィックの表紙を飾り、世界中で「アフガンの少女」として広く知られているシャルバト・グラさんは偽造パキスタン身分証明書を使用したとして逮捕された。しかしその後、政府から3,000平方フィートの邸宅を贈られ、生活費と医療費として月約700ドルの給付金も支給されるようになった。下記リンク先の記事はナショナルジオグラフィックの元編集者、ニーナ・ストロチュリックによるその詳報リポートである。
Famed 'Afghan Girl' Finally Gets a Home by Nina Strochlic | National Geographic Magazine
0 件のコメント:
コメントを投稿