戦艦ミズーリ乗艦記念カード(1945年9月2日) |
第二次世界大戦における日本の降伏は、昭和天皇が「玉音放送」をして日本政府がポツダム宣言の受諾したことを公表した、1945年8月15日だったというのが一般的な認識だと思われる。所謂「終戦の日」である。しかし日本政府及び連合国代表が降伏文書に調印した日は、1945年9月2日だった。連合国ではこの日を「対日戦勝記念日」としている。英国海軍太平洋艦隊司令官ブルース・フレーザー海軍大将は、8月16日に米海軍戦艦ミズーリ(BB-63)に乗艦、同8月21日に東京に上陸する占領部隊のため200名の士官及び兵士を戦艦アイオワに移乗させた。その後8月29日に降伏調印式準備のため東京湾に入った。降伏文書調印式は、9月2日に東京湾に停泊中の戦艦ミズーリの甲板上で行われ、米国・英国・フランス・オランダ・カナダ・ソビエト連邦・オーストラリア・ニュージーランド・中華民国が調印して、日本の降伏を受け入れた。写真は同艦に乗艦していた乗組員に配られた記念カードである。
山本五十六(1941年12月22日号) |
大きさは3.75x2.5インチ、シップフィッターのドナルド・G・ドロッディがデザイン、艦内の印刷所で制作された。日本帝国海軍の象徴である旭日旗をバックに、授与されたジャスパー・T・エイカフ提督の名前がタイプされているのが見える。そしてスチュアート・S・マレー大尉、ダグラス・マッカーサー元帥、チェスター・W・ニミッツ艦隊提督、ウィリアム・F・ハルジー提督のサインが印刷されている。時計の針を戻してみよう。連合艦隊司令長官の山本五十六の立案により日本帝国海軍は1941(昭和16)年12月8日、日本時間午前3時19分に真珠湾奇襲を開始、米軍艦隊に大打撃を与えた。そしてフィリピンへの攻撃開始、英国領である香港への攻撃開始、12月10日の英国海軍東洋艦隊に対するマレー沖海戦など、連合国軍に対する戦いで、日本軍は大勝利を収めた。これらの作戦は、これに先立つ11月6日に、海軍軍令部総長の永野修身と同じく陸軍参謀総長の元により上奏された対連合軍軍事作戦である「海軍作戦計画ノ大要」の内容にほぼ沿った形で行われた。しかし1945年に至ると、連合軍は沖縄本島への上陸作戦を行った。そして沖縄へ海上特攻隊として向かった戦艦大和以下は米軍機動部隊の攻撃によって壊滅、残された攻撃手段は特攻機による特攻のみとなってしまったのである。アメリカの国力が圧倒的上回っていたことが自明の理であったことは開戦時から分かっていた、負けるべくして負けた戦争だったのである。降伏文書調印式があらかじめ予定されていたとはいえ、米国海軍の戦艦ミズーリ乗艦記念カードの配布は、戦勝国ゆえの「余裕」の象徴と言えそうだ。
東京湾の米国海軍戦艦ミズーリ(BB-63)甲板で行われた日本の降伏文書調印式(1945年9月2日)
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