2018年2月25日

カーター・ファミリー★人生には陽が当たる日も曇る日もある

Carter Family at XERA Radio Station, Del Rio, Texas in 1939. A.P., Janette, Bill Rinehart, Sara and Maybelle in back, Helen, Anita and June in front.

カーター・ファミリーはジミー・ロジャースと並んで、カントリー音楽の最初のスターだった。アルヴィン・プレザント・カーター、彼の妻サラ、弟の妻メイベルで結成されたこのグループが、その後のアメリカンルーツ音楽シーンに与えた影響は計り知れないものがある。ウディ・ガスリー、ビル・モンロー、ドク・ワトソン、ボブ・ディラン、エミルー・ハリスなど、その信奉者、後継者を上げたら枚挙にいとまがない。カーター・ファミリーの音楽の特長は、彼らがコレクションした膨大な数のアパラチアの伝承歌謡をモダンなスタイルで歌ったことだろう。1927年、RCA のラルフ・ピアがテネシー州ブリストルで行ったヒストリカル・レコーディングをきっかけに一躍有名になった彼らは、ラジオとレコードという新しいメディアを通じて文字通り一世風靡することになる。そして17年間に "Keep On the Sunny Side" など、名曲300余りを残すことになった。


Keep On the Sunny Side (May 9, 1928)

一家は1938年まで故郷ヴァージニア州クリンチマウンテンに留まったが、ボーダーラジオ局XERAと契約、3年間テキサス州に住んだあと、ノース・カロライナ州チャーロットに居を構えた。グループによる最後のラジオ出演は1942年、以降メイベルが3人の娘と「マザー・メイベル&カーター・シスターズ」を結成、演奏活動を継続して「カントリー音楽の女王」と呼ばれるようになった。娘のひとりジューンが1968年、ジョニー・キャッシュと結婚、2003年5月にジューンが亡くなるまで婚姻は続き、その4ヶ月後にジョニーも亡くなった。
There's a bright, there's a sunny side, too
Tho' we meet with the darkness and strife
The sunny side we also may view

Keep on the sunny side, always on the sunny side,
Keep on the sunny side of life
It will help us ev'ry day, it will brighten all the way
If we'll keep on the sunny side of life
映画『オー・ブラザー』(日本公開2001年)を観た人は、劇中にこの曲が歌われていたことに気付いただろうか。かつて高石ともやが『陽気に行こう』と訳して歌ったことでも知られている。陽気に行こう、というのはうまい意訳だと思うが、やや原曲とは外れているような気もしないではない。人生には暗く辛い面があるが、明るく陽が当たる面もあるじゃないか。そっちを向いて生きようという意味なのだが、邦訳を試みたもののやはり難しい。だから原詞のさわり部分をそのままを掲載することにした。今この曲を取り上げた理由だが、背景が今日の状況に酷似しているからだ。1929年から1933年にかけて世界的な恐慌が勃発した。そのような時代にこの曲が生まれたのである。ラジオ、レコードといった当時の新しいメディアによって流れ、人々は勇気を得たのである。安倍政権の経済政策失敗により景気が後退した今、人々は暗い側面に目を向けがちである。でも、ちょっと考えてみよう、人生には明るい陽が当たる面があることを忘れてはならないのだ。

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