2017年10月1日

片腕の写真家ヨゼフ・スデックの偉業

Prichod Noci ©Josef Sudek ca.1948–64

暗箱を背にした晩年のスデック
20世紀を代表する写真家の巨匠はという問いに対し、すぐにアンリ・カルティエ=ブレッソンやアンセル・アダムズなどを頭に浮かべるけど、ヨゼフ・スデック(1896–1976)の名を挙げる人は少ないかもしれない。スデックは「プラハの詩人」と呼ばれているが、こよなく愛したその都市景観と近郊の田園風景の魅力ある写真を残した。ウジェーヌ・アジェ(1857-1927)のパリとは大きく異なり、光を捉えた幻想的な作品である。アジェは日陰になった建物の諧調が潰れるのを嫌い、曇天の日に撮影することを好んだ。それに対しスデックは光が織りなすトーンを大事にしたからである。ボヘミアのコリーンに生まれた彼は、父親の生業だった製本の見習工になった。1915年にハンガリー軍に徴集され、イタリア戦線に送られたが、そこで負傷、傷の悪化により右腕を失ってしまった。入院中、医師からカメラを貸与された彼は患者仲間を撮影することに没頭する。退院後、プラハに戻った彼はグラフィックアート学校で写真を本格的に学んだのである。ピクトリアリズムに傾倒したが、すぐにストレート写真に転向、1924年にチェコ写真協会を設立して前衛表現に関心を寄せるようになった。スデックの写真表現を決定的にしたのは、1962年にチェコ・フィルハーモニー管弦楽団に同行、イタリアを旅した時の出来事だった。コンサートから抜け出した彼は、夜露に濡れた街の光景に強く打たれる。そして「もうどこにも行かない」と決心、プラハの都市景観撮影に集中、1933年に最初の個展開催にこぎつけた。1940年代に入り、ナチにより撮影活動が制限、戦後も社会主義体制のもとで極度に戸外での撮影制限されされたため、窓からの眺めを撮影したが、これは結果的にはシリーズ「アトリエの窓から」という傑作を残した。晩年はパノラマカメラも導入したが、大判の木製暗箱が主な撮影道具であった。健常者でも操作が厄介であるが、片腕というハンディを乗り越えた点に敬服するが、何よりも作品自体の素晴らしさに畏敬の念を抱かざるを得ない。紛れもなく20世紀を代表する写真家の巨匠の一人である。

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