バス停の案内板(京都市下京区七条通堀川)
井上章一著『京都ぎらい』(朝日新書)のあとがきで著者は、七は「ひち」である、と主張している。関東生まれ、関東育ちの私は京都に住んでるけど、「しち」と読む。井上氏は、だから上七軒は「かみひちけん」であり、七条は「ひちじょう」だという。私は「かみしちけん」「しちじょう」と呼んでいる。東本願寺のホームページのアクセスマップの英語版を見ると、バス停の烏丸七条は「Karasuma Shichijo」と書いてあるから、同寺は関東人に迎合しているかもしれない。その市バスだが、いつの間にか「ななじょう」と車内アナウンスするようになったし、バス停のローマ字は「Nanajo」と表記されるようになった。これは京都人ではない私でも違和感を禁じ得ない。一条(いちじょう)四条(しじょう)と紛らわしいという理由と言われている。しかしその四条も「よんじょう」と呼ぶようになるかもしれない。まさか九条葱(くじょうねぎ)で知られる九条は「きゅうじょう」にならないだろうけど。
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