2018年12月5日

英国製釣り用バッグの魅力

Brady Small Ariel Trout and Fujifilm Finepix X100

市バスの中で「ブレディのバッグですね」と声をかけられた。どこかで見た顔だと思ったら、なんと10数年ぶりの邂逅、フォーク歌手の平賀久裕君だった。目を合わせた途端、私のことを思い出し、びっくり仰天した様子だった。風の頼りに、関西電力京都支店前の反原発抗議行動で、ヴァイオリンを弾いていると聞いていた。今はやめて、高齢者介護デイサービスの送迎バスの運転手をしているという。それにしても奇遇だが、持ち物のバッグを褒められたのは初めてである。それにしても、平賀君が釣りを趣味にしているいうこは聞いていない。私と同様、アームチェア・アングラーなのだろう。購入時の覚え書きはこんな具合だった。

物欲は戒めなければならない。しかし物欲をなくしてしまうと、まるで仙人のようで、人間らしくなくなってしまうような気もする。最近はカメラを欲しいとは余り思わないが、カメラを入れるバッグはときどき新しいものを買いたくなる。何故だろう。洋服に合わせてハンドバッグを変える女性ほどではないが、カメラの種類によってバッグが違っても可笑しくはないだろう。タウン歩きに携行するのはもっぱら富士フイルムのコンパクトデジタルカメラ Finepix X100 だが、これまでは英国ビリンガム社のハドレー・スモールをもっぱら愛用してきた。かなり酷使してきたので、生地が色褪せ、買い換えることにした。おおむね横幅 30 センチのものを探すことにした。まず思いついたのはハドレー・スモールより一回り大きい5シリーズだった。大きさも W32xD22xH23 センチとちょうど良く、カメラを保護する仕切り付きのインナーバッグがついている。しかし同じビリンガムなので変わり映えがしない。そこで釣り用バッグを物色することにした。

Brady Bags - Since 1887
英王室御用達のハーディ社のバッグはどうかと調べたところ、横幅 30 センチというと、ベルトバックルがひとつのブルックバッグしかない。ポケットとベルトバックルがふたつずつあるタイプの一番小さいテストバッグは、横幅が 38 センチもあり大き過ぎる。そこで落ち着いたのがブレディ社のスモール・アリエル・トラウトだった。大きさは W35xD9xH27 センチでちょうど良い。ただし釣り用なので、カメラを保護するインナーバッグはついていない。ブレディ社は1887年、英国バーミンガムで、レザーケースを作ることから始まったメーカー。1920年からアメリカでのビジネスがスタートし、英国では銃ケースやフィッシングバッグ、アメリカではレザーバッグの一流ブランドとして一躍有名になった。このタイプのバッグを好むのは、伝統的なデザイン、製法にある。コットンより合繊繊維の生地を使用したバッグのほうが防水性に優れ、頑丈で軽いだろうけど、機能一点張りで惹きつけるものに乏しい。ファスナーやマジックテープを使っていない、という単純な理由も私にとって重要で、いわば素朴の美学と言って良いだろう。それは壊れる部分が少ないということで、道具としての本質的な価値を持っているのではないだろうか。機能を増やせば構造がより複雑になり、壊れやすく、長年の使用に耐えないだろう。そんな気がするのである。

2018年12月3日

雨もよし晴れるもよし雨奇晴好は仏教の悟り

仲源寺本尊地蔵菩薩坐像(京都市東山区四条通大和大路東入る)

起き上がりミニ達磨
京都の祇園、南座の少し東にある仲源寺、通称目疾(めやみ)地蔵に寄ってみた。繁華街のど真ん中だが、桃山時代の唐門が歩道を覆うアーケードの屋根に隠れているので、うっかり見落とす人がいるようだ。ふだんは本堂の延命地蔵菩薩坐像の前に格子戸があるが、節分の季節になれば明け放たれる。木箱には一年間、各家庭に置かれていた無病息災祈願の小さな起き上がり達磨人形が返納され、人々は次々に新しい達磨を求めて行く。寺務所でいただいた参拝の栞には、大正時代に第21世説阿快善住職が記した目疾地蔵の略縁起が復刻されている。安貞二年(1228)の暴風雨で鴨川が氾濫したが、四条河原にあった小堂の地蔵菩薩のお陰で、溺れかかった人が水面に浮かび上った。そして「中原」の傍らに人と水を添えて「仲源寺」と名付けたという。以来人々は「雨止(あめやみ)地蔵」と呼ぶようになったという。

無病息災祈願
この地蔵を熱心に信仰する宗円、妙昌という老夫婦が錦小路にいた。宗円が眼を患い盲目となった。ところが夢の中に地蔵が出てきて、身代わりになって病の苦しみを救ってくれるという。妙昌が仲源寺の水を汲んで目を洗うと視力が快復した。ところがその代わりに地蔵の目が赤くなってしまった。その跡が今でもあり、人々は「目疾(めやみ)地蔵」と称するにようになった。「あ」の一字が取れて地蔵の名が転じたという伝説である。医学が発達した現代だが、さまざまな眼病に悩む人たちの参拝が絶えないという。境内の一角の祠に千羽鶴が吊ってあった。病気快癒の願いが託されているのだろう。冷たい風が通り抜け、鶴たちが大きく揺れた。翼が羽ばたき、今にも飛び立ちそうに見えた。四条通の喧騒に戻り、振り返って唐門を見上げると、扁額に「雨奇晴好」とあった。雨もよし、晴れるもよし。人生は必ずしも順調ではない。しかし悲運、逆境にひしがれていては駄目だと諭したものだろう。

2018年12月2日

年賀状をやめようかと思うけど

干支にちなんで 今年の年賀状に使用した 犬函の写真

師走。年賀状のシーズンがやってきたが、いろいろ思案した末、もうやめようかと思い始めた。年賀状の存在意義は、今や会わなくなった古い友だちが、元気に暮らしているという知らせに接することができることだ。これは捨てがたい。一方、年末に時間をかけて何百枚も書くのは正直、大変だ、という気持ちがよぎる。これまで出してきた年賀状は、通信面は写真、そしてあて名は印刷ではなく、万年筆で書いてきた。ところが受け取る年賀状の大半は、両面とも印刷で、何となく意味が薄れつつあるんじゃないかと感じ始めたからだ。そしてそんな気持ちになるのは、友だち付き合いに変化が生じているという現実がある。つまり近況を伝えるなら、電子メールや SNS で新年の挨拶をすればでいいんじゃないか、という気持ちが働く。というわけで、思いがいろいろ錯綜するが、今月中旬までに結論を出そうかと思っている。

2018年12月1日

保存写真を Flickr からダウンロードする

ダウンロードボタン をクリックして開始

今月初めに投稿した「写真共有サイト Flickr のサービス変更」で触れたように、2019年1月8日以降、フリーアカウントは 1,000 点の写真あるいはビデオに制限される。プロアカウントに切り替えようと思ったが、写真のストレージは Google フォトでできるし、フォーラムからも遠ざかってるので、このまま放置することになった。私は自分のファイルにクリエイティブ・コモンズのライセンス設定をしている。その場合、削除されないというアナウンスがあったが、果たしてどうなるか2月になるまで不明である。今日の時点で保存している写真は 5,753 点もあるが、これが一挙に 1,000 点に減らされる危惧は払拭できない。そこで一部、スキャナで取り込んだ書籍の写真などを、暇をみてはダウンロードし始めた。やり方は簡単だ。ターゲットのアルバムを表示、ダウンロードボタン をクリックすると ZIP ファイルが自動生成される。

    201811294cfe920332c465a1b4fbf7dd28c52e317206b23efa90102238b7a78dcf7b91e8.zip

ただこのような意味不明の長ったらしいファイル名になるので、例えば書籍のスキャン画像なら books.zip と変更すれば分かりやすくなる。ファイル数が多い場合は分割圧縮されるので、books#1.zip、books#2.zip という具合に命名したら良いと思う。アルバムを作ってない場合は、メニューバーの Camera Roll をクリックすると、写真をカテゴリー分類した一覧が表示される。例えば architecture:building なら、建物の写真という具合である。そこで Select all ボタンを押すと、ダウンロードマークが表示される。後はアルバムと同じ手順で圧縮ファイルが自動生成される。ファイル数が多いとちょっと時間がかかるが、出来上がると「zip ファイルをダウンロードできます」という表示、あるいは Flickr メールが届くようになっている。