2025年9月2日

ドナルド・トランプ大統領の Truth Social への投稿は「真実」ではない

Trump's Profile Image
トランプ大統領のプロフィール画像

ドナルド・トランプ大統領ほどソーシャルメディアを活用した政治指導者はいない。しかし、2022年に彼が設立したソーシャルメディアプラットフォーム Truth Socia における最近の投稿は、ますます奇妙になっている。同プラットフォームのユーザー基盤が小さく、監視が緩いことを逆手に取って、大統領はまさに奔放な発言をしている。就任以来の何百もの「真実」の中で、トランプ大統領は、貿易戦争の結果株価が暴落する中 Truth Social を利用して自らを再び王様として思い描き、アメリカ国民に「冷静に」と促してきた。大統領は、大文字、句読点、不正確なスペルをメッセージ全体で一貫してランダムに使用しているだ。トランプの投稿は、大きく分けて3つのカテゴリーに分類される。敵とみなす人物への攻撃、称賛のリポスト、そして家族のグループチャットに高齢の親戚が映っているような、文脈のない自身の画像や動画の投稿だ。トランプは大統領就任後224日経った9月1日現在、問題に直面している。怒りは爆発するが、統治はできないのだ。裁判官、あるいはトランプ大統領が言うところの「極左裁判官」たちは特に批判にさらされており、大統領は通常の礼儀を無視して、正当な手続きを経ずに人々を国外追放するのを許さない司法関係者を激しく非難している。「我が国の裁判所はどうなっているのか? 完全に制御不能だ」とトランプ大統領は4月18日、政府は正当な手続きなしに外国人を出身国以外の国に強制送還することはできないとする判事の判決に反応して書いた。

Truth Social

その後トランプは、ジョー・バイデン前大統領が24時間以内に50万人以上の不法移民をアメリカに飛行機で送り込んだという驚くべき虚偽の主張をし「この過激派判事はジョー・バイデンが50万人以上の不法移民をたった1日でアメリカに送り込めると言っている。だが、全員を帰国させるには何年もかけて長く退屈な裁判を開かなければならない」とと付け加えた。述べている。しかし、トランプのTruth Socialアカウントには、時折、心温まる瞬間が見られる。例えば、フランシスコ教皇の死をドナルド・トランプ氏ほど敬意をもって扱った人物はいないだろう。「メラニアと私はローマで行われるフランシスコ教皇の葬儀に参列します。出席できるのを楽しみにしています!」とトランプは教皇の死去から数時間後に投稿した。続いてホワイトハウスで行ったスピーチの動画を投稿し、イースターバニーの隣に立ちながら教皇を「良い人」と称賛した。投稿は目まぐるしく、トランプ氏はTruth Social に1日に10回以上も頻繁に書き込み、時折「理想の独身者」や「国際的な独身者」の広告が目につく程度だ。法の支配への不満や個人的な恨み節といった言葉が飛び交う中、トランプは時折 Truth Social を利用していない人々、つまりほとんどの人にとって知っておいて損のない情報を発信している。下記リンク先はニューヨークタイムズ紙の「ソーシャルメディア Truth Social はトランプに公式の代弁者と収入源を与えた」です。

New York Times  Truth Social Trump Has Official Mouthpiece & Channel for Revenue | The New York Times

2025年9月1日

降伏文書調印式の戦艦ミズーリ乗艦記念カード

Japanese surrender on board the USS Missouri
東京湾のアメリカ海軍戦艦ミズーリの甲板で行われた降伏文書の調印式 ©1945 カール・マイダンス
戦艦ミズーリ乗艦記念カード(1945年9月2日)

第二次世界大戦における日本の降伏は、昭和天皇が「玉音放送」をして日本政府がポツダム宣言の受諾したことを公表した、1945年8月15日だったというのが一般的な認識だと思われる。いわゆる「終戦の日」である。しかし日本政府及び連合国代表が降伏文書に調印した日は、1945年9月2日だった。連合国ではこの日を「対日戦勝記念日」としている。イギリス海軍太平洋艦隊司令官ブルース・フレーザー海軍大将は、8月16日にアメリカ海軍戦艦ミズーリ(BB-63)に乗艦、同8月21日に東京に上陸する占領部隊のため200名の士官及び兵士を戦艦アイオワに移乗させた。その後8月29日に降伏調印式準備のため東京湾に入った。降伏文書調印式は、9月2日に東京湾に停泊中の戦艦ミズーリの甲板上で行われ、アメリカ、イギリス、フランス、オランダ、カナダ、ソビエト連邦、オーストラリア、ニュージーランド、中華民国が調印して日本の降伏を受け入れた。写真は同艦に乗艦していた乗組員に配られた記念カードである。

山本五十六(1941年12月22日号)

大きさは3.75x2.5インチ、シップフィッターのドナルド・G・ドロッディがデザイン、艦内の印刷所で制作された。日本帝国海軍の象徴である旭日旗をバックに授与されたジャスパー・T・エイカフ提督の名前がタイプされているのが見える。そしてスチュアート・S・マレー大尉、ダグラス・マッカーサー元帥、チェスター・W・ニミッツ艦隊提督、ウィリアム・F・ハルジー提督のサインが印刷されている。時計の針を戻してみよう。連合艦隊司令長官の山本五十六の立案により日本帝国海軍は1941年12月8日、日本時間午前3時19分に真珠湾奇襲を開始、米軍艦隊に大打撃を与えた。そしてフィリピンへの攻撃開始、英国領である香港への攻撃開始、12月10日のギリス海軍東洋艦隊に対するマレー沖海戦など、連合国軍に対する戦いで、日本軍は大勝利を収めた。これらの作戦は、これに先立つ11月6日に、海軍軍令部総長の永野修身と同じく陸軍参謀総長の元により上奏された対連合軍軍事作戦である「海軍作戦計画ノ大要」の内容にほぼ沿った形で行われた。しかし1945年に至ると、連合軍は沖縄本島への上陸作戦を行った。そして沖縄へ海上特攻隊として向かった戦艦大和以下はアメリカ軍機動部隊の攻撃によって壊滅、残された攻撃手段は特攻機による特攻のみとなってしまったのである。アメリカの国力が圧倒的上回っていたことが自明の理であったことは開戦時から分かっていた負けるべくして負けた戦争だったのである。降伏文書調印式があらかじめ予定されていたとはいえ、アメリカ海軍の戦艦ミズーリ乗艦記念カードの配布は、戦勝国ゆえの「余裕」の象徴と言えそうだ。下記リンク先はアメリカ海軍歴史遺産司令部の「日本軍の降伏式典を記念した記念カード(1945年9月2日)」です。

historian  Souvenir Cards from COMSUBRON for Japanese Surrender Ceremony, 2 September 1945