2024年3月29日

なぜビル・モンローはカウボーイハットを愛用したのか

>Bill Monroe

下の写真は1928年にヴァージニア州ゲイラックスで撮影されたストーンマン・ファミリーである。前列中央がアーネスト・ストーンマン(1893–1968)だが、かぶっている帽子がカウボーイハットに見える。ヴァージニア州キャロル郡のモナラットの丸太小屋で生まれた彼が、どうしてカウボーイハットなのか不思議だ。1927年のブリストルセッションでカーターファミリーなどとビクターのために録音、カントリー音楽の本格的商業化が始まった。カウボーイハットの原型はジョン・B・ステットソン(1830–1906)が自分のために作った大きなフェルト帽という説があるようだ。ステットソンのフェルト帽を買い求めたのがカウボーイだったので、これをカウボーイハットと呼ぶようになったかもしれない。ステットソンは最終的には世界最大の帽子メーカーになり、フィラデルフィアの9エーカー(36,000㎡)に広がる工場で、なんと年間330万個以上の帽子を生産したという。これは推測に過ぎないが、黎明期のカントリー音楽のミュージシャンたちは、ステットソンの帽子をカウボーイハットという認識を持っていなかった可能性がある。ステットソンのウエスタンハットがカウボーイハットとしてイメージが定着したのは、やはり西部劇の影響が大きいのではないだろうか。カントリー音楽の巨星ハンク・ウィリアムズ(1923–1953)もステットソンの帽子を着用していたが、バンド名のドリフティング・カウボーイズが象徴的だ。今やカントリー音楽の世界では、カウボーイハットが「制帽」と言って良いだろう。

Stoneman Family
Stoneman Family, Galax, Virginia, 1928.
The Monroe Brothers (Victor RA-5281)

ブルーグラス音楽の世界でもカウボーイハットは決して珍しくはない。レスター・フラット(1914–1979)とアール・スクラッグス(1924–2012)が率いたフォギー・マウンテン・ボーイズもステットソンの帽子をかぶっていた。最近ではブルーグラス音楽の麒麟児ビリー・ストリングス(1992-)も時々着用しているようだ。余談ながらアール・スクラッグスがバンジョーを片方の肩に掛けていたのは、そうすることで帽子を脱がずにバンジョーを取り外せたからだったようだ。注目すべきはブルーグラス音楽の始祖ビル・モンロー(1911–1996)の帽子である。兄チャーリーとのモンロー・ブラザースの時代からステットソンの帽子を愛用していた。グランド・オール・オプリに登場したころのブルーグラス・ボーイズの写真を見ると、衣装には5つの基本要素があったことが分かる。象徴的なのはジョッパーズと乗馬ブーツで、キツネ狩りなどのレジャー活動に十分な財力があることを暗示しているのである。

  1. 半分から全体のふくらはぎまでの長さの黒くて光沢のある乗馬ブーツ
  2. カーキ色のジョードプル・ライディング・ブリーチズ
  3. きちんとプレスされた長袖のボタンダウンシャツ
  4. ネクタイは通常斜めのストライプ柄でベルトより下には下げない
  5. ステットソンのカウボーイハット

オリジナルのブルーグラス・ボーイズが誕生したのは1939年だった。ビル・モンローの意図を推測するのは難しいけど、ブルーグラス・ボーイズのドレスコードやステージでの見せ方については、テネシー州ナッシュビルのグランド・オール・オプリの興行主であるジョージ・D・ヘイ(1895–1968)の圧力に大きく影響されていたのではないかと考えられる。ヘイはステージショーのために、みんなに本物の「カントリー」を見せたかったのだろう。彼はミュージシャンのためにカントリー調のステージ上の人格を考案し、それに合わせて派手なモノマネをしたのである。アンクル・デイブ・メイコン(1870–1952)はディキシー・デュー・ドロップとなった。モンローは、ヘイが好んでいた下品で搾取的で自虐的な田舎の風刺画から離れて、ケンタッキーの貴族と呼ばれるイメージに向かうことで、他のオプリの仲間たちとは一線を画そうとしたのだと考えられる。

Bluegrass Boys

しかしもう少し踏み込むと、この理論は「キャデラックは50年代のアメリカ郊外の家族にとって、大恐慌時代のケンタッキー州の田舎の家族にとってのカーキ色のジョッパーズと高い乗馬靴のようなものである」という怪しげな方程式を導き出す。このような論理は、モンローがこのヌーヴォー・リッチなたわ言を信じていたこと、つまり、彼が自分のさまざまな衣服やアクセサリーが文化的にコード化され、オプリーの観客にとって読みやすいシンボルであると信じていたことを前提としている。キャデラック説はありえないし、その仮定は不合理きわまりない。いずれにしても、音楽と観客への敬意を示すために、格好良くすることがポイントだったと言ってもいいと思われる。不思議なことに、上に挙げた5つの要素のうち最初の4つは、モンローのキャリアを通してブルーグラス・ボーイのドレスコードに入ったり入らなかったりしたが、そのほとんどは10年以内に消えてしまったのである。その中で、ステットソンのカウボーイハットだけは不変だった。1996年に亡くなる最後まで。

Stetson Hat  The Story and biography of John B. Stetson (1830–1906) Inventor of the Cowboy Hats

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