2022年1月20日

京都東山安井から祇園界隈を歩く

縁切り縁結び碑
安井金毘羅宮(京都市東山区東大路通松原上る)

清水寺の千体石仏群を撮ろうと出かけたが、途中で気が変わって「東山安井」で市バスを降りた。縁切りで知られる神社を覗いてみようと思ったからだ。縁切り祈願といえば河原町通二条上るにある法雲寺を思い出す。菊野大明神という通り名で知られているが、広く全国には知られていないようだ。薄暗い祠、無数の赤い提灯、何やら恐ろしげな雰囲気が漂っている。それに比べると、この金毘羅宮は何となくあっけらかんとして、明るい感じがしないでもない。この界隈はかつて曖昧宿があったような風情だが、今は古びたラブホテルが細々と営業しているようだ。境内にある有名な縁切り碑(いし)は、どうみても男女の仲に関係するものと勘ぐってしまう。縁を切りたいのはなにも恋愛沙汰のことでばかりではなく、病気などの災いも含めるのだが。大きな石を潜ると悪縁を切り、良縁結びが叶うという。夥しい数の形代(かたしろ)が碑に貼ってあった。いずれも比較的新しいもので、おそらく初詣がてら祈願されたものだろう。縁切りは碑の表から裏へ、縁結びは裏から表に抜けると祈願成就するという。参詣客を観察していると、片道ではなくみな往復している。おそらく「悪縁を絶ち、良縁を結ぶ」という願いなのだろう。ウェブサイトには「良縁に結ばれたご夫婦やカップルがお参りされても縁が切れることはありませんのでご安心を」とある。無論その通りなのだろうけど、しかし本来、あくまで縁切り、特に男女間のそれを願う人々によって支えられてきたのではないだろうか。

双龍図
建仁寺(京都市東山区大和大路四条下る)

建仁寺はここから歩いてすぐ近くにある。若いころ花街に通い詰め、酒席で禅宗の高僧と何度か一緒になったことがある。座禅したいと言ったら「中途半端だと心の怪我をするからやめときなはれ」と糺されたことを思い出す。だから近くにあった建仁寺を訪ねることはなかった。初めて参詣したのは、ずいぶん前で、確か方丈を特別公開した時だった記憶している。方丈と法堂(はっとう)の間の空中に電線が浮かんでいたが、どうやら地中化したようですっきりしている。かつて入れなかった奥の部屋も拝観できるようになった。本坊の中庭には「潮音庭」と同じく、北山安夫が造園した「□△〇乃庭」がある。□△〇 は仙厓義梵(せんがいぎぼん)の書で有名だが、拝観の栞によると、これは宇宙の根源的形態を示し、地、水、火を象徴したものだという。しかし凡人の私には -■-▲-●-(おでん)に見える。方丈から渡り廊下を進み、法堂に入る。見上げると天井に大きな龍が二頭、小泉淳作の天井画「双龍図」である。法堂は1765(昭和2)年に上棟、天井画は2002(平成14)年に伽藍建立800年を記念して描かれたものだという。薄暗かったが、デジタルカメラは高感度設定できるので、手持ちで何とか撮影できた。フィルムカメラなら三脚が必要だろう。北門を出ると、そこは懐かしき祇園甲部歌舞練場。その向かい側にはライカ京都ギャラリーがある。京都はいわば「国際電線都市」の汚名をかぶっている。花見小路の電線の地下化は街並みの美観上好ましいが、いざ電柱がなくなると、お茶屋などの建物が映画撮影所のハリボテのセットのように見えるから不思議だ。インバウンドで外国人観光客が溢れかえっていたにも関わらず、新型ウイルス感染症パンデミックによって、その姿が見えなくなって久しい。祗園の舞妓芸妓の学校、女紅場学園近くにあった昔馴染みの店を探したが、やはり暖簾は消えていた。

鳥居東山安井の縁切り縁結びの神社安井金比羅宮   Buddha  京都最古の禅寺臨済宗建仁寺派本山建仁寺

0 件のコメント: