2022年1月29日

ヒットラー投稿反発は大阪府コロナ激増の話題逸らし

Adolf Hitler

立憲民主党の菅直人元首相が元日本維新の会代表の橋下徹などを「弁舌は極めて歯切れがよく...ヒトラーを思い起こす」とツイートした。これに対し橋下徹は「ヒトラーへ重ね合わす批判は国際的にはご法度」と述べ、吉村洋文大阪府知事は「国際法上ありえない」と反発した。しかしヒトラーにたとえて批判することが「国際的にはご法度」というのは誤りである。政治家など影響力を持つありとあらゆる人物が、ヒトラーにたとえて批判されてきた。アメリカの大統領では、ブッシュ、トランプ、バイデンなど。ドイツのメルケルすら、ヒトラーにたとえられたことがある。日本維新の会は1月26日、立憲民主党の泉健太代表宛てに「世界を第二次世界大戦に巻き込み、ユダヤ人虐殺など、非道の限りを尽くしたナチス・ドイツの独裁者アドルフ・ヒトラーを、民間人の橋下氏および公党たる日本維新の会を重ね合わせた発言であり、看過できない。 いったい、どのような人権感覚を持っているのか」という抗議文を、藤田文武幹事長が党本部を訪れ手渡した。

Naoto Kan's Tweet

これに対し菅直人は「1月21日の私のツイッターでの発言に対し、維新の馬場伸幸代表名で立憲民主党泉代表に謝罪を求める抗議文が1月26日に来た。私のツイッターでの発言は党の指示によるものではなく私自身の意志であり、抗議するなら私にすべき。議員会館での馬場代表の部屋は隣だ。もちろん謝罪することはあり得ない」とツイートしている。この騒動は泥沼化しているが、衆議院議員の米山隆一は「それなら2012年は維新が民主に同じ事を言っているので、当時民主党幹部の菅氏に、まず維新・橋下氏が謝るべきかと思います」「2012年に橋下氏が『ヒトラーの全権委任法以上だ』と言っているわけですから、それを棚に上げて菅さんだけを批判するのは、明らかにおかしいということでツイートさせていただきました」「(吉村洋文は)ありもしない国際規範を、自分が専門家のていででっちあげるのは、弁護士としても、大阪府知事・市長を歴任した者としても、知的誠実さに欠けていますよ」とブーメランを投げている。吉村洋文は菅直人のヒットラー投稿に対して吠え続けているが、コロナ感染者が激増している大阪府の現状の話題を逸らそうとしているのだろう。下記リンク先で、元東京都知事の舛添要一が一刀両断、双方を批判している。

magazine ヒトラーが蘇ったら怒るはず "ナチス研究者" 舛添要一氏が維新も菅氏もバッサリ | SmartFLASH

2022年1月20日

京都東山安井から祇園界隈を歩く

縁切り縁結び碑
安井金毘羅宮(京都市東山区東大路通松原上る)

清水寺の千体石仏群を撮ろうと出かけたが、途中で気が変わって「東山安井」で市バスを降りた。縁切りで知られる神社を覗いてみようと思ったからだ。縁切り祈願といえば河原町通二条上るにある法雲寺を思い出す。菊野大明神という通り名で知られているが、広く全国には知られていないようだ。薄暗い祠、無数の赤い提灯、何やら恐ろしげな雰囲気が漂っている。それに比べると、この金毘羅宮は何となくあっけらかんとして、明るい感じがしないでもない。この界隈はかつて曖昧宿があったような風情だが、今は古びたラブホテルが細々と営業しているようだ。境内にある有名な縁切り碑(いし)は、どうみても男女の仲に関係するものと勘ぐってしまう。縁を切りたいのはなにも恋愛沙汰のことでばかりではなく、病気などの災いも含めるのだが。大きな石を潜ると悪縁を切り、良縁結びが叶うという。夥しい数の形代(かたしろ)が碑に貼ってあった。いずれも比較的新しいもので、おそらく初詣がてら祈願されたものだろう。縁切りは碑の表から裏へ、縁結びは裏から表に抜けると祈願成就するという。参詣客を観察していると、片道ではなくみな往復している。おそらく「悪縁を絶ち、良縁を結ぶ」という願いなのだろう。ウェブサイトには「良縁に結ばれたご夫婦やカップルがお参りされても縁が切れることはありませんのでご安心を」とある。無論その通りなのだろうけど、しかし本来、あくまで縁切り、特に男女間のそれを願う人々によって支えられてきたのではないだろうか。

双龍図
建仁寺(京都市東山区大和大路四条下る)

建仁寺はここから歩いてすぐ近くにある。若いころ花街に通い詰め、酒席で禅宗の高僧と何度か一緒になったことがある。座禅したいと言ったら「中途半端だと心の怪我をするからやめときなはれ」と糺されたことを思い出す。だから近くにあった建仁寺を訪ねることはなかった。初めて参詣したのは、ずいぶん前で、確か方丈を特別公開した時だった記憶している。方丈と法堂(はっとう)の間の空中に電線が浮かんでいたが、どうやら地中化したようですっきりしている。かつて入れなかった奥の部屋も拝観できるようになった。本坊の中庭には「潮音庭」と同じく、北山安夫が造園した「□△〇乃庭」がある。□△〇 は仙厓義梵(せんがいぎぼん)の書で有名だが、拝観の栞によると、これは宇宙の根源的形態を示し、地、水、火を象徴したものだという。しかし凡人の私には -■-▲-●-(おでん)に見える。方丈から渡り廊下を進み、法堂に入る。見上げると天井に大きな龍が二頭、小泉淳作の天井画「双龍図」である。法堂は1765(昭和2)年に上棟、天井画は2002(平成14)年に伽藍建立800年を記念して描かれたものだという。薄暗かったが、デジタルカメラは高感度設定できるので、手持ちで何とか撮影できた。フィルムカメラなら三脚が必要だろう。北門を出ると、そこは懐かしき祇園甲部歌舞練場。その向かい側にはライカ京都ギャラリーがある。京都はいわば「国際電線都市」の汚名をかぶっている。花見小路の電線の地下化は街並みの美観上好ましいが、いざ電柱がなくなると、お茶屋などの建物が映画撮影所のハリボテのセットのように見えるから不思議だ。インバウンドで外国人観光客が溢れかえっていたにも関わらず、新型ウイルス感染症パンデミックによって、その姿が見えなくなって久しい。祗園の舞妓芸妓の学校、女紅場学園近くにあった昔馴染みの店を探したが、やはり暖簾は消えていた。

鳥居東山安井の縁切り縁結びの神社安井金比羅宮   Buddha  京都最古の禅寺臨済宗建仁寺派本山建仁寺

2022年1月16日

敗訴で強制送還のノバク・ジョコビッチ

Novak Djokovic vs Covid-19
Novak Djokovic vs Covid-19 vaccine ©2022 Emanuele Del Rosso

複数の海外メディアによると、ノバク・ジョコビッチの国外退去に対する控訴は、1月16日(日)、オーストラリア連邦裁判所によって却下された。新型コロナウィルスのワクチンを接種していない、セルビア人のテニス選手の追放を求めた政府が勝訴したのである。長いドラマの終わりである。同裁判所の3人の裁判官は、金曜日に再承認されたのジョコビッチのビザを、公益上の理由から取り消すという、入国管理大臣の決定を満場一致で承認した。そのため、世界ナンバーワンのテニス選手は、史上21個目のグランドスラム・タイトル獲得を目指していたが、月曜日の全豪オープンに出場することができなくなった。土曜日に裁判所に提出した資料の中で、アレックス・ホーク移民相は、新型コロナウィルスのワクチンを接種しておらず、入国書類に嘘を書いたジョコビッチの存在は「オーストラリア社会に健康上のリスクをもたらす可能性がある」と主張した。

COVID-19

また「反ワクチン」を助長し、オミクロンの変種が急速に広がり続けているため、オーストラリア人が予防接種を受けるのを躊躇する可能性があると述べたという。ワクチンを接種しない人は「接種を避けたい」「接種すべきではない」と大きくふたつに分類されると思う。例えば高アレルギー患者の場合、重篤な副作用が起こるのではと心配、接種を忌避する人も少なからずいるかもしれない。いや大丈夫と説得しても尻込みする気持ちは理解できる。問題は後者で、1月15日(土)付けニューズウィーク日本版によると、ジョコビッチは、専門家の見解よりも「ポジティブ思考により食べ物と水から毒を取り除ける」などという類いの持論を信じて行動してきたと指摘し「エセ科学を信じる無責任」と批判している。曰く「オーストラリアの法律を守ろうとせず、国民の命を危険にさらす人物は、国外に追い出せばいい。それだけのことだ」と斬り棄てている。科学的根拠を示すことができないワクチン批判は、影響力がある著名なスポーツ選手だけに、やはり残念ではある。

CNN  Melbourne (CNN) - Novak Djokovic leaves Australia after court rejects visa challenge

2022年1月13日

携帯型オープンリール録音機 Nagra への絶えない憧憬

Nagra IV-S
Nagra IV-S
Stefan Kudelski (1931–2013)

ソーシャルメディア Facebook のニュースフィードに携帯型オープンリール録音機の写真が流れた。心理学者のフェリックス・ヘイマン博士の投稿である。「ゴルバチョフ大統領の装甲リムジンが、パリのソビエト連邦大使館前の道路で Nagra(ナグラ)を轢いたのを見たことがある。憤慨したフランスのテレビ局の録音技師がその機械のスイッチを入れると、確かに筐体が曲がってはいたが、まだ動くのだった。Nagra は他のオープンリール式の録音機と違って、テープが常に同じ速度で回転する技術を持っている。つまり、移動中の車内や歩く速度で使っても、ワーッという音はしないし、電池が切れても大丈夫。編集台もありそこで剃刀と1/4インチの粘着テープを使って切りそろえるのだ」云々。Nagra は1951年からスイスで生産されている携帯型オーディオ録音機のブランド。確か1970年代初頭だったと思うが、この Nagra の録音機が欲しくてたまらなかったことがある。アメリカのフォークリバイバル運動の担い手たちは、この録音機を使ってフィールド録音をしていた。その真似事をしてみたかったのだが、すでに新聞社のスタッフだったし、高価で到底手が届かない代物だった。ポーランド人発明家ステファン・クデルスキ(1931–2013)が設計し、その精度と信頼性から数々の技術賞を受賞した。Nagra とはクデルスキの母国であるポーランド語で「記録する」という意味である。

Nagra SN
Nagra SN

1951年に登場した Nagra 1号機は時計仕掛けのモーターとミニチュアチューブを備えた最初のプロトタイプだった。私が欲しかったのは1971年に発売された Nagra IV-S で、10インチの録再も可能な、2トラックのステレオ機だった。その性能もさることながら、いかにも精密機械というデザインに惹かれるものがあった。その極地といも言えるのが SN シリーズで、なんと 14.5x10x2.6 センチ、手のひらに収まりそうな大きさである。ただ、これらのテープレコーダーは現在は生産しておらず、デジタル録音機に移行している。アナログファイルの音質を重視、カセットテープを再評価する動きがあるが、まだ大きく広がっていない。Nagra は精密機械として魅力に満ちている、ライカのフィルムカメラと同様、一部の愛好家の蒐集品と化しているようだ。

gear Nagra IV-S | The first stereo analog recorder in Nagra's range, manufactured in 1971.

2022年1月10日

ペルーのクスコのスタジオをヒントに自然光に拘ったアーヴィング・ペンの鮮明な写真

Veiled Women
Three Veiled Women of Rissani, Morocco, 1971

Self-Portrait 1986

アーヴィング・ペンは、1917年6月16日にニュージャージー州ペイン・フィールドで生まれた。静物、ポートレート、ファッションで知られるアメリカの写真家である。1934年から1938年にかけて、フィラデルフィア工業美術学校に入学。そこでアレクセイ・ブロドヴィッチ(1898–1971)に師事し、絵画、デッサン、工業美術、グラフィックを学んだ。この間『ハーパーズ・バザー』誌にペンのドローイングが多数掲載された。2年間フリーランスのデザイナーとして活躍した後、1940年にアレクセイ・ブロドヴィッチの後任としてニューヨークのマンハッタンの5番街 を拠点とする、高級百貨店チェーン「サックス・フィフス・アベニュー」のアートディレクターに就任した。その後、メキシコやアメリカで写真や絵画の制作を行う。ニューヨークに戻ったペンは、アレクサンダー・リバーマン(1912–1999)から『ヴォーグ』誌のアート部門の仕事を依頼された。当初は雑誌のレイアウトを担当し、後に写真にも挑戦した。1983年、彼の写真は初めて『ヴォーグ』誌の表紙を飾った。

JeanPatchett
Woman with Handkerchief, New York, 1951

前後するが、1948年12月、ペンはペルーのクスコに滞在した。そこで傾斜した天井と、壁がガラス張りの自然光を使った写真スタジオを見つけ、幼い兄妹を撮影した。これをヒントに欧米の自然光スタジオで労働者を撮影、そして同じような自然光が差す場所で1964年、クレタ島の人々、1965年にスペインのエストレマドゥーラのロマ(ジプシー)を撮影した。その後、アフリカのダホメの人々を撮るために、テント式の移動スタジオを考案した。1967年になるとサンフランシスコでバイカーギャング地獄の天使、若きヒッピー家族、そしてロックグループを撮っている。この撮影シリーズはネパール、ニューギニア、モロッコと続いたが、1974年に出版された。数ある著書の中での最高傑作だと私は思う。そのキャリアは、著名人やクリエイターのポートレート、世界を歩き回り文化現象を発見する写真、ファウンド・オブジェを含むモダニズムタッチの静物画など多岐にわたる。 グレーや白の無機質な環境に被写体を置くことで、独自のシンプルなスタイルを確立する。

Hell's Angels
Hell's Angels Group, San Francisco, 1967

また直角に曲がった背景のセットを構成し、渋くシャープなコーナーを形成している。この手法でマルセル・デュシャン(1887–1968)ジョージア・オキーフ(1887–1986)イーゴリ・ストラヴィンスキー(1882-1971)マーサ・グレアム(1894–1991)W・H・オーデン(1907–1973)などのポートレートを撮影している。アーヴィング・ペンの静物画は、線とボリュームで構成され、抽象的な相互作用を表現するものだった。写真のディテールを非常に重視し、いくつかの印刷技法を試みている。最も注目すべきは、鮮明で清潔に見える白黒のプリントである。"Earthly Bodies"(この世の身体)は、ぽっちゃりからガリガリまで、さまざまな体型の女性のヌードがポーズをとっている写真展だった。1949年から1950年にかけて撮影されたものだが、展示が行われたのは1980年になってからだった。

Shepherdess
Young Berber Shepherdess, Morocco, 1971

ペンの写真アーカイブはシカゴ美術館に所蔵されていたが、1995年にライアソン&バーナム図書館の写真部門に移管された。しかしシカゴ美術館は200点のファインアートのプリントを所蔵している。2013年には、スミソニアン美術館がアーヴィング・ペン財団から写真100枚を贈与された。ペンの作品は死後も1975年から2013年まで、欧米を中心に各地で展示されている。ロンドンのフォトグラファーズ・ギャラリーで開催された「プラチナプレート」展(1975年) ニューヨーク・メトロポリタン美術館「街路の素材」(1977年)ニューヨーク・ペースギャラリー「モンテカルロ芸術の春」(1986年)ヒューストン美術館「ダホメ」(2004年)ニューヨーク・モーガン図書館&美術館「出会いの閉鎖」(2008年)スウェーデン近代美術館「多様な世界」(2012年)など多数。ペンは2009年10月7日、マンハッタンの自宅で92歳の生涯を閉じた。

museum  Irving Penn (1917-2009) Biography, Artworks & Exhibitions | The Art Institute of Chicago

2022年1月8日

ソーシャルメディア Twitter の使われ方使い方

参加3周年の記念バッジ
ツイッター参加3周年の記念バッジ

これはソーシャルメディア Twitter のアカウント取得から3周年を記念して送られてきたバッジである。2006年3月21日に誕生した Twitter は世界で1億8700万人、日本で4,500万人が利用しているという。実は私はまだ3年しかたっていないのではなく、日本語版がリリースされた2008年に参加した。当時「○○なう」という言葉が瞬く間に流行ったことが記憶に残っている。ツイート(tweet)は本来、小鳥の「さえずり」を意味するが、日本では「つぶやき」と訳すことが多いようだ。約300人と相互フォローしていたが、1年もたたないうちに辞めてしまった。個人の日常情報に嫌気が差したからである。再開に際しユーザー名を「American Roots Music」と設定、同名 Facebook ページと連動させた。

Twitter Logo

日本では昨今、橋下某、堀江某といった「論客」きどり、あるいは保守政治家のツイートを、スポーツ紙などがピックアップ、それを「Yahoo! ニュース」「MSN ニュース」などが垂れ流している。これらに対して私は全く関心がないし、読みたくもない。字数制限があるので、連続ツイートなどをしているようだが、短絡的で十分な論議が望まれないからだ。現在の私のフォロワーは457人、Smithsonian FolkwaysNo Depression – Roots Music Journalism あるいはアメリカンルーツ音楽のアーティストや雑誌編集者と相互フォローをしている。いわば趣味、あるいは音楽ファン談議なので、差し障りというものがなく愉しい。

Twitter  Follow the American Roots Music @amoeba_records on social media Twitter

2022年1月5日

ファビコン(favicon)を新調する

小さなファビコン
ブラウザの小さなファビコンは見落としがちだ

デスクトップ用 Windows アイコンを新しく作成したついでに、ファビコン(favicon)も新調した。ファビコンとは、インターネットに接続し、ブラウザで開いた際にタブに表示される画像のことを指す。小さな画像なので、一般には見落としがちだが、スマートフォンなどで「お気に入り」や「ホーム画面」に登録した際にも表示されるので、ブログやホームぺージ所有者にとって、設定は必須となっている。作成するには、まず正方形の画像を用意する。元の画像は 180x180 ピクセルで全く問題ないのだが、実際に 16x16 ピクセルで表示された場合、ご覧のように何を表示しているのか分かり辛くなることがある。これはもうひつつのブログ「アメリカンルーツ音楽」用に用意したアイコン画像だが、実際にはもっと単純な図柄のギターのアイコンにした。ファビコンはアドビの万能画像編集アプリケーションの Photoshop で簡単に作れそうにみえるが「ico」形式で保存できないのである。拡張子「ico」でセーブするにはプラグインをインストールする必要があるそうだ。ファビコンはさまざまな種類があるが、主なサイズと用途は次の通りである。

  • 16×16 ピクセル:Windows の各ブラウザタブ
  • 32×32 ピクセル:Retina の各ブラウザタブ
  • 48×48 ピクセル:Windows サイトアイコン
  • 64×64 ピクセル:高解像度の Windows サイトアイコン
  • 180×180 ピクセル:iOS のホーム画面など
  • 256×256 ピクセル:Android のホーム画面など

そこでネットワーク上に画像をアップロードする必要がなく、全てローカル上で完結するため、セキュリティ的にも安全な、様々なファイルサイズに変換が可能なツール「Favicon ジェネレーター」を使ってみた。

Favicon ジェネレーター

このサイトでは正方形の画像をアップロード、16x16, 24x24, 32x32, 48x48, 64x64, 128x128, 256x256 ピクセルの中から必要なサイズを選択し、チャックするとマルチアイコンが生成され、ひとつにまとめたファビコンが出来上がる。サポートしている元画像のフォーマットは PNG, GIF, JPEG, BMP である。作成されたファビコンは、ホームページなら index.html のヘッダーに次のように記述し、格納ディレクトリを指定する。

<head>
<link rel="icon" href="image/icon/favicon.ico">
</head>

ブログの場合は、例えば私が利用しているグーグルの無料ブログサービス Blogger であれば、ダッシュボードから「設定」「ファビコン」でファイルをアップロードすれば良い。ただし反映するまでには若干時間がかかるようだ。他のブログサービスでも、同じような設定の説明があると思われる。というわけで、どうやらファビコン作りが今年の正月の「事始め」になってしまったようだ。

gear Favicon ジェネレーター | 画像ファイル PNG, GIF, JPEG, BMP などから favicon を変換制作する