2017年7月24日

エリス島の移民の写真が捉えた民族の多様性

Photos by Augustus Sherman ca.1905-1914 Courtesy of the New York Public Library

エリス島と言っても日本人にとって馴染みが薄いかもしれない。しかし大多数のアメリカ人は、ニューヨークのアッパー湾内にある、自由の女神で有名なリバティー島から1キロほど離れた島であることを知っているに違いない。アメリカ合衆国移民局が置かれていたことで知られ、19世紀後半から60年余りの間、ヨーロッパからの移民は必ずこの島からアメリカへ入国したからである。1892年から1925年にかけて、移民局の事務官だったオーガスタス・シャーマンは、無数の記録文書を残した。とりわけ興味深いのは、彼が撮影した200枚以上の移民の写真である。プロの写真家ではなかったが、紛れもない才能を持っていたと言える。尋問のために拘留された被験者の写真は、アメリカが様々な国から移民を受け入れたという史実の証となっている。ヨーロッパからの移民というと、イギリスやアイルランドを連想しがちだが、北欧からロシア、地中沿岸諸国、果ては北アフリカまで、その範囲は広きに渡っている。とりわけ貴重なのは、移民が纏っている民族衣装である。アメリカは人種の坩堝(るつぼ)すなわち多民族国家であるが、そのルーツを写真が饒舌に語っている。

flickr
Ellis Island Photographs: Many photographers were drawn to Ellis Island by the general human

2017年7月21日

米国議会図書館が日本の木版画を無料公開

歌川芳虎『外國人物盡』亜米利加・南京(1861年)

米国議会図書館が浮世絵や錦絵など、1915年以前の日本の木版画2,500点を無料公開、非営利目的ならダウンロードして自由に使えるようになった。日本の木版画、特に浮世絵は大量に海外に流失した。その時期は明治初期と第二次世界大戦後の二度に分かれる。浮世絵は本来庶民の娯楽手段だったが、一部の好事家で浮世絵の技術を好んだ人が蒐集や保存していたものが、幕府崩壊で扶持を失うとか生活に困り、手なばしたものが海外に流失した。そして戦後は華族や有資産家の生活苦から資産の分売が起こり、この時も色々な文化財が流出したと言われている。まことに残念な歴史的事実だが、海外の公的美術館が保持、鑑賞でき、さらにデジタル化して公開しているのは不幸中の幸いかもしれない。そのデジタル画像アーカイブだが、ボストン美術館もそうなのだが、すべての解説が英文であることに戸惑う。日本語の説明をというのは土台無理な話だが、例えば「小林清親『百撰百笑』手酷い潰し形」は "Kobayashi, Kiyochika, 1847-1915, Tehidoi tsubushigata" となっている。研究者ならともかく、私のような素人には原題や作者名を探すのに一苦労する。さて米国議会図書館の画像アーカイブだが、その特長は圧縮形式 JPEG の他に、無圧縮の TIFF 形式も用意されていることである。ファイルサイズが大きくなるが、こちらのほうが汎用性が高いと思われる。

The Library of Congress  Library of Congress Fine Prints: Japanese, pre-1915

2017年7月18日

三条堺町のイノダっていうコーヒー屋へ行かなくちゃ

イノダコーヒ本店(京都市中京区堺町通三条下る)

私はコーヒーが好きである。そして京都の古い喫茶店が好きである。四条河原町界隈の「フランソワ」「ソワレ」「築地」、西陣の「静香」、京大前の「進々堂」、そして三条通界隈の「六曜社」や「イノダコーヒ」など、それぞれ特徴があり、魅力的である。ところで最近、スターバックスが二寧坂の京町家を利用した店を出して話題になったが、行くつもりは毛頭ない。何故か。スターバックスは京都に何と26も店舗を有している。そのスタイルは、ある種、日本の喫茶店文化を浸食しているといっても過言ではない。そして遺伝子組み換え作物で悪名高いモンサント社をめぐり、2014年11月24日、ニール・ヤングが公開書簡で 「さようならスターバックス」と宣言、自らの公式サイトに「これまで毎日列に並んでラテを買ってきたが昨日が最後になった」と訴えて話題を呼んだ。尊敬するミュージシャンの排斥運動だけに、大いなる刺激と影響を受けたのは言うまでもない。それ以来、スターバックスから足が遠のいてしまった。
三条へ行かなくちゃ
三条堺町のイノダっていうコーヒー屋へね
あの娘に逢いに
なに 好きなコーヒーを少しばかり

お早よう かわい娘ちゃん
ご機嫌いかが?
一緒にどう 少しばかりってのを
オレの好きなコーヒーを少しばかり

いい娘だな
本当にいい娘だな
ねえ あついのをおねがい
そう あついのをおねがい
そう 最後の一滴が勝負さ
才レの好きなコーヒーを少しばかり

あんたもどう?
少しばかりってのを
これは亡き高田渡さんの名曲『珈琲不演唱』(コーヒーブルース)だが、残念ながら彼とイノダでコーヒーを飲んだことはない。東京に住んでいたころ、吉祥寺の「ボガ」によく一緒に行ったことを懐かしく思い出す。お酒とコーヒーが好きな人だった。イノダを歌った『珈琲不演唱』はずいぶん店の宣伝になったと思われるが、頼まれて作ったCMソングでは決してない。一番美味しいコーヒーいれ方と訊かれれば、迷わず片ネルで濾す、と答えることにしている。本店のすぐ近くにあるイノダ三条支店では、ドーナツ状の円形カウンターの内側で、片ネルのドリッパーを使って淹れている様子がよく見える。コクと香りがあり最高である。嗚呼、コーヒーが飲みたくなった、三条へ行かなくちゃ、三条堺町のイノダっていうコーヒー屋へね。

YouTube  高田渡『珈琲不演唱』(コーヒーブルース)キングレコード「ごあいさつ」 SKD 1002 (1971年)

2017年7月15日

生物多様性アクション大賞 2017活動募集


募集期間2017年7月15日(土)から9月18日(月)まで
募集対象日本国内に活動拠点がある団体・個人
応募資格日本国内を拠点とする活動であること
生物多様性の保全や持続可能な利用に貢献する活動であること
応募の段階で活動実績があること
継続性が見込まれること
特定の政党や宗教の布教を目的として活動する団体ではないこと
公序良俗に反する活動ではないこと
実施部門たべよう部門
ふれよう部門
つたえよう部門
まもろう部門
えらぼう部門
主催団体国連生物多様性の10年日本委員会
特設サイトhttp://5actions.jp/award2017/

2017年7月14日

第16回京都現代写真作家展 京都写真ビエンナーレ2017 作品募集

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応  募:2017年9月1日(金)~9月15日(金)消印有効
会  期:2017年12月13日(水)~12月17日(日)
会  場:京都文化博物館5階(京都市中京区三条通高倉角)075-222-0888
主  催:京都府・京都現代写真作家展実行委員会

PDF  応募案内(PDF 3.31MB) 表紙(PDF 2.10MB) の表示とダウンロード

2017年7月13日

ソーシャルメディア Google+ を活用する

目立たない Google+ だけど

インターネットマーケティング会社 DreamGrow の統計ページによると、2017年7月1日現在のソーシャルメディア(SNS)の世界ランキングは (1)Facebook (2)YouTube (3)Instagram (4)Twitter (5)Reddit だったそうである。Google+(以下 G+ と略)は11位だったが、国内では LINE が跋扈しているだろうし、もっと下位と想像される。当ブログは連動していて、ここに投稿すると、自動的に G+ に反映しする仕組みになっている。G+ のフォロワーは現在 1,219 人だが、最近調べたところ、積極的に活用しているユーザーは少ないようだ。Google のアカウントを所持してるだけの人が多いのかもしれない。ところがフォロワーに限定されないコミュニティ、例えば私が参加している Blogspot は 243,150人のメンバーを有している。Facebook で私が関わっている最大グループ Old Time Photos が 49,143人だから、世界レベルでは G+ はそれなりに健闘しているようだ。健闘しているだけではない、実は G+ が SEO 対策にも多大な影響があることを最近知ったのである。SEO 対策というのは、Yahoo や Bing ではなく、基本的には Google 検索に対するものと言って良いだろう。例えば1,000人のフォロワーがいたとして、その1,000人が Google 検索を使うと、その分だけ自分のコンテンツを上位に押し上げるらしい。さらに G+ への投稿がウェブページ扱いとなり、検索エンジンにインデックスされるという。これは個人ブロガーにとってはかなり大きなメリットなのかもしれない。ブログはアフィリエイト広告による収益を目的にしない限り、読者をいたずらに増やしても如何とは思う。しかし読者が増えることはブログ更新の励みにもなる。たいした手間ではないので、G+ にも投稿することをお勧めしたい。

2017年7月8日

祇園祭函谷鉾の前掛けに描かれた旧約聖書の説話

松田元著『祇園祭細見(山鉾篇)』より(クリックすると拡大表示されます)

今月1日八坂神社で長刀鉾の稚児らの「お千度の儀」があり、一か月にわたって繰り広げられる祇園祭の幕が開いた。生身の稚児が乗るのは、祭のハイライト、7月17日の山鉾巡行の際に先頭を行く長刀鉾だけで、今年は京都市立御所南小学校4年の林賢人君が選ばれた。ずいぶん前のことになるが、ボランティアを確保できず、函谷鉾を曳く大勢の外国人を見て驚いたことがあるが、今でもそうだろうか。今年は久し振りに見物しようと思っている。函谷鉾といえば上掲のイラストがその前掛けのタペストリー(綴れ織り)で、旧約聖書創世記第24章の説話に取材したものだ。画面上部はアブラハム家の老僕エリエゼルが処女リベカに水を求めている光景だ。聖書によると、アブラハムの息子イサクは40歳となったが、嫁を生まれ故郷のハランから迎えたいと言い、エリエゼルに探してくるようにと頼む。ハランの町外れの井戸へたどり着いたエリエゼルは「水を飲ませてください」と頼んだときに「どうぞお飲みください。駱駝にも飲ませてあげましょう」と答えた娘がイサクの嫁になるよう祈る。そこにリベカがやって来て、祈った通りになったので、婚姻話が進む。画面下部はふたりの結婚式の様子で、駱駝に乗っているのはイサクである。蛇足ながら、このふたりが愛し合い抱擁する場面を描いたのがレンブラントの代表作「イサクとリベカ」である。函谷鉾の前掛けがどのようにして日本に来たか不明だそうだが「寺井氏菊居随筆に云。前まくは天竺織といふ。西域の人物甚見事なり。当町沼津宇右衛門旧家にてむかし繁昌たりし時唐物黒船物いろいろ渡る時分買置たりしといふ云々」と増補に記されているそうだ。祭の期間中は重要文化財の指定を受けた前掛けは二階に飾り、復元新調された前掛けが巡行時に鉾に掲げ披露される。

2017年7月4日

セオドア・ルーズベルト大統領はムースに乗っていなかった

Myths debunked: Theodore Roosevelt Never Rode A Moose ©Courtesy of the Houghton Library

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これは「ムース(ヘラジカ)に跨って川を渡るセオドア・ルーズベルト大統領 1908年」と題し、インターネット上で大量に拡散されているようである。確かに面白い写真で、ソーシャルメディア Facebook のページフィードに流れたときは、危うくそのままシェアするところだった。往々にしてよくあることだが、転載の必須条件とも言えるソースが書いてない。出処不詳ならそれはそれでいいのだが、そのことを記述すべきである。その点を調べるためネットを徘徊したところ、ハーヴァード大学ホートン図書館が2013年9月20日付のブログに「神話が暴かれた:悲しいことに、セオドア・ルーズベルト大統領はムースに乗ったことがなかった」という記事を書いているのを見つけた。共和党の議員が、当時のウィリアム・タフト大統領の保守化を懸念して、サードパーティ「進歩党(通称ブル・ムース党)」を結成、1912年の大統領選挙にはセオドア・ルーズベルト前大統領を擁立した。しかし結果的には民主党のウッドロウ・ウィルソンに勝利を許すこととなった。大統領選中、アンダーウッド写真商会が「ホワイトハウスのレース」と題し、動物に乗った候補者の風刺戯画を制作した。現職大統領ウィリアム・タフトは象、セオドア・ルーズベルトはムース、そしてウッドロウ・ウィルソンはロバで、9月8日付けのニューヨーク・トリビューン紙に掲載された。肝心のムースの写真だが、ホートン図書館のブログは、ルーズベルトの太ももの部分を拡大している。これを見ると、2枚の写真を貼り合わせた痕跡があり、アンダーウッドが写真を合成したと断言できそうだ。

2017年7月1日

航空写真を芸術の高みに誘ったアルフレッド・バッカム

Aerial view of Edinburgh ca.1920 National Galleries of Scotland

Alfred G. Buckham
上空に雲と複葉機、城を前景にロイヤル・マイル沿いに広がる古い街並み。1920年ごろ撮影された「エディンバラの空からの眺め」はスコットランドの航空写真家アルフレッド・バッカム(1879–1956)の代表作となっている。ロンドン生まれのバッカムは画家志望だった。ところが美術館で観たロマン主義の画家、ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(1775–1851)の作品に打ちのめされ、画家になることを諦めた。代わりに写真に転向、1917年に英国海軍航空隊に偵察飛行士として入隊した。当初エディンバラの西に位置するターンハウスに配属になったが、後にフォース湾に面したロサイスを基地にした大艦隊に転任した。初期の偵察飛行は危険を伴った。バッカムは9回も危ない目に遭っている。ところで彼は二台のカメラを使用、一台は海軍の仕事、もう一台は彼個人が使用するための私用カメラだった。スコットランドの上空を飛び、雲の形態、丘陵や街の眺望、そしてしばしば天候の急変が演出する、光と影のドラマを好んでモチーフにしたのである。航空写真は地上で撮る写真とは異なる。しかしともすると、空から俯瞰することによって、地上の状況を記録あるいは説明するだけに終わる可能性がある。バッカムの偉大さは卓越した技術力を駆使、航空写真を芸術の高みに誘ったことではないだろうか。蛇足ながら、ウェブ検索したのだが、彼に関する日本語の資料を見つけることができなかった。どうやら日本では知られざる鳥人写真家なのかもしれない。