2014年3月7日

旧海軍特殊潜航艇「蛟竜」の残影に思う

特殊潜航艇「蛟竜」 広島県の旧呉海軍工廠分廠 1945年10月19日

写真は旧海軍の特殊潜航艇「蛟竜」の写真である。米海軍の歴史アーカイブサイト「Naval History & Heritage」からの引用で「Type D ("Koryu") Midget Submarines」と題された写真がアーカイブされている。この「蛟竜」は、旧海軍の特殊潜航艇の一種である「甲標的丁型」のことのようだ。高橋晴雄氏の「海軍の自分史」には次のような記述がある。
同じ特殊潜航艇でも、真珠湾を攻撃した艇は「甲標的」と呼ばれており、搭乗員は2名、艇には充電のための発電装置がなく、蓄電池の容量のみに頼るため航続距離が短かかった。その後、「乙型」「丙型」と順次改善が図られ、昭和19年5月には「丁型」の試作一号艇が完成、20年5月には「甲標的丁型」は正式に特攻兵器として「蛟竜」と命名され正式採用された。各海軍工廠、民間造船所を総動員して大量生産の実現を図ったが、資材の不足や構造が複雑なこともあって建造はなかなか進まなかったようである。
今日「終戦の日」は昭和天皇が玉音放送によって、日本政府がポツダム宣言の受諾を連合国側に通告したことを国民に公表した1945年8月15日とするのが一般的である。この写真は同年10月に撮影されたもので、特殊潜航艇「蛟竜」が建造半ばで放置されたことを物語っている。それにしてもこのような写真が米国のサイトにアーカイブされ、日本のサイトにない不思議を感ぜざるを得ない。

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