仏花を撮る 金戒光明寺(京都市左京区黒谷町) Fujifilm Finepix X100
半年くらい前だったろうか、墓地を訪ねることが小さなブームとテレビが伝えていた。確かに墓地は歴史資料の宝庫であり、探るといろいろ面白いことに気づく。例えば京都の法然院にある多宝塔は1921(大正10)年に建立されたものだが、これは聖圓阿(ひじりえんあ)が1386(至得3)年に引接寺(千本ゑんま堂)に造立した萬霊塔を模倣拡大したものだという。実際に見てみると確かにそっくりである。引接寺には紫式部供養塔と伝わっているが真偽のほどは確かではない。しかし国の重要文化財になっているので、それなりに貴重なものなのだろう。といった具合だが、このような歴史散策ではなく、ずいぶん前から墓地に出かけては写真を撮るようになった。
石仏をターゲットにすることが多かったが、最近は目的を墓に供えられた仏花に向けるようになった。きっかけはピンホールカメラ片手に京都の仏教寺院を巡り、2007年に個展を開いたが、一番好評だったのが、東本願寺大谷祖廟で撮った仏花だったことを思い出したからだ。仏花は菊や百合などに限られていて、種類も少なく、アレンジも似たようなものが多い。したがってシリーズあるいは組写真にならないと決め込んでいた。しかし同じような写真の羅列でも構わないのではないかと気付いたからだ。墓地には死者が眠っている。だから歩くといやでも「メメント・モリ」(死を忘れるな)という言葉がときどき脳裡をかすめる。そういった年齢になってしまったのだろう。
石仏をターゲットにすることが多かったが、最近は目的を墓に供えられた仏花に向けるようになった。きっかけはピンホールカメラ片手に京都の仏教寺院を巡り、2007年に個展を開いたが、一番好評だったのが、東本願寺大谷祖廟で撮った仏花だったことを思い出したからだ。仏花は菊や百合などに限られていて、種類も少なく、アレンジも似たようなものが多い。したがってシリーズあるいは組写真にならないと決め込んでいた。しかし同じような写真の羅列でも構わないのではないかと気付いたからだ。墓地には死者が眠っている。だから歩くといやでも「メメント・モリ」(死を忘れるな)という言葉がときどき脳裡をかすめる。そういった年齢になってしまったのだろう。
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