2012年1月27日

コダクロームの思い出


Cayar Beach, Senegal  March 1976 LeicaM4 Elmarit28mmF2.8 Kodachrome64

歳を重ねるとすべての記憶が曖昧になるが、1972年のことはいろいろ憶えている。朝日新聞神戸支局から同東京本社出版写真部へ赴任したが、2月、長野県軽井沢町で起きた「あさま山荘事件」の現場に放り込まれたからだ。いつかこの取材について記述したいが、今回はちょっと脇道に逸れる。新聞から週刊、月刊誌の仕事に変わったわけだが、当時の雑誌取材のカラーフィルムはコダックのエクタクロームが主流であった。しかし私は好んでコダクロームを使うことにした。外式、つまり現像時点で染料を入れるシステムで、従って処理は東洋現像所など一部に限られていたし、時間もかかり、報道にはむしろ向いていないフィルムだった。それでも使ったのは、色調が好きだったし、耐変褪色性に優れていたからだ。ナショナルジオグラッフィック誌のスタッフカメラマンが多用していたことも印象に残っている。ポール・サイモンの「コダクローム」がヒットしたのは1973年だが、この曲の影響を受けたから、というと嘘になる。ライカとコダクローム、この組み合わせは私にとって究極の存在といっても過言ではなかった。この二つが自分の手元から離れるとは夢にも思っていなかったのだが、先日当ブログに「崩壊の危機に追い込まれたコダック王国の衝撃」で触れたように、富士フイルムが1990年3月に発売したベルビアがコダクロームを駆逐する事態になったのである。ベルビア開発に携わった技術者から「外式を作る技術を持っているが、あえて内式にした」という説明を受けたのを思い出す。耐変褪色性に関してはコダクロームに十分対抗できるということだった。そのコダクロームの製造打ち切りをコダックが発表したのは2009年6月だった。そして2012年1月、コダックそのものが瀕死状態にある。

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