2012年1月6日

崩壊の危機に追い込まれたコダック王国の衝撃


George Eastman and Thomas Edison
米国ウォール・ストリート・ジャーナル紙が4日、イーストマン・コダックが米連邦破産法11条(日本の民事再生法に相当)の適用を数週間以内に申請する可能性があるため準備していると報じた。同社は保有する特許の一部売却をなお試みており、成功すれば破産法の申請を回避できる可能性があるが、これらの試みが失敗した場合に備えて申請の準備を開始しているという。ショッキングなニュースである。私は1960年代半ば、千葉大学の写真工学科に属していたが、ロチェスター(コダックの所在地)を日本の写真業界が追い越すというのは想像外であった。コダックの歴史を俯瞰すると、何と言ってもその功績は、写真の大衆化に寄与したことだろう。ジョージ・イーストマンが紙に乾燥ゲルを塗布する方式を開発したのは1884年、人々は乾板や薬剤を持ち歩く必要がなくなった。1888年にコダックカメラが設立され「あなたはボタンを押すだけ、後はコダックが全部やります」という有名なキャッチフレーズが生まれた。極め付きは1900年に登場したボックスカメラ「ブラウニー」だった。ブラウニーはスコットランドの妖精だが、さしずめ現代のピカチューといったところだろう。余談ながら120や220のロールフィルムを日本ではブローニーと呼ぶ人がいるが、これはブラウニーが訛ったものである。爾来、コダックは20世紀の写真業界の王道を走り抜けてきた。その王国が崩壊寸前の窮地に立っているという。今思えば、異変を感じたのは1990年、富士フイルムからカラーリバーサルフィルム「ベルビア」が発売になった頃だった。戦後、このタイプのフィルムといえば、コダクロームやエクタークロームなど、コダック製品が独占していたが、これを凌駕する国産フィルムが出たのである。それからモノクロ印画紙の生産を中止したのも意外であった。フィルムを売って印画紙を売らないとは変だと感じたが、株主の意向という噂もあった。ではデジタルカメラはどうだったか。これも日本製に先を越された感じであった。ガラガラと音を立てて車輪が坂を転げ落ち始め、倒産寸前に追い込まれているのである。行方を見守りたい。

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