2011年11月28日

真宗大谷派信徒1173人の親鸞聖人像

安城の御影(西本願寺蔵)
報恩講のポスター(部分) 東本願寺(京都市下京区烏丸通七条上る)

東本願寺に寄ったところ風変わりなポスターを見つけた。遠目には確かに親鸞の肖像画なのだが、近寄ってみ見ると、小さな顔写真の集合画像だった。宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌「御正当法報恩講」の案内ポスターで、催事そのものは今日11月28日でお仕舞いのものだった。「このポスターは親鸞聖人安城御影をモチーフにし、御遠忌法要に参拝された方々の顔写真(1,173人)で作成しています」という説明がついている。この手の手法の画像をよく見かけるが、合成作業もさることながら、参拝した真宗信徒1000人以上も撮り集めるのもタイヘンだったと想像する。帰宅してから東本願寺のホームページでポスターの画像を探したが、見つからなかったので、手持ちのカメラで撮影したものを紹介することにした。安城の御影というのは、親鸞聖人83歳(1255年)の肖像と伝えられるもので、三河国、安城3年に伝来したのでこの名があるという。法眼朝円筆、原本は西本願寺が所蔵している。

2011年11月26日

やがて紅葉がなくなる日が来るかもしれない

2011年11月25日 平野屋(京都市右京区嵯峨鳥居本)Fujifilm Finepix X100

2010年11月18日 平野屋(京都市右京区嵯峨鳥居本)Nikon D700
奥嵯峨の鳥居本には何度か行ったことがあるが、これまでは京都バスで愛宕(おたぎ)念仏寺前で降り、嵐山のほうへ徒歩で戻って来るのが常だった。ところが昨日は逆で、京福電鉄(嵐電)嵐山で電車を降りて歩き始めた。ウィークデイにも関わらず、野々宮神社辺りは大勢の人々が狭い道に溢れていた。それでも常寂光寺を過ぎると人影がややまばらになったが、今日土曜と明日の日曜には物凄い人になるに違いない。紅葉狩りに落柿舎や祇王寺に入るつもりだったが、思いとどまった。道中の様相から「今年の紅葉は駄目だ」と観念したからだ。京都市内は今月に入っても暖かい気候が続き、紅葉の色づきが遅い。昨年は見事な紅葉を見せてくれた嵯峨鳥居本の鮎茶屋「平野屋」界隈の樹木は、案の定お世辞にも綺麗と言える状態ではなかった。温暖化によって紅葉のピークが年々遅れてるそうだが、私が見たところでは「汚い」という印象である。無論、印象は主観に過ぎないし、第一、市内のほんの一部しか訪ねていないので、絶対的なものではない。紅葉の見ごろは洛東、洛中、洛南と移って行くのだが、私の羅針盤が狂うことは大いに考えられる。しかしそれが狂わず、こもまま市内全域に渡って悲惨な結果に終わる可能性もないわけではない。ひとつ危惧していることがある。それはやがて紅葉が見られなくなってしまわないかということである。紅葉が遅れているのはやはり夜間に厳しい冷え込みがないからだが、地球温暖化が進めば紅葉する前に樹木が葉を落とすことになりかねないからだ。

2011年11月24日

第15回写真家達によるチャリティー写真展


期間:2011年12月16日(金)~18日(日)
時間:10:00~19:00(入館は18:50まで/最終日は16:00まで)
場所富士フイルムフォトサロン東京(東京ミッドタウン)
          東京都港区赤坂9-7-3 電話:03(6271)3350
企画フォトボランティアジャパン基金

フォトボランティアジャパン基金主催の「写真家達によるチャリティー写真展」はおかげさまで多くの方々のご協力、ご支援により15回目を迎えることができました。過去14年間開催してきたチャリティー写真展の収益金は、アジアの恵まれない子ども達の教育等に僅かながらでも、お役に立てたと思っています。225名のプロ写真家の作品を一堂に展示即売する、今年のチャリティー写真展の収益金は、東日本大震災で被災した子ども達のために寄贈します。

2011年11月22日

琵琶湖坂本慈眼堂の石造阿弥陀如来像

阿弥陀如来座像 慈眼堂(大津市坂本)Fujifilm Finepix X100

本家鶴喜蕎麦(大津市坂本)Fujifilm Finepix X100
所用があって琵琶湖の浜大津に出かけたが、ついでに比叡山延暦寺の門前町、坂本まで足を伸ばした。最大の目的は実は「本家鶴喜蕎麦」のそばを無性に食べたくなったからである。店の前に大勢の客が行列を作って待っている。久しぶりの再訪だったが、この店もずいぶん有名になったものだと感心する。食べるために行列というのは苦手だが、折角だし、待つことにした。有形文化財指定の建物などにレンズを向けたりしているうちに順番が回ってきた。新そばの大ざるを馳走になり店を辞した。南に下り、西に曲がって坂道を登ると延暦寺の本坊滋賀院門跡に出た。境内を抜け、再び西に向かって石段を登ると、色づき始めた楓の向こうに慈眼堂(じげんどう)の瓦屋根が見えてきた。織田信長の山門(延暦寺)焼き打ちの後、その復興に尽力した天海僧正(慈眼大師)の廟所である。堂の西側にある墓所に進み、さらに石垣の上段に出ると念願の石仏に対面することができた。駒札に「桃山時代に、近江国観音寺城主六角承禎が母の菩提のために、母の郷里近江鵜川の地に弥陀の本願に基き弥陀の石仏四十八体を奉安し、そのうち十三体を江戸の初期に天海大僧が当地に移したものである」とある。要するに十三体すべてが花崗岩製一石造りの阿弥陀如来像である。像高はおおむね1.5メートル、大きな丸彫りで、それぞれの表情が異なるのが印象的だ。これまで京都の石仏を巡ってきたが、来年は近江の石仏、あるいは大和路のいずれかを巡礼したいと思っている。どちらを先ににするか悩ましい。

2011年11月21日

ピンホール写真芸術学会(PPAS)関西支部展2011


会期:2011年11月22日(火)~27日(日)
           12:00~19:00 (最終日は17:00まで)
会場Gallery i
           京都市東山区祇園町南側「陶器いわさき」2階
電話:075-525-3203
出展;青木隆幸 オカダミツヨ 黒川武彦 F.ゴーツ 後藤健 佐藤司 篠原幹尚 庄治政 杉浦義紹 杉本康雄 関本恵子 瀬野里美 榮爾(EIJI) 徳永隆之 東谷一矢 兵庫一嘉 星野倫 前田英子 YOKOMAKI 萬久美子 

2011年11月19日

イルフォードのピンホール写真キット


HARMAN TiTAN Pinhole Camera
英国のハーマンテクノロジー社が先月24日に「イルフォード・ピンホール写真キット」を発売した。キットの内容は、ハーマン・チタン・ピンホールカメラ本体にハーマン・ダイレクト・ポジ印画紙、イルフォード・デルタ100プロフェッショナルフィルム、イルフォード多諧調RC印画紙(いずれもサイズは4x5インチ10枚セット)がついている。そしてイルフォード露光計算尺が付属。注目のボディだが、射出成形ABS樹脂製で、滑りどめのコーティングされているという。4x5インチフィルムホルダーが装填でき、キットモデルでは焦点距離72mmの広角コーンがついている。交換可能で110と150mmも計画されているという。写真では蛇腹式に見えるが、樹脂成型なので残念ながら折り畳めないことがビデオで分かる。日本ではハーマンテクノロジー社国内正規輸入元であるサイバーグラフィックス社が来年第一四半期に発売できるよう準備を進めているようだ。フィルムを売るためにはカメラを、という伏線があるのだろう。ピンホールカメラ商品化では香港のZERO社の成功例があるが、何故今ごろという違和感を抱く人がいるかもしれないが、私は大いに期待を寄せている。余談ながら、英国では銀塩フィルムで撮影、自家処理をするアマチュア写真家が多い、という背景があることを付け加えておきたい。

2011年11月17日

ゾーンプレートによる動画撮影のテスト


コスモス 京都府立植物園(京都市左京区下鴨半木町)Sony NEX-5 + Zoneplate

FBピンホール写真グループ
爽やかな秋晴れに釣られたわけではないが、懸案だったゾーンプレートによる動画撮影のテストをしてみた。手持ちのソーンプレートは口径比がF47なので、好天ならいけるだろうと思って試してみた。YouTubeにアップしたが、ご覧の通り未編集のままだ。というよりこのカメラの動画機能をまだ掴んでないし、少し研究してから再挑戦してみようと思う。やはりBGMも欲しいし、動画編集ソフトもいずれ揃えねばと思っている。ところで最近Facebookにグループ「ピンホール写真」を新設しました。ご気軽に参加下さい。

Facebookピンホール写真グループ:http://www.facebook.com/groups/pinhole/

2011年11月8日

疾風の70年代を共有した伊藤君とQ-BLICKの思い出

Untitled Keiichi Ito 1972

故・伊藤敬一君 1974年9月 Q-BLICK(新宿区早稲田鶴巻町)
やや旧聞気味だが、今月1日、東中野で催された「伊藤敬一さんを送る会」に出かけた。すぐにブログに書こうかと思ったが、何故か気が重く、手がつかなかった。かつて親しく遊んだ友を語るのはちょっと辛いからだ。でも書くことにしよう。伊藤君と会ったのは確か1973年の初頭だった。早稲田大学在学中だったが、英国に遊学、帰国したばかりだという。ダッフルコートを着た颯爽たる姿は、まさしく英国帰りそのものだった。ロンドンの「フォトグラファーズ・ギャラリー」で個展を開いたという。しばらく会わなかったが、その年の暮れ、彼が新宿区早稲田鶴巻町に「ギャラリーQ-BLICK」をオープンさせたことを知った。ビルの2階のフロア全体を占拠したかたちのギャラリーはゆったりとした、贅沢な空間だった。英国での個展、そしてギャラリー開設、そこに何らかの野望を感じないわけではないが、今思えばそれは自然の成り行きだったのだろう。野心という言葉を打ち消す、極めておおらかな性格を彼は持っていたからだ。翌1974年夏、私はQ-BLICKで個展「写真ですよ」を開いた。写真を生業にしてから初めての個展だったが、その後開催した写真展はいずれもこれを超えてないような気がする。内容に関しては、機会を改めて書きたいと思う。その年の秋、2回目の個展ではフォークシンガーの友部正人君のコンサートを計画した。単なるギャラリーではなく、多目的自由空間と化していたといって良いだろう。翌年の1975年にかけて都合3回の個展を開いたのだが、自分の作品を発表する場というより、音楽友だちとの交流の場という色合いが増していったように思う。豊田勇造君のコンサートを開いたが、もしかしたら最初に伊藤君を彼に紹介したのはこの時だったかもしれない。Q-BLICKがいつ閉じられたかは記憶にない。1977年東京・晴海で開催された「ローリング・ココナッツ・レビュー・コンサート」の写真記録のため「フィッシュアイ'77」というグループを結成したが、伊藤君に手伝って貰ったことを憶えている。送る会では豊田君が「いとうくん」という歌を歌った。二人の付き合いはずっと続いたようだが、私とは疾風の70年代を共有しただけだった。でも忘れられない日々、楽しかったよ伊藤君、ありがとう。