本殿 市五郎大明神社(京都市中京区西ノ京原町)
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拝殿の石碑 市五郎大明神社 Sony NEX-5 + Zoneplate |
京都市バスを西大路御池で降りて東に歩き、一筋目を北に折れてしばらく行くと鳥居が視界に入る。手前にふたつの石造、その奥は朱塗りの木製で、間隔が狭いので伏見稲荷大社の千本鳥居のように、参道がトンネルになっている。扁額に「正一位市五郎大明神」とある。参道を進むと、鬱蒼とした木々に囲まれてるせいだろう、辺りは一気に暗くなる。拝殿の片隅には三つの石碑があり、真ん中のそれにも大明神と刻まれている。石段の手前に「史跡御土居」の石標が建っている。要するに神社自体が御土居の上にあるのだ。岡崎に住んでいた北村利幾子という女性が、神託を受けて御土居の上に小祠を創建し「市五郎大明神」を祀ったという。明治23(1890)年のことである。ご存知、御土居は豊臣秀吉が洛中と洛外を分けるために造営したもので、軍事的防衛と洪水対策を目的としたものだ。現在九ケ所が国指定史跡に指定されているが、そのひとつであるこの御土居を市五郎大明が守ったと言えそうである。本殿から石段をさらに上ると、別の鳥居があり、扁額には「市五郎大明神」の両脇に「国司大明神」「三徳大明神」の名が見える。国を司り、三つの徳を積むという意味だろうか。そ参道入り口の石造の鳥居は昭和2(1927)年に建立寄進されたようだが、西陣織をはじめ、京都の染織業者の名が連なって刻まれている。この辺りは市内中心部からは西に外れたところで、洛中の西陣織や友禅染め生産者や販売業者が寄進したか不思議である。京都には膨大の両の歴史遺産が残されている。その断層を見つける探検は尽きることがない。それにしても市五郎とは何者なのだろうか。