2026年3月2日

博物学が育んだ英国の古典文学

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鳥たちをめぐる冒険/セルボーンの博物誌(講談社学術文庫復刻版)

ネイチャー文学作家リチャード・ジェフリーズ(1848-1887)の『わが心の記』寿岳しづ訳(岩波文庫復刻版)を入手した。英国は『セルボーンの博物誌』を著したギルバート・ホワイト(1720-1793)や『鳥たちをめぐる冒険』のウィリアム・ヘンリー・ハドソン(1841-1922)など博物学に造詣が深い作家を輩出している。チャールズ・ダーウィン(1809-1882)やジャン・アンリ・ファーブル(1823-1915)はフランスだが、彼に匹敵するような観察家たちに連なる博物学に強い作家が数多く生まれたのは、単なる偶然ではない深い歴史的・文化的背景がある。それは「科学」と「文学」が分断される前の、幸福な知の融合があったからである。主な要因を次の視点で紐解いてみよう。英国には伝統的に、専門家ではない一般市民が学問を楽しむアマチュアリズムの土壌があった。そして18〜19世紀、地方の牧師たちは生活に余裕があり、教区の動植物を観察して記録することを「神の創造物の素晴らしさを讃える行為」として推奨していました。ホワイトの『セルボーンの博物誌』はその象徴である。「歩くこと」と「観察すること」が教養の一部とされ、作家たちは日常的に自然に触れ、それを描写する解像度を磨いていた。ヴィクトリア朝時代、英国が世界中に植民地を広げたことで、未知の動植物が大量に本国へ持ち込まれた。 世界中から集まる標本を分類・整理する必要性が生じ、これが国民的な「収集・分類ブーム」を巻き起こした。 珍しい植物を育てるボタニカル・ガーデンや、驚異の部屋(ヴンダーカマー)の流れを汲む博物館が整備され、作家たちにとっても「自然界を記述すること」が最もエキサイティングな創作活動の一つとなった。ダーウィンの『種の起源』以前、博物学は「自然神学」の一部だった。「自然を理解することは、神の設計図を理解すること」という価値観があったため、文学作品の中に緻密な自然描写を取り入れることは、道徳的・宗教的な深みを与える行為でもあった。当時は現代のように「理系・文系」が明確に分かれておらず、詩人が最新の地質学に詳しかったり、小説家が昆虫採集に明け暮れたりするのはごく自然なことだった。急速な工業化が進む中で、失われゆく自然へのノスタルジーがより詳細な観察記録へと作家を駆り立てた。

わが心の記

ところで現代では博物館があるもの「博物学」という名前が消えている。例えば大学には「博物学」という学部・学科はない。かつては一人の学者が「鳥も石も星も」調べていたが、知識量が増えすぎて、一人がすべてを網羅することが不可能になったからである。「鳥の研究」は動物学へ「石の研究」は地質学へ「薬草の研究」は薬学へと分かれた。現代では「ただ記載する」だけでなく「なぜそうなるのか(遺伝子や物理法則)」を突き止めることが主流になったため、名称もより具体的なものへと変わったのである。ただ「博物学」に近い学びができるユニークな場所名称こそ違えど、博物学の精神(フィールドワークや総合的な観察)を大切にしている大学やコースもある。「人間科学部」や「総合学術学部」といった名称の学部では、文系・理系の枠を超えて自然と人間を考える、博物学に近いアプローチを取ることがある。東京大学、京都大学、東北大学、北海道大学などの旧帝国大学は、膨大な標本を収蔵する大学総合博物館を持っており、そこを拠点に活動する研究室は「博物学的」な雰囲気を持っている。アドバイス博物学に興味があるなら、大学選びの際に「大学博物館が充実しているか」や「フィールドワーク(野外調査)を重視しているか」をチェックしてみるのが一番の近道である。英語の Natural History は、幕末から明治時代初期に博(く)物(を)学(ぶ)という意味の「博物学」と訳され、自然界の事物に関する広範な知識を集積する学問となった。蛇足ながら博物館は英語では museum である。下記リンク先はロンドンの大英博物館の公式サイトです。

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