2025年11月12日

写真術における偉大なる達人たち

Parade of Zapatistas
Manuel Ramos (1874-1945) Parade of Zapatistas, National Palace, Mexico City, 1914

2021年の秋以来、思いつくまま世界の写真界20~21世紀の達人たちの紹介記事を拙ブログに綴ってきましたが、2025年11月12日現在のリストです。右端の()内はそれぞれ写真家の生年・没年です。左端の年月日をクリックするとそれぞれの掲載ページが開きます。

21/10/06多くの人々に感動を与えたアフリカ系アメリカ人写真家ゴードン・パークスの足跡(1912–2006)
21/10/08グループ f/64 のメンバーだった写真家イモージン・カニンガムは化学を専攻した(1883–1976)
21/10/10圧倒的な才能を持ち現代アメリカの芸術写真を牽引したポール・ストランド(1890–1976)
21/10/11何気ない虚ろなアメリカを旅したスイス生まれの写真家ロバート・フランク(1924–2019)
21/10/13作為を排した新客観主義に触発されたストリート写真の達人ロベール・ドアノー(1912–1994)
21/10/16大恐慌時に農村や小さな町の生活窮状をドキュメントした写真家ラッセル・リー(1903–1986)
21/10/17日記に最後の晩餐という言葉を残して自死した写真家ダイアン・アーバスの黙示録(1923–1971)
21/10/19フォトジャーナリズムの手法を芸術の域に高めた写真家ユージン・スミスの視線(1918–1978)
21/10/24時代の風潮に左右されず独自の芸術観を持ち続けたプラハの詩人ヨゼフ・スデック(1896-1976)
21/10/27西欧美術を米国に紹介した写真家アルフレッド・スティーグリッツの功績(1864–1946)
21/11/01美しいパリを撮影していたウジェーヌ・アジェを「発見」したベレニス・アボット(1898–1991)
21/11/08近代ストレート写真を先導した 20 世紀の写真界の巨匠エドワード・ウェストン(1886–1958)
21/11/10芸術を通じて社会や政治に影響を与えることを目指した写真家アンセル・アダムス(1902–1984)
21/11/13大恐慌を記録したウォーカー・エヴァンスの被写体はその土地固有の様式だった(1903–1975)
21/11/16写真少年ジャック=アンリ・ラルティーグは個展を開いた 69 歳まで無名だった(1894–1986)
21/11/20ハンガリー出身の世界で最も偉大な戦争写真家ロバート・キャパの短い人生(1913–1954)
21/11/25児童労働の惨状を訴えるため現実を正確に捉えた写真家ルイス・ハインの偉業(1874–1940)
21/12/01マグナム・フォトを設立した写真家アンリ・カルティエ=ブレッソンの決定的瞬間(1908–2004)
21/12/06犬を人間のいくつかの性質を持っているとして愛撮したエリオット・アーウィット(1928-2023)
21/12/08リチャード・アヴェドンの洗練され権威ある感覚をもたらしたポートレート写真(1923–2004)
21/12/12デザインと産業の統合に集中したバウハウスの写真家ラースロー・モホリ=ナジ(1923–1928)
21/12/17ダダイズムとシュルレアリスムに跨る写真を制作したマン・レイは革新者だった(1890–1976)
21/12/29フォトジャーナリズムに傾倒したアラ・ギュレルの失われたイスタンブル写真素描(1928–2018)
22/01/10ペルーのスタジオをヒントに自然光に拘ったアーヴィング・ペンの鮮明な写真(1917-2009)
22/02/25非現実的なほど歪曲し抽象的な遠近感を生み出した写真家ビル・ブラントのカメラ(1904–1983)
22/03/09男性ヌードや花を白黒で撮影した異端の写真家ロバート・メイプルソープへの賛歌(1946–1989)
22/03/18ニューヨーク近代美術館で写真展「人間家族」を企画したエドワード・スタイケン(1879–1973)
22/03/24公民権運動の影響を記録したキュメンタリー写真家ブルース・デヴッドソンの慧眼(born 1933)
22/04/21社会的弱者に寄り添いエモーショナルに撮影した写真家メアリー・エレン・マーク(1940-2015)
22/05/20早逝した写真家リンダ・マッカートニーはザ・ビートルズのポールの伴侶だった(1941–1998)
22/06/01大都市に変貌する香港を活写して重要な作品群を作り上げたファン・ホーの視線(1931–2016)
22/06/12肖像写真で社会の断面を浮き彫りにしたドキュメント写真家アウグスト・ザンダー(1876–1964)
22/08/01スペイン内戦取材で26歳という若さに散った女性戦争写真家ゲルダ・タローの生涯 (1910–1937)
22/09/16カラー写真を芸術として追及したジョエル・マイヤーウィッツの手腕(born 1938)
22/09/25死と衰退を意味する作品を手がけた女性写真家サリー・マンの感性(born 1951)
22/10/17北海道の風景に恋したイギリス人写真家マイケル・ケンナのモノクロ写真(born 1951)
22/11/06アメリカ先住民を「失われる前に」記録したエドワード・カーティス(1868–1952)
22/11/16大恐慌の写真 9,000 点以上を制作したマリオン・ポスト・ウォルコット(1910–1990)
22/11/18人間の精神の深さを写真に写しとったアルゼンチン出身のペドロ・ルイス・ラオタ (1934-1986)
22/12/10アメリカの生活と社会的問題を描写した写真家ゲイリー・ウィノグランド(1928–1984)
22/12/16没後に脚光を浴びたヴィヴィアン・マイヤーのストリート写真(1926–2009)
22/12/23写真家集団マグナムに参画した初めての女性報道写真家イヴ・アーノルド(1912-2012)
23/03/25写真家フランク・ラインハートのアメリカ先住民のドラマチックで美しい肖像写真(1861-1928)
23/04/13複雑なタブローを構築するシュールレアリスム写真家サンディ・スコグランド(born 1946)
23/04/21キャラクターから自らを切り離したシンディー・シャーマンの自画像(born 1954)
23/05/01震災前のサンフランシスコを記録した写真家アーノルド・ジェンス(1869–1942)
23/05/03メキシコにおけるフォトジャーナリズムの先駆者マヌエル・ラモス(1874-1945)
23/05/05文学と芸術に没頭し超現実主義絵画に着想を得た台湾を代表する写真家張照堂(1943-2024)
23/05/07家族の緊密なポートレイトで注目を集めた写真家エメット・ゴウィン(born 1941)
23/05/22欲望やジェンダーの境界を無視したクロード・カアンのセルフポートレイト(1894–1954)
23/05/2520世紀初頭のアメリカの都市改革に大きく貢献したジェイコブ・リース(1849-1914)
23/06/05都市の社会風景という視覚的言語を発展させた写真家リー・フリードランダー(born 1934)
23/06/13写真芸術の境界を広げた暗室の錬金術師ジェリー・ユルズマンの神技(1934–2022)
23/06/15強制的に収容所に入れられた日系アメリカ人を撮影したドロシア・ラング(1895–1965)
23/06/20劇的な国際的シンボルとなった「プラハの春」を撮影したヨゼフ・コウデルカ(born 1958)
23/06/24警察無線を傍受できる唯一のニューヨークの写真家だったウィージー(1899–1968)
23/07/03フォトジャーナリズムの父アルフレッド・アイゼンシュタットの視線(1898–1995)
23/07/06ハンガリーの芸術家たちとの交流が反映されたアンドレ・ケルテスの作品(1894-1985)
23/07/08家族が所有する島で野鳥の写真を撮り始めたエリオット・ポーター(1901–1990)
23/07/08戦争と苦しみを衝撃的な力でとらえた報道写真家ドン・マッカラン(born 1935)
23/07/17夜のパリに漂うムードに魅了されていたハンガリー出身の写真家ブラッサイ(1899–1984)
23/07/2020世紀の著名人を撮影した肖像写真家の巨星ユーサフ・カーシュ(1908–2002)
23/07/22メキシコの革命運動に身を捧げた写真家ティナ・モドッティのマルチな才能(1896–1942)
23/07/24ロングアイランド出身のマルクス主義者を自称する写真家ラリー・フィンク(born 1941)
23/08/01アフリカ系アメリカ人の芸術的な肖像写真を制作したコンスエロ・カナガ(1894–1978)
23/08/04ヒトラーの地下壕の写真を世界に初めて公開したウィリアム・ヴァンディバート(1912-1990)
23/08/06タイプライターとカメラを同じように扱った写真家カール・マイダンス(1907–2004)
23/08/08ファッションモデルから戦場フォトャーナリストに転じたリー・ミラーの生涯(1907-1977)
23/08/14ニコンのレンズを世界に知らしめたデイヴィッド・ダグラス・ダンカンの功績(1907-2007)
23/08/18超現実的なインスタレーションアートを創り上げたサンディ・スコグランド(born 1946)
23/08/20シカゴの街角やアメリカ史における重要な瞬間を再現した写真家アート・シェイ(1922–2018)
23/08/22大恐慌時代の FSA プロジェクト 最初の写真家アーサー・ロススタイン(1915-1986)
23/08/25カメラの焦点を自分たちの生活に向けるべきと主張したハリー・キャラハン(1912-1999)
23/09/08イギリスにおけるフォトジャーナリズムの先駆者クルト・ハットン(1893–1960)
23/10/06ロシアにおけるデザインと構成主義創設者だったアレクサンドル・ロトチェンコ(1891–1956)
23/10/18物事の本質に近づくための絶え間ない努力を続けた写真家ウィン・バロック(1902–1975)
23/10/27先見かつ斬新な作品により写真史に大きな影響を与えたウィリアム・クライン(1926–2022)
23/11/09アパートの窓から四季の移り変わりの美しさなどを撮影したルース・オーキン(1921-1985)
23/11/15死や死体の陰翳が纏わりついた写真家ジョエル=ピーター・ウィトキンの作品(born 1939)
23/12/01近代化により消滅する前のパリの建築物や街並みを記録したウジェーヌ・アジェ(1857-1927)
23/12/15同時代で最も有名で最も知られていないストリート写真家のヘレン・レヴィット(1913–2009)
23/12/20哲学者であることも写真家であることも認めなかったジャン・ボードリヤール(1929-2007)
24/01/08音楽や映画など多岐にわたる分野で能力を発揮した写真家ジャック・デラーノ(1914–1997)
24/02/25シチリア出身のイタリア人マグナム写真家フェルディナンド・スキアンナの視座(born 1943)
24/03/21パリで花開いたロシア人ファッション写真家ジョージ・ホイニンゲン=ヒューン(1900–1968)
24/04/04報道写真家として自活することに成功した最初の女性の一人エスター・バブリー(1921-1998)
24/04/20長時間露光により時間の多層性を浮かび上がらせたアレクセイ・ティタレンコ(born 1962)
24/04/2820世紀後半のイタリアで最も重要な写真家ジャンニ・ベレンゴ・ガルディン(born 1930)
24/04/30トルコの古い伝統の記憶を守り続ける女性写真家 F・ディレク・ウヤル(born 1976)
24/05/01ファッション写真に大きな影響を与えたデヴィッド・ザイドナーの短い生涯(1957-1999)
24/05/08社会の鼓動を捉えたいという思いで写真家になったリチャード・サンドラー(born 1946)
24/05/10直接的で妥協がないストリート写真の巨匠レオン・レヴィンシュタイン(1910–1988)
24/05/12自らの作品を視覚的な物語と定義している写真家スティーヴ・マッカリー(born 1950)
24/05/14多様な芸術の影響を受け写真家の視点を形作ったアンドレアス・ファイニンガー(1906-1999)
24/05/16芸術的表現により繊細な目を持つ女性写真家となったマルティーヌ・フランク(1938-2012)
24/05/18ドキュメンタリー写真をモノクロからカラーに舵を切ったマーティン・パー(born 1952)
24/05/21先駆的なグラフ誌『ピクチャー・ポスト』を主導した写真家バート・ハーディ(1913-1995)
24/05/24グラフ誌『ライフ』に30年間投稿し続けたロシア生まれの写真家リナ・リーン(1914-1995)
24/05/27旅する写真家として20世紀後半の歴史に残る象徴的な作品を制作したルネ・ブリ(1933-2014)
24/05/29高速ストロボスコープ写真を開発したハロルド・ユージン・エジャートン(1903-1990)
24/06/03一般市民とそのささやかな瞬間を撮影したオランダの写真家ヘンク・ヨンケル(1912-2002)
24/06/10ラージフォーマット写真のデジタル処理で成功したアンドレアス・グルスキー(born 1955)
24/06/26レンズを通して親密な講釈と被写体の声を伝えてきた韓国出身のユンギ・キム(born 1962)
24/07/05演出されたものではなく現実的なファッション写真を開発したトニ・フリッセル(1907-1988)
24/07/07スウィンギング60年代のイメージ形成に貢献した写真家デイヴィッド・ベイリー(born 1938)
24/07/13著名人からから小さな町の人々まで撮影してきた写真家マイケル・オブライエン(born 1950)
24/07/14人々のドラマが宿る都市のカラー写真を制作したコンスタンティン・マノス(born 1934)
24/08/04写真家集団「マグナム・フォト」所属するただ一人の日本人メンバー久保田博二(born 1939)
24/08/08ロバート・F・ケネディの死を悼む人々を葬儀列車から捉えたポール・フスコ(1930–2020)
24/08/13クリスティーナ・ガルシア・ロデロが話したいのは時間も終わりもない出来事だ(born 1949)
24/08/30ドキュメンタリーと芸術の境界を歩んだカラー写真の先駆者エルンスト・ハース(1921–1986)
24/09/01国際的写真家集団マグナム・フォトの女性写真家スーザン・メイゼラスの視線(born 1948)
24/09/09アパルトヘイトの悪と日常的な社会への影響を記録したアーネスト・コール(1940–1990)
24/09/14宗教的または民俗的な儀式に写真撮影の情熱を注ぎ込んだラモン・マサッツ(1931-2024)
24/09/23アメリカで最も有名な無名の写真家と呼ばれたエヴリン・ホーファー(1922–2009)
24/09/25自身を「大義を求める反逆者」と表現した写真家マージョリー・コリンズ(1912-1985)
24/09/27北海道の小さな町にあった営業写真館を継がず写真芸術の道を歩んだ深瀬昌久(1934-2012)
24/10/01現代アメリカの風変わりで平凡なイメージに焦点を当てた写真家アレック・ソス(born 1969)
24/10/04微妙なテクスチャーの言語を備えた異次元の写真を追及したアーサー・トレス(born 1940)
24/10/06オーストリア系イギリス人のエディス・チューダー=ハートはソ連のスパイだった(1908-1973)
24/10/08映画の撮影監督でもあったドキュメンタリー写真家ヴォルフガング・スシツキー(1912–2016)
24/10/15芸術のレズビアン・サブカルチャーに深く関わった写真家ルース・ベルンハルト(1905–2006)
24/10/19ランド・アートを通じて作品を地球と共同制作するアンディ・ゴールドワージー (born 1956)
24/10/29公民権運動の活動に感銘し刑務所制度の悲惨を描写した写真家ダニー・ライアン (born 1942)
24/11/01人間の状態と現在の出来事を記録するストリート写真家ピータ―・ターンリー (born 1955)
24/11/04写真を通じて現代の社会的状況を改善することに専念したアーロン・シスキンド(1903-1991)
24/11/07自然と植物の成長にインスピレーションを受けた写真家カール・ブロスフェルト(1865-1932)
24/11/09ストリート写真で知られているリゼット・モデルは教える才能を持っていた(1901-1983)
24/11/11カラー写真が芸術として認知されるようになった功労者ウィリアム・エグルストン(born 1939)
24/11/13革命後のメキシコ復興の重要人物だった写真家ローラ・アルバレス・ブラボー(1903-1993)
24/11/15チリの歴史上最も重要な写真家であると考えられているセルヒオ・ララインの視座(1931-2012)
24/11/19イギリスのアンリ・カルティエ=ブレッソンと評されたジェーン・ボウン(1925-2014)
24/11/25カラー写真の先駆者ソール・ライターは戦後写真界の傑出した人物のひとりだった(1923–2013)
24/11/25サム・フォークがニューヨーク・タイムズに寄せた写真は鮮烈な感覚をもたらした(1901-1991)
24/11/29ゲイ解放運動の活動家だったトランスジェンダーの写真家ピーター・ヒュージャー(1934–1987)
24/12/01複数の芸術的才能に恵まれていた華麗なるファッション写真家セシル・ビートン(1904–1980)
24/12/05ライフ誌と空軍で活躍した女性初の戦場写真家マーガレット・バーク=ホワイト(1904–1971)
24/12/07愛と美を鮮明に捉えたロマン派写真家エドゥアール・ブーバの平和への眼差し(1923–1999)
24/12/10保守的な政治体制と対立しながら自由のために写真を手段にしたエヴァ・ペスニョ(1910–2003)
24/12/15自然環境における人間の姿を研究することに関心を寄せた写真家マイケル・ぺト(1908-1970)
24/12/20ベトナム戦争中にナパーム弾攻撃から逃げる子供たちを撮影したニック・ウット(born 1951)
25/01/06記録映画の先駆者であり前衛映画製作者でもあった写真家ラルフ・スタイナー(1899–1986)
25/01/10アメリカ西部を占める文化の多様性を反映した写真家ローラ・ウィルソンの足跡(born 1939)
25/01/15フランスの人文主義写真運動で活躍したスイス系フランス人ザビーネ・ヴァイス(1924–2021)
25/02/03サルバドール・ダリとの共作でシュールな写真を創出したフィリップ・ハルスマン(1906–1979)
25/02/06ベトナム戦争に対する懸念を形にした写真家フィリップ・ジョーンズ・グリフィス(1936-2008)
25/02/18芸術に複数の糸を持っていたシュルレアリスムの写真家エミール・サヴィトリー(1903-1967)
25/03/19シュルレアリスムの先駆的な写真家でピカソのモデルで恋人だったドラ・マール(1907-1997)
25/03/25ホロコースト前の東欧のユダヤ人社会を記録した写真家ローマン・ヴィスニアック(1897-1990)
25/04/01ソーシャルワーカーからライフ誌の専属写真家に転じたウォレス・カークランド(1891–1979)
25/04/04写真家ビル・エプリッジは20世紀で最も優れたフォトジャーナリストの一人だった(1938-2013)
25/04/25ロバート・キャパの弟で総合施設国際写真センターを設立したコーネル・キャパ(1918-2008)
25/05/01激動1960年代の音楽家たちをキャプチャーした写真家エリオット・ランディの慧眼(born 1942)
25/05/23生まれ故郷ブラジルの熱帯雨林アマゾン川流域へのセバスチャン・サルガドの視座(1944-2025)
25/06/22風景への畏敬の念と激動の気象現象への驚異が伝わるミッチ・ドブラウナーの写真(born 1956)
25/07/26ティンタイプ写真でアパラチアの伝承音楽家に焦点を当てたリサ・エルマーレ(born 1984)
25/08/03色彩の卓越した表現を通して写真というジャンルを超越したデビッド・ラシャペル(born 1963)
25/08/20ヨーロッパ解放やコンゴ紛争などでの勇敢な取材で知られるドミトリ・ケッセル(1902–1995)
25/08/25長大吊り橋を撮影したピーター・スタックポールはライフ誌創刊の写真家になった(1913-1997)
25/09/08アパラチアや南東部の農村地帯の人々の肖像写真で知られているドリス・ウルマン(1882-1934)
25/08/25長大吊り橋を撮影したピーター・スタックポールはライフ誌創刊の写真家になった(1913-1997)
25/09/15指導者であり預言者であり歴史家であり学者だった写真家ジョン・ローエンガード(1934-2020)
25/09/17女性を客体ではなく主体として描写した写真家エレン・フォン・アンワースの視線(born 1954)
25/09/22精巧に演出された赤ちゃんたちの愛らしい写真で世界的に評価されるアン・ゲデス(born 1956)
25/09/26エロティックで都会的なスタイルの頂点を極めた写真家ヘルムート・ニュートン(1920-2004)
25/10/06モデルからファッション写真家に転じたスリランカ系英国人ナイジェル・バーカー(born 1972)
25/10/15ヴィクトリア朝イギリスで最も有名な写真家ジュリア・マーガレット・キャメロン(1815-1879)
25/10/17革新的手法を用いたドイツ系ユダヤ人写真家エーリッヒ・ザロモンの悲劇的な運命(1886-1944)
25/10/20地球の環境破壊と気候変動の壊滅的な影響を明瞭に伝える写真家ニック・ブラント(born 1964)
25/10/23政治家や作家など世界の重要人物の精緻な肖像写真を撮影したユーサフ・カーシュ(1908-2002)
25/10/26直面する不正義と対峙するパレスチナ系オランダ人写真家サキル・カデルの眼差し(born 1990)
25/11/12目に見えない鳥の飛行経路を可視化した作品で知られる写真家シャビ・ボウの秘技(born 1979)

子供の頃「明治は遠くなりにけり」という言葉を耳にした記憶がありますが、今まさに「20世紀は遠くなりにけり」の感があります。掲載した作品の大半がモノクロ写真で、カラー写真がわずかのなのは偶然ではないような気がします。20世紀のアートの世界ではモノクロ写真が主流だったからです。しかしデジタルカメラが主流になった21世紀、カラー写真の台頭に目覚ましいものがあります。ジョエル・マイヤーウィッツとサンディ・スコグランド、ジャン・ボードリヤール、 F・ディレク・ウヤル、マーティン・パー、コンスタンティン・マノス、久保田博二、ポール・フスコ、エルンスト・ハース、エヴリン・ホーファー、アレック・ソス、アンディ・ゴールドワージー、ウィリアム・エグルストン、ソール・ライタ、などのカラー作品を取り上げました。

photographer  Famous Photographers: Great photographs can elicit thoughts, feelings, and emotions.

目に見えない鳥の飛行経路を可視化した作品で知られる写真家シャビ・ボウの秘技

European herring gulls at Llobregat Delta
European herring gulls at Llobregat Delta, Catalonia
Xavi Bou

シャビ・ボウは1979年にカタルーニャ州バルセロナで生まれプラット・デル・リョブレガートで育った。ボウの自然への愛は幼い頃から祖父と共にロブレガート・デルタの湿地帯を散歩していたことから自然科学に興味を持ち始めた。バルセロナ大学で地質学の学位を取得し、その後写真の道へ進んだ。15年間、広告写真とファッション写真に情熱を注ぎ、技術を習得しただけでなく、後に独自の視点を形作ることになる美的感覚を身につけた。そしてこの知識を真の情熱である自然へと活かすことができたのである。2003年以降はファッションと広告の世界に焦点を絞り、数人の写真家のもとで照明技師として働いた。後に彼独自の視点を形作ることになる美的感覚を身につけた。そして、この知識を真の情熱である自然へと活かすことができたのである。2009年に写真レタッチスタジオを設立した。また4年間、デジタル写真とポストプロダクションを教えた。そして2012年に鳥類学に着手した。プロジェクト "Ornithographies"(鳥類図鑑)は2015年にスタートした。これまでにない方法で自然の美しさを表現したという点が、大きな反響を呼んだ。

Greater flamingos
Greater flamingos at Ebro Delta, Catalonia

世界各地の数々の展覧会で展示され、権威ある国際出版物にも広く掲載された後、バルセロナに拠点を置く鳥類学と自然史を専門とする出版社 Lynx Edicions から同名の書籍が出版された。ボウは野鳥の飛行に焦点を当てて飛行中の野鳥が描く輪郭を捉えること、つまり「目に見えないものを可視化すること」に焦点を当ててきた。当初は美学がプロジェクトの根幹を成していましたが、8年間の歩みの中で、専門家との協力や普及活動の進展により、科学的側面の重要性が増してきました。著者の言葉を借りれば「これは芸術と科学の均衡であり、自然主義的な発見のプロジェクトであると同時に、視覚的な詩の探求でもあるのです」「鳥が飛ぶことで空に描く隠された絵を探している学芸員のような気分だ」という。

Common starling
Common starling, at Llobregat Delta, Catalonia

飛行の種類に応じて、V字編隊のフラミンゴのような規則的なパターン、または空中で昆虫を探しているアマツバメのような混沌とした線が現れることがある。最も愛されている鳥の一つは、群れをなして舞うムクドリの群れである。特にこの群れがタカに背後から襲われている時は、ボウはアトラス・オブスキュラの記事で「彫刻家であるタカが、ムクドリの群れの形をどのように形作るのか、そのアイデアに私は情熱を傾けています」と述べている。このプロジェクトで、ボウは "Murmurations"(さえずり)と呼ばれるマルチメディア・プロジェクトを制作した。作品のほとんどはカタルーニャまたはイベリア半島で撮影されたが、アイスランドとアメリカ合衆国でも活動した。

Audouin's gull
Audouin's gull at Ebro Delta, Catalonia

ボウは数秒間の出来事を一枚の写真に収めるためにクロノフォトグラフィーという技法を用いている。これは19世紀末に考案された技法で、エドワード・マイブリッジ、エティエンヌ=ジュール・マレー、オットマール・アンシュッツといった代表的な人物によって知られています。これは、連続して多数の写真を撮影し、それらを全て一枚の写真に合成するものである。その後、技術と写真の精度を高めるために、プロ仕様のデジタルシネマカメラを使用した。これらのカメラは、1秒間に25~120フレームの高解像度撮影を可能にした。下記リンク先は『シエラ』誌の元編集フェローであるモリー・グリックによる「シャビ・ボウ(1979年生まれ)が鳥の飛行を捉える方法:このカタルーニャ人写真家は目に見えないものを可視化する」です。

Sierra Club Xavi Bou (born 1979) | How Captures the Flight of Birds by Molly Glick | The Sierra Club

2025年11月10日

独裁者ドナルド・トランプ時代の終わりの始まり

cartoon
Trump vs Mamdani ©2025 Fares Garabet

独裁者ドナルド・トランプ大統領に強烈な逆風が吹き始めた。アメリカで今月4日にあった注目の選挙では、いずれも民主党候補が勝利した。ゾーラン・マムダニ次期ニューヨーク市長、アビゲイル・スパンバーガー次期ヴァージニア州知事、マイキー・シェリル次期ニュージャージー州知事である。ヴァージニア州でアビゲイル・スパンバーガー時期知事、ガザラ・ハシュミ時期副知事、そしてジェイ・ジョーンズ時期司法長官が、自身の選挙運動を妨害しようと悪質なメールを拡散させようと躍起になっていたにもかかわらず、大勝したことは、ヴァージニア州民が共和党にどれほど飽き飽きしているかを示している。さらに、ヴァージニア州民は議会を民主党が維持するだろうとみられる。ニュージャージー州では、ミッキー・シェリルが知事選で大勝した。ペンシルベニア州では、最高裁判事の民主党員3人が続投を承認された。明らかに人々は、ホワイトハウスの重罪犯と彼のファシスト的な政権から聞こえてくるもの、目にするものに不満を抱いており、その動向に注目している。カリフォルニア州における提案50号の勝利は素晴らしい。これは、共和党の5つの選挙区を追加するために、テキサス州で行われた選挙区再編と少数派有権者の権利剥奪という非道な試みに対する反撃である。ギャビン・ニューサム知事とカリフォルニア州は「我々は脅迫には屈しない」と表明した。我々は有権者に決定を委ね、そして彼らはカリフォルニア州に民主党の5つの選挙区を追加する計画を承認した。 これらすべての結果は、2026年の中間選挙にとって良い兆しである。2026年の候補者選びの選挙活動を始めるにあたり「決して諦めない、決して屈しない!」というモットーを掲げなければならない。民主党が議会を奪還するためには団結して取り組む必要があります。民主党全国委員会のケン・マーティン委員長は、現職共和党が15%未満の得票率で獲得したすべての議席に焦点を当てるべきだと述べた。

Abigail Spanberger, Zohran Mamdani, and Mikie Sherrill
(L-R) Abigail Spanberger, Zohran Mamdani, and Mikie Sherrill

これらの議席は当選の可能性がある。そしてもちろん、空席となっている下院議席すべてと、当選の可能性がある上院議席5つを探ることも重要です。民主党は、候補者が有権者の懸念事項に訴えれば、アメリカ国民が必ず反応することを念頭に選挙活動を行うべきである。2026年の民主党下院議員選挙で私がすべての民主党候補者に求める主な公約は、下院議長と上院院内総務を民主党が選出するという確約である。現在の民主党の理念を疑問視する人もいる。民主党の綱領とその理念は長年にわたって一貫している。民主党は女性と LGBTQ コミュニティの平等、公民権、経済的平等と機会の確保を支持しています。また、手頃な価格の医療と、オバマケアの強化を支持しています。民主党は、女性が自らの医療と身体を自ら管理し、選択する権利を信じています。さらに、公正な移民政策を支持し、我が国が移民の国であることも理解しています。これは国境開放を意味するのではなく、自身と家族のためにより良い生活を築くために我が国に来たい人々を歓迎することを意味する。民主党は、気候変動に関する現実を直視し、それに対して行動を起こすことを信じている。民主党は気候変動を否定しない。有権者のほとんどが、いわゆる「食卓の問題」に関心を持っていることを認識することが重要である。食料品やガソリン価格、家賃、教育費、育児費用などです。彼らは、一生懸命働けば、自分自身と家族を養い、豊かな生活を送ることができるのかを知りたいと思っています。民主党の候補者が、彼らのためにそれを実現するためにどのように努力するかを示すことが、民主党の勝利への道です。ホワイトハウスのMAGA(近代化法)の重罪犯とそのファシスト仲間によって彼らに吹き込まれた嘘を指摘することも重要である。これらすべてを明確かつ直接的な言葉で伝えることが重要である。下記リンク先はロサンジェルス・タイムス紙ワシントン支局長マイケル・ウィルナーによる「これはトランプ時代の終焉の始まりか?」です。

Los Angeles Times  Is this the beginning of the end of the Trump era? by Michael Wilner, Washington Bureau

2025年11月8日

短縮カタカナ英語の厄介

日本語
日本語は母音が5個 子音は14個
英語
英語は母音が16個 子音は24個もある

大相撲の外国人力士の流暢な日本語に接すると、母国語が通じない環境が外国語取得にうってつけじゃないか思う。防衛大臣に就任した小泉進次郎も同様の発言をしていた。ただそれには留学などが必要で、一般には現実的な方法ではない。英会話習得を妨げている一因に、図のように日本語の母音が5個であるのに対し英語は16個もあることを挙げることができる。例えば日本語では1つの「ア」として認識されている音が、英語では4種類の「ア」として区別されている。またアメリカ人は "Radio" を「ラジオ」ではなく「レイディオ」と発音する。インターネットの音楽番組にアクセスして知ったのだが ".com" は「ドットコム」ではなく「ダーカム」と司会者が発音していた。イギリス英語(British English)とアメリカ英語(American English)は同じ英語だが、発音・綴り(スペル)・語彙(単語)・文法・発音のイントネーションなどに違いがあることも要注意である。カタカナ英語で話していると、このような誤解を生む単語が連続することになり、英語話者とのコミュニケーションに支障が生じる可能性がある。これらを解決するには、助言機能を備えた AI 英会話アプリケーションの導入の検討がベストかもしれない。カタカナ英語といえば日本語を学ぶ外国人が戸惑うのは、カタカナ表記の英語、とりわけその短縮カタカナが学習を妨げているという。

アコギアコースティックギターAcoustic guitar
アサインアサインメントAssignment
アナクロアナクロニズムAnachronism
アニメアニメーションAnimation
アパートアパートメントApartment
アプリアプリケーションApplication
アポアポイントメントAppointment
アマアマチュアAmateur
アンプアンプリファイアAmplifier
イラレイラストレーターIllustrator
インスタインスタグラムInstagram
インフラインフラストラクチャーInfrastructure
インフレインフレーションInflation
エアコンエアコンディショナーAir conditioner
エコエコロジーEcology
エンタメエンターテインメントEntertainment
オケオーケストラOrchestra
オペオペレーションOperation
カーナビカーナビゲーションCar Navigation
カスハラカスタマーハラスメント和製英語
クラウドクラウドコンピューティングCloud computing
クレカクレジットカードCredit card
ゲーセンゲームセンターArcade video game
コスパコストパフォーマンスCost performance
コスプレコスチュームプレイCostume play
コンサルコンサルタントConsultant
コンビニコンビニエンスストアConvenience store
コンプラコンプライアンスCompliance
コンポラコンテンポラリーContemporary
サブスクサブスクリプションSubscription
サプリサプリメントSupplement
シスコサンフランシスコSan Francisco
スーパースーパーマーケットSupermarket
スクショスクリーンショットScreenshot
ストストライキStrike
スタバスターバックスStarbucks
スマホスマートフォンSmartphone
セクハラセクシャルハラスメントSexual harassment
ゼネコンゼネラルコントラクターGeneral Contractor
ソフトソフトウェアSoftware
タブタブラチュアTablature
タワマンタワーマンション和製英語
テックテクノロジーTechnologyr
デフレデフレーションDeflation
デモデモンストレーションDemonstration
テレビテレビジョンTelevision (TV)
トイレトイレットToilet
ドラクエドラゴンクエストDragon Quest
トラッドトラディショナルTraditional
ナショジオナショナルジオグラフィックNational Geographic
ネオコンネオコンサバティズムNeoconservatism
ネガネガティブフィルムNegative film
ハードハードウェアHardware
バイトアルバイトArbeit(ドイツ語)
バスケバスケットボールBasketball
パソコンパーソナルコンピュータPersonal computer
パブコメパブリックコメントPublic consultation
パワハラパワーハラスメントPower harassment
ハンデハンデキャップHandicapping
バンマスバンドマスターBandmaster
ピケピケッティングPicketing
ビルビルディングBuilding
ファミコンファミリーコンピュータNintendo Family computer
フォトショフォトショップPhotoshop
ブラブラジャーBrassiere (Bra)
プラプラスチックPlastic
プリクラプリントクラブPhoto booth
プレゼンプレゼンテーションPresentation
プロプロフェッショナルProfessional
プロフプロフィールProfile
ポジポジティブフィルムPositive film
ポラポラロイドPolaroid
マスコミマスコミュニケーションMass communication
マネロンマネーローンダリングMoney laundering
ラジコンラジオコントロールRadio control
ランクルランドクルーザーLand Cruiser
リオリオデジャネイロRio de Janeiro
リハリハーサルRehearsal
リハビリリハビリテーションRehabilitation
リモコンリモートコントロールRemote control
レジレジスタRegister
レスレスポンスResponse
レズレズビアンLesbian
ロスロサンジェルスLos Angeles (LA)
ワイシャツホワイトシャツDress shirt

思いつくまま短縮カタカナ英語を拾ってみた。Smartphone を「スマホ」と呼ぶと知ったら英語圏の人々はどう思うか興味深い。英語ではブラジャーを Bra、テレビジョンと短縮するのが普通だか、いずれの国も短縮表記が好まれるようだ。もっとも Make America Great Again(アメリカ合衆国を再び偉大な国にする)を MAGA という風に頭文字を取って短縮するケースが多いようだ。蛇足ながら大型の共同住宅をマンション(mansion)と呼ぶが、邸宅を意味した用語を誤用した和製英語。コンドミニアム(condominium)とするのが一般的である。

language 外国人に通じないカタカナ英語 | 和製英語との違いや正しい英語を身につけるコツも | ビズメイツ

2025年11月6日

ニューヨーク市長選で勝利したゾーラン・クワメ・マムダニのバイオグラフィー

Zohran Mamdani

全米最大の都市、ニューヨーク市の市長選が11月4日に投開票され民主党候補の急進左派ゾーラン・クワメ・マムダニ(34)が当選した。同市初のイスラム教徒の市長が誕生することになる。トランプ米大統領はマムダニの政治姿勢を敵視していた。新市長の任期は4年で2026年1月1日に就任する。以下はニューヨーク州議会が作成したゾーラン・クワメ・マムダニのバイオグラフィーです。

/Statue of Liberty
Statue of Liberty in New York City

ゾーラン・クワメ・マムダニは1991年、ウガンダのカンパラで生まれた。7歳の時に家族と共にニューヨーク市に移住しました。ニューヨーク市公立学校を卒業し、ブロンクス科学高校に進学し、ボウディン大学でアフリカ系アメリカ人研究の学士号を取得しました。数年後の2018年にアメリカ国籍を取得しました。第36議会選挙区とその周辺地域であるアストリア、ディトマーズ・スタインウェイ、アストリア・ハイツを選出する以前、マムダニは差し押さえ防止のための住宅カウンセラーとして働き、クイーンズ地区の低所得の有色人種の住宅所有者が立ち退きを逃れ、自宅に住み続けられるよう支援していました。この仕事が彼を選挙に立候補させたきっかけです。人よりも利益を重視する銀行との交渉に日々追われる中で、彼はこの住宅危機(パンデミック以前から存在していた)が私たちの生活に自然に備わっているものではなく、選択によるものだという現実を目の当たりにしました。それは、州だけでなく国全体で数十年にわたって実施されてきた企業優遇政策の結果でした。しかしどんな選択であれ、私たちには常に変化の機会があり、マムダニはその一員になれることを嬉しく思っています。しかしマムダニがそもそも政治活動に積極的に関わるようになったのは、職業経験よりも、組織活動という行為そのものがきっかけでした。高校時代、マムダニは学校初のクリケットチームを共同設立し、このチームは後にパブリックスクール・アスレチック・リーグの初開催シーズンに出場しました。この行為は、表向きは政治的なものではありませんでしたが、同じ志を持つ少数の人々と協力することで、言葉通りの行動を現実に変えることができることを彼に教えてくれました。

Zohran Mamdani
Zohran Kwame Mamdani just won the New York City mayoral race

それ以前は、彼の政治的な発言は主にフェイスブックの長文投稿を通して表現されており、その影響力は過去10年間のヤンキースのリングと同等でした。この教訓を生かし、彼は大学初のパレスチナ正義のための学生団体である "Students for Justice in Palestine"(パレスチナ正義を求める学生たち)の共同設立者となり、そしてその後、全国各地で様々な進歩的な団体と連携し、国政選挙での勝利と医療保険制度の拡大を目指しました。人生は必然的に変化し、映画、ラップ、執筆といった活動へと移り変わりましたが、世界の出来事が彼を絶望に導くのではなく、行動へと導いてくれたのは、常に組織活動でした。州議会議員として、マムダニは、すべてのニューヨーク市民が尊厳ある生活を送り、その尊厳の分配が市場によって決定されない未来のために、日々闘っています。アストリア地区の近隣住民のほぼ4分の1が収入の半分を家賃に費やし、クイーンズで最も汚染された空気を吸い、区内で最も高い割合でプロファイリングを受けている時代にあって、マムダニは、住宅、エネルギー、そして正義が少数の人々だけでなく、多くの人々のためにある未来こそが、私たちが望む未来だと信じています。ゾーランは、ニューヨーク州議会議員として初の南アジア系男性、そして初のウガンダ系、そして3人目のイスラム教徒であることを誇りに思います。あまりにも長い間、こうしたコミュニティは州の政治や優先事項から取り残されてきました。ゾーランは、在任中、できれば声を上げたくない人々の声を、地区と州の両方で広めていくよう努めます。下記リンク先は本稿の原文であるニューヨーク州議会の編纂によるゾーラン・クワメ・マムダニのバイオグラフィーです。

politics The Biography of Zohran Mamdani (born October 18, 1991) by New York State Assembly

2025年11月3日

偽の AI 生成ホロコースト犠牲者の写真で稼いでいるフェイスブックの詐欺師たち

AI-generated fake photo of the ghetto

フェイスブックにポストされたこの写真には「1943年11月 - ポーランド、ワルシャワ・ゲットー 崩れかけた壁に囲まれたゲットー内で、ミリアム・ゴールドという教師が20人の子供たちを古い学校の地下室に隠した。毎夜、彼女は星たちについての童話を語った――それぞれの星が再び輝くのを待つ子どもたちだと。ナチスに発見された時、彼女は去ることを拒んだ。目撃者によれば、彼女は最後まで子どもたちの手を握り、そっと歌い続けたという。戦後、生き残った一人の子どもが戻り、彼女が最後に座った壁に星を刻んだ。今もそこにある――勇気の静かな星座としてという説明がついていた。フェイスブックのフィードをスクロールすると、ホロコースト犠牲者とされる人物の写真(名前、年齢、悲劇的な運命まで記載)が目に留まり、これらの犠牲者が追悼されていると思い込むことがよくある。しかしロシア語のファクトチェックサイト「プロベレノ・メディア」の調査によると、多くの場合、これらの画像や経歴は AI によって生成され、捏造されているとのことである。こうした投稿の拡散はフェイスブックのコンテンツ収益化機能によって促進されているとみられ、アウシュヴィッツ=ビルケナウ博物館はこれを「ナチスの絶滅収容所で苦しみ、殺害された人々の記憶に対する重大な無礼行為」だと非難している。イスラエルのロシア語ニュースサイト "Newsru.Co.Il" は、ホロコースト関連の疑わしい投稿の急増を調査した。そのほとんどは、犠牲者とされる人物の顔写真と短い経歴が掲載されていた。その多くは「ヴァイオリンを愛していた」や「弟に子守唄を歌っていた」といった感情的な内容を含んでおり、その真偽を検証するのは極めて困難で、おそらく不可能だろう。投稿の背後にあるグループの名前を明らかにしていないが、プロベレノは、ホロコースト犠牲者とされる人物の AI によって生成された架空の伝記を掲載している10以上の ページを特定したという。これらのページは Meta の招待制「パフォーマンスボーナス」プログラムを通じて収益を得ている可能性がある。公開投稿へのエンゲージメントに対してクリエイターに報酬を与えるものだ。

AI

プロベレノは「90年代の歴史」ページから AI が生成したホロコーストに関する投稿1件は9,600件の「いいね!」1,300件のコメント、そして約1,000件のシェアを獲得しており、最小限の制作コストで約77ドルの収益を生み出すことができたと推定している。アウシュヴィッツ博物館は声明を発表し、これらの投稿が「歴史的真実の完全性」「特に問題なのは、彼らの投稿が実際のコンテンツをコピーしたもので、当館の投稿から直接引用されているにもかかわらず、その情報を AI が生成した捏造画像と組み合わせて閲覧者に誤解を招いていることです」と博物館は述べた。「私たちはこのような行為を強く非難し、アウシュヴィッツの記憶を保存することに尽力するすべての人に対し、情報源を検証し、操作された、あるいは誤解を招くような歴史的コンテンツの拡散に断固として反対するよう強く求めます」を損なうものだと非難した。アウシュヴィッツ=ビルケナウ博物館博物館は声明の中で、「90年代の歴史」を AI 生成のホロコースト関連コンテンツを拡散しているページの一つとして挙げた。類似のページである「歴史的スナップショット」は、どちらも米国登録企業である "Star Groups LLC" と "Being Master LLC" によって管理されていると主張しています。しかし、プロベレノはこれらの企業の米国商業登記簿上の記録を発見できなかった。実際「歴史的スナップショット」はミャンマーから管理されているようだ。それにもかかわらず、両ページはフェイスブックの親会社であるMetaから「認証済み」ステータスを受けており、同社の審査プロセスに疑問が生じている。一方 Meta は米国でのサードパーティのファクトチェックプログラムを段階的に廃止し、X(旧Twitter)の「コミュニティノート」モデルに似たシステムに置き換えると発表している。下記リンク先は英国 BBC 放送のクリスティーナ・ヴォルクとケビン・グエンによる2025年8月29日付記事「BBC が AI ホロコースト画像で利益を上げるスパマーのネットワークを暴露する」です。

BBC News   Facebook spammers profiting from AI Holocaust images by Kristina Völk & Kevin Nguyen

2025年11月1日

全訳)アウシュヴィッツの数千足の子供靴を保存するための緊急の取り組み

ナチス収容所の靴
ナチスの絶滅収容所跡には8,000足以上の子供靴が保管されている

ナチスの絶滅収容所跡には8,000点以上の子供の靴が保管されているが「直ちに保存しなければ、生と死の歴史的記録として消失する恐れがある」という。以下、英国最大のオンラインユダヤ人新聞「ユダヤ人ニュース」のスティーブン・オリシュチュクによる記事 "Urgent effort to preserve thousands of pairs of children’s shoes at Auschwitz"(アウシュヴィッツで数千足の子供用靴を保存するための緊急の取り組み) の全訳です。

anti-nazi

アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所で何千足ものユダヤ人の子供の靴が時の経過とともに崩れるのを防ぐため、緊急に保存する取り組みが2022年に開始された。ナチスの絶滅収容所跡には8,000足以上の靴が保管されているが、アウシュビッツ・ビルケナウ財団は「直ちに保存しなければ、これらの靴は生と死の歴史的記録として消失する恐れがある」と述べている。「魂から足裏まで」と題されたこの保存活動は、国際生者の行進、アウシュヴィッツ=ビルケナウ財団、アウシュヴィッツ記念館、そしてネイシュロス財団のパートナーシップであり、ネイシュロス財団が最初の寄付を行っている。「キャンプで殺害された子どもたちの靴を保存してほしいという要請を受けたとき、これが道義的義務であることは明らかでした」「私たちは、これらの無垢な子供たちの靴を保存することは、ナチス政権の残虐行為を永遠に証明するものであると同時に、重要な教育的取り組みでもあると考えています。生者の行進に参加したすべての人、そして世界中の人々が、ぜひ参加したいと思うはずです」と国際生者行進のシュムエル・ローゼンマン委員長とフィリス・グリーンバーグ・ハイデマン会長は語った。アウシュヴィッツ=ビルケナウでは、ヨーロッパ全土から100万人以上が殺害され、その中には23万人以上の子供が含まれていました。

Auschwitz
アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所

1945年1月にソ連軍が解放した時点では、15歳未満の子供はわずか500人しか生き残っていませんでした。全員が病気と栄養失調に苦しんでいました。「多くの場合、アウシュビッツに残された小さな靴は、ナチスに殺害された幼いユダヤ人の子供たちの遺品の全てです」「彼らは母親の腕から引き裂かれ、虐殺へと連れて行かれる時、この靴を履いて最後の一歩を踏み出したのです」と、慈善家のエイタン・ネイシュロス氏は述べた。彼らの靴は容赦なく奪われ、名前も、夢も、そして未来も奪われました。この象徴的な靴を保存することで、私たちはナチスによるおそらく最も悲惨な残虐行為の犠牲となったユダヤ人の子供たちの記憶を守り続けているのです。「彼らの記憶を生き続けさせ、暗闇から声を届けることは、次世代である私たちの責任です。今こそ、私たちの世代が犠牲者の記憶を守り、生き残った大切な方々に敬意を表すために、できる限りのことをすべき時です」と。記念館長ピオトル・ツィヴィンスキ氏は「来館者の感情に最も訴えかけるものの一つは、靴下を履いた子供の靴です。これは驚くべきことではありません。収容所の子供たちの悲劇的な運命を通して、アウシュヴィッツにおける人間の悪の限りない深淵を垣間見ることができるからです」と述べた。下記リンク先は本稿の原文です。

Jewish News Urgent effort to preserve thousands of pairs of children's shoes at Auschwitz,Jewish News

2025年10月29日

ソーシャルメディア X_Twitter のアカウントを復活する

京都フォト通信

当ブログに「ソーシャルメディア Bluesky のアカウントを取得して X から離脱した」という一文をポストしたのは2024年11月18日だった。イギリスのガーディアン紙が、イーロン・マスクのソーシャル・メディア X に同紙の公式アカウントからコンテンツを投稿しないことを発表したことに触発されたからだ。同紙は「X は有害なメディア・プラットフォームであり、そのオーナーであるイーロン・マスクが政治的言説を形成するためにその影響力を行使することができる」としたが、私自身は今後の推移を見守るため、アカウントを保持しようしようと思っているとも。しかし意に沿わないソーシャルメディアに席を持ち続けるのが空しくなし、思い切ってアカウントを削除したのだった。しかしその後、トランプ大統領の動静をウオッチするため、トランプ・メディア&テクノロジー・グループが創設したTruth Social(トゥルース・ソーシャル)のアカウントを取得した。それなら同じ意味で X_Twitter のアカウントを復活するのも一興かなと判断した。

それではソーシャルメディア X_Twitter をどのように利用するか。ご覧のツイートは当ブログにポストした、パレスチナ系オランダ人ドキュメンタリー写真家サキル・カデルに関する紹介記事のいわば宣伝である。X_Twitter とはいわば対局に位置する Bluesky ではアメリカのルーツ音楽をテーマにしているが X_Twitter ではとりあえず写真文化をテーマにしてみようというわけである。ソーシャルメディアは選挙活動に使われ、それがしばしば話題になる。私のネットワーキングのメインストリームはあくまでブログである。従ってソーシャルメディアはその補完機能を担っているに過ぎないのである。下記リンク先は Bluesky のアカウント American Roots Music である。

bluesky  Dedicated to American Roots Music by @fotokiddie.bsky.social on Social media Bluesky

2025年10月26日

直面する不正義と対峙するパレスチナ系オランダ人写真家サキル・カデルの眼差し

Beita
Beita, Nablus, West Bank of the Jordan River, Palestine, 2021
Sakir Kadel

サキル・カデルは1990年11月25日、フラールディンゲンで生まれたパレスチナ系オランダ人ドキュメンタリー写真家である。ヨルダン川西岸地区にあるジェニン難民キャンプ(現在は都市化している)での生活を捉えた写真シリーズに対し、2023年にオランダで最も権威のあるフォトジャーナリズム賞であるシルバーカメラ賞を受賞した。審査員は彼の作品を「写真の質と感情的なインパクトにおいて傑出している」と評価した。アメリカの作家スーザン・ソンタグは、2003年のエッセイ『他者の痛みについて』の中で「1839年にカメラが発明されて以来、写真は死と隣り合わせだった」と述べている。ソンタグの最後の著書となる本書は、戦争におけるイメージ形成の役割をより広く考察し、カメラの背後にいる人物、特に極限の恐怖を描いた場面で果たす役割を綿密に検証している。パレスチナ系オランダ人写真家サキル・カデルのでの展覧会では、イスラエル占領の残虐性の特定の側面が強調されており、ソンタグの言葉の重みが改めて問われる。特にアムステルダムの写真美術館 フォーム の展覧会の制作に役立ったのは「残虐な映像に心を奪われましょう。映像は語りかけています。人間にはこんなこともできるのだ、と。忘れないで」という一節である。この感情は、事実上、証言への行動への呼びかけであり、カデル初の組織的展覧会 "Yawm al-Firak"(分離の日)にも反映されている。

Beita, Nablus
Beita, Nablus, West Bank of the Jordan River, Palestine, 2021

この作品は、ヨルダン川西岸で殺害された7人の若者と、その死を嘆き悲しむ母親たちの物語を前面に押し出している。カデルは2021年から2024年にかけてジェニンとナブルスを訪れ、彼らと親交を深めた男女たちと交流した。「それらは私にとって主題ではない」「彼らは人間であり、友人です。私は彼らの心の中を覗き込み、繋がりを持とうとします。そして、まさにその瞬間を写真に撮りたいのです」と彼は明言する。フォームで展示された写真の多くは白黒で撮影されており、モノグラフ "Dying to Exist"(存在するために死ぬ)に初めて掲載された。このモノグラフでは、赤ちゃんの写真やポラロイド写真を含む500点の写真を通じて、ジェニン難民キャンプで暮らすパレスチナ人の日常生活の厳しさが強調されている。

mothers
The mothers of the Martyrs, Jenin refugee camp, 2023

アムステルダムにあるフォーム写真美術館のキュレーター、アヤ・ムサは「カデルのカメラは証人とツールの両方の機能を果たし、パレスチナをリアルタイムで記録します」「彼の作品は単なる出来事の記録ではなく、不在、喪失、そして記憶との対峙なのです」と語る。「アヤは私にとって兄貴のような存在です」「だからフォームとの仕事はとても心地よかったんです。西洋の美術館なので、最初は戦いになるんじゃないかと不安でした。こんな視点で展覧会を見るのは、一体何回あるでしょうか?」と写真家は、このコラボレーションが展覧会にどのような影響を与えたかを振り返りながら述べている。

Jenin
Jenin Refugee Camp, West Bank of the Jordan River, Palestine, 2023

ヨーロッパやアメリカの無数の美術館やギャラリーが、パレスチナの自由を支持するアーティストたちの活動を封じ込めている今、この展覧会の意義は一層高まっている。カデル自身も、今回の展覧会への招待は、マグナム・フォトからの推薦による副産物でもあると考えている。昨年7月、彼は1947年に パリで設立された歴史ある写真エージェンシー、マグナム・フォトにパレスチナ系写真家として初めて選出されたのだ。サキル・カデルは「マグナムの一員になれたことは本当に光栄ですが、私が見ている世界、私が歩いている世界は、ほとんどのマグナムの写真家のそれとは違っているので、これは彼らにとっても勝利です」とカデルは、自身の中東出身のアイデンティティに触れながら言う。

Refugee Camp
Jenin Refugee Camp, West Bank of the Jordan River, Palestine. 2023

そして「例えば、マグナムがアメリカで手がけた作品を見れば、アメリカのありのままの姿が描かれています。そして、それがマグナムにとっての勝利です。パレスチナを内側から描いているのです。私は歴史を捉え、人々と長期間共に活動してきました。私の作品は生と死に焦点を当てています。それこそが私が貢献しようとしていることです。私たちが生きていること、私たちが耐え忍ぶ痛み、この地域で起こっている不正義、そしてあらゆる困難を乗り越えて生きる人々の強さを見せたいのです。そこには多くの悲しみがありますが、小さな喜びの瞬間もあります」と語っている。下記リンク先は『アパーチャー』誌によるサキル・カデル(1990年生まれ)の写真と記事「パレスチナ人の忍耐のポートレイト」です。

aperture  Sakir Khader (born 1990) Portraits of Palestinian Perseverance by the Aperture Foudation

2025年10月23日

政治家や作家など世界の重要人物の精緻な肖像写真を撮影したユーサフ・カーシュ

Winston Churchill
Winston Churchill, Ottawa, 1941
Yousuf Karsh

ユーサフ・カーシュは1908年12月23日、オスマン帝国領ディヤルバクルのマルディン(現在のトルコ)で、アルメニア人の両親、商人アムシ・カーシュ(1872-1962)とバヒア・ナカシュ(1883-1958)の間に生まれた。父親はカトリック教徒、母親はプロテスタントであった。彼にはジャミルとマラクという2人の兄弟がいた]マラクは写真家でもあった。読み書きのできない父親は家具、絨毯、香辛料の売買のために各地を旅していたが、母親は当時としては珍しく教養のある女性で、特に聖書をよく読んでいた。オスマン帝国(現在のトルコ)でアルメニア人としてカーシュは迫害と困窮に耐えた。カーシュと彼の家族は1922年、クルド人のキャラバンと共に1ヶ月かけてシリアのアレッポにある難民キャンプに徒歩で逃れた。2年後、彼の父親は彼をカナダへ送ることに成功し、そこで彼はケベック州シャーブルックに住む写真家の叔父のもとに加わった。1926年から、カーシュは叔父のもとで働き、写真芸術と科学を学び始めた。1928年から1931年まで、彼はボストンの画家で肖像写真家のジョン・H・ガロに弟子入りし、美術学校の夜間クラスに短期間通った。ガロはカーシュに人工照明技術を紹介し、これがカーシュの肖像写真におけるドラマチックな照明の使用の基礎となった。

John Buchan
John Buchan, 1st Baron Tweedsmuir, 1937

1931年にカナダに戻ったカーシュは、叔父の資金援助を受けてすぐにスタジオを設立した。オタワ・リトル・シアターと提携し、俳優の撮影をする機会を得た。リトル・シアターを通じて、妻となる女優のソランジュ・ゴーティエと知り合い、1939年に結婚した。オタワで独り暮らしを始めたころ、カーシュの肖像写真がカナダの定期刊行物やイラストレイテッド・ロンドン・ニュースに掲載されるようになった。フォトジャーナリズムにおける彼の飛躍的進歩は、1936年にフランクリン・D・ルーズベルト米大統領とマッケンジー・キング首相の会談を撮影した時に訪れた。この任務の後、カーシュはカナダ政府の常勤カメラマンとなった。1947年にカナダ国籍を取得する。

Fidel Castro
Fidel Castro, 1941

カーシュは、少数精鋭のアーティストの一人であり、その作品は私たちの人間観や思想への認識に影響を与えただけでなく、歴史の流れにも影響を与えた。1941年にオタワで撮影された英国の首相ウィンストン・チャーチルの肖像写真は、イギリスの戦時指導者の不屈の決意を鮮やかに伝え、カーシュに初めて国際的な名声をもたらした。チャーチルの写真は1942年に『ライフ』誌の表紙を飾ったが、アメリカ国民の目を英国の窮状に向けさせ、人々の闘志と生き残るための決意を納得させる上で大きな役割を果たしたと一般的に認められている。カーシュは常に英国と特別な関係を持っていた。

Alberto Giacometti
Alberto Giacometti, 1956

チャーチルの写真が国際的に成功した後、1943年にカナダから英国に向かう爆薬を積んだノルウェーの貨物船に乗り込み、ロンドンに停泊して戦時中の指導者や知識人を撮影した。これらの写真の多くはイラストレイテッド・ロンドン・ニュースに掲載され、国民の士気を高めるのに独自の役割を果たした。それ以来、彼は何度も英国を訪れ、1976年の訪問の際にはマーガレット・サッチャーを撮影した。チャーチルだけでなく、ジョン・F・ケネディ、ニキータ・フルシチョフ、フィデル・カストロ、アーネスト・ヘミングウェイ、アルバート・アインシュタインやからウォルト・ディズニーやグレース・ケリーなど、数多くの偉人たちの「決定版」肖像写真を描き出したカーシュの才能は、決して容易なものではなかった。

Jacqueline Kennedy
Jacqueline Kennedy, 1957

彼はしばしば長時間の撮影を強いられただけでなく、モデルに会う前に綿密なリサーチを行い、1930年代にオタワ・リトル・シアターで初めて学んだ、緻密なスタジオ照明は伝説となっている。また、勇気も必要とされました。チャーチルの口から葉巻を引き抜いたり、フルシチョフに大きな毛皮のコートを着せるよう説得したりできる人物は、他に誰がいただろうか。カーシュは1993年に写真家としてのキャリアを終え、1997年にボストンに移住した。2002年7月13日、ボストンのブリガム・アンド・ウィメンズ病院で手術後の合併症により他界、93歳だった。オタワで密葬が行われ、ノートルダム墓地に埋葬された。下記リンク先はロンドンの国立肖像画美術館によるユーサフ・カーシュのバイオグラフィーと作品紹介です。

National Portrait Gallery  Photographs by Yousuf Karsh (1937-1987) Armenian Canadian | National Portrait Gallery