2025年2月5日

テレビ局は方向転換して生き残ることができるのか?

Death of TV Gif

居間兼食事室にテレビが置いてある。食事時に電源が入っていると、チラリと見ることはあっても、熱心に視聴するわけではない。ニュースを娯楽化した、コメンテーターが時にいい加減な解説をする情報バラエティ番組が鬱陶しい。それに広告は五月蠅いことこの上ない。テレビ離れは若年層に限らず、広い年齢層に広がりつつあると思われる。テレビの衰退が指摘されてから久しいが、その理由として以下のような要因があると考えている。

1. デジタルメディアの台頭
YouTube、Netflix、Hulu などのストリーミングサービスが登場し、視聴者が好きな時間に好きなコンテンツを視聴できるようになった。Facebook、Twitter、Instagram などのプラットフォームが情報源として利用されるようになり、テレビのニュースや情報番組の需要が減少した。
2. 視聴習慣の変化
録画やストリーミングサービスにより、リアルタイムでのテレビ視聴が減少した。若い世代はスマートフォンやタブレットで動画を視聴する傾向が強く、テレビを日常的に見る習慣が薄れている。
3. 広告収入の減少
広告主がテレビからインターネット広告に予算をシフトし、テレビ局の収益が減少した。録画やストリーミングサービスでの広告スキップ機能が普及し、テレビ広告の効果が低下した。
4. コンテンツの多様化
インターネットでは特定の趣味や興味に特化したコンテンツが提供され、テレビのマス向けコンテンツでは対応しきれなくなった。YouTube や TikTok などで個人が制作したコンテンツが人気を集め、テレビのプロ制作コンテンツとの競争が激化した。
5. 技術の進化
テレビ自体がインターネットに接続できるようになり、従来の放送視聴からオンラインコンテンツ視聴へとシフトした。スマートフォンやタブレットが普及し、外出先でも手軽に動画を視聴できるようになった。
6. 視聴者の多様化
ケーブルテレビや衛星放送の普及により、視聴者の選択肢が増え、特定の番組への集中度が低下した。海外のドラマや映画が簡単に視聴できるようになり、国内のテレビ番組との競争が激化した。
7. 社会環境の変化
人々の生活スタイルが多様化し、テレビを視聴する時間が減少した。コロナ禍の影響で 在宅時間が増えた一方で、テレビよりもオンラインコンテンツを利用する人が増加した。これらの要因が複合的に作用し、テレビの衰退が進んでいる。ただし、テレビは依然として重要なメディアであり、特に高齢者層や特定のイベント(スポーツ中継など)では強い影響力を持っている。
視聴率

現在の視聴率は35から40%だが、NHK財団が運営するステラnetは、2030年頃には10%代に落ちると予想している。ところで未だに報道が続くタレント中居某のスキャンダル問題を思い出した。かなりの数の企業がフジテレビへの広告を差し替えたそうだが、広告なしでも売り上げに影響がないと分かれば、広告出稿がますます減少するかもしれない。私の想像に過ぎないが、万が一そうなったらテレビにとって存亡の危機になる可能性がある。新聞、雑誌といった紙媒体の衰退が他人事ではなくなるのである。下記リンク先は英国のガーディアン紙の記事「伝統的なテレビは死につつある:ネットワークはピボット(方向転換)して生き残れるか?」です。

The Guardian  Traditional TV is dying’: can networks pivot and survive? by Mark Sweney | The Guadian

2025年2月3日

サルバドール・ダリとの共作でシュールな写真を創出したフィリップ・ハルスマン

Dali_Atomicus
Dalí Atomicus, New York, 1948
Philippe Halsman

フィリップ・ハルスマンは1906年5月2日、後にラトビアとなったロシア帝国のリガで、歯科医のモードゥック・ハルスマンとグラマースクールの校長イタ・グリントゥックというユダヤ人の息子として生まれた。1928年9月、22歳のハルスマンは、反ユダヤ主義が蔓延するオーストリア領チロル地方で、ハイキング旅行中に父親を殺害した罪に問われた。状況証拠に基づく裁判の後、4年の懲役を言い渡された。彼の家族、友人、法廷弁護士は、トーマス・マンや、ジークムント・フロイト、アルベルト・アインシュタイン、ヤコブ・ヴァッサーマン、エーリッヒ・フロム、ポール・パンルヴェ、ハインリッヒ・エドゥアルト・ヤコブ、ルドルフ・オルデンなど、彼の無実を支持したさまざまなヨーロッパの重要なユダヤ人知識人から支援を得て、その釈放のために働いた。ハルスマンは2年間刑務所で過ごし、結核にかかった。獄中からの手紙が、1930年に "Briefe aus der Haft an eine Freundin"(刑務所から友人への手紙)と題して出版された。そして彼はオーストリア大統領ヴィルヘルム・ミクラスから恩赦を受けて1930年10月に釈放された。ハルスマンはオーストリアを離れてフランスに渡り『ヴォーグ』などのファッション誌に写真を寄稿し始め、すぐにフランスで最高のポートレート写真家のひとりとして評判を得るようになりる。よく使われるソフトフォーカスではなくシャープな画像で、クローズアップされた画像で有名である。

Martha Graham,
Martha Graham, 1946

フランスがドイツに侵略されたとき、ハルスマンはマルセイユに逃げた。最終的に、家族ぐるみの友人であるアルバート・アインシュタイン(後に彼が1947年に撮影したことで有名)の助けを得て、アメリカのビザを取得することができた。ハルスマンがアメリカで初めて成功を収めたのは、化粧品会社のエリザベス・アーデンが「ビクトリー・レッド」の口紅の広告キャンペーンで、モデルのコンスタンス・フォードのイメージをアメリカの国旗に逆らって使用したときだった。1年後の1942年、彼はライフ誌で帽子のデザインを撮影する仕事を見つけた。リリー・ダシェの帽子をかぶったモデルのポーレートは、彼が『ライフ』誌で手がけた101枚のカバーの最初のものだった。1941年、ハルスマンはシュールレアリスムの芸術家サルバドール・ダリと出会った。1948年の作品 "Dalí Atomicus"(ダリ・アトミクス)は、3匹の猫が飛んでいる、バケツに投げられた水、空中にいるダリを描いて、サスペンションのアイデアを探求している。

Jean Cocteau
Jean Cocteau, 1949

写真のタイトルは、ダリの作品 "Leda Atomica"(レダ・アトミカ)にちなんでおり、写真の右側に2匹の猫の後ろに写っている。ハルスマンは満足のいく結果が得られるまでに28回の試行が必要だったと報告している。ハルスマンとダリは、最終的に1954年の本で彼らのコラボレーションの概要をリリースした。ふたりのもうひとつの有名なコラボレーションは大きな頭蓋骨のように見えるようにポーズをとった7人の裸の女性のタブローヴィヴァンの横にあるダリのシュールレアリスムのポートレートである。ハルスマンはダリのスケッチに従ってモデルを配置するのに3時間かかった。"In Voluptas Mors"(イン・ヴォルプタス・モルス)のさまざまな再現と言及は何年にもわたって登場してきた。最も有名なのは映画『羊たちの沈黙』のポスターでバージョンが微妙に使われ、『ディセント』のプロモーションポスターにはあからさまな再現が描かれたことである1947年、ハルスマンは悲しげなアルバート・アインシュタインを撮影した。セッション中にアインシュタインは原子爆弾を追求するアメリカでの彼の役割についての後悔を語ったのである。

>Dalí and Skull
Dalí and Skull, 1954

これはハルスマンの最も有名な写真のひとつになった。この写真は後に1966年にアメリカの郵便切手に使用された。 1951年、ハルスマンは NBC から、ミルトン・バール、シド・シーザー、グルーチョ・マルクス、ボブ・ホープなど、当時のさまざまな人気コメディアンの撮影を依頼された。コメディアンが演技をしているところを撮影しながら、多くのコメディアンが空中でジャンプする様子を捉え、フォード家、ウィンザー公爵夫妻、マリリン・モンロー、マリア・フェリックス、リチャード・ニクソンなどの有名人の後のジャンプ写真にインスピレーションを与えた。ハルスマンは「人にジャンプを頼むと、彼の注意は主にジャンプする行為に向けられ、マスクが落ちて実際の人物が現れる」とコメントしている。ハルスマンが撮影した他の有名人には、1962年のインタビュー中のアルフレッド・ヒッチコックとフランソワ・トリュフォー、マーティンとルイス、ジュディ・ガーランド、ウィンストン・チャーチル、マリリン・モンロー、ドロシー・ダンドリッジ、パブロ・ピカソ、ジャン・コクトーが含まれる。

Marilyn Monroe
Marilyn Monroe, 1952

これらの写真の多くが『ライフ』誌の表紙に掲載された。ポートレートでは、彼はさまざまな写真のルールを利用している。例えばウィンストン・チャーチルの写真では、彼の顔が省略されていることで、ハルスマンの写真はチャーチルをより人間らしくする力をさらに強めている。1952年、ジョン・F・ケネディはハルスマンの写真撮影のためにスタジオに2回座った。最初に座ったときの写真は、ケネディの著書 "Profiles in Courage"(勇気のプロフィール)のオリジナル版のカバーに掲載された。2番目の座り込みのひとつは、彼の上院選挙運動で使用された。1958年、ハルスマンは『ポピュラーフォトグラフィー』誌の「世界で最も偉大な写真家10人」にリストされ、1975年にはアメリカ雑誌写真家協会からライフ・アチーブメント・イン・フォトグラフィー賞を受賞し、1945年には同協会の初代会長に選出された。また世界各地で大規模な展覧会を多数開催した。1979年6月25日、ニューヨークのマウント・サイナイ病院で死去、73歳だった。

LIFE  The Photography of Philippe Halsman (1906–1979) The LIFE Magazine Picture Collection

写真術における偉大なる達人たち

Edward Curtis (1868-1952) An Oasis in the Badlands, South Dakota, 1905

2021年の秋以来、思いつくまま世界の写真界20~21世紀の達人たちの紹介記事を拙ブログに綴ってきましたが、2025年2月3日現在のリストです。右端の()内はそれぞれ写真家の生年・没年です。左端の年月日をクリックするとそれぞれの掲載ページが開きます。

21/10/06多くの人々に感動を与えたアフリカ系アメリカ人写真家ゴードン・パークスの足跡(1912–2006)
21/10/08グループ f/64 のメンバーだった写真家イモージン・カニンガムは化学を専攻した(1883–1976)
21/10/10圧倒的な才能を持ち現代アメリカの芸術写真を牽引したポール・ストランド(1890–1976)
21/10/11何気ない虚ろなアメリカを旅したスイス生まれの写真家ロバート・フランク(1924–2019)
21/10/13作為を排した新客観主義に触発されたストリート写真の達人ロベール・ドアノー(1912–1994)
21/10/16大恐慌時に農村や小さな町の生活窮状をドキュメントした写真家ラッセル・リー(1903–1986)
21/10/17日記に最後の晩餐という言葉を残して自死した写真家ダイアン・アーバスの黙示録(1923–1971)
21/10/19フォトジャーナリズムの手法を芸術の域に高めた写真家ユージン・スミスの視線(1918–1978)
21/10/24時代の風潮に左右されず独自の芸術観を持ち続けたプラハの詩人ヨゼフ・スデック(1896-1976)
21/10/27西欧美術を米国に紹介した写真家アルフレッド・スティーグリッツの功績(1864–1946)
21/11/01美しいパリを撮影していたウジェーヌ・アジェを「発見」したベレニス・アボット(1898–1991)
21/11/08近代ストレート写真を先導した 20 世紀の写真界の巨匠エドワード・ウェストン(1886–1958)
21/11/10芸術を通じて社会や政治に影響を与えることを目指した写真家アンセル・アダムス(1902–1984)
21/11/13大恐慌を記録したウォーカー・エヴァンスの被写体はその土地固有の様式だった(1903–1975)
21/11/16写真少年ジャック=アンリ・ラルティーグは個展を開いた 69 歳まで無名だった(1894–1986)
21/11/20ハンガリー出身の世界で最も偉大な戦争写真家ロバート・キャパの短い人生(1913–1954)
21/11/25児童労働の惨状を訴えるため現実を正確に捉えた写真家ルイス・ハインの偉業(1874–1940)
21/12/01マグナム・フォトを設立した写真家アンリ・カルティエ=ブレッソンの決定的瞬間(1908–2004)
21/12/06犬を人間のいくつかの性質を持っているとして愛撮したエリオット・アーウィット(1928-2023)
21/12/08リチャード・アヴェドンの洗練され権威ある感覚をもたらしたポートレート写真(1923–2004)
21/12/12デザインと産業の統合に集中したバウハウスの写真家ラースロー・モホリ=ナジ(1923–1928)
21/12/17ダダイズムとシュルレアリスムに跨る写真を制作したマン・レイは革新者だった(1890–1976)
21/12/29フォトジャーナリズムに傾倒したアラ・ギュレルの失われたイスタンブル写真素描(1928–2018)
22/01/10ペルーのスタジオをヒントに自然光に拘ったアーヴィング・ペンの鮮明な写真(1917-2009)
22/02/25非現実的なほど歪曲し抽象的な遠近感を生み出した写真家ビル・ブラントのカメラ(1904–1983)
22/03/09男性ヌードや花を白黒で撮影した異端の写真家ロバート・メイプルソープへの賛歌(1946–1989)
22/03/18ニューヨーク近代美術館で写真展「人間家族」を企画したエドワード・スタイケン(1879–1973)
22/03/24公民権運動の影響を記録したキュメンタリー写真家ブルース・デヴッドソンの慧眼(born 1933)
22/04/21社会的弱者に寄り添いエモーショナルに撮影した写真家メアリー・エレン・マーク(1940-2015)
22/05/20早逝した写真家リンダ・マッカートニーはザ・ビートルズのポールの伴侶だった(1941–1998)
22/06/01大都市に変貌する香港を活写して重要な作品群を作り上げたファン・ホーの視線(1931–2016)
22/06/12肖像写真で社会の断面を浮き彫りにしたドキュメント写真家アウグスト・ザンダー(1876–1964)
22/08/01スペイン内戦取材で26歳という若さに散った女性戦争写真家ゲルダ・タローの生涯 (1910–1937)
22/09/16カラー写真を芸術として追及したジョエル・マイヤーウィッツの手腕(born 1938)
22/09/25死と衰退を意味する作品を手がけた女性写真家サリー・マンの感性(born 1951)
22/10/17北海道の風景に恋したイギリス人写真家マイケル・ケンナのモノクロ写真(born 1951)
22/11/06アメリカ先住民を「失われる前に」記録したエドワード・カーティス(1868–1952)
22/11/16大恐慌の写真 9,000 点以上を制作したマリオン・ポスト・ウォルコット(1910–1990)
22/11/18人間の精神の深さを写真に写しとったアルゼンチン出身のペドロ・ルイス・ラオタ (1934-1986)
22/12/10アメリカの生活と社会的問題を描写した写真家ゲイリー・ウィノグランド(1928–1984)
22/12/16没後に脚光を浴びたヴィヴィアン・マイヤーのストリート写真(1926–2009)
22/12/23写真家集団マグナムに参画した初めての女性報道写真家イヴ・アーノルド(1912-2012)
23/03/25写真家フランク・ラインハートのアメリカ先住民のドラマチックで美しい肖像写真(1861-1928)
23/04/13複雑なタブローを構築するシュールレアリスム写真家サンディ・スコグランド(born 1946)
23/04/21キャラクターから自らを切り離したシンディー・シャーマンの自画像(born 1954)
23/05/01震災前のサンフランシスコを記録した写真家アーノルド・ジェンス(1869–1942)
23/05/03メキシコにおけるフォトジャーナリズムの先駆者マヌエル・ラモス(1874-1945)
23/05/05文学と芸術に没頭し超現実主義絵画に着想を得た台湾を代表する写真家張照堂(1943-2024)
23/05/07家族の緊密なポートレイトで注目を集めた写真家エメット・ゴウィン(born 1941)
23/05/22欲望やジェンダーの境界を無視したクロード・カアンのセルフポートレイト(1894–1954)
23/05/2520世紀初頭のアメリカの都市改革に大きく貢献したジェイコブ・リース(1849-1914)
23/06/05都市の社会風景という視覚的言語を発展させた写真家リー・フリードランダー(born 1934)
23/06/13写真芸術の境界を広げた暗室の錬金術師ジェリー・ユルズマンの神技(1934–2022)
23/06/15強制的に収容所に入れられた日系アメリカ人を撮影したドロシア・ラング(1895–1965)
23/06/20劇的な国際的シンボルとなった「プラハの春」を撮影したヨゼフ・コウデルカ(born 1958)
23/06/24警察無線を傍受できる唯一のニューヨークの写真家だったウィージー(1899–1968)
23/07/03フォトジャーナリズムの父アルフレッド・アイゼンシュタットの視線(1898–1995)
23/07/06ハンガリーの芸術家たちとの交流が反映されたアンドレ・ケルテスの作品(1894-1985)
23/07/08家族が所有する島で野鳥の写真を撮り始めたエリオット・ポーター(1901–1990)
23/07/08戦争と苦しみを衝撃的な力でとらえた報道写真家ドン・マッカラン(born 1935)
23/07/17夜のパリに漂うムードに魅了されていたハンガリー出身の写真家ブラッサイ(1899–1984)
23/07/2020世紀の著名人を撮影した肖像写真家の巨星ユーサフ・カーシュ(1908–2002)
23/07/22メキシコの革命運動に身を捧げた写真家ティナ・モドッティのマルチな才能(1896–1942)
23/07/24ロングアイランド出身のマルクス主義者を自称する写真家ラリー・フィンク(born 1941)
23/08/01アフリカ系アメリカ人の芸術的な肖像写真を制作したコンスエロ・カナガ(1894–1978)
23/08/04ヒトラーの地下壕の写真を世界に初めて公開したウィリアム・ヴァンディバート(1912-1990)
23/08/06タイプライターとカメラを同じように扱った写真家カール・マイダンス(1907–2004)
23/08/08ファッションモデルから戦場フォトャーナリストに転じたリー・ミラーの生涯(1907-1977)
23/08/14ニコンのレンズを世界に知らしめたデイヴィッド・ダグラス・ダンカンの功績(1907-2007)
23/08/18超現実的なインスタレーションアートを創り上げたサンディ・スコグランド(born 1946)
23/08/20シカゴの街角やアメリカ史における重要な瞬間を再現した写真家アート・シェイ(1922–2018)
23/08/22大恐慌時代の FSA プロジェクト 最初の写真家アーサー・ロススタイン(1915-1986)
23/08/25カメラの焦点を自分たちの生活に向けるべきと主張したハリー・キャラハン(1912-1999)
23/09/08イギリスにおけるフォトジャーナリズムの先駆者クルト・ハットン(1893–1960)
23/10/06ロシアにおけるデザインと構成主義創設者だったアレクサンドル・ロトチェンコ(1891–1956)
23/10/18物事の本質に近づくための絶え間ない努力を続けた写真家ウィン・バロック(1902–1975)
23/10/27先見かつ斬新な作品により写真史に大きな影響を与えたウィリアム・クライン(1926–2022)
23/11/09アパートの窓から四季の移り変わりの美しさなどを撮影したルース・オーキン(1921-1985)
23/11/15死や死体の陰翳が纏わりついた写真家ジョエル=ピーター・ウィトキンの作品(born 1939)
23/12/01近代化により消滅する前のパリの建築物や街並みを記録したウジェーヌ・アジェ(1857-1927)
23/12/15同時代で最も有名で最も知られていないストリート写真家のヘレン・レヴィット(1913–2009)
23/12/20哲学者であることも写真家であることも認めなかったジャン・ボードリヤール(1929-2007)
24/01/08音楽や映画など多岐にわたる分野で能力を発揮した写真家ジャック・デラーノ(1914–1997)
24/02/25シチリア出身のイタリア人マグナム写真家フェルディナンド・スキアンナの視座(born 1943)
24/03/21パリで花開いたロシア人ファッション写真家ジョージ・ホイニンゲン=ヒューン(1900–1968)
24/04/04報道写真家として自活することに成功した最初の女性の一人エスター・バブリー(1921-1998)
24/04/20長時間露光により時間の多層性を浮かび上がらせたアレクセイ・ティタレンコ(born 1962)
24/04/2820世紀後半のイタリアで最も重要な写真家ジャンニ・ベレンゴ・ガルディン(born 1930)
24/04/30トルコの古い伝統の記憶を守り続ける女性写真家 F・ディレク・ウヤル(born 1976)
24/05/01ファッション写真に大きな影響を与えたデヴィッド・ザイドナーの短い生涯(1957-1999)
24/05/08社会の鼓動を捉えたいという思いで写真家になったリチャード・サンドラー(born 1946)
24/05/10直接的で妥協がないストリート写真の巨匠レオン・レヴィンシュタイン(1910–1988)
24/05/12自らの作品を視覚的な物語と定義している写真家スティーヴ・マッカリー(born 1950)
24/05/14多様な芸術の影響を受け写真家の視点を形作ったアンドレアス・ファイニンガー(1906-1999)
24/05/16芸術的表現により繊細な目を持つ女性写真家となったマルティーヌ・フランク(1938-2012)
24/05/18ドキュメンタリー写真をモノクロからカラーに舵を切ったマーティン・パー(born 1952)
24/05/21先駆的なグラフ誌『ピクチャー・ポスト』を主導した写真家バート・ハーディ(1913-1995)
24/05/24グラフ誌『ライフ』に30年間投稿し続けたロシア生まれの写真家リナ・リーン(1914-1995)
24/05/27旅する写真家として20世紀後半の歴史に残る象徴的な作品を制作したルネ・ブリ(1933-2014)
24/05/29高速ストロボスコープ写真を開発したハロルド・ユージン・エジャートン(1903-1990)
24/06/03一般市民とそのささやかな瞬間を撮影したオランダの写真家ヘンク・ヨンケル(1912-2002)
24/06/10ラージフォーマット写真のデジタル処理で成功したアンドレアス・グルスキー(born 1955)
24/06/26レンズを通して親密な講釈と被写体の声を伝えてきた韓国出身のユンギ・キム(born 1962)
24/07/05演出されたものではなく現実的なファッション写真を開発したトニ・フリッセル(1907-1988)
24/07/07スウィンギング60年代のイメージ形成に貢献した写真家デイヴィッド・ベイリー(born 1938)
24/07/13著名人からから小さな町の人々まで撮影してきた写真家マイケル・オブライエン(born 1950)
24/07/14人々のドラマが宿る都市のカラー写真を制作したコンスタンティン・マノス(born 1934)
24/08/04写真家集団「マグナム・フォト」所属するただ一人の日本人メンバー久保田博二(born 1939)
24/08/08ロバート・F・ケネディの死を悼む人々を葬儀列車から捉えたポール・フスコ(1930–2020)
24/08/13クリスティーナ・ガルシア・ロデロが話したいのは時間も終わりもない出来事だ(born 1949)
24/08/30ドキュメンタリーと芸術の境界を歩んだカラー写真の先駆者エルンスト・ハース(1921–1986)
24/09/01国際的写真家集団マグナム・フォトの女性写真家スーザン・メイゼラスの視線(born 1948)
24/09/09アパルトヘイトの悪と日常的な社会への影響を記録したアーネスト・コール(1940–1990)
24/09/14宗教的または民俗的な儀式に写真撮影の情熱を注ぎ込んだラモン・マサッツ(1931-2024)
24/09/23アメリカで最も有名な無名の写真家と呼ばれたエヴリン・ホーファー(1922–2009)
24/09/25自身を「大義を求める反逆者」と表現した写真家マージョリー・コリンズ(1912-1985)
24/09/27北海道の小さな町にあった営業写真館を継がず写真芸術の道を歩んだ深瀬昌久(1934-2012)
24/10/01現代アメリカの風変わりで平凡なイメージに焦点を当てた写真家アレック・ソス(born 1969)
24/10/04微妙なテクスチャーの言語を備えた異次元の写真を追及したアーサー・トレス(born 1940)
24/10/06オーストリア系イギリス人のエディス・チューダー=ハートはソ連のスパイだった(1908-1973)
24/10/08映画の撮影監督でもあったドキュメンタリー写真家ヴォルフガング・スシツキー(1912–2016)
24/10/15芸術のレズビアン・サブカルチャーに深く関わった写真家ルース・ベルンハルト(1905–2006)
24/10/19ランド・アートを通じて作品を地球と共同制作するアンディ・ゴールドワージー (born 1956)
24/10/29公民権運動の活動に感銘し刑務所制度の悲惨を描写した写真家ダニー・ライアン (born 1942)
24/11/01人間の状態と現在の出来事を記録するストリート写真家ピータ―・ターンリー (born 1955)
24/11/04写真を通じて現代の社会的状況を改善することに専念したアーロン・シスキンド(1903-1991)
24/11/07自然と植物の成長にインスピレーションを受けた写真家カール・ブロスフェルト(1865-1932)
24/11/09ストリート写真で知られているリゼット・モデルは教える才能を持っていた(1901-1983)
24/11/11カラー写真が芸術として認知されるようになった功労者ウィリアム・エグルストン(born 1939)
24/11/13革命後のメキシコ復興の重要人物だった写真家ローラ・アルバレス・ブラボー(1903-1993)
24/11/15チリの歴史上最も重要な写真家であると考えられているセルヒオ・ララインの視座(1931-2012)
24/11/19イギリスのアンリ・カルティエ=ブレッソンと評されたジェーン・ボウン(1925-2014)
24/11/25カラー写真の先駆者ソール・ライターは戦後写真界の傑出した人物のひとりだった(1923–2013)
24/11/25サム・フォークがニューヨーク・タイムズに寄せた写真は鮮烈な感覚をもたらした(1901-1991)
24/11/29ゲイ解放運動の活動家だったトランスジェンダーの写真家ピーター・ヒュージャー(1934–1987)
24/12/01複数の芸術的才能に恵まれていた華麗なるファッション写真家セシル・ビートン(1904–1980)
24/12/05ライフ誌と空軍で活躍した女性初の戦場写真家マーガレット・バーク=ホワイト(1904–1971)
24/12/07愛と美を鮮明に捉えたロマン派写真家エドゥアール・ブーバの平和への眼差し(1923–1999)
24/12/10保守的な政治体制と対立しながら自由のために写真を手段にしたエヴァ・ペスニョ(1910–2003)
24/12/15自然環境における人間の姿を研究することに関心を寄せた写真家マイケル・ぺト(1908-1970)
24/12/20ベトナム戦争中にナパーム弾攻撃から逃げる子供たちを撮影したニック・ウット(born 1951)
24/12/23生まれ故郷ブラジルの熱帯雨林アマゾン川流域へのセバスチャン・サルガドの視座(born 1944)
25/01/06記録映画の先駆者であり前衛映画製作者でもあった写真家ラルフ・スタイナー(1899–1986)
25/01/10アメリカ西部を占める文化の多様性を反映した写真家ローラ・ウィルソンの足跡(born 1939)
25/01/15フランスの人文主義写真運動で活躍したスイス系フランス人ザビーネ・ヴァイス(1924–2021)
25/02/03サルバドール・ダリとの共作でシュールな写真を創出したフィリップ・ハルスマン(1906–1979)

子供の頃「明治は遠くなりにけり」という言葉を耳にした記憶がありますが、今まさに「20世紀は遠くなりにけり」の感があります。掲載した作品の大半がモノクロ写真で、カラー写真がわずかのなのは偶然ではないような気がします。20世紀のアートの世界ではモノクロ写真が主流だったからです。しかしデジタルカメラが主流になった21世紀、カラー写真の台頭に目覚ましいものがあります。ジョエル・マイヤーウィッツとサンディ・スコグランド、ジャン・ボードリヤール、 F・ディレク・ウヤル、マーティン・パー、コンスタンティン・マノス、久保田博二、ポール・フスコ、エルンスト・ハース、エヴリン・ホーファー、アレック・ソス、アンディ・ゴールドワージー、ウィリアム・エグルストン、ソール・ライタ、などのカラー作品を取り上げました。

aperture_bk  Famous Photographers: Great photographs can elicit thoughts, feelings, and emotions.

2025年2月1日

京阪特急の歌:きみには終りがあるのかい ぼくにもあるのかい

京阪特急
京阪特急専用車両・8000系(絵・作者不詳)

昨年の4月「タンポポが咲いて日差しは黄色」と題した自作の歌を紹介した。替え歌だったが、さらに演繹すると、原歌をヒントに、メロディを借りながら新たな歌を作ることがしばしばある。この手法は亡き友、高田渡さんがしばしば使っていた手法である。

京阪エクスプレス

市バスを降りて 三条を東へ
あの娘はまだこない 鴨川プカリ
線路はクネクネ 淀川ノロノロ
京阪特急はウロウロ 夢路をウトウト
冬はユリカモメ 春は桜
夏は鮎釣りだけど 秋はなんだっけ

太陽は右左 雲が揺れる
川辺の兎が飛んで 鳥とジョッギング

おじさん何処へ おばさんどちらまで
四角いビルを見上げ ぼくはフラフラ

淀屋橋に滑り込み 終着駅とアナウンス
きみには終りがあるのかい ぼくにもあるのかい

これは京都から京阪特急に乗って仕事場の大阪に通っていた頃、1986年3月に作った歌である。作曲能力がないのでメロディはアメリカの伝承歌謡 "New River Train" のそれを借りている。京阪電車が東福寺~三条間の地下化をしたのは翌1987年5月で、自動車交通の混雑が大幅に緩和された。同時に出町柳まで延長され、大阪への通勤圏が広がった。ただし車窓からの風情ある眺めが消え、大いに落胆したものである。歌では淀屋橋が終着駅となっているが、現在は中之島である。2017年8月、それまで追加料金なしで乗れていた特急8両編成のうち1両に、有料指定座席車であるプレミアムカーを導入した。自分で書くのも気が引けるが、この歌は好きだし、思い出も多い。だから歌詞はこのままにしておこうと思う。

YouTube  "New River Train" played by Bill Monroe (mandolin) and Charlie Monroe (guitar) 1936

2025年1月28日

中国の生成人工知能 DeepSeek を試用してみた

AI
Generative Artificial Intelligence ©2024 Bernard Marr & Co.

アップル App Store の人気アプリランキングを集計する appfigures によると、1月27日(日本時間)現在、米国では生成人工知能 DeepSeek がランキング1位となっているという。DeepSeek は1月に正式公開された中国製の生成 AI である。DeepSeek は他の AI モデルとの比較をサイトで公開し、推論速度が大幅に向上し、あらゆる数値で上回っているとされる。DeepSeek を率いるのはCEOの梁文峰氏。中国メディアによると、1985年生まれで、北京大学や清華大学に次ぐ名門、浙江大学を卒業している。コンピューターを使って市場のデータを数理的に分析するクオンツ運用に成功し、巨額の資金を得た。

DeepSeek

OpenAI の「o1」シリーズのような推論型モデルで、各種ベンチマークテストでは o1 と同等かそれ以上の性能を発揮するとされる。MIT ライセンスによるオープンソース仕様で、商用利用も含め、ライセンスの範囲内なら誰でも自由に利用できる点も特徴である。ランキング2位は OpenAI の ChatGPT だが、登場からある程度の期間が経っている ChatGPT と、登場して間もない DeepSeek では、ダウンロード数の伸びしろが異なる点は考慮する必要があるだろう。ウェブ版を試用してみた。

質問:ファクトチェックの必要性を教えてください
回答:ファクトチェック(事実確認)の必要性は以下の点から重要です

1. 誤情報の拡散防止
SNSの普及により、誤った情報が瞬時に広がるリスクが高まっています。ファクトチェックは、こうした誤情報の拡散を防ぎ、正確な情報を提供します。
2. 意思決定の質向上
個人や組織が適切な判断をするためには、正確な情報が不可欠です。ファクトチェックは、信頼性の高い情報に基づいた意思決定を支援します。
3. 社会的信頼の維持
メディアや公的機関への信頼は、正確な情報提供にかかっています。ファクトチェックは、これらの信頼を維持・向上させる役割を果たします。
4. 民主主義の健全性
民主主義では、有権者が正確な情報に基づいて投票することが重要です。ファクトチェックは、政治的な誤情報を正し、民主主義の健全性を保ちます。
5. 個人のリスク軽減
誤情報は、健康や経済に悪影響を及ぼす可能性があります。ファクトチェックは、個人が誤った情報に基づいて行動するリスクを減らします。
6. メディアリテラシーの向上
ファクトチェックは、情報の真偽を検証するプロセスを示すことで、メディアリテラシーの向上に貢献します。
7. 社会的分断の緩和
誤情報は社会的分断を引き起こすことがあります。ファクトチェックは、共通の事実認識を提供し、分断を緩和します。
8. 透明性と説明責任
ファクトチェックは、情報の発信源に透明性と説明責任を求めることで、情報の質を高めます。
結論
ファクトチェックは誤情報の拡散を防ぎ、正確な情報に基づいた意思決定を支援することで、個人や社会全体の利益につながります。情報が氾濫する現代社会においてその重要性はますます高まっています。

以上がいささか拙速気味の試用結果だが、滑らかな日本語で使用には十二分に耐えると思われる。機会を新たにして先発の ChatGPT および Gemini などと比較してみたい。

AI  DeepSeek-R1とは? 性能概要や使い方、料金体系を徹底解説! | AI 総合研究所 | 2025/01/28

2025年1月27日

ソーシャルメディアの弊害(13)偽情報をそのまんま拡散した東国原英夫

東国原英夫

昨日曜日、情報番組「ビートたけしのTVタックル」を見ていたら、常連のコメンテーターであるタレント東国原英夫の姿がないのに気づいた。前エントリー「ソーシャルメディアの弊害(12日曜日)立花孝志『元兵庫県議は逮捕が怖くて命を絶った』」とデマ」で、兵庫県の斎藤元彦知事のパワハラ疑惑などを調査する県議会調査特別委員会(百条委)の委員だった竹内英明元県議の急死に対し、政治団体「NHKから国民を守る党」の立花孝志が1月19日に X を更新し、竹内氏の死去について「こんなことなら、逮捕してあげたほうがよかったのに」などと投稿。自身の YouTube チャンネルで「1月20日に(竹内氏を)逮捕すると県警は考えていたそうだが、それを苦に命を絶ったという情報が入っている。もうこれがほぼ間違いないと思います」などと発言したことを伝えた。しかし、産経新聞が兵庫県警に取材し「竹内氏に対して任意の事情聴取もしていないし、逮捕の予定もなかった」と完全否定したと報道、立花孝志の発言がデマだったことを新聞がファクトチェックしたと紹介した。

X logo

そして東国原が19日に自身のXで「死に至る直接の理由はご本人しか分からないが、竹内議員は百条委員会で数々の疑惑が指摘されていた事も事実。警察から事情聴取もされていたと聞く」と投稿した。問題は東国原が投稿の情報源としていたのが、政治団体「NHKから国民を守る党」党首の立花孝志氏の前述の発信だったことである。20日には兵庫県警のトップ村井紀之本部長が「全くの事実無根、明白な虚偽が拡散。極めて遺憾」と異例のコメントを出し、これに対して東国原は「成る程、了解です。こういう風に県警トップが迅速に対応されますと真偽が明確になりますね」と反応するも、竹内元県議の名誉を傷つけるデマ拡散に加担してしまった東国原に対し、批判が殺到し炎上状態に陥ったのである。そのまんま東という芸名のお笑いタレントだったが、政治家に転身、宮崎県知事、日本維新の会の衆議院議員を歴任した。立花孝志などが発信している事柄が眉唾ものだと思わないのだろうか。今回の件で、その経歴がなんとなく胡散臭いものに変質してしまった感が否めない。下記リンク先は日本ファクトチェックセンター(JFC)による1月20日~1月26日のチェック結果報告である。

Fact Check  立花孝志氏の投稿削除と新聞のファクトチェック ・ほか | 日本ファクトチェックセンター(JFC)

2025年1月25日

マッキンリー山の名称復活には暗殺事件がトランプの脳裡を横切ったのだろうか

ハンカチに包んだ銃で狙撃されるウィリアム・マッキンリー大統領(米国議会図書館蔵
マッキンリー大統領

複数のマスメディアによると米内務省は24日、米南部に面するメキシコ湾を「アメリカ湾」に正式に改称したと発表した。大統領令はアメリカ国内の話なので、公文書や政府機関発行の地図上で「アメリカ湾」に変更するのは可能だという。メキシコ湾を共有しているメキシコを含む国々の了承も必要ないん。実際に、同じ場所や海域を違う名前で呼んでいる例があるという。西部アラスカ州にある北米大陸最高峰のデナリ山もドナルド・トランプ大統領の主張通りマッキンリー山に変更した。この山には大統領ウィリアム・マッキンリーにちなんだ名が与えられたが、2015年にバラク・オバマ大統領は山の名称を正式にデナリへ変更することを発表した。この変更は、オハイオ州出身議員に不満をもたらした。2025年1月20日にドナルド・トランプが大統領に再び就任すると、その日のうちに名称をマッキンリー山に戻す大統領令に署名したのである。トランプ米大統領は2024年7月13日、東部ペンシルヴェニア州バトラーで開いた支援者集会で暗殺の標的となった。2カ月で2度目となる暗殺未遂事件は米国社会の病の重さを浮き彫りにした。米国では銃規制強化を求める動きは鈍いままだ。ジョー・バイデン前大統領は事件で使われた半自動小銃 禁止を訴えたが、米屈指の影響力を持つロビー団体「全米ライフル協会」の支援を受けているトランプ陣営は銃所持を擁護する姿勢を崩していない。暗殺された米国の大統領は誰れか?と質問されたら、おそらくエイブラハム・リンカーン(1809-1865)とジョン・F・ケネディ(1917-1963)のふたりを誰もがあげるに違いないだろう。しかしジェームズ・ガーフィールド(1831-1881)とウィリアム・マッキンリー(1843-1901)の名を頭に浮かべる人は少ないと思われる。正直言うと私はガーフィールドについては勉強不足で知らなかったが、マッキンリーの名は前から知っていた。ガーフィールドは1881年7月2日午前9時30分、首都ワシントンのボルティモア・アンド・ポトマック駅で、チャールズ・ギトーに狙撃された。今日の医療技術であれば命を落とすことはなかっただろうという、興味深い医療史上の研究があるようだ。マッキンリーはニューヨーク州バッファローで開かれていた、パン・アメリカン博覧会を訪問中の1901年9月6日午後4時7分、無政府主義者レオン・チョルゴシュに暗殺された。名称マッキンリー山の復活にはこの暗殺事件がトランプの脳裡を横切ったのだろうか。蛇足ながら共和党の全国的指導者であったマッキンリーの選挙戦のテーマは、1890年のマッキンリー関税に代表されるような、繁栄のための公式として高率輸入関税を導入することであった。

Charlie Poole & the North Carolina Ramblers
White House Blues

McKinley hollered, McKinley squalled
Doc said to McKinley, "I can't find that ball"
From Buffalo to Washington

Roosevelt in the White House, he's doing his best
McKinley in the graveyard, he's taking his rest
He is gone, long old time

Hush up, little children, now don't you fret
You'll draw a pension at your papa's death
From Buffalo to Washington

Roosevelt in the White House drinking out of a silver cup
McKinley in the graveyard, he'll never wakes up
He is gone, long old time

Ain't but one thing that grieves my mind
That is to die and leave my poor wife behind
I'm gone, long old time

Lookit here, little children, don't waste your breath
You'll draw a pension at your papa's death
From Buffalo to Washington

Standing at the station just looking at the time
See if I could run it by half past nine
From Buffalo to Washington

Came the train, she's just on time
She run a thousand miles from eight o'clock till nine
From Buffalo to Washington

Yonder come the train, she's coming down the line
Throwin' every station, Mr. McKinley's a-dying
It's hard times, it's hard times

Lookit here, you rascal, you see what you've done
You've shot my husband with that Iver Johnston gun
Carry me back to Washington

Doc's on the horse, he th'ow down his rein
Said to that horse, "You've got to outrun this train"
From Buffalo to Washington

Doc came a-running, takes off his specs
Said, "Mr McKinley, it's, better pass in your checks
You bound to die, bound to die"

この歌はチャーリー・プール(1892–1931)とノースカロライナ・ランブラーズが1926年に録音した『ホワイトハウス・ブルース』である。おそらく事件から余り日が経ってうちに作曲したにも関わらず、政治的配慮からすぐに発表できなかったのではなかろうか。ニュー・ロスト・シティ・ランブラーズ、ビル・モンロー、アール・テーラー、サム・ブッシュなど、主としてブルーグラス音楽系のミュージシャンに歌い継がれ、現在でも頻繁に演奏されている。米国のカントリーソングには『オールド 97 の大破』『タイタニック』など、事件事故をテーマにしたトピカルソングが少なからずある。人々は歌によって歴史の記憶が蘇るのである。私がマッキンリー暗殺事件を知ったのはこの『ホワイトハウス・ブルース』を聴いたからだった。下記リンク先の音楽共有サイト SounndCloud でオリジナルレコーディングを聴くことができる。

SoundCloud White House Blues: Charlie Poole & North Carolina Ramblers 1926 (Columbia 15099-D)

2025年1月24日

第47代アメリカ合衆国大統領ドナルド・トランプの風刺漫画五選

Berend Vonk
Ramses
Hassan Bleibel
arian Kamensky<

当ブログに「バイデンは政治風刺漫画の主役になれるだろうか」という一文をポストしたのは2021年1月28日だった。前任のドナルド・トランプが風刺漫画化家の間で抜群の人気があったからだ。トランプ政権は大統領自ら民族・人種・性別による偏見を表明してマイノリティー迫害を助長し、批判を受けるとフェイクニュースだと強弁した。その派手な政治プロパガンダゆえに突っ込みどころも多く、恰好の材料だからだ。ジョー・バイデンの政治姿勢は若干地味で、風刺漫画が減った感があったのは否めない。そして再びトランプの登場である。第一次世界大戦中、ヨーロッパでは政治的プロパガンダを目的に漫画が使用された。ほとんどすべての有名な新聞や雑誌が、国内および最前線での戦争を支援するために、政治的な風刺漫画を作成して掲載した。政治風刺漫画は庶民の目線を神髄とするわけだが、戦時下ゆえに心理戦もしくは宣伝戦の色彩が濃く、いささかユーモアに欠けるきらいがあった。その政治風刺漫画は、民主主義社会において重要な役割を果たしてきた歴史があり、その存在意義は今後も失われることはないだろう。現代のメディア環境の変化に対応するために、絵筆がスタイラスペンに、プラットフォームがソーシャルメディアへと変化したのはご存じの通りである。オランダのアムステルダムを本拠に置く政治風刺漫画の国際ポータルサイト Cartoon Movement に連日トランプ大統領就任を題材にした作品が寄稿されている。その政治風刺漫画5点を抜粋してシェアすることにした。

cartoon movement  A global platform for editorial political cartoons and comics journalism | Cartoon Movement

2025年1月22日

ドナルド・トランプ大統領の現代アメリカ濁流への攻撃

Moving Day at the White House

ドナルド・トランプは、世界で最も裕福で最も権力のある人々の親しい友人であるにもかかわらず、自分自身を破壊者と考えるのが好きで、同盟者が立法府と司法府を支配しているにもかかわらず、今では連邦政府の行政府の権力を自ら握っている。しかし、過去との根本的な決別という意味で、彼が始めた時代がアメリカ上最も混乱した時代のひとつとなることは疑いようがない。彼は現在、おそらく過去最多となるであろう大統領令に署名しているところであり、そのほとんどはバイデン政権の規則や規制を覆すか、他の前例を覆すものだ。大統領令によって課される可能性が高い国家政策の他の大きな変更(1930年以降で最大規模の関税など)も控えている。共和党議員らが準備している法案パッケージには、 1960年代以来最も大幅な連邦国内支出削減、特に貧困層や医療支援を必要とする人々を対象とするプログラムが含まれる可能性が高い。大統領と議会の両方の行動を通じて、新政権は、金ぴか時代以来最も激しい公務員制度への戦争を仕掛けることになるだろう。彼のアメリカ第一主義外交政策は依然としてやや曖昧だが、今後4年間で、第二次世界大戦後何十年にもわたって苦労して築き上げてきた同盟システムと国家安全保障協定からの最終的な転換が行われる可能性は高い。そして、女性、LGBTQの人々、人種的マイノリティの平等な権利に関する多くの時計の針を戻すことさえ考慮されていない。確かに、こうした政策の多くは前兆があり、一部はトランプ政権初期に実行された。しかし、プロジェクト2025からトランプの大胆な閣僚指名、選挙運動での驚くほど抑制のきかないレトリック、そして最近の政権移行まで、これはトランプ1.0よりも20世紀後半から21世紀初頭のアメリカの原則に対するはるかに組織的な攻撃のように見える。そして実際、かつて神聖視されていた石板を覆すという点では、これに匹敵する前例を見つけるのは難しい。建国以来、国家政策に大きな突然の転換があったことは確かだ。1800年のトーマス・ジェファーソンの選出はフランス革命の響きをもたらし、初期の米国を支配していた沿岸部の裕福な利害関係者を断固として拒絶することになった。1828年、アンドリュー・ジャクソンは選挙で選ばれていない高学歴のエリート層の特権に対する攻撃を非常に自覚的に指揮した。エイブラハム・リンカーンの選出は文字通り血なまぐさい内戦を引き起こしたが、彼の実際の政策は漸進主義的で、奴隷制を全国に拡大・拡張しようとする奴隷国家の計画に対する先制クーデターであったとも言える。

Mount Rushmore National Memorial
Mount Rushmore National Memorial in South Dakota

グロバー・クリーブランドとベンジャミン・ハリソンは、ドナルド・トランプとジョー・バイデンがしたように権力を交代した。しかしながら、彼らの時代の民主党と共和党を隔てていた政策の幅は今日では小さなものに思える。確かに、ルーズベルト大統領と彼のニューディール政策は、大恐慌の緊急事態に対処するために、数十年にわたる保守的な共和党の支配を覆した。しかし、狂乱の始まりの後、ルーズベルトは2期目の間に動きが鈍くなり始め、彼の党の南部の権力基盤の人種差別的な政策に挑戦する勇気は決してなかった。ジム・クロウ法は1960年代半ばまでに司法、立法、行政による継続的な攻撃にようやく屈したが、公民権運動が主に超党派であり、非常に長い時間をかけて展開されたため、少なくとも国家レベルでは、革命というよりも進化のように感じられた。同様に、憲法上の権利のまったく新しい領域が、1973年の最高裁判所のロー対ウェイド判決で一夜にして認められた。しかし、これらの権利は数十年にわたってゆっくりと着実に侵食され、2022年にトランプの黙認により、彼が形作った最高裁によって放棄された。ロナルド・レーガン、ビル・クリントン、ジョージ・W・ブッシュ、バラク・オバマは、それぞれ独自の方法で、就任前の軌道とは異なる方向に国を導いた。しかし、国家安全保障と世界経済における国際主義から環境保護、そして人類の平等の普及におけるゆっくりだが着実な進歩に至るまで、長年の超党派の政策と慣行を覆そうとしているトランプに匹敵する者はいない。特にこの2度目の就任で、トランプは連邦政府の多様性政策の完全撤回を誇り、伝統的な国際同盟の放棄を祝い、1920年代の移民排斥主義の遺産への回帰を喜んで受け入れ、化石燃料の新たな優位性を喜んで推進している。さらに、彼は、少なくとも彼のロールモデルであるアンドリュー・ジャクソンまで遡るどのアメリカ大統領よりも好戦的な個人崇拝を集めており、彼が投影する現実のヴァージョンを何でも受け入れようとし、敵は実際の悪魔ではないにしても裏切り者であると確信している。僅差での選挙勝利によって獲得した実際の権力と、制限のない独自の世界史的使命を公言していることを合わせると、彼は米国を大きく変える態勢が整っている。2026年の中間選挙でトランプと彼のMAGA同盟が失敗したり、誤算したり、権力の一部を失ったりする可能性は常にある。しかし今のところ、第47代大統領は前例のない権力の展望を見据えており、彼の過激な計画に対する実質的な障害はない。そして彼の最も重要な権力の源泉の1つは、トランプが私たちが考えていた以上のことを一歩でも踏み出すたびに、私たち一般人、特に報道関係者が定期的に経験するむち打ちに対処するのが困難になることである。下記リンク先はブリタニカ百科事典制作のジョージ・ワシントン(1789年)からドナルド・トランプ(2024年)までのアメリカ大統領選挙のすべての結果の一覧表です。

britannica  United States Presidential Election written and fact-checked by Encyclopædia Britannica

2025年1月21日

ソーシャルメディアの弊害(12)立花孝志「元兵庫県議は逮捕が怖くて命を絶った」とデマ

立花孝志
Image source ©2025 Kyoto Photo Press

兵庫県の斎藤元彦知事のパワハラ疑惑などを調査する県議会調査特別委員会(百条委)の委員だった竹内英明元県議の急死した。自殺と見られると報じられている。竹内氏は県議会会派「ひょうご県民連合」に所属し、兵庫県の元西播磨県民局長(昨年7月に死亡)が作成した告発文書の内容を調べる百条委の委員を務め、斎藤氏の疑惑を追及していた。竹内氏は兵庫県知事選期間中にソーシャルメディア上で誹謗中傷を受けたとし、昨年11月に議員辞職していた。これに対し政治団体「NHKから国民を守る党」の立花孝志が1月19日に X を更新し、竹内氏の死去について「こんなことなら、逮捕してあげたほうがよかったのに」などと投稿。自身の YouTube チャンネルで「1月20日に(竹内氏を)逮捕すると県警は考えていたそうだが、それを苦に命を絶ったという情報が入っている。もうこれがほぼ間違いないと思います」などと発言した。しかし、産経新聞が兵庫県警に取材し「竹内氏に対して任意の事情聴取もしていないし、逮捕の予定もなかった」と完全否定したと報道した。立花孝志は X や YouTube の投稿を削除し、現在は見られなくなっている。実は竹内元県議の自殺に関する記事の中で、朝日新聞は産経新聞よりも早く、県警が取り調べや逮捕に関して否定する記事を出している。

立花孝志

しかし朝日新聞の記事の見出しは「兵庫県議会の百条委員務めた前県議が死亡、知事選翌日に議員辞職」となっている。記事の最後の段落でSNSで取り調べや逮捕などの情報が拡散していることを指摘し「県警幹部は朝日新聞の取材に対し『そんな事実はない』と否定した」と書いている。産経新聞の記事は見出しが「立花孝志氏『逮捕が怖くて命絶った』と投稿も兵庫県警は完全否定」立花自身の発言を対象に検証し、兵庫県警への取材をもとにその情報が誤りだと断定している。立花孝志は X で「オールドメディアは不要!ネットで充分な時代!」という標題を掲げている。しかし皮肉なことに、新聞という伝統的なメディアに誤りを暴かれてしまった。取材源を持たない大部分のネットユーザーは、ファクトチェックする能力がない。出所不明の伝聞に過ぎない情報を鵜呑みにして集団ヒステリーを起こしている。立花孝志の X フォロワー数は40万人、YouTube チャンネル登録者数75.4万人、ソーシャルメディアは愚民製造機の感がある。なぜ立花孝志が兵庫県知事選その他でやらかした悪行が、かくも野放しにされ続けているのか疑問を禁じ得ない。蛇足ながらタレントの東国原英夫も立花孝志のデマ情報を鵜呑みにして X で拡散、誤りを指摘され慌てて削除したそうである。テレビの情報番組のコメンテーターをしているが、ネット情報が頼りで、取材せずに発言していることがバレてしまった。これからはこの人の発言を誰も信じなくなる可能性がある。なお、英語圏ではオールドメディアをトラディショナル(伝統的)メディアあるいはレガシーメディアと記述する。すなわち「オールド」はモールス信号機のようなかつてあったが今はない、そして「伝統的」は新聞のような古くから今も引き続きあるメディアという意味である。

X_Twitter  立花孝志:オールドメディアは不要!ネットで充分な時代!当選を目指すのは6月の参議院全国比例

2025年1月20日

アメリカの画家アンドレア・コウチの魔法のようなリアリズム絵画

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Artworks by ©Andrea Kowch
Andrea Kowch

アメリカン・マジック・リアリズムという絵画芸術ジャンルで活動する画家、アンドレア・コウチは、写実的な物語と自然主義的な技法を組み合わせ、人間の状態を探り、表現するという探求の中で、これらの要素を超現実的で夢のような底流と巧みに融合させている。早い段階で、彼女は「文化に彩られた象徴主義を伝える、非常に繊細な意識を示す、力強い声の持ち主」と評された。ミシガン州デトロイトで1986年に生まれた彼女は、ウォルター・B・フォード2世奨学金を得てクリエイティブ・スタディーズ・カレッジに入学し、2009年に優秀な成績で美術学士号を取得して卒業した。彼女の絵画や紙の作品は、雰囲気、寓話、媒体の精密さに富み、北方ルネッサンスやアメリカ美術から、故郷のミシガン州の田園風景や郷土建築まで、さまざまな影響を反映している。17歳からキャリアをスタートし、早い段階から多くの栄誉を受け、権威あるスコラスティック・アート&ライティング賞で7つの地域ゴールドキー賞と2つの全国ゴールドメダル賞を受賞した。これらの審査員による全国展覧会への参加が認められ、2003年にはワシントンD.C.のコーコラン美術館、2004年にはニューヨークのダイアン フォン・ファステンバーグ・ギャラリーに作品が展示された。2005年には、現全米ヤングアーツ財団から視覚芸術部門の全米芸術賞を受賞した。この栄誉は、受賞者をアメリカの才能の上位2%にランク付けするものである。受賞作品は、マイアミのウェアハウスにあるマーグリーズ・コレクションで展示された。2008年、コウチはノースブルック図書館の毎年恒例の審査員による国際展覧会で最優秀作品賞を獲得した。

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コウチの高く評価されている絵画は、その後、国内外のさまざまな審査員による展覧会で複数の最優秀賞を獲得し、ロンドンの RJD ギャラリー、ローマのドロシーサーカスギャラリー、2013年に個展「ドリームフィールズ」が初公開されたマスキーゴン美術館、ジャクソンビル現代美術館(MOCA)、グランドラピッズ美術館、アートプライズ、アートバーゼルマイアミ、ロサンゼルスアートショー、アートハンプトンズ、そして2012年にコウチを世界のトップ100新進アーティストのひとりに選んだニューヨークのスコープ・アートショーなど、美術館やギャラリーで個展やグループ展に常時出展してる。彼女はまた、いくつかの国内外の出版物で定期的に特集され、表紙を飾っている。コウチはミシガン州に住み、そこでフルタイムで絵を描きながら、クリエイティブ・コミュニティに貢献することを楽しんでおり、カレッジ・フォー・クリエイティブ・スタディーズの非常勤教授や、さまざまなアートショーケースの審査員を務めている。コウチはミシガン州の RJD ギャラリーに専属で所属している。下記リンク先はエクレクティックス・アートによるアンドレア・コウチのインタビューです。

Medium  Interview with artist Andrea Kowch (born 1986) by Eclectix Art Gallery | Medium.com