2025年6月18日

白内障合併症に関するオンライン情報に翻弄される

cataract
白内障(右)は眼球に入る光を散乱させ遮断するため鮮明な像が網膜に届かない(ECOTN

スマートフォンや書籍など、手元の文字が読みづらくなったので、一昨年の秋にした白内障手術の合併症かなとネットで調べてみた。一番怖そうなのが、外傷や継時的変化で「眼内レンズがズレたり落下した」など問題が起きることである。このような場合は眼内レンズを抜去したり、交換を行うことがあという。白内障手術時、眼内レンズは水晶体の嚢(袋)に挿入する。水晶体はチン小帯と呼ばれる細い多数の繊維でその周辺組織に支えられているだけなので、加齢や外傷などにより、このチン小帯が断裂することがありある。その結果、眼内レンズがズレたり目の奥に落下します。このような場合も眼内レンズの摘出や入れ替えなどを検討する必要がある。ケースにもよるが、初めての白内障手術後、眼内レンズが水晶体内に癒着していない間(およそ1ヶ月以内)であれば、眼内レンズの摘出や入れ替えといった再手術が比較的安全に行うことが可能であr。しかし、手術をしてから時間が経ってしまうと水晶体に眼内レンズがくっついてしまうため、入れ替えがかなり難しくなるという。

Old Lady Using Magnifying Glass
天眼鏡と老眼鏡は読書のお伴

さらなる問題点は保険適用外なので、高額の治療費がかかることである。ただ眼内レンズがずれると、視力低下、視界の歪み、光過敏、飛蚊症、視野欠損などの症状が現れることがある。特に、術後に急に見えにくくなった場合は、眼内レンズのずれや脱臼の可能性があるというから、私の場合はこれに該当しないようだ。もうひとつの合併症は後発白内障である。視力低下をはじめ、目のかすみやモノがぼやけて見えたり、光をまぶしく感じるなど白内障と似たような症状が出る。字面から白内障の再発をイメージしかねないが、白内障の再発ではない。治療は外来で行えるレーザー治療で短時間かつ痛みもなく終わるという。私の場合はこれじゃないかと思い、いや思い込んで京都大学附属病院で調べてもらった。まず視力検査、眼圧測定、そして角膜内皮細胞を検査するスペキュラ(角膜内皮細胞検査)をした。主治医の診察によると「問題はない」という。ネット情報に翻弄されたことを恥じたが、老眼鏡を新しく作ることを勧められた。帰路、眼鏡店によって新しい眼鏡を発注した。

hospital 白内障・緑内障・網膜剥離・糖尿病網膜症・加齢黄斑変性・病的近視・ほか | 京都大学附属病院眼科

2025年6月11日

移民捜査をめぐる全国的な緊張が高まるなか抗議活動はロサンゼルスを越えて広がる

Protest ICE LA
A fierce pushback on ICE raids in L.A. from protesters ©2025 Los Angeles Times

ロサンゼルスで数日間の騒乱が続いた後、今週は反 ICE(移民関税執行局)デモがさらに多くの都市に広がると予想されており、トランプ政権による最近の移民摘発に抗議して、全国で少なくとも30件の新たな抗議活動が計画されている。サンフランシスコ、サクラメント、ヒューストン、サンアントニオ、シカゴ、ニューヨークでも既に抗議活動が始まっており、活動家たちは週末から月曜にかけて、ロサンゼルスのデモ参加者と連帯して集会を開いた。月曜午後までに、主催者はほぼすべての主要都市でデモを予定しているという。トランプ政権の移民政策とロサンゼルスへの州兵派遣に対する反発が高まっていることを示しているが、さらに海兵隊の出動も決まってるようだ。抗議活動は先週、職場における一連の移民強制捜査に端を発し、金曜日にロサンゼルスで行われたデモ中に、カリフォルニア州 SEIU(サービス従業員国際組合)のデビッド・フエルタ会長が逮捕されたことで激化した。著名な労働運動家であり公民権運動家でもあるフエルタ会長は、ICE が連邦政府の活動への干渉と表現した行為の後、連邦当局に拘束され、入院した。フエルタ会長の逮捕は労働組合を活気づけ、SEIU の各支部はフエルタ会長を擁護し「私たちのコミュニティへの明らかな攻撃」と彼らが呼ぶ行為に抗議するため、全国規模のデモを行うことを発表した。ロサンゼルスでは、金曜日以降、抗議活動が規模を拡大し対立が激化している。

SEIU-721

数百人のデモ参加者がダウンタウンを行進し、警察と衝突した。一部の参加者は路上にバリケードを設置し、建物を破壊し、警察に物を投げつけた。警察は催涙ガスとゴム弾を使用して群衆を解散させ、カリフォルニア州ハイウェイパトロールは、交通を遮断したデモ参加者を排除するために閃光弾を使用した。抗議活動開始以来、ロサンゼルスでは少なくとも150人が逮捕されており、市当局は週を通してさらなる混乱が続く可能性があると警告した。ドナルド・トランプ大統領は、カリフォルニア州知事ギャビン・ニューサムの指示を無視して、週末に2,000人の州兵をロサンゼルスに派遣することを承認した。海兵隊の出動もあり得るようだ。 ニューサム知事はこの動きを「州の主権の侵害」と呼び、裁判で異議を申し立てる意向を示した。トランプ大統領は抗議参加者らを「反乱分子」であり「プロの扇動者」であり「刑務所に入れるべきだ」と批判した。SEIU が公開した反 ICE デモの地図によると、ニューヨーク、シカゴ、サンフランシスコ、ワシントンD.C.、フィラデルフィア、アトランタ、ボストン、デンバー、シアトル、ラスベガス、ニューオーリンズ、シャーロット、ポートランド、セントポール、サンタフェなど、多くの都市でデモが計画されている。最大のデモは依然としてロサンゼルスに集中しており、州兵が戦術装備を身に着けてダウンタウンのパトロールを続けている。下記リンク先はイギリスのインデペンデント紙の記事「ニューヨーク、オースティン、サンタアナで反 ICE 抗議活動が始まる」です。

independent Anti-ICE protests start forming in New York City, Austin and Santa Ana | Joe Sommerlad

2025年6月9日

ガザ地区に到達しようとした人道支援船マドリーン号をイスラエル軍が拿捕した

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イスラエル軍兵士がグレタ・トゥーンベリにパンを手渡している

自由船団連合(FFC)は声明で、日曜午前3時2分(中央ヨーロッパ時間)頃(午前1時2分、グリニッジ標準時)、イスラエルはガザ地区に接近していた船舶を「強制的に拿捕」したと述べた。ガザへ向けて航海したマドリーン号のレタ・トゥーンベリなど活動家乗組員は、イスラエル国防軍に阻止された後、10月7日のハマスによる残虐行為のビデオを強制的に見せられることになるだろうとイスラエル国防相が語った。イスラエルのカッツ外相は、イスラエル軍の特殊部隊が、国際水域でマドリーン号を拿捕した後、軍が同船を「迅速かつ安全に拿捕」したと表明した。

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自由船団連合(FFC)の人道支援船マドリーン号の航跡

環境活動家のグレタ・トゥーンベリを含む12人のグループは、スピードボートやドローンに追跡されながら地中海で恐ろしい夜を過ごし、ついに阻止された。イスラエルは先週、象徴的な援助の意思表示で同グループのガザ地区への到着を阻止すると述べていたが、同国は乗組員をイスラエルのアシュドッド港へ移送すると発表した。カッツ外相は、そこで乗組員らはハマス主導によるイスラエル攻撃の「恐怖の映像」を観ることになるだろうと語った。 同外相は乗組員が「女性、老人、子供に対してハマスがどのような残虐行為を行ったのか、そしてイスラエルが誰に対して自国を守るために戦っているのか」を見るのは「適切」だと述べた。 タイムズ・オブ・イスラエルによると、このビデオには「攻撃中に人々が虐殺され、遺体がバラバラにされる」43分間の「無修正」映像が含まれているという。

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イスラエル軍の迎撃中にマドリーンの乗組員が手を挙げている

イスラエル外務省は、ボートの進路を変更した後、オレンジ色の救命胴衣を着た活動家らに水とパンが配られている写真を投稿した。外務省は「有名人」活動家を乗せた「セルフィーヨット」と呼ぶ船を嘲笑し、船内の支援物は「真の人道的ルート」を通じてガザに送られると述べた。カッツ外相は日曜日、イスラエルとハマスとの戦争の何年も前から実施されている封鎖は、パレスチナ過激派による武器の輸入を防ぐために必要だったと述べた。マドリーン号は、国連が「地球上で最も飢餓に苦しむ場所」と呼んでいるガザ地区の食糧不足への意識を高めることを目的として、6月1日にイタリアを出発した。21か月に及ぶ戦争を経て、国連は領土全体の住民が飢餓の危機に瀕していると警告していた。下記リンク先は自由船団連合(FFC)の公式ウェブサイトです。

FFC  We sail until Palestine is free | Official Website of the GAZA Freedom Flotilla Coalition

2025年6月8日

ドナルド・トランプ大統領がイーロン・マスクは「トランプ狂乱症候群」を患ってると発言

TDS Political Satire Long Sleeve T-Shirt | Amazon

世界で最も大きな権力を持つふたりの人物の間で前例のない公の不和が起こっている最中、ドナルド・トランプ大統領が億万長者のイーロン・マスクが「トランプ錯乱症候群」にかかっていると述べた。アメリカの CBS 放送の記事「トランプ大統領とイーロン・マスクが互いに非難し合い、国民間の確執が新たな高みに達した」によると「イーロンには非常に失望している。私はイーロンを大いに助けてきた」とトランプは記者団に語り、マスクは「懸命に働き」「良い仕事をした」と付け加えた。そして「正直に言うと、彼はあの場所を懐かしがっていると思う」と大統領は続けた。「彼は初めてではない。私の政権を去る人たちは、私たちを愛していた。そしてある時、ひどく懐かしがるようになる。そして、それを受け入れる人もいれば、実際に敵対する人もいる。それが何なのかは分からない。一種のトランプ錯乱症候群、そう呼ばれているのかもしれない」と語ったという。トランプ錯乱症候群とは、ウィキペディア英語版によると「ドナルド・トランプ大統領に対する否定的な反応を表す軽蔑語であり、非合理的であり、トランプの実際の政策立場をほとんど考慮していないと見なされる」という。

TDS

この用語は主にトランプ支持者によって、彼に対する批判を信用できないものとするために使用され、反対者は世界を正確に認識できないことを示唆することで議論を再構成する手段として使用されている。一部のジャーナリストは、トランプの発言や行動を判断する際に自制を求めるためにこの用語を使用している。この用語は、大統領を揺るぎなく支持するトランプ支持者の性格を表すためにも使用されるようになっているという。インディペンデント紙によると、この「高度に政治化された用語」は、トランプ大統領の最初の任期中の批判をリベラル派のヒステリーとして退けるために作られたもので、人々は大統領を嫌うためにすべての論理と理性を放棄していると示唆しているという。トランプ錯乱症候群を単純に解釈するのは危険だが、少なくともトランプはマスクへの批判としてこの用語を使ったようだ。「私がいなければ、トランプは選挙に負けていただろう。なんて恩知らずなんだ」とマスク。「私はイーロンを大いに助けてきた」とトランプ。ふたりの関係は木曜日、劇的に、そして公然と崩壊した。共和党の税制・予算法案に対するマスクの反対をめぐって勃発した確執に火がついた。決裂したばかりで罵りあったいるが、再びお互いに利用できると豹変すれば元の木阿弥、復縁する可能性も否定できない。下記リンク先は TIME 誌の「トランプとマスクの関係は激しい舌で崩壊した」です。

TimeMagazine  Trump's Relationship with Musk Collapses in Nasty War of Words by the reporter Nik Popli

2025年6月7日

ドナルド・トランプとイーロン・マスクの緊張が数日で悪化の一途を辿った経緯

Elon Vs Donald
Elon Vs Donald: Egos clashing louder than policies ©2025 Samuel Ojo

ふたりのアライアンスは、2024年7月にペンシルベニア州バトラーで起きたドナルド・トランプ暗殺未遂事件の後、イーロン・マスクが当時共和党大統領候補だったドナルド・トランプへの全面的な支持を表明したことから始まった。しかしかつて公然としていた友情を、激しい対立へと変貌させてしまった。大統領と億万長者の起業家の対立は今週、公衆の面前で露呈し、個人攻撃、政治的脅迫、そしてテスラに数十億ドルの経済的損失をもたらしている。「私はトランプ大統領を全面的に支持し、彼の早期回復を願っている」と、マスクは事件発生からわずか数分後に X(旧 Twitter)に投稿同はその後、特注の MAGA(アメリカ合衆国を再び偉大な国にする)帽子をかぶり、トランプの大統領選挙活動に同行した。ふたりの関係は急速に進展し、トランプ大統領の就任後、マスクは「特別政府職員」の枠内で無給の大統領顧問に任命された。マスクは今年2月「ストレート男性が男性を愛せるのと同じくらい、私はドナルド・トランプを愛している」と X に書き、共和党大統領への気持ちを告白した。トランプ政権の初期には、このテスラの最高経営責任者は新設された DOGE(政府効率化省)の最大の顔となり、積極的なコスト削減改革を推進した。5月31日、大統領執務室での最後の記者会見で、トランプ大統領はマスクを惜しみなく称賛し「世界が生んだ最も偉大なビジネスリーダーであり、イノベーターのひとり」と呼んだ。これは、関係が破綻する前に、公の場でふたりが交わした最後の友情の場面だった。マスクがホワイトハウスを去った直後から、ふたりの関係は崩れ始めた。彼は何度もトランプ政権の「ワン・ビッグ・ビューティフル・ビル (大きく美しい法案)」を批判し、連邦財政赤字の増大と DOGE の取り組みの成果を無駄にするだろうと警告した。このテクノロジー業界の億万長者はこの法案について次のように語っている。「この大規模で法外な、利益誘導のための議会支出法案は、吐き気がするほどひどいものだ」とマスクは6月3日に自身のサイト X に投稿した。6月5日、トランプ大統領が、電気自動車税額控除の廃止をめぐり、テスラの収益に打撃を与える法案を妨害しようとしているとマスクを非難したことで、両社の緊張は頂点に達した。「イーロンと私は素晴らしい関係だった。今後もそうなるかどうかは分からない」とトランプ大統領は記者団に語った。「イーロンには非常に失望している。彼はこの法案のあらゆる側面を知っていた。ほとんど誰よりもよく知っていたし、彼が去る直前まで問題を抱えたことは一度もなかった」と彼は付け加えた。

MAGA Caps
MAGA (Make America Great Again) Caps

マスクはオンラインで反撃し、トランプの事件に関する説明を否定した。6月6日には「この法案は一度も私に提示されず、真夜中に可決されたため、議会のほとんど誰も読むことさえできなかった!」と投稿した。しかし、同日遅くにマスクがトランプと悪名高い金融業者ジェフリー・エプスタインとのつながりを示唆したことで、この不和は極めて個人的な問題へと発展した。曰く「エプスタインのファイルにはトランプの名前が載っている。それが公表されていない本当の理由だ」云々。マスクはさらに、トランプがエプスタインについて語った数十年前の言葉を引用した。「彼と一緒にいるととても楽しいし、女性陣は若い方が多い」。マスクは最後に「良い一日を、トランプ・メディア&テクノロジー・グループ」と揶揄するよう締めくった。彼はさらに X ユーザーを対象に「中間層の80%」のための新しい政党を設立すべきかどうかを問う世論調査を投稿した。マスクはさらに踏み込み、トランプ大統領の弾劾を求める声を支持し、後任としてJ・D・ヴァンスを支持すると述べ、トランプ大統領による世界的な関税措置は「今年後半に景気後退を引き起こすだろう」と警告した。トランプ大統領は、マスクのオンラインでの暴言を受けて、6月6日にマスクの企業に対する政府契約と補助金を打ち切ると警告した。経済への影響は即座に現れた。ANIが引用したブルームバーグのビリオネア指数によると、テスラの株価は 14 %以上急落し、時価総額は約1,520億ドル減少し、マスクの個人資産は87億3,000万ドル減少した。トランプは自らのソーシャルメディアプラットフォーム、トゥルース・ソーシャで新たな怒りを表明し「イーロンが私に反旗を翻すのは構わないが、何ヶ月も前にそうすべきだった」とポストした。彼はこの法案を「これまで議会に提出された法案の中で最も偉大なもののひとつ」と擁護し、可決されなければ「68%の増税」につながると警告した。さらに攻撃を倍加させ「イーロンは『疲れ果てていた』ので、私は彼に辞任を求め、EV義務化を取り消した…すると彼は激怒した」と述べた。トランプ大統領がマスクのビジネス上の利益を標的にしたことを受け、ネット上での激しい攻防は続いた。「予算を節約する最も簡単な方法は…イーロン・マスクへの政府補助金と契約を打ち切ることだ」とトランプ大統領は投稿した。お互いに利用できるから相手を称賛していただけで、もともと「盟友」でもなんでもなかったのである。そして「友情」のバランスが崩れて元の木阿弥に。マスクはもう MGA 帽子をかぶらないのだろうか。下記リンク先の記事はロイター通信のディタ・ボーズとジェフ・メイソン記者による「仲間から敵へ:トランプとマスクのあり得ない関係がいかに崩壊したか」です。

Reuters  From bros to foes: how the unlikely Trump-Musk relationship imploded | Reuters News

2025年6月6日

アイザック・ウォルトン『釣魚大全』に流れる悠久の時間

The Life of Isaac Walton
The Life of Izaak Walton; including Notices of his Comtemporaries by Thomas Zouch; 1823
George G. Harrap Ltd, London, 1931

エドワード・グレイ(1862-1933)著『フライ・フィッシング』(講談社学術文庫)にこんな下りがある。「ギルバート・ホワイトの著書『セルボーンの博物誌』を除いては、この『ザ・コンプリート・アングラー』(釣魚大全)ほど疲れた心に避難場所そして慰安を与えてくれる本を私は知らない」云々。ギルバート・ホワイト(1720-1793)は副牧師、博物学者だったが、セルボーン村を歩いて野鳥などの生態を観察し、ふたりの著名な博物学者、デインズ・バリントン(1727-1800)とトーマス・ペナント(1726-1798)に届けた。いわば書簡集なのだが、自然への憧憬と畏敬、そして愛に満ちている。後者はアイザック・ウォルトン(1593-1683)の著書だが、日本ではやはり『釣魚大全』という訳のタイトルのほうが馴染み深い。

角川選書 72(1974年)

両書はジャン=アンリ・ファーブル(1823-1915)の『昆虫記』や、ウィリアム・H・ハドソン(1841-1922)の『ラ・プラタの博物学者』など、自然観察文学の魁(さきがけ)をなした名著である。ところでリクリエイションというのは、気晴らし、娯楽と意味付けられている。しかしそこから生まれる、再創造という概念がある。ウォルトンは「瞑想する人のリクリエイション」という副題をつけているが、まさにこの点が超ロングセラーを続けている理由なのだろう。いずれも今なお自然探求の書として読み継がれている。ただ英国の古典文学にありがちな、ある種の冗長さがあることは否めない。『セルボーンの博物誌』は時間がかかったが、なんとか読み通したが『釣魚大全』は、放り投げてはまた手に取るということを何度か繰り返してきた。おそらく聖書に疎い浅学菲才が最初の躓きだったのかもしれない。しかしある日気づいたことがある。それは17世紀の英国と21世紀の日本では時間のテンポが違うということである。早く読破しようという気持ちを抑え、ゆったりした気分で接しようと考えた結果、冗長と思われた文章が、不思議なことにすんなり脳裡に刻まれるようになった。生きている限りは締め切りのない読書、悠久の時間に遊ぶ愉しさを味わっている今日この頃である。なお英語版(ペーパーバック 336ページ 税込み ¥2,156)を下記リンク先のオックスフォード大学出版局日本法人のウェブサイトで入手できる。

University  Izaak Walton "The Compleat Angler" (ISBN : 9780198745464) Oxford University Press

2025年6月5日

イスラエルの脅迫にもかかわらずガザに向かう援助船から語るグレタ・トゥーンベリ

マドリーン号船上のグレタ・トゥーンベリ

ガザ地区が3ヶ月以上にわたるイスラエルによる封鎖に直面する中、12人の活動家グループが人道支援物資を届けるためガザ地区へ航海している。マドリーン号は自由小隊連合によって進水し、当初は先月マルタから出航する予定だったが、ドローン攻撃で損傷を受けた。新たなミッションには、著名なスウェーデンの環境活動家グレタ・トゥーンベリも参加しており、彼女はマドリーン号から、パシフィカ・ラジオ・ネットワークの報道番組 "デモクラシー・ナウ!" のインタビューに生出演した。「沈黙のリスクと無活動のリスクは、このミッションよりもはるかに危険だと考えています」とグレタは語る。ガザ地区は3ヶ月以上にわたりイスラエルによるほぼ全面的な封鎖に直面しており、活動家たちは人道支援物資を届けるため船でガザ地区に向かっている。この船はマドリーン号と名付けられ、2009年のイスラエルの攻撃で負傷した父親の漁業を引き継いだガザ地区初の漁師にちなんで名付けられた。自由船団連合は当初、先月マルタを出航する予定だったが、国際水域でドローンの爆撃を受けて船が損傷した。日曜日にイタリアのカターニア港で行われたマドリーン号の進水式では、ドラマ「ゲーム・オブ・スローンズ」の役で知られる俳優リアム・カニンガムがこの活動への支持を表明した。グレタ・トゥーンベリは「このミッションを継続しようとした最後の試みから1か月後、船は2度爆撃されました。あらゆる証拠がイスラエルの関与を示唆しています。私たちがこれを行っているのは、パレスチナの人々との約束を守らなければならないからです。ジェノサイドに抗議し、人道回廊の開設に向けて全力を尽くすという約束です」と語る。

Greta Thunberg on Madleen
マドリ―ン号の舳先に陣取ったグレタ

グレタ・トゥーンベリはは6月3日、ガザに向かうマドリ―ン号の船上から Facebook に次のように書き込んだ。

自由船団の援助ミッションは、パレスチナ人の抵抗を支援し、共謀政府がイスラエルの封鎖と大量虐殺に対抗することです。前進せよ。ガザへの航海、封鎖の解除、人道回廊の開設を目指した最後の試みの最中に、コンシャス号が爆撃されてから1ヶ月、我々は再びガザに向けて出航した。武器ではなく、食料と医薬品を積んでいる。組織的な飢餓と基本的なニーズの剥奪は、イスラエルがパレスチナ人に対して用いる多くの戦争手段の一部である。このミッションは、社会的・気候正義、解放、そして脱植民地化を求める、周縁化された人々が主導する、世界的な運動の一部に過ぎません。歴史の正しい側に立つためには、この運動に加わることが私たちの義務であり、まさに今がその時です。パレスチナを解放せよ。☮️

出航以来、船団は多くの脅迫に直面していた。サウスカロライナ州選出のリンジー・グラハム上院議員はソーシャルメディア X(旧 Twitter)に「グレタと彼女の友人たちが泳げますように!」「ガザ自由船団は少なくとも1機の軍用ヘリコプターに追跡され、船の周囲をドローンが旋回しているという報告もあります。その脅迫もその一つです」とツイートした。グレタは船内の様子について「船内の雰囲気は…とても士気が高く、航海を続ける強い決意でいっぱいです。今のところ、予想されていた大きな障害の一つを乗り越えました。それは、特に過去に非常に激しかった官僚主義的な争いによって港に足止めされることです。しかし、それを乗り越えて今航海に出ており、かなりの距離を進んできていること自体が、すでに勝利と言えるでしょう。もちろん、この任務には多くのリスクが伴い、私たちは多くのリスク評価を行ってきました。しかしもちろん、沈黙のリスク、そして行動を起こさないことのリスクの方が、この任務よりもはるかに危険だと考えています。私たちは12人の平和的なボランティアで、武器は携行していません。封鎖後、食料、医療物資、生理用品、その他非常に必要とされている人道支援物資をガザに運んでいます。そして、いかなる状況においても、私たちは非暴力で立ち向かいます。ですから、私たちは準備を整え、安全を最大限に確保し、この任務を成功に導くよう、できる限り努力しています」と "デモクラシー・ナウ!" に答えている。

自由船団のマドリーン号がガザに向けて出航した

リンジー・グラハム上院議員は X に「グレタと彼女の友達が泳げるといいですね!」とツイートしたが、グレタは「私たちは泳ぎが得意です。200万人が虐殺され、組織的に飢餓に陥っているという現実に直面しながら、国民に奉仕し、国民を守る責任を持つべき議員や公職者が、虐殺と民間人の大量虐殺への加担をやめるどころか、少なくとも自分の役割を果たそうとしている人々を嘲笑することに注力していることは、彼らの優先順位を如実に物語っています。彼らの優先順位について、私たちが知る必要があることはすべて、この言葉に尽きると思います」と。そしてパレスチナの人々へ「私たちは皆さんのあらゆる歩みを支えているということです。私たちは皆さんと連帯しています。私たちは皆さんを見ています。そして私は、外の世界、特に西洋諸国を代表して、私たちが皆さんを裏切り続け、もっと多くの人が立ち上がっていないことを深くお詫び申し上げます。しかし、少なくともここにいる私たちは、皆さんのために全力を尽くすことを約束します」とメッセージを寄せている。下記リンク先はグレタ・トゥーンベリの Facebook アカウントです。6月5日現在、このガザに向かう救援船からの投稿に対、しいいねボタンが11万回押され、コメントが1万件、そしてシェアが1.5万件となっている。彼女の写真や言葉が掲載されているので、気候変動問題に関心ある方はぜひフォローを。

Facebook  Greta Thunberg (born Jan. 2003) A Swedish Autistic climate justice activist on Facebook

2025年6月4日

アパラチアの力強いブルーグラスを称える: オハイオ南西部の音楽遺産

Smithsonian Folkways Recordings - SFW 40238

Format: CD, Compilation
Country: Unites States
Released: 2021, 2024
Genre: Folk, World, & Country
Style: Bluegrass
[Tracklist]
01 Readin', Rightin', Route 23: Joe Mullins & The Radio Ramblers (3:36)
02 20/20 Vision: Dan Tyminski (2:46)
03 Suzanne: Mo Pitney and Merle Monroe (2:48)
04 From Life's Other Side: Lee Ann Womack (5:35)
05 Larry Sparks Medley: Josh Williams, Bradley Walker, and Russell Moore (5:20)
06 When He Blessed My Soul: Doyle Lawson & Quicksilver (3:03)
07 The Rolling Mills of Middletown: Larry Cordle (3:56)
08 Family Reunion: Rhonda Vincent and Caleb Daugherty (3:26)
09 Mountain Strings: Sierra Hull (3:42)
10 Stone Walls and Steel Bars: Ronnie Bowman, Don Rigsby, and Kenny Smith (2:25)
11 Are You Missing Me?: Dailey & Vincent (2:24)
12 Once More: The Grascals (2:53)
13 Barefoot Nellie: Jim Lauderdale and High Fidelity (2:31)
14 Garden Tomb: The Isaacs and The Oak Ridge Boys (2:47)
15 Baby Blue Eyes: Vince Gill (3:21)
16 We'll Head Back to Harlan: Bobby Osborne (2:27)
[Credits]
Producer and Liner Notes: Joe Mullins and Daniel Mullins, Liner Notes: Fred Bartenstein and Carla Borden, Designer: Cooley Design Lab, Engineer: Van Atkins, Brad Benge, Mark Capps, Paul Harrigill, Ben Isaacs, Josh Swift, Rickey Wasson and Andrew Mendelson

Blast Furnace workers
Blast Furnace workers, American Rolling Mill Company, 1925

During the middle decades of the 20th century, the factories of southwestern Ohio drew hundreds of thousands of migrants from Appalachia, including innumerable musicians. Industrial Strength Bluegrass celebrates the music that these migrants made and loved, and explores a pivotal moment in the history of bluegrass and country music at large. Produced by beloved performer and radio personality Joe Mullins, the collection features a stellar lineup of bluegrass stalwarts including Rhonda Vincent, Bobby Osborne, and Mullins himself, taking on tunes that have echoed across Ohio for decades. This group of some of the biggest names in bluegrass today pays tribute to the jubilant highs and lonesome lows of life amongst the factories and warehouses, reflecting the region’s rich culture and resilient people. The expanded 2xLP vinyl version features seven archival bonus tracks: “You’ll Never Be the Same” by The Traditional Grass, “Stone Wall” by Red Allen & The Allen Brothers, “The Singer” by The Hotmud Family, “Ninety-Nine Years Is Almost for Life” by Dave Evans, “He’s Everything to Me” by Larry Sparks, “I’m Bound to Ride” by The Stanley Brothers, and “Shakin’ the Grate” by The Boys From Indiana.

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20世紀中頃、オハイオ州南西部の工場は、アパラチア地方から数十万人もの移民を引き寄せ、その中には数え切れないほどのミュージシャンも含まれていました。『インダストリアル・ストレングス・ブルーグラス』は、これらの移民たちが作り、愛した音楽を称え、ブルーグラスとカントリーミュージックの歴史における重要な瞬間を探ります。人気パフォーマーであり、ラジオパーソナリティでもあるジョー・マリンズがプロデュースしたこのコレクションには、ロンダ・ヴィンセント、ボビー・オズボーン、そしてマリンズ自身といったブルーグラス界の重鎮たちが名を連ね、何十年にもわたってオハイオ州中に響き渡ってきた楽曲を演奏します。現代のブルーグラス界を代表するビッグネームたちが、工場や倉庫での生活における歓喜に満ちた喜びと孤独などん底に敬意を表し、この地域の豊かな文化とたくましい人々の姿を映し出します。増補版LP2枚組のビニール盤には、7曲のボーナス・トラックが収録されている: トラディショナル・ブルーグラスの "You'll Never Be the Same"、レッド・アレン&アレン・ブラザーズの "Stone Wall"、ホットマッド・ファミリーの "The Singer"、デイヴ・エヴァンスの "Ninety-Nine Years Is Almost for Life"、ラリー・スパークスの "He's Everything to Me"、スタンリー・ブラザーズの "I'm Bound to Ride"、ボーイズ・フロム・インディアナの "Shakin' the Grate"など。下記リンク先の動画共有サイト YoTube で全16曲を視聴できます。

youtube-square  Industrial Strength Bluegrass: Southwestern Ohio's Musical Legacy: Folkways SFW 40238

2025年6月2日

反知性主義:スコープスの「進化論裁判」から「アメリカを再び偉大な国に」の狂気まで

harvard vs trump

ドナルド・トランプ大統領が大学を標的にし、国土安全保障長官クリスティ・ノームが人身保護令状を大統領の国外追放権限として再定義する中、スティーブン・アーネルは、ジョン・スコープスが学問の自由の勝利について抱いていた楽観的な見方が、今や悲劇的に時期尚早に思える様子を描いている。簡単に説明すると、テネシー州の高校教師ジョン・スコープスは、公立学校における人類進化論の教育を禁じる州法、バトラー法違反の容疑で告発されました。スコープスの代理人を務めていたのはアメリカ自由人権協会で、同協会はバトラー法違反の容疑で告発され、同法の合憲性に異議を唱える者を弁護することを申し出ていた。裁判で主任弁護士のクラレンス・ダロウは「もし今日、進化論のようなものを公立学校で教えることが犯罪とできるのであれば、明日は私立学校で教えることが犯罪となり、その翌年には選挙運動の場や教会で教えることが犯罪となる可能性がある」「次の会期では、書籍と新聞を禁止するかもしれません。近いうちに、カトリックとプロテスタント、プロテスタントとプロテスタントを対立させ、自らの宗教を人々の心に押し付けようとするかもしれません」と主張した。著名な公民権運動家であるダロウ(オシアン・スウィート/レオポルドおよびロウ裁判の弁護士)によるこの見事な反論にもかかわらず、スコープスは有罪となり、100ドル(現在の価値で1,800ドル)の罰金を科せられた。2年後、判決は技術的な問題で覆されたが、バトラー法はテネシー州の法令集に残り、1967年に廃止された。当時ドナルド・トランプは21歳だった。ビートルズは「イエスよりも人気がある」というジョン・レノンの発言により南部でビートルズのレコードが燃やされた1年後のことだ。トランプ大統領は現在、科学と知的自由に対して積極的に偏見を持つ政権を樹立しようと全力で突き進んでいるように見える。アメリカを訪れる学術関係者は、アンチ MAGA(アメリカを再び偉大な国に)的な文章や発言をしていないか、定期的に検査されることになる。

anti-intellectualism
What does anti-intellectualism mean for our democracy?

学問、知識、教養を軽視し、為政に逆らう人々を闇から監視する独裁国家にしようという魂胆なのである。もちろん、イギリスは、アメリカの政府主導の反知性主義の波の影響を受けないと主張することはできない。保守党所属の庶民院議員マイケル・ゴーヴをはじめとする、欧州連合離脱支持者たちが専門家に対して繰り返し繰り広げた激しい非難を覚えている。リズ・トラスの、神経質な陰謀論、そしてボリス・ジョンソンはかつてイズリントンに住んでいた隣人のデイヴィッド・グッドハートによると「熱狂的な反知性主義者」の、イートン校出身の物腰とトレードマークのラテン語の引用で覆い隠された、頭の固い発言を覚えているという。年配の読者にとっては、リォーム社のリー・アンダーソンとそ仲間たちの原始人のようなふざけた行動は言うまでもないが、彼らはコメディアンのディック・エメリーの愚かな Bovver Boy(不良少年)というキャラクターをモデルにしているようだ。勝利後、スコープスは「デイトン裁判は原理主義の衰退の始まりだったと私は信じています。学問の自由を制限する法律は永遠に過去のものとなり、宗教と科学は今や相互尊重と真実への共通の探求という雰囲気の中で互いに向き合うことができると確信しています。デイトン裁判がこの新しい時代の到来に何らかの役割を果たしたと信じたいものです」と述べた。彼の言葉は、少なくともアメリカにおいては悲しいことに時期尚早に思える。アメリカでは、クリスティー・ノーム国土安全保障長官が最近、人身保護令状を「大統領が国民を国外退去させることができる憲法上の権利」と定義したからだ。かつては現実と考えられていたように、人身保護令状は、個人が裁判所に拘禁の合法性を再審査するよう申し立てることを可能にすることで、不法拘禁から個人を保護する憲法上の法的原則です。しかし彼女の上司が南アフリカの「白人虐殺」を非難し、パレスチナのガザ地区を潜在的なビーチリゾートとして宣伝しているとき、一体何を期待できるだろうか? 下記リンク先はノーザンアリゾナ大学の学生モリー・ハンターの論文「反知性主義が蔓延するアメリカ」です。

University Red America’s anti-intellectual epidemic | Lumberjack: Student Voice of Northern Arizona Univ

2025年5月31日

エドワード・グレイ『フライ・フィッシング』の深淵

Salmon and Sea Trout Flies
Sir Edward Grey

エドワード・グレイ(1862-1933)はイギリスの政治家で鳥類学者でもあった。祖父のジョージ・グレイ(1799-1882)は著名なリベラル政治家だった。ウィンチェスター・カレッジからオックスフォード大学に進んだが、学業を怠り退学させられた。学才がなかったというより、大学という枠の馴染めなかったのかもしれない。1882年に祖父が亡くなり、男爵の称号、約2,000エーカーの土地および私有財産を相続する。そして復学し、1884年に名誉学位を取得した。晩年、そのオックスフォード大学に名誉ある総長として招聘されたことは特筆に値する。1885年、バーウィック・アボン・ツイードから自由党員として当選し下院議員となった。第一次世界大戦勃発前夜の1914年8月3日、外務大臣だったグレイは執務室から暮れ逝く外の景色を眺めながら、友人だったウェストミンスター・ガゼット紙の記者、ジョン・アルフレッド・スペンサー(1862-1942)に「ヨーロッパ中のランプが消えようとしている。生きているうちにまたランプが灯るのを見ることはできそうもない」と語り、意に反してイギリスの参戦を決意したことで知られている。1905年から11年間外務大臣を務めたが、これはイギリスの外務大臣の最長在任記録となった。1916年に貴族院へ退いたが、爵位は継ぐものがいなく一代限りだった。眼を患い大戦集結時にはほぼ視力を失っていたという。弟がふたりいたが共にアフリカでの狩猟で命を落としている。ケニアで農場を経営したデンマークの作家、イサク・ディネセン(1885-1962)の『アフリカの日々』と時代がオーバーラップする。野鳥の研究観察と共に釣りが趣味で、1899年に『フライ・フィッシング』を著した。1929年にふたつの章を加えている。

むし暑い六月の日々のロンドンには、どうにもやり切れない、息苦しい一面がある。建築物の挑戦的な堅苦しさ、舗道の残酷な堅牢さ、太陽のもとにただれるような街のにおい、硬い物質に終日照りつける強い日差し、夜もなお避けることのできない息のつまりそうな暑さなどがそれである。そして、夜風も涼しさをもたらさず、寝室の窓はオーヴンに向かって開いているようだ。これらの苦難に加えて、最悪なのは、この季節に田園を奪われ、田園から閉め出されているという意識である。(西園寺公一訳)
講談社学術文庫(2013年)

エドワード・グレイ『フライ・フィッシング』(講談社学術文庫2013年)は、日本の最後の貴族で、参議院議員などの要職を歴任、グレイ当時の毛鉤で鱒釣りにいそしんだ、西園寺公一の訳である。フライ・フィッシングを楽しむイギリスの釣り人にとって、一年中でもっともよい季節は初夏、すなわち五月と六月だと力説している。大自然が素晴らしく、限りない変化に富んだ姿を見せ、われわれが住む世界の美しさを納得させる絶好の季節だという。政界での苦労話はこの著書では皆無である。だだ激務に耐えながら、大自然への憧憬する心情がこの下りに顕著である。眼の病はグレイの視力を減衰させた。しかし毛鉤が見えないにも関わらず、手の触角を頼りに釣りを続けたという。おそらく野鳥は囀り、すなわち聴覚による観察をしたのではないだろうか。釣り文学の古典的バイブル『釣魚大全』の著者アイザック・ウォルトン(1593-1683)の生涯も多くの困難が伴うものだった。1626年に結婚したレイチェル・フラッドとの間に生まれた七人の子どもはすべて幼いうちに死んでしまい、彼女も1640年に他界した。1646年にアン・ケンと再婚したが、彼女との間に生まれた長男も、生まれるとすぐに死んでしまう。これらの苦難を『釣魚大全』は一切触れていない。開高健(1930-1989)が『フライ・フィッシング』を監修、序文を寄せているが、このふたりが著作の中では決して一身上の苦悩を語ろうとせず、弱音を洩らそうとしなかったと讃えてやまない。ふたりの現世の苦患(くげん)があってこそ、この明澄と静謐が蒸留されていると思いたい、と。グレイはもしかするとウォルトンを見倣ったのかもしれない。アーネスト・ヘミングウェイ(1899-1961)の短編小説シリーズ「ニック・アダムズ物語」もそうだけど、釣り文学は釣りをしないアームチェア・アングラーの読者に支えられてる側面があると思われる。そうそう、ユーモアに富んだ開高健『私の釣魚大全』(文春文庫1978年)に底知れぬ慰安と強い感動をを覚え、何度も読み返したことが思い出される。超お薦めの一冊だ。下記リンク先はイギリスの自由民主党歴史グループのリチャード・R・グレイソンによるエドワード・グレイのバイオグラフィーです。

biography  Edward Grey (1862-1933) Biography by Richard S. Grayson | Journal of Liberal History

2025年5月29日

イスラエルによるガザ侵攻への批判は反ユダヤ主義ではない

Demonstrators protesting antisemitism
Demonstrators protesting antisemitism during a silent march in Paris

イスラエルの指導者たちは、ユダヤ人に対する歴史的な迫害を理由に、ガザにおける大量虐殺作戦を擁護し、イスラエルの戦争に反対し、パレスチナ民間人の大量虐殺に抗議することは反ユダヤ主義的だと示唆している。ガザ紛争においては、真の反ユダヤ主義とイスラエルの政策や行動に対する正当な批判を区別することが不可欠である。IHRA(国際ホロコースト記憶同盟)は、1998年にストックホルムで設立された政府間組織である。35か国が加盟し、8か国のオブザーバーが参加している。その使命は、ホロコーストに関する教育、記憶、そして研究を促進することである。2016年5月26日にブカレストで開催された総会において IHRA は反ユダヤ主義の暫定的な定義を採択した。これは法的拘束力を持たない声明である。反ユダヤ主義を「ユダヤ人に対する特定の認識であり、ユダヤ人への憎悪として表現されることもある。反ユダヤ主義の修辞的および物理的な表現は、ユダヤ人または非ユダヤ人の個人、あるいはその財産、ユダヤ人コミュニティの機関や宗教施設に向けられる」と定義している。この定義には反ユダヤ主義の現代的な例が11件含まれており、そのうち7件はイスラエル関係しているのである。IHRA によると、反ユダヤ主義の定義は、マルタとアルランドを除くすべてのEU加盟国を含む43の政府によって採用されている。しかし、この採用が何を意味するのかを示す標準化されたガイドラインは存在しない。多くの中東専門家や著名な弁護士は IHRA の反ユダヤ主義の定義は、ユダヤ人に対する憎悪という伝統的な意味を超え、イスラエルを含むユダヤの組織に対するあらゆる批判を含むと主張している。

Judge magazine antisemitic cartoon
Judge magazine antisemitic cartoon by Grant E. Hamilton, January 23, 1892

この定義によれば「パレスチナを解放せよ」や「川から海までパレスチナは自由になる」といった親パレスチナのスローガンは反ユダヤ主義とみなされる。その結果、アメリカと欧州の監視機関は、ガザ紛争が始まって以来、反ユダヤ主義的な事件が増加していると報告している。2022年にはイスラエル、ヨーロッパ、イギリス、アメリカの大学の著名なユダヤ人学者を含む128人の学者が、この定義はイスラエル政府を国際的な批判から守るために「乗っ取られた」と述べた。人種差別問題に関する元国連特別報告者の E・テンダイ・アキウメは、この定義はイスラエルに対する正当な批判を抑圧するために利用されていると述べた。アキウメは、これが主にパレスチナ人と彼らのために活動する人権擁護活動家に害を及ぼしていると付け加えた。英国では、この定義が言論の自由を萎縮させる効果があることが研究で明らかになっています。英国中東研究協会と欧州法律支援センターは、英国の大学の職員または学生が反ユダヤ主義で告発された40件の事例を分析した。昨年発表された報告書によると、これらの告発はいずれも、いまだに根拠が示されていない2件を除き、法的措置に至っていません。英国中東研究協会副会長であり、ロンドンのクイーン・メアリー大学で国際法と人権を専門とするイスラエル人教授ネーヴ・ゴードンは、アルジャジーラに対し、反シオニズムと反ユダヤ主義を混同することは、逆説的に批判的なユダヤ人の声を反ユダヤ主義的だとレッテル貼りする可能性があると述べた。

German antisemitic children's boo
lustration from a German antisemitic children's book in 1936

曰く「もし私が授業で、イスラエルはアパルトヘイト国家であると述べるヒューマン・ライツ・ウォッチの報告書を教えたら、反ユダヤ主義の罪で告発される可能性がある」云々。イスラエルの政策をナチス政権の政策と比較することが反ユダヤ主義だという考えは狂っている」「この定義は、イスラエルと、イスラエルがガザで行っているジェノサイドに対する正当な批判を封じ込めようとしているのだ」云々。イスラエルの指導者たちは、ユダヤ人に対する歴史的な迫害を理由に、ガザにおける自らの行動を正当化してきた。イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相はハマスによる作戦を「ホロコースト以来最悪の反ユダヤ主義的暴力行為」と呼んだ。しかし、パレスチナ人の抵抗作戦はイスラエルの侵略と占領によって引き起こされたものであり、数十年にわたりイスラエルの入植者による植民地支配と占領に直面してきたパレスチナの人々にとって、当然の反応と言えるだろう。パレスチナ武装勢力が突発的な戦術や計画に頼るのは、世界有数の資金力を持つ武装勢力と対峙しているためである。パレスチナ抵抗勢力によるこの軍事的対応は、必然的な展開であり、抵抗行為であり、残忍な封鎖と占領下にあるガザの人々の苦しみに対する反応であった。これは、パレスチナ人の自由を求める闘争の一部である。イスラエル政府は、ガザ地区全住民に対する大規模な戦争への前例のない支持を集めるため、多角的なプロパガンダ戦略を展開した。彼らは、イスラエルの戦争に反対し、パレスチナ民間人の大量虐殺に抗議することは反ユダヤ主義であると主張した。

Ethnic Creaning
Netanyahu says Israel will not back down ©2025 Bart van Leeuwen

イスラエル政府と軍は、民間人に対する継続的な虐殺戦争を正当化するために、頻繁に新たな主張を展開している。彼らは病院をハマス、国連をハマス、ジャーナリストをハマス、欧州の同盟国をハマスと名指しし、さらには国際司法裁判所を反ユダヤ主義的だと非難している。イスラエル政府は、ガザ地区全住民に対する大規模な戦争への前例のない支持を集めるため、多角的なプロパガンダ戦略を展開した。彼らは、イスラエルの戦争に反対し、パレスチナ民間人の大量虐殺に抗議することは反ユダヤ主義であると主張した。イスラエル政府と軍は、民間人に対する継続的な虐殺戦争を正当化するために、頻繁に新たな主張を展開している。親イスラエル派によるこうした包括的な主張は、政治的な棍棒として意図されている。つまり、反ユダヤ主義を武器にして、イスラエルによるガザ攻撃に対する批判からイスラエルを守ろうとしているのだ。5月27日付朝日新聞によるとガザ攻撃では少なくとも5万4,000人以上のパレスチナ人が死亡、数万人以上が負傷した。そして200万人近くのパレスチナ人が強制的に避難を強いられ、現在飢餓状態に陥っているという。多くの学者は、ガザの状況はジェノサイドに等しいと主張している。世界の中で、反ユダヤ主義というキーワードが何をもたらしているのか、私たちよく考えておく必要がある。反ユダヤ主義というキーワードが何をもたらしているのか、よく考えておくべきである。このキーワードを援用してアメリカのドナルド・トランプ大統領はハーバード大学を攻撃している。下記リンク先は IHRA(国際ホロコースト記憶同盟)の公式ウェブサイトです。

holocaust  The International Holocaust Remembrance Alliance (IHRA) with 35 Member Countries

2025年5月27日

旅行案内書「ロンリープラネット」に出会った

Lonely Planet
京都・嵐山のページを広げた観光客
ロンリープラネット: 日本編

京都大学付属病院で外来検査を受けた帰路、バスの隣りの席の外国人観光客が手にしていた旅行案内書が目に止まり驚いた。なんとロンリープラネット(Lonely Planet)でないか。思わず写真を撮らせていただいた。私は金閣寺の近くに住んでいるので、連日、外国人観光客とバスに乗り合わせるが、このロンリープラネットに限らず、紙媒体の旅行案内書を所持している人に出会ったことがない。彼らはソーシャルメディアで細かい情報を仕入れ、来日するとスマートフォンに道案内してもらう。飲食店の在り処は無論のこと、バスの運航経路も簡単に分かるらしく、尋ねることなしに乗車している。路線番号を間違えるのはむしろ京都にやってきた日本人観光客である。私の経験ではアメリカのグレイハウンドのような長距離バスは、情報を得られやすく、余り迷わなかった。ところが都市、例えばトルコのイスタンブルの場合、ローカルバス路線はトルコ語を話せない観光客にはまさに迷路そのものだった。話を戻そう。ロンリープラネットは、イギリス人のモーリーン・ウィーラーとトニー・ウィーラー夫妻によって設立された。1972年、彼らはオックスフォードとケンブリッジの極東探検隊のルートを辿り、ヨーロッパとアジアを経由してオーストラリアまで陸路で旅に出た。社名はマシュー・ムーアの歌の中で聞き間違えられた lovely planet に由来する。ロンリープラネットの最初の本 Across Asia on the Cheap(格安でアジア横断)は94ページで、夫婦が自宅で執筆したという。1973年の初版は、ホチキス留めの小冊子と淡い青色のボール紙の表紙で構成されていたそうである。1981年にはインド版ガイドブックが出版されて、その後、世界各地に拡大した。1970年代の半ば、私はこのシリーズの存在を知っていたが、とっくに廃刊になっていると勘違いしていた。2009年、ロンリープラネットは月刊旅行雑誌ロンリープラネット・トラベラーの発行を開始した。これは多くの国でデジタル版が出版されてるようだ。しかし私にとっては昔ながらの紙媒体が好きだ。内なる幻の旅行案内書だから。蛇足ながら日本の「地球の歩き方」も廃刊になっていないが、インターネットやスマートフォンを通じて随時入手できるようになったことなどから、かなり危機的な状況にあるようだ。

book Lonely Planet Shop: Europe | Asia | America | Middle East | Africa | Oceania | Caribbean

2025年5月25日

ギルバート・ホワイト『セルボーンの博物誌』に癒される

The Natural History and Antiquities of Selborne
The Natural History and Antiquities of Selborne (First Edition 1789)
講談社学術文庫(1992年)

釣りに関しては日本でも井伏鱒二や開高健などの優れた著作があるが、野鳥に関してはこれといった書籍に出くわしたたことがない。強いてあげるなら高野伸二(1926-1984)の『野鳥を友に』(朝日文庫)くらいだろうか。ひょっとしたら見落としてる可能性もあるので少し調べようかと思っている。いわば「野鳥文学」ともいえる書籍にイギリス系アルゼンチン人ウィリアム・H・ハドスン(1841-1922)の『鳥と人間』『鳥たちをめぐる冒険』『はるかな国とおい昔』がある。同著者の『ラ・プラタの博物学者』と共に私の座右の書だが、後者は文庫本になっているので手に取ることを勧めたい。さらに古典的名著として推薦したいのがギルバート・ホワイト(1720-1793)の『セルボーンの博物誌』(山内義雄訳・講談社学術文庫)である。岩波文庫から寿岳文章訳が出ているが、旧仮名遣いのため、本書のほうが読みやすいと思われる。ギルバート・ホワイトは博物学者であるとともに、聖職者でもあった。セルボーンはイングランドのハンプシャー州の東端、ロンドンの南西約80キロメートルに位置する小さな村である。ギルバート・ホワイトは八人兄弟の長男としてこの村の中央の牧師館に生まれた。オックスフォード大学オリエル・カレッジに進学する前に、ベイジングストークで教育を受けた。祖父と叔父に倣って教会に入り、オリエルのフェローとして輝かしい経歴を築いた。1746年に副牧師に叙階され、隣接するハンプシャー州ファリンドン村の牧師であった叔父チャールズの副牧師となり、1749年に正式に叙階された。後にセルボーン教区の副牧師となり、その他にも地元のものやそれ以外のものなど、同様の役職を歴任した。若い頃から熱心な造園家だったホワイトは、次第に周囲の自然の関心を深め、伝統的なものから実験的なものまで、様々な果物や野菜を栽培した。この地域で初めてジャガイモを栽培し、この熱心で探究心に満ちた園芸への関心が、種を蒔き、収穫した作物、天候などの詳細を系統的に記録する最初の著作の執筆へと繋がる。

Gilbert White's House and Gardens
Gilbert White's House and Gardens, Hampshire, England

彼はこれを後に「ガーデンカレンダー」と名付けた。ホワイトが最もよく知られているのは、言うまでもなく後年の著作『セルボーンの博物誌』である。これはホワイト自身と、デインズ・バリントン卿(1727-1800)やトーマス・ペナント(1726-1798)など、当時の志を同じくする紳士たちとの書簡から始まり、そこで彼らは地元の動植物や野生生物に関する観察や理論を議論した。ホワイトは生きた鳥や動物をその自然の生息地で研究することを信条としていたが、これは当時としては異例な研究方法だった。というのもほとんどの博物学者は、研究室の快適な空間で死んだ標本の詳細な調査を好んだからである。ホワイトはチフチャフ、ヤナギムシクイ、アメリカムシクイを、主に鳴き声の違いに基づいて三つの別々の種として区別した最初の人物であり、また、ザトウヒネズミと夜行性コウモリを正確に記載した最初の人物でもあった。『セルボーンの博物誌』は、ホワイトの死のわずか4年前の1789年に、出版業者であった弟のベンジャミンによって出版された。それ以来絶版になることはなく、英語で最も多く出版された書籍の一つとされ、他の言語にも翻訳されている。ホワイトは現在「最初の生態学者」としての名声を得ている。ギルバート・ホワイト牧師は、英語で最も多く出版され、最も人気のある本のひとつを著したこと、自然史科学の発展に多大な影響を与えた先駆的な博物学者であること、そして庭師であることの 三つの点で有名である。ウィリアム・H・ハドスンに影響を与えたのは言うまでもないが、ジャン・アンリ・ファーブル(1823-1915)の『昆虫記』など、自然観察文学の魁(さきがけ)をなした名著である。閉塞感が漂う現代社会だが、田園生活に誘う本書に癒される。なおホワイトは1755年に叔父の所有であったセルボーンのザ・ウェイクスにある実家に戻り、最終的に1763年に家を相続し定住したが、現在は「ギルバート・ホワイトの館と庭園」として一般に公開されている。庭園の写真を見ると、その美しさにため息が出る。

garden Gilbert White's House and Gardens | Wakes, High Street, Selborne, Hampshire, England

2025年5月23日

生まれ故郷ブラジルの熱帯雨林アマゾン川流域へのセバスチャン・サルガドの視座

Waura Indians
マト・グロッソ高原シング―河上流ピウラガ湖で漁をするワウラ族の人々
Sebastião Salgado (born 1944)

100カ国以上で人々や風景を撮影してきた写真家のセバスチャン・サルガドは、世界最大の熱帯雨林の美しさへの賛歌であると同時にその保護を訴えるために、生まれ故郷のブラジルに戻ってきた。現在80歳のサルガドは、ブラジル国内外の多くの人々にとって未知の領域であるアマゾンの心と魂を捉えようと、6年間にわたってアマゾンを旅し、木、川、山、森、そして人々を彼のトレードマークであるモノクロフィルムで撮影した。サルガドは写真集 "Amazónia" の序文で「私にとって、ここは最後のフロンティアであり、地球上のどこにもない、自然の巨大な力を感じることのできる、独自の神秘的な宇宙である」「ここには無限に広がる森があり、そこには全生物の10分の1の動植物種が存在し、世界最大の単一自然の実験室となっている」と書いている。1944年、ミナス・ジェライス州の南東部に位置するアイモレスに生まれた。経済学の学位を取得した後、1969年にパリに渡る。妻のレリア・ワニックは建築学を学び、サルガドは国際コーヒー協議会に就職し、定期的にアフリカに行くようになった。

amazonia
アマゾナス州のアナビルハナス群島近くにあるアマゾン川支流リオ・ネグロの堤

レリアが持っていた古いライカを手にしたサルガドは、写真に情熱を傾けるようになる。当時すでに33歳だったが、心の赴くままに仕事を辞め、フルタイムの写真家になろうと決心したのである。サルガドの最初の著作は、アフリカの半乾燥地帯サヘル、ラテンアメリカ、そして世界の肉体労働者を扱ったものだったが、一躍有名になったのは、アマゾンを舞台にしたプロジェクトだった。悪名高いラペラダ金鉱で、何千人もの泥だらけの男たちが一粒の金を求めて、間に合わせの木の梯子で地底に降りてゆく写真である。

amazonia
伝統的な頭飾りを身につけたパラ州トワリ・イピー村のゾエ族の男たち

2013年には、最高傑作といえる写真集 "Genesis" を出版するこの作品は、8年間かけて地球上のあらゆる場所を訪れ、山、砂漠、海、動物、人々を再発見することで、現代社会の爪痕を逃れ、かつての生活を垣間見ることができるようにしたものだ。1998年、彼とレリアは、ミナス・ジェライス州のドーセ川流域にある人口2万5千人ほどの静かな村、アイモレスにある父親の農場に戻った。この地域の多くの人々と同様、彼の父親も牛を飼っていた。この地域の多くの人々と同様に、150年前にはまだ大西洋岸の緑の部分であったものが、長年の過放牧によって大きく侵食されていたのだ。熱帯雨林の先住民に捧げた "Amazônia"(アマゾン川流域)についてサルガドは「50年後にこの本が失われた世界の記録とならないように、心を込めて、エネルギーを込めて、情熱を込めて、私の願いを込めた。Amazônia は生き続けなければならない」と強調する。セバスチャン・サルガドは2025年5月23日、パリで逝去、81歳だった。

The Guardian Sebastião Salgado's stunning voyage into Amazônia by Jonathan Jones | The Guardian