2025年3月24日

ホロコースト前の東欧のユダヤ人社会を記録した写真家ローマン・ヴィスニアック

Ekder
An elder of the village, Vysni Apsa, Czechoslovakia, 1938
Roman Visniak

ローマン・ヴィスニアックはロシア生まれのアメリカ人写真家、生物学者であり、顕微鏡写真の分野の先駆者だった。彼は1930年代の中央および東ヨーロッパのユダヤ人の生活を撮影した写真で最もよく知られている。写真家としての彼の仕事は1920年代初頭から1970年代までの60年間に及び、ワイマール時代のベルリン、ドイツにおけるナチスの台頭、1940年代と50年代のアメリカのユダヤ人の生活、1947年のヨーロッパの難民キャンプ、ベルリンの戦後の廃墟の写真が含まれている。彼はまた、生前、顕微鏡写真と低速度撮影映画の分野への重要な科学的貢献でよく知られていた。生涯を通じて生物学、動物学、美術史、ユダヤ人の歴史の分野に興味を持っていた。彼が初めてイスラエルを訪れたのは1960年代である。都市、町、シェトルにおけるユダヤ人の生活、有名人のポートレート、顕微鏡生物学の画像などを撮影した写真で国際的な評価を得た。ヴィスニアックは1897年8月19日、サンクトペテルブルク近郊のパブロスクで生まれ、モスクワで育った。モスクワ市内に住むことを許されたユダヤ人はほとんどいなかったが、父ソロモンは裕福な傘製造業者であり、母マーニャは裕福なダイヤモンド商の娘であったため、家族は市内に居住し働く許可を得た。ヴィスニアックの生物学と写真に対する興味は幼い頃から始まった。7歳の誕生日に祖母からカメラと顕微鏡をプレゼントされたとき、顕微鏡にカメラを取り付け、ゴキブリの脚の筋肉を3倍に拡大した。これが彼にとって最初の写真と顕微鏡写真の最初の実験となった。

Children seeking light and air outside
Children seeking light and air outside their basement home, Warsaw, ca. 1935-38

彼はこの顕微鏡を頻繁に使用し、昆虫の死骸から動物の鱗、花粉や原生動物まで、見つけたものは何でも観察し、写真を撮った。1914年から6年間、モスクワのシャニャフスキー研究所で動物学と生物学を学んだ。そこで彼は高名な生物学者ニコライ・コルツォフ(1872-1940)とともに、水生サンショウウオの一種であるアホロートルの変態誘発の実験を行った。1918年、第三次ロシア革命が引き金となって反ユダヤ主義が高まり、ヴィスニアックの家族はベルリンに移住した。その後すぐに、ラトビア系ユダヤ人のルタ・バグと結婚した。 2人の間にはマラとウルフという子供が生まれた。アマチュア写真家として優れた才能を発揮し、科学的研究を進め、ユダヤ人カメラクラブのトゥムナを含む動物学、科学、写真のクラブや団体の会員となった。ドイツでユダヤ人迫害が激化していた頃、ヴィスニアックは東ヨーロッパに赴き、都市部や町、小さなコミュニティに住むユダヤ人の生活を撮影し、高く評価された写真を撮影した。その中には、辺鄙な山村に住むユダヤ人も含まれていた。東ヨーロッパのユダヤ人コミュニティの貧困緩和を支援するための資金調達活動の一環として、ユダヤ人共同配給委員会から委託され、ヴィスニアックはポーランド、ルーマニア、チェコスロバキア、ハンガリー、リトアニアを巡り、ユダヤ人の生活を撮影した。

Jewish youth transporting hay
Jewish youth transporting hay, Wieringermeer, Netherlands, ca. 1938

1938年後半、ユダヤ人共同配給委員会の依頼で、ドイツ国境に近いポーランドのズボンシン収容所を撮影した。ドイツに住んでいたポーランド系ユダヤ人が移送された場所である。ヴィスニアックは東ヨーロッパで何千枚もの写真を撮影し、友人のウォルター・ビーラー(1884–1963)によってキューバ経由でアメリカに密かに運ばれた。これらの写真は後にニュースクール・フォー・ソーシャルリサーチ、コロンビア大学ティーチャーズ・カレッジ、ユダヤ博物館、国際写真センター、その他いくつかの施設で個展として展示された。1940年にパリを訪れたヴィスニアックは「無国籍者」であるとしてペタン警察に逮捕され、フランスの強制移送収容所であるキャンプ・デュ・リュシャールに収容された。彼は妻が釈放を確保するまで1か月間そこに拘置された。ヴィスニアックと家族は1940年大晦日にニューヨークに到着した。彼はドイツ語、ロシア語、フランス語を話したが、英語は話せなかった。マンハッタンのアッパーウエストサイドのアパートにポートレートスタジオを設立し、フリーランスの写真家として働きながら、アメリカで写真家としての地位を確立しようと奮闘した。彼ががアルベルト・アインシュタイン(1879-1955)の有名なポートレートを撮影したのはこの時期だった。 1942年、東欧のユダヤ人に関する作品がニュースクール・フォー・ソーシャルリサーチで展示された。

Morning assembly
Morning assembly to immigrate to Palestine, Brandenburg, ca. 1938

1944年と1945年、YIVOユダヤ調査研究所で彼の作品の大規模な展示会を開催される。ヴィスニアックは東欧のユダヤ人の窮状に対する認識を高めることを望み、フランクリン・D・ルーズベルト大統領(1882-1945)に手紙を書いて自分の写真を同封し、当時のファーストレディであったエレノア・ルーズベルト(1884-1962)にも彼の展示会に来場するよう要請した。戦争が続く間、彼の作品はコロンビア大学ティーチャーズ・カレッジでも展示され、ユダヤ人や国内の報道機関で広く取り上げられた。1946年、ヴィスニアックはアメリカ市民権を得たがルタは離婚した。1947年、ヴィスニアックはドイツ、フランス、オーストリア、チェコスロバキアのユダヤ人難民と避難民キャンプを記録する任務でヨーロッパに戻った。そしてかつての故郷だったるベルリンを訪れ街の廃墟を記録した。滞在中、彼は戦前の仲間であるエディス・エルンスト(1897-1990)と再会した。二人は結婚し、その後ニューヨークに戻り、アッパー・ウエスト・サイドに落ち着いた。1947年、ヴィスニアックの写真はラファイル・アブラモヴィッチ(1880-1963)の『消えた世界』に掲載された。これはホロコースト前の東欧のユダヤ人の生活を写真で記録した最初の大規模なものの一つである。10年後、アルバート・アインシュタイン医科大学の研究員に任命され、1961年に生物教育の教授になった。

Student Nurses
First-year student nurses, including several Holocaust survivors, NYC, ca. 1949

後にプラット・インスティテュートの「シェブロン創造性教授」となり、東洋美術や貨幣学から生態学、動物学、ユダヤ史まで幅広いテーマで講義を行った。ヴィスニアックは、国立科学財団がスポンサーとなった「生きた生物学」シリーズのプロジェクト・ディレクター兼映画製作者で、細胞生物学、器官とシステム、発生学、進化、遺伝学、生態学、植物学、動物界、微生物界に焦点を当てた7本の映画で構成されていた。彼は低速度撮影法と光遮断写真法、生体のカラー顕微鏡写真の先駆者であった。主な研究分野は、海洋微生物学、繊毛虫の生理学、単細胞植物の循環システムであった。最初の生物は多細胞構造であり、さまざまな生化学的経路によってさまざまな時期と場所で出現したという仮説を立てた。1971年、タンパク質、ビタミン、ホルモンのヴィスニアックのカラー顕微鏡写真を収録した『生命のブロックの構築』が出版された。1956年にアメリカ雑誌写真家協会の記念賞を受賞し、1984年には代表作『消えた世界』で視覚芸術カタログのナショナル・ユダヤ人図書賞を受賞した。彼の写真「青春の唯一の花」は1952年の国際写真展で「最も印象的」と評価され、ニューヨーク・コロシアムから写真芸術大賞を受賞した。ロードアイランド・スクール・オブ・デザイン、コロンビア大学芸術学部、カリフォルニア大学芸術学部から名誉博士号も授与された。1990年1月22日、結腸癌で死去、92歳だった。

ICP  Roman Vishniac (1897-1990) American (born in Russia) | Biography | Archived Items

写真術における偉大なる達人たち

Flavio%2BSilva-Zacarias
Gordon Parks (1912–2006) Flavio da Silva feeding his brother Zacarias, Rio de Janeiro, Brazil, 1961

2021年の秋以来、思いつくまま世界の写真界20~21世紀の達人たちの紹介記事を拙ブログに綴ってきましたが、2025年3月24日現在のリストです。右端の()内はそれぞれ写真家の生年・没年です。左端の年月日をクリックするとそれぞれの掲載ページが開きます。

21/10/06多くの人々に感動を与えたアフリカ系アメリカ人写真家ゴードン・パークスの足跡(1912–2006)
21/10/08グループ f/64 のメンバーだった写真家イモージン・カニンガムは化学を専攻した(1883–1976)
21/10/10圧倒的な才能を持ち現代アメリカの芸術写真を牽引したポール・ストランド(1890–1976)
21/10/11何気ない虚ろなアメリカを旅したスイス生まれの写真家ロバート・フランク(1924–2019)
21/10/13作為を排した新客観主義に触発されたストリート写真の達人ロベール・ドアノー(1912–1994)
21/10/16大恐慌時に農村や小さな町の生活窮状をドキュメントした写真家ラッセル・リー(1903–1986)
21/10/17日記に最後の晩餐という言葉を残して自死した写真家ダイアン・アーバスの黙示録(1923–1971)
21/10/19フォトジャーナリズムの手法を芸術の域に高めた写真家ユージン・スミスの視線(1918–1978)
21/10/24時代の風潮に左右されず独自の芸術観を持ち続けたプラハの詩人ヨゼフ・スデック(1896-1976)
21/10/27西欧美術を米国に紹介した写真家アルフレッド・スティーグリッツの功績(1864–1946)
21/11/01美しいパリを撮影していたウジェーヌ・アジェを「発見」したベレニス・アボット(1898–1991)
21/11/08近代ストレート写真を先導した 20 世紀の写真界の巨匠エドワード・ウェストン(1886–1958)
21/11/10芸術を通じて社会や政治に影響を与えることを目指した写真家アンセル・アダムス(1902–1984)
21/11/13大恐慌を記録したウォーカー・エヴァンスの被写体はその土地固有の様式だった(1903–1975)
21/11/16写真少年ジャック=アンリ・ラルティーグは個展を開いた 69 歳まで無名だった(1894–1986)
21/11/20ハンガリー出身の世界で最も偉大な戦争写真家ロバート・キャパの短い人生(1913–1954)
21/11/25児童労働の惨状を訴えるため現実を正確に捉えた写真家ルイス・ハインの偉業(1874–1940)
21/12/01マグナム・フォトを設立した写真家アンリ・カルティエ=ブレッソンの決定的瞬間(1908–2004)
21/12/06犬を人間のいくつかの性質を持っているとして愛撮したエリオット・アーウィット(1928-2023)
21/12/08リチャード・アヴェドンの洗練され権威ある感覚をもたらしたポートレート写真(1923–2004)
21/12/12デザインと産業の統合に集中したバウハウスの写真家ラースロー・モホリ=ナジ(1923–1928)
21/12/17ダダイズムとシュルレアリスムに跨る写真を制作したマン・レイは革新者だった(1890–1976)
21/12/29フォトジャーナリズムに傾倒したアラ・ギュレルの失われたイスタンブル写真素描(1928–2018)
22/01/10ペルーのスタジオをヒントに自然光に拘ったアーヴィング・ペンの鮮明な写真(1917-2009)
22/02/25非現実的なほど歪曲し抽象的な遠近感を生み出した写真家ビル・ブラントのカメラ(1904–1983)
22/03/09男性ヌードや花を白黒で撮影した異端の写真家ロバート・メイプルソープへの賛歌(1946–1989)
22/03/18ニューヨーク近代美術館で写真展「人間家族」を企画したエドワード・スタイケン(1879–1973)
22/03/24公民権運動の影響を記録したキュメンタリー写真家ブルース・デヴッドソンの慧眼(born 1933)
22/04/21社会的弱者に寄り添いエモーショナルに撮影した写真家メアリー・エレン・マーク(1940-2015)
22/05/20早逝した写真家リンダ・マッカートニーはザ・ビートルズのポールの伴侶だった(1941–1998)
22/06/01大都市に変貌する香港を活写して重要な作品群を作り上げたファン・ホーの視線(1931–2016)
22/06/12肖像写真で社会の断面を浮き彫りにしたドキュメント写真家アウグスト・ザンダー(1876–1964)
22/08/01スペイン内戦取材で26歳という若さに散った女性戦争写真家ゲルダ・タローの生涯 (1910–1937)
22/09/16カラー写真を芸術として追及したジョエル・マイヤーウィッツの手腕(born 1938)
22/09/25死と衰退を意味する作品を手がけた女性写真家サリー・マンの感性(born 1951)
22/10/17北海道の風景に恋したイギリス人写真家マイケル・ケンナのモノクロ写真(born 1951)
22/11/06アメリカ先住民を「失われる前に」記録したエドワード・カーティス(1868–1952)
22/11/16大恐慌の写真 9,000 点以上を制作したマリオン・ポスト・ウォルコット(1910–1990)
22/11/18人間の精神の深さを写真に写しとったアルゼンチン出身のペドロ・ルイス・ラオタ (1934-1986)
22/12/10アメリカの生活と社会的問題を描写した写真家ゲイリー・ウィノグランド(1928–1984)
22/12/16没後に脚光を浴びたヴィヴィアン・マイヤーのストリート写真(1926–2009)
22/12/23写真家集団マグナムに参画した初めての女性報道写真家イヴ・アーノルド(1912-2012)
23/03/25写真家フランク・ラインハートのアメリカ先住民のドラマチックで美しい肖像写真(1861-1928)
23/04/13複雑なタブローを構築するシュールレアリスム写真家サンディ・スコグランド(born 1946)
23/04/21キャラクターから自らを切り離したシンディー・シャーマンの自画像(born 1954)
23/05/01震災前のサンフランシスコを記録した写真家アーノルド・ジェンス(1869–1942)
23/05/03メキシコにおけるフォトジャーナリズムの先駆者マヌエル・ラモス(1874-1945)
23/05/05文学と芸術に没頭し超現実主義絵画に着想を得た台湾を代表する写真家張照堂(1943-2024)
23/05/07家族の緊密なポートレイトで注目を集めた写真家エメット・ゴウィン(born 1941)
23/05/22欲望やジェンダーの境界を無視したクロード・カアンのセルフポートレイト(1894–1954)
23/05/2520世紀初頭のアメリカの都市改革に大きく貢献したジェイコブ・リース(1849-1914)
23/06/05都市の社会風景という視覚的言語を発展させた写真家リー・フリードランダー(born 1934)
23/06/13写真芸術の境界を広げた暗室の錬金術師ジェリー・ユルズマンの神技(1934–2022)
23/06/15強制的に収容所に入れられた日系アメリカ人を撮影したドロシア・ラング(1895–1965)
23/06/20劇的な国際的シンボルとなった「プラハの春」を撮影したヨゼフ・コウデルカ(born 1958)
23/06/24警察無線を傍受できる唯一のニューヨークの写真家だったウィージー(1899–1968)
23/07/03フォトジャーナリズムの父アルフレッド・アイゼンシュタットの視線(1898–1995)
23/07/06ハンガリーの芸術家たちとの交流が反映されたアンドレ・ケルテスの作品(1894-1985)
23/07/08家族が所有する島で野鳥の写真を撮り始めたエリオット・ポーター(1901–1990)
23/07/08戦争と苦しみを衝撃的な力でとらえた報道写真家ドン・マッカラン(born 1935)
23/07/17夜のパリに漂うムードに魅了されていたハンガリー出身の写真家ブラッサイ(1899–1984)
23/07/2020世紀の著名人を撮影した肖像写真家の巨星ユーサフ・カーシュ(1908–2002)
23/07/22メキシコの革命運動に身を捧げた写真家ティナ・モドッティのマルチな才能(1896–1942)
23/07/24ロングアイランド出身のマルクス主義者を自称する写真家ラリー・フィンク(born 1941)
23/08/01アフリカ系アメリカ人の芸術的な肖像写真を制作したコンスエロ・カナガ(1894–1978)
23/08/04ヒトラーの地下壕の写真を世界に初めて公開したウィリアム・ヴァンディバート(1912-1990)
23/08/06タイプライターとカメラを同じように扱った写真家カール・マイダンス(1907–2004)
23/08/08ファッションモデルから戦場フォトャーナリストに転じたリー・ミラーの生涯(1907-1977)
23/08/14ニコンのレンズを世界に知らしめたデイヴィッド・ダグラス・ダンカンの功績(1907-2007)
23/08/18超現実的なインスタレーションアートを創り上げたサンディ・スコグランド(born 1946)
23/08/20シカゴの街角やアメリカ史における重要な瞬間を再現した写真家アート・シェイ(1922–2018)
23/08/22大恐慌時代の FSA プロジェクト 最初の写真家アーサー・ロススタイン(1915-1986)
23/08/25カメラの焦点を自分たちの生活に向けるべきと主張したハリー・キャラハン(1912-1999)
23/09/08イギリスにおけるフォトジャーナリズムの先駆者クルト・ハットン(1893–1960)
23/10/06ロシアにおけるデザインと構成主義創設者だったアレクサンドル・ロトチェンコ(1891–1956)
23/10/18物事の本質に近づくための絶え間ない努力を続けた写真家ウィン・バロック(1902–1975)
23/10/27先見かつ斬新な作品により写真史に大きな影響を与えたウィリアム・クライン(1926–2022)
23/11/09アパートの窓から四季の移り変わりの美しさなどを撮影したルース・オーキン(1921-1985)
23/11/15死や死体の陰翳が纏わりついた写真家ジョエル=ピーター・ウィトキンの作品(born 1939)
23/12/01近代化により消滅する前のパリの建築物や街並みを記録したウジェーヌ・アジェ(1857-1927)
23/12/15同時代で最も有名で最も知られていないストリート写真家のヘレン・レヴィット(1913–2009)
23/12/20哲学者であることも写真家であることも認めなかったジャン・ボードリヤール(1929-2007)
24/01/08音楽や映画など多岐にわたる分野で能力を発揮した写真家ジャック・デラーノ(1914–1997)
24/02/25シチリア出身のイタリア人マグナム写真家フェルディナンド・スキアンナの視座(born 1943)
24/03/21パリで花開いたロシア人ファッション写真家ジョージ・ホイニンゲン=ヒューン(1900–1968)
24/04/04報道写真家として自活することに成功した最初の女性の一人エスター・バブリー(1921-1998)
24/04/20長時間露光により時間の多層性を浮かび上がらせたアレクセイ・ティタレンコ(born 1962)
24/04/2820世紀後半のイタリアで最も重要な写真家ジャンニ・ベレンゴ・ガルディン(born 1930)
24/04/30トルコの古い伝統の記憶を守り続ける女性写真家 F・ディレク・ウヤル(born 1976)
24/05/01ファッション写真に大きな影響を与えたデヴィッド・ザイドナーの短い生涯(1957-1999)
24/05/08社会の鼓動を捉えたいという思いで写真家になったリチャード・サンドラー(born 1946)
24/05/10直接的で妥協がないストリート写真の巨匠レオン・レヴィンシュタイン(1910–1988)
24/05/12自らの作品を視覚的な物語と定義している写真家スティーヴ・マッカリー(born 1950)
24/05/14多様な芸術の影響を受け写真家の視点を形作ったアンドレアス・ファイニンガー(1906-1999)
24/05/16芸術的表現により繊細な目を持つ女性写真家となったマルティーヌ・フランク(1938-2012)
24/05/18ドキュメンタリー写真をモノクロからカラーに舵を切ったマーティン・パー(born 1952)
24/05/21先駆的なグラフ誌『ピクチャー・ポスト』を主導した写真家バート・ハーディ(1913-1995)
24/05/24グラフ誌『ライフ』に30年間投稿し続けたロシア生まれの写真家リナ・リーン(1914-1995)
24/05/27旅する写真家として20世紀後半の歴史に残る象徴的な作品を制作したルネ・ブリ(1933-2014)
24/05/29高速ストロボスコープ写真を開発したハロルド・ユージン・エジャートン(1903-1990)
24/06/03一般市民とそのささやかな瞬間を撮影したオランダの写真家ヘンク・ヨンケル(1912-2002)
24/06/10ラージフォーマット写真のデジタル処理で成功したアンドレアス・グルスキー(born 1955)
24/06/26レンズを通して親密な講釈と被写体の声を伝えてきた韓国出身のユンギ・キム(born 1962)
24/07/05演出されたものではなく現実的なファッション写真を開発したトニ・フリッセル(1907-1988)
24/07/07スウィンギング60年代のイメージ形成に貢献した写真家デイヴィッド・ベイリー(born 1938)
24/07/13著名人からから小さな町の人々まで撮影してきた写真家マイケル・オブライエン(born 1950)
24/07/14人々のドラマが宿る都市のカラー写真を制作したコンスタンティン・マノス(born 1934)
24/08/04写真家集団「マグナム・フォト」所属するただ一人の日本人メンバー久保田博二(born 1939)
24/08/08ロバート・F・ケネディの死を悼む人々を葬儀列車から捉えたポール・フスコ(1930–2020)
24/08/13クリスティーナ・ガルシア・ロデロが話したいのは時間も終わりもない出来事だ(born 1949)
24/08/30ドキュメンタリーと芸術の境界を歩んだカラー写真の先駆者エルンスト・ハース(1921–1986)
24/09/01国際的写真家集団マグナム・フォトの女性写真家スーザン・メイゼラスの視線(born 1948)
24/09/09アパルトヘイトの悪と日常的な社会への影響を記録したアーネスト・コール(1940–1990)
24/09/14宗教的または民俗的な儀式に写真撮影の情熱を注ぎ込んだラモン・マサッツ(1931-2024)
24/09/23アメリカで最も有名な無名の写真家と呼ばれたエヴリン・ホーファー(1922–2009)
24/09/25自身を「大義を求める反逆者」と表現した写真家マージョリー・コリンズ(1912-1985)
24/09/27北海道の小さな町にあった営業写真館を継がず写真芸術の道を歩んだ深瀬昌久(1934-2012)
24/10/01現代アメリカの風変わりで平凡なイメージに焦点を当てた写真家アレック・ソス(born 1969)
24/10/04微妙なテクスチャーの言語を備えた異次元の写真を追及したアーサー・トレス(born 1940)
24/10/06オーストリア系イギリス人のエディス・チューダー=ハートはソ連のスパイだった(1908-1973)
24/10/08映画の撮影監督でもあったドキュメンタリー写真家ヴォルフガング・スシツキー(1912–2016)
24/10/15芸術のレズビアン・サブカルチャーに深く関わった写真家ルース・ベルンハルト(1905–2006)
24/10/19ランド・アートを通じて作品を地球と共同制作するアンディ・ゴールドワージー (born 1956)
24/10/29公民権運動の活動に感銘し刑務所制度の悲惨を描写した写真家ダニー・ライアン (born 1942)
24/11/01人間の状態と現在の出来事を記録するストリート写真家ピータ―・ターンリー (born 1955)
24/11/04写真を通じて現代の社会的状況を改善することに専念したアーロン・シスキンド(1903-1991)
24/11/07自然と植物の成長にインスピレーションを受けた写真家カール・ブロスフェルト(1865-1932)
24/11/09ストリート写真で知られているリゼット・モデルは教える才能を持っていた(1901-1983)
24/11/11カラー写真が芸術として認知されるようになった功労者ウィリアム・エグルストン(born 1939)
24/11/13革命後のメキシコ復興の重要人物だった写真家ローラ・アルバレス・ブラボー(1903-1993)
24/11/15チリの歴史上最も重要な写真家であると考えられているセルヒオ・ララインの視座(1931-2012)
24/11/19イギリスのアンリ・カルティエ=ブレッソンと評されたジェーン・ボウン(1925-2014)
24/11/25カラー写真の先駆者ソール・ライターは戦後写真界の傑出した人物のひとりだった(1923–2013)
24/11/25サム・フォークがニューヨーク・タイムズに寄せた写真は鮮烈な感覚をもたらした(1901-1991)
24/11/29ゲイ解放運動の活動家だったトランスジェンダーの写真家ピーター・ヒュージャー(1934–1987)
24/12/01複数の芸術的才能に恵まれていた華麗なるファッション写真家セシル・ビートン(1904–1980)
24/12/05ライフ誌と空軍で活躍した女性初の戦場写真家マーガレット・バーク=ホワイト(1904–1971)
24/12/07愛と美を鮮明に捉えたロマン派写真家エドゥアール・ブーバの平和への眼差し(1923–1999)
24/12/10保守的な政治体制と対立しながら自由のために写真を手段にしたエヴァ・ペスニョ(1910–2003)
24/12/15自然環境における人間の姿を研究することに関心を寄せた写真家マイケル・ぺト(1908-1970)
24/12/20ベトナム戦争中にナパーム弾攻撃から逃げる子供たちを撮影したニック・ウット(born 1951)
24/12/23生まれ故郷ブラジルの熱帯雨林アマゾン川流域へのセバスチャン・サルガドの視座(born 1944)
25/01/06記録映画の先駆者であり前衛映画製作者でもあった写真家ラルフ・スタイナー(1899–1986)
25/01/10アメリカ西部を占める文化の多様性を反映した写真家ローラ・ウィルソンの足跡(born 1939)
25/01/15フランスの人文主義写真運動で活躍したスイス系フランス人ザビーネ・ヴァイス(1924–2021)
25/02/03サルバドール・ダリとの共作でシュールな写真を創出したフィリップ・ハルスマン(1906–1979)
25/02/06ベトナム戦争に対する懸念を形にした写真家フィリップ・ジョーンズ・グリフィス(1936-2008)
25/02/18芸術に複数の糸を持っていたシュルレアリスムの写真家エミール・サヴィトリー(1903-1967)
25/03/19シュルレアリスムの先駆的な写真家でピカソのモデルで恋人だったドラ・マール(1907-1997)
25/03/24ホロコースト前の東欧のユダヤ人社会を記録した写真家ローマン・ヴィスニアック(1897-1990)

子供の頃「明治は遠くなりにけり」という言葉を耳にした記憶がありますが、今まさに「20世紀は遠くなりにけり」の感があります。掲載した作品の大半がモノクロ写真で、カラー写真がわずかのなのは偶然ではないような気がします。20世紀のアートの世界ではモノクロ写真が主流だったからです。しかしデジタルカメラが主流になった21世紀、カラー写真の台頭に目覚ましいものがあります。ジョエル・マイヤーウィッツとサンディ・スコグランド、ジャン・ボードリヤール、 F・ディレク・ウヤル、マーティン・パー、コンスタンティン・マノス、久保田博二、ポール・フスコ、エルンスト・ハース、エヴリン・ホーファー、アレック・ソス、アンディ・ゴールドワージー、ウィリアム・エグルストン、ソール・ライタ、などのカラー作品を取り上げました。

aperture_bk  Famous Photographers: Great photographs can elicit thoughts, feelings, and emotions.

2025年3月22日

イーロン・マスクに反発する電気自動車テスラ不買運動が拡大

Boycott Tesla
不買運動によって下降したテスラの株価

ソーシャルメディア上で #TeslaTakedown(テスラを叩きつぶせ)というハッシュタグで、ブランド化された電気自動車テスラに対する抗議活動が拡大している。もちろん、抗議行動は、連邦政府を引き裂き、混乱と破壊を残している。基本的には影の大統領ではない自分自身を、第二次ドナルド・トランプ政権にインストールすることに成功したイーロン・マスクへの反応である。多くの人々がこの状況に深く不満を持っている。そして、マスクは選挙で選ばれた政治家ではなく、ある意味では自動車のセールスマンであるため、不満や怒りを抱えた多くの人々は、彼の権力と富の最も目に見えてアクセスしやすい象徴、つまりテスラそのものに狙いを定めているのである。現在、テスラのショールームや急速充電ステーションでは毎週末、抗議活動が行われており、その規模は大きくなるばかりで、警察の存在や政府からの起訴の脅威を引きつけている。ドナルド・トランプ大統領とパム・ボンディ司法長官は、テスラの車両や所有物を狙った暴力行為は、国内テロとして起訴されると述べている。実際には特定の連邦国内テロ法はないが、ご存知の通り、まさにトランプ流である。

protest demonstration
カリフォルニア州パサデナのテスラ販売店の前でイーロン・マスクに対する抗議デモ

いずれにせよこれらの抗議行動は確かに機能しているように見える。テスラの株価は下落し、新車の登録台数は減少し、単に所有するだけでも多くの人々にとって不快なほど政治的なものになっている。また、某人気インフルエンサーは、サイバートラックのような車両は単にあまり良くないと指摘し、テスラの出荷日を逃したことや、自動運転技術の能力に関する大々的な主張があまり持ちこたえられないことを指摘している。そして誇大広告が十分に薄れれば、テスラ自体を破壊する可能性がある。 結局のところ、その高騰する株価は完全に誇大広告に基づいているのであるから。多くのことが起こっていて、話は急速に変化している。しかし、その全体像、つまりテスラの「神話」と呼ぶものと現実との間の断絶、そしてその現実が今、世界的な抗議運動にどのように現れているかは、テスラの次の章の決定的な物語となりつつある。しかし万が一倒産に追い込まれても億万長者のイーロン・マスクはビクともしないと思われる。抗議デモの主催者が3月29日に全277箇所のテスラのショールームと、同社が構築し運営する電気自動車の急速充電ステーションで500回のデモを行うよう呼びかけているという。下記リンク先は Vox Media が運営するアメリカ合衆国の技術系ニュースサイト及びメディアネットワークのザ・ヴァージ(The Verge)による詳細な記事である。

tesla  Calling demonstrations at the Tesla showrooms and Supercharger stations on March 29th

2025年3月20日

ソーシャルメディアの弊害(19)統一教会に SNS 活用を呼びかけた立花孝志

cult-group
日常生活に忍び寄る反社会的カルト集団

弁護士ドットコムによると、石渡智大(選挙ウォッチャーちだい)が立花孝志の NHK から国民を守る党(以下N国党)を「反社会的カルト集団」などと表現したことに対して同党が名誉を毀損されたとして損害賠償を求めた裁判の控訴審で、東京高裁は3月18日、N国党の控訴を棄却した。石渡智大は「政治が過激な思想をしてるのは非常に危険。火事と同じで、小さなうちに火元を断たないと大きな火事になってしまう」と述べたという。判決文によると石渡智大は2024年6月、東京都知事選でN国党が24人の候補者を擁立したことに関連して、ソーシャルメディア X や動画配信サイト YouTube で「尊師っていうのも、教団幹部とか言ってるけど、出家信者とか言ってるけど、だってこいつらもう、物の善悪の判断がつかないんだよ。サリンをまかないオウムと一緒なんだから、ほとんど。内容としては、サリンをまくほどの知識とか知能はないから、だからサリンをまかないオウムみたいなもん。危ない奴らの集団であることは間違いないですね、N国党って」と発信した。これに対してN国党は、これらの発言や投稿が「社会的評価を低下させる」などとして160万円の損賠賠償を求めて提訴した。阿部雅彦裁判長は判決で、同党の立花孝志党首が「犯罪行為や不法行為を繰り返してきたのみならず、自らに批判的な言論活動を行う第三者への迷惑行為を支持者に促し、テロや民族虐殺をも辞さないかのような発言をしていた」と指摘。石渡智大の投稿や発言は公益を図る目的で「前提事実の重要部分は真実と認められる」とした。

世界日報
世界日報のシンポジウムにゲストとして出席した立花孝志(右)2025年3月8日

その上で、表現は「論評の域を逸脱していない」とし、違法性はないと結論付けた。判決に対し石渡智大の代理人である石森雄一郎弁護士は「我々も生張していない定義を、裁判所がそこに設定した。かなりどきつい定義ですから、裁判所の怒りを感じる本当にみんなでどうしていくかということを真剣に考えないと、かなり短期間で民主主義の基盤は壊れてしまう」としている。カルト集団といえばオウム真理教ばかりでなく、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)を想起する。同家庭連合が創立に関わった3月10日付け『世界日報』によると、信者を中心とする「信教の自由と人権を守る千葉県民の会」が2025年3月8日、千葉市でシンポジウムを開いた。ゲストとして登壇したN国党の立花孝志は「SNS や YouTube を活用して(教団に関する)真実を発信すべきだ」と呼び掛けた。立花は「意見を聞いてもらえない人に、話を聞いてもらえるようにしないといけない」と強調した上で、家庭連合には拉致監禁による強制棄教の被害など「これを訴えれば味方が増えるという武器は既に持っている。それをどう活用するか、戦略的に動いてほしい」と指摘。これまではテレビや新聞に取り上げてもらうしか手段はなかったが「今はネットがある。動画を作ってお金を出せば広告も出せる。そういうところから始めていくべきだ」と訴えた。そして「テレビ局からすれば YouTube は黒船のような存在」として、既存メディアは新しいメディアの台頭に警戒していると説明したという。

court_bk東京高裁「NHKから国民を守る党は反社会的カルト集団」は名誉毀損にあたらず | 弁護士ドットコム