2024年5月8日

社会の鼓動を捉えたいという思いで写真家になったリチャード・サンドラー

Two Faces
Two Faces, 5th Ave, NYC, 1989
Richard Sandler

リチャード・サンドラーは、都会の日常生活をモノクロームで描いた作品が高い評価を受けている。1946年、ニューヨークのクイーンズ区フォレストヒルズ地区で生まれた。1977年から2001年まで、サンドラーは定期的にニューヨークとボストンのストリートを歩き、ストリートが提供するあらゆるものを写真に収めてきた。初期のキャリアは、やや折衷的なものだったようだ。1968年にボストンに移り、鍼灸師として働きながらマクロビオティックを学び「極めて健康的で、生命力にあふれ、季節感のある、伝統的な日本スタイルのレストラン料理」を作ることを習得した。1955年、母親とニューヨークの近代美術館を訪れた際、クロード・モネの『睡蓮』を見て「ジャックナイフで目を大きく見開いた」と彼は言ったという。1960年、フレンチレストランで偉大なるサルバドール・ダリとの思いがけない出会いによって、彼はシュルレアリスムに興味を持ち始めた。しかし1977年に友人であるメアリー・マクレランドからカメラを贈られ、当時住んでいた家(メアリーは有名な心理学者のデヴィッドと同居していた)で彼の写真の旅が始まった。メアリーはまた、サンドラーに地下の暗室で写真をプリントする方法を教えた。ストリートで「社会の鼓動」を捉えたいという熱い思いに駆られる。

CC Train
CC Train, NYC, 1982

そして 著名なストリート写真家ゲイリー・ウィノグランドのワークショップを4日間受講した。リチャード・サンドラーはこのワークショップで写真撮影に必要なすべてを学んだと語っている。ボストンの街頭で情熱的かつ多作な写真を撮り始めた、フォトジャーナリストとして仕事を見つけ、本格的に写真家としてのキャリアをスタートさせた。その後数十年にわたり、サンドラーはライカを片手にニューヨークの街を駆け巡り、最も有名な先人たちのような鋭い洞察力、技術、ヒューマニズムをもって、彼の仲間である人々を撮影してきた。

Greenwich Village
Greenwich Village, NYC, 1984

詩的であると同時に率直な彼のモノクロームの写真は、1980年代の都市の衰退、その後の数十年間における高級化と階級格差の拡大など、刻々と変化するニューヨークの姿をニュアンス豊かに描き出している。サンドラーは1992年までに、彼自身の言葉を借りれば「最高のスチル写真を撮った」と自覚し、友人の影響もあって8ミリビデオの実験を始めた。1999年、彼は最初の映画『タイムズ・スクエアの神々』の脚本と監督を手がけ、その後十年間に数多くの作品を作ることになる。

Hand on Subway Car Window
Hand on Subway Car Window, NYC, 1984

この間、彼は写真を撮り続けたが、以前ほどの情熱と多作はなく、2001年9月11日アメリカ同時多発テロ事件の後は「スチル写真を後回しにする」ことを決め「音と動きがあの恐ろしい時代を理解する唯一の方法」だと主張した。ニューヨーク州の田舎町、ハドソン渓谷に移り住み、現在は都会には住んでいない。現在、彼は主にモノクロの静止画フィルム、スーパー8、16ミリと35ミリの映画フィルム(カラーとモノクロの両方)で風景を撮影している。しかし彼が写真の旅に出るきっかけとなった深い情熱は、いまだに続いている。

Grand Central Terminal
Grand Central Terminal, NYC, 1990

稀にこの街に戻ったとき、彼は今でも「ストリートでワイルドに撮影」し、数十年前と同じ芸術性で街の魂を捉えている。写真集 『都市の眼』(2016年)には、1977年から2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件の数週間前までの、ニューヨークとボストンで撮影された写真が収められている。2023年2月11日から3月26日まで、ニューヨークのブロンクス・ドキュメンタリー・センターで回顧展を開催した。

The Guardian  Richard Sandler (born 1946) | Street photography "The Eyes of the City" | The Guardian

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