2025年6月25日

ドナルド・トランプ大統領が頻繁に利用するソーシャルメディアを分析する

/DonaldTrumpTruthSocial

ドナルド・トランプ大統領のソーシャルメディアにおける存在感は、直接的で、しばしばフィルターを通さず、時には物議を醸すようなコミュニケーションが特徴である。彼は政治、政策、メディアなど様々なトピックについて自身の見解を表明するために、ソーシャルメディア、特にトゥルースソーシャルを頻繁に利用している。彼の投稿には、メディアへの攻撃、偏見への非難、侮辱がしばしば含まれていた。また、支持を集め、自身のアジェンダを宣伝し、批判に応えるためにもソーシャルメディアを利用した。ドナルド・トランプのソーシャルメディア利用の主な特徴は、直接的でフィルターを通さないコミュニケーションであることだ。ウィキペディアによると、トランプはしばしば伝統的なメディア・チャンネルを迂回し、聴衆と直接コミュニケーションをとっていた。彼は定期的にアメリカのメディアを批判し、偏向と腐敗のレッテルを貼った。強い言葉と侮辱の使用により、トランプの投稿には個人や組織を侮辱する内容が頻繁に含まれていた。そして自身の政策を宣伝し、政治キャンペーンへの支持を集めるためにソーシャルメディアを利用した。ランプはしばしばソーシャルメディアを使って、批判に対する弁明や論争への対応を行った。2021年1月6日のアメリカ合衆国議会議事堂襲撃事件では、彼のソーシャルメディア活動が一役買った。ウィキペディアによると、ホワイトハウスは彼のツイートを公式声明とみなすべきだと宣言したのである。ニューヨーク州立大学バッファロー校のコミュニケーション研究者による新しい論文によると、トゥルースソーシャルは、2022年の中間選挙期間中にドナルド・トランプへのニュースの注目を高めるのに、ツイッター(オーナーのイーロン・マスクは X と改名した)が2016年の予備選挙期間中に実施したよりも効果的だった。この傾向は主に左派と右派の党派メディアによって推進された。しかしその成功には限界があった。ジャーナリストたちは、当時、そして各プラットフォームを通じて、トランプ氏のソーシャルメディアの使用について違った形で報道しており、2016年のツイートの場合と比べて、彼のトゥルースソーシャルの投稿を記事に直接組み込む頻度ははるかに少なかった。学術雑誌 Journal of Information Technology & Politics(情報技術と政治ジャーナル)に掲載された調査結果は、急速に進化するデジタルメディア環境において、政治的手段としてのソーシャルメディアの影響、ジャーナリズムの慣行の変化、政治的過激派に人気のオルタナティブテクノロジー系ソーシャルメディアプラットフォームの役割についての知識を深めるものである。「私たちの研究は、トランプ大統領がソーシャルメディアを通じて注目を集める能力は、特定のプラットフォームによるものではなく、ソーシャルメディアのユーザーを惹きつける能力によるものだということを明らかにしました」と、文学部コミュニケーション学科助教授で論文の筆頭著者であるイニ・チャン(張旖妮)は述べているという。

TruthSocial
海外で平和が実現した今、国内で「この上なく素晴らしい法案」を可決して、一刻も早く私の机に届けることでこの仕事を終わらせなければなりません。建国250周年の祝賀行事が始まる中、これはアメリカ合衆国の偉大な人々への歴史的な贈り物となるでしょう。私たちはついに黄金時代を迎え、すべての国民にかつてない安全、安心、そして繁栄をもたらすでしょう。上院議員の皆さんはどうしてもというなら部屋に閉じこもり、家に帰らず、今週中にこの合意を成立させてください。下院と協力して、彼らがこの合意を直ちに採択し、可決できるようにしてください。これが完了するまで、誰も休暇を取ることはできません。私たちの協力のおかげで、すべての人、特にアメリカ国民は、より豊かな生活を送ることができるでしょう。アメリカを再び偉大にしよう!

現職大統領に一般的に与えられる大量の報道を避けるため、2020年の選挙データを導入するのではなく、2016年(トランプが候補者だったとき)と2022年(同氏は大統領職を退いたが、まだ政治活動をしていたとき)の比較期間を使用したと述べている。「この話には二つの側面がある。トランプ氏にとってのニュースの牽引役としてのトゥルースソーシャルの有効性と、ツイッターほど効果的ではない点だ」と彼女は言う。チャン助教授は、トランプが2021年にツイッターから削除され(アカウントは復活したが、まだ使われていない)、その後2022年にトゥルースソーシャルを立ち上げたことで、オルタナティブ・テック・プラットフォームを通じて注目を集めることに疑問が生じたと述べている。しかし、なぜ効能に違いが出るのだろうか? チャンによると、まず第一に、トゥルースソーシャルの活動は X で見られる活動のほんの一部に過ぎないという。今日でもニッチなプラットフォームのままだが、2022年にはその存在を知っているアメリカ人はわずか4分の1程度だった。「規模は小さいにもかかわらず、あらゆる分野の報道機関が依然としてこのニュースを追っています」とチャンは言う。「トランプのソーシャルメディアでの活動と、その活動に対するメディア全体の注目度との間に、トゥルースソーシャルと X の両方でプラスの相関関係が見られるという事実は、トランプがアメリカ政治において依然として重要な地位を占めていることを物語っています」と言うのだ。「この論文は、『オルタナテック』というレッテルよりも、ジャーナリストがトランプ氏の発言の『ニュース価値』と見なしたもののほうが重要だったことを示唆している」と彼女は言う。しかしチャンによると「これは他の人にも一般化できる発見ではなく、トランプにとっての限界となる可能性があるという。「トランプ氏は自身の政治的・経済的影響力を駆使し、変化するメディア環境に適応してきました」「他の候補者にも同じ結果を期待するのは非現実的ですが、トランプ氏の行動は他の候補者にとって手本となるかもしれません」と彼女は言う。オルタナティブテックの潜在的効果が限られているのは、編集上の優先順位の変化とも関係があるかもしれない。余談ながらトランプは「T1」と称する黄金色のスマートフォンを使っているようだが、その製造元など詳細は不明である。小さな画面で、内容はともかく、ミススペルがない文章を書いているのには感心せざるを得ない。

wikipedhia From Wikipedia, the free encyclopedia. Read artcle Social media use by Donald Trump

2025年6月24日

花街という俗世界と共存する仏教寺院の半夏生

半夏生
半夏生(はんげしょう)建仁寺塔頭両足院(京都市東山区大和大路四条下る)

梅雨の晴れ間、京都市東山区の建仁寺塔頭両足院「初夏の半夏生庭園特別公開」に出かけた。建仁寺は京都市東山区の花街、祇園甲部の南側にあるが、花見小路を抜けながら、今はなきお茶屋「石幸(いしゆき)」の片隅でお座敷遊びの真似ごとをしたことを思い出した。花街と仏教寺院は同じ「白足袋」の仲間、縁が深いように見える。舞妓時代から知っていた芸妓が引退、祇園切り通しに料理店を開いたので、通うようになったことがつい昨日のように思い出される。その店で建仁寺の高僧と懇意になり「坐禅をしてみたい」と懇願したところ「やめておきなはれ」と諭された。坐禅の案内を見ることがあるが、それは真の修業とは言い難いものが多く、安易に禅寺に飛びこむと「怪我をし兼ねない」というのだ。僧侶のお座敷遊びは「解脱」ゆえのものかと感心したものである。千葉市若葉区の曹洞宗眞聚山正因寺のウェブサイトの解説「禅宗における坐禅とは?坐禅の本当の意味や瞑想との違いを徹底解説」によると、坐禅の「坐」という言葉には「すわる」という意味がある。坐禅における「すわる」とは、一切の邪念から離れて、普遍的なものは存在しないという無我の状態で精神統一をすることだという。そのため、坐禅をするときには、動かないように安定させることが求められという。

zen

坐禅に似た動作として「瞑想」がある。坐禅と瞑想には似ている部分もあるが、大きく異なるのは目的だという。瞑想とは、目を閉じた状態で姿勢を正して、心を何かに集中させることを意味している。瞑想を行うことで集中力を高めたり、睡眠の質を上げたりすることが可能である。また、ストレスを軽減させて、精神を安定させるという効果も期待できるという。それでは祇園切り通しの料理店で老師が語っていた「坐禅による心の怪我」とはいったい何だろう。坐禅は心の安定や集中力向上に役立つとされているが、やり方を間違えると、心の怪我につながる可能性もある。特に、精神的に不安定な状態での坐禅は、自己の内面と向き合うことで、過去のトラウマや抑圧された感情が表面化し、かえって精神的な負担になることがある。どうやら精神的に不安定な時の坐禅は危険ということらしいのである。ところで両足院は半夏生(はんげしょう)の庭で知られる。この花の葉が半分白くなって、化粧しているようになるこの季節を半夏生という。つまり半化粧が転じて半夏生になったわけである。それにしても白塗りの舞妓・芸妓の化粧は艶やかで美しいと思う。清楚で清々しい半夏生なのだが、花街という俗世界と共存しているようだ。下記リンク先は臨済宗円覚寺派大本山円覚寺掲載の「坐禅とは」です。

buddha  坐禅とは形無き自己に覚めて不死で死し不生で生れ三界を遊戯 北鎌倉・臨済宗円覚寺派大本山円覚寺

2025年6月22日

写真術における偉大なる達人たち

Herd
F. Dilek Uyar (born 1976) Dusty Journey of Sheep in Bitlis

2021年の秋以来、思いつくまま世界の写真界20~21世紀の達人たちの紹介記事を拙ブログに綴ってきましたが、2025年6月22現在のリストです。右端の()内はそれぞれ写真家の生年・没年です。左端の年月日をクリックするとそれぞれの掲載ページが開きます。

21/10/06多くの人々に感動を与えたアフリカ系アメリカ人写真家ゴードン・パークスの足跡(1912–2006)
21/10/08グループ f/64 のメンバーだった写真家イモージン・カニンガムは化学を専攻した(1883–1976)
21/10/10圧倒的な才能を持ち現代アメリカの芸術写真を牽引したポール・ストランド(1890–1976)
21/10/11何気ない虚ろなアメリカを旅したスイス生まれの写真家ロバート・フランク(1924–2019)
21/10/13作為を排した新客観主義に触発されたストリート写真の達人ロベール・ドアノー(1912–1994)
21/10/16大恐慌時に農村や小さな町の生活窮状をドキュメントした写真家ラッセル・リー(1903–1986)
21/10/17日記に最後の晩餐という言葉を残して自死した写真家ダイアン・アーバスの黙示録(1923–1971)
21/10/19フォトジャーナリズムの手法を芸術の域に高めた写真家ユージン・スミスの視線(1918–1978)
21/10/24時代の風潮に左右されず独自の芸術観を持ち続けたプラハの詩人ヨゼフ・スデック(1896-1976)
21/10/27西欧美術を米国に紹介した写真家アルフレッド・スティーグリッツの功績(1864–1946)
21/11/01美しいパリを撮影していたウジェーヌ・アジェを「発見」したベレニス・アボット(1898–1991)
21/11/08近代ストレート写真を先導した 20 世紀の写真界の巨匠エドワード・ウェストン(1886–1958)
21/11/10芸術を通じて社会や政治に影響を与えることを目指した写真家アンセル・アダムス(1902–1984)
21/11/13大恐慌を記録したウォーカー・エヴァンスの被写体はその土地固有の様式だった(1903–1975)
21/11/16写真少年ジャック=アンリ・ラルティーグは個展を開いた 69 歳まで無名だった(1894–1986)
21/11/20ハンガリー出身の世界で最も偉大な戦争写真家ロバート・キャパの短い人生(1913–1954)
21/11/25児童労働の惨状を訴えるため現実を正確に捉えた写真家ルイス・ハインの偉業(1874–1940)
21/12/01マグナム・フォトを設立した写真家アンリ・カルティエ=ブレッソンの決定的瞬間(1908–2004)
21/12/06犬を人間のいくつかの性質を持っているとして愛撮したエリオット・アーウィット(1928-2023)
21/12/08リチャード・アヴェドンの洗練され権威ある感覚をもたらしたポートレート写真(1923–2004)
21/12/12デザインと産業の統合に集中したバウハウスの写真家ラースロー・モホリ=ナジ(1923–1928)
21/12/17ダダイズムとシュルレアリスムに跨る写真を制作したマン・レイは革新者だった(1890–1976)
21/12/29フォトジャーナリズムに傾倒したアラ・ギュレルの失われたイスタンブル写真素描(1928–2018)
22/01/10ペルーのスタジオをヒントに自然光に拘ったアーヴィング・ペンの鮮明な写真(1917-2009)
22/02/25非現実的なほど歪曲し抽象的な遠近感を生み出した写真家ビル・ブラントのカメラ(1904–1983)
22/03/09男性ヌードや花を白黒で撮影した異端の写真家ロバート・メイプルソープへの賛歌(1946–1989)
22/03/18ニューヨーク近代美術館で写真展「人間家族」を企画したエドワード・スタイケン(1879–1973)
22/03/24公民権運動の影響を記録したキュメンタリー写真家ブルース・デヴッドソンの慧眼(born 1933)
22/04/21社会的弱者に寄り添いエモーショナルに撮影した写真家メアリー・エレン・マーク(1940-2015)
22/05/20早逝した写真家リンダ・マッカートニーはザ・ビートルズのポールの伴侶だった(1941–1998)
22/06/01大都市に変貌する香港を活写して重要な作品群を作り上げたファン・ホーの視線(1931–2016)
22/06/12肖像写真で社会の断面を浮き彫りにしたドキュメント写真家アウグスト・ザンダー(1876–1964)
22/08/01スペイン内戦取材で26歳という若さに散った女性戦争写真家ゲルダ・タローの生涯 (1910–1937)
22/09/16カラー写真を芸術として追及したジョエル・マイヤーウィッツの手腕(born 1938)
22/09/25死と衰退を意味する作品を手がけた女性写真家サリー・マンの感性(born 1951)
22/10/17北海道の風景に恋したイギリス人写真家マイケル・ケンナのモノクロ写真(born 1951)
22/11/06アメリカ先住民を「失われる前に」記録したエドワード・カーティス(1868–1952)
22/11/16大恐慌の写真 9,000 点以上を制作したマリオン・ポスト・ウォルコット(1910–1990)
22/11/18人間の精神の深さを写真に写しとったアルゼンチン出身のペドロ・ルイス・ラオタ (1934-1986)
22/12/10アメリカの生活と社会的問題を描写した写真家ゲイリー・ウィノグランド(1928–1984)
22/12/16没後に脚光を浴びたヴィヴィアン・マイヤーのストリート写真(1926–2009)
22/12/23写真家集団マグナムに参画した初めての女性報道写真家イヴ・アーノルド(1912-2012)
23/03/25写真家フランク・ラインハートのアメリカ先住民のドラマチックで美しい肖像写真(1861-1928)
23/04/13複雑なタブローを構築するシュールレアリスム写真家サンディ・スコグランド(born 1946)
23/04/21キャラクターから自らを切り離したシンディー・シャーマンの自画像(born 1954)
23/05/01震災前のサンフランシスコを記録した写真家アーノルド・ジェンス(1869–1942)
23/05/03メキシコにおけるフォトジャーナリズムの先駆者マヌエル・ラモス(1874-1945)
23/05/05文学と芸術に没頭し超現実主義絵画に着想を得た台湾を代表する写真家張照堂(1943-2024)
23/05/07家族の緊密なポートレイトで注目を集めた写真家エメット・ゴウィン(born 1941)
23/05/22欲望やジェンダーの境界を無視したクロード・カアンのセルフポートレイト(1894–1954)
23/05/2520世紀初頭のアメリカの都市改革に大きく貢献したジェイコブ・リース(1849-1914)
23/06/05都市の社会風景という視覚的言語を発展させた写真家リー・フリードランダー(born 1934)
23/06/13写真芸術の境界を広げた暗室の錬金術師ジェリー・ユルズマンの神技(1934–2022)
23/06/15強制的に収容所に入れられた日系アメリカ人を撮影したドロシア・ラング(1895–1965)
23/06/20劇的な国際的シンボルとなった「プラハの春」を撮影したヨゼフ・コウデルカ(born 1958)
23/06/24警察無線を傍受できる唯一のニューヨークの写真家だったウィージー(1899–1968)
23/07/03フォトジャーナリズムの父アルフレッド・アイゼンシュタットの視線(1898–1995)
23/07/06ハンガリーの芸術家たちとの交流が反映されたアンドレ・ケルテスの作品(1894-1985)
23/07/08家族が所有する島で野鳥の写真を撮り始めたエリオット・ポーター(1901–1990)
23/07/08戦争と苦しみを衝撃的な力でとらえた報道写真家ドン・マッカラン(born 1935)
23/07/17夜のパリに漂うムードに魅了されていたハンガリー出身の写真家ブラッサイ(1899–1984)
23/07/2020世紀の著名人を撮影した肖像写真家の巨星ユーサフ・カーシュ(1908–2002)
23/07/22メキシコの革命運動に身を捧げた写真家ティナ・モドッティのマルチな才能(1896–1942)
23/07/24ロングアイランド出身のマルクス主義者を自称する写真家ラリー・フィンク(born 1941)
23/08/01アフリカ系アメリカ人の芸術的な肖像写真を制作したコンスエロ・カナガ(1894–1978)
23/08/04ヒトラーの地下壕の写真を世界に初めて公開したウィリアム・ヴァンディバート(1912-1990)
23/08/06タイプライターとカメラを同じように扱った写真家カール・マイダンス(1907–2004)
23/08/08ファッションモデルから戦場フォトャーナリストに転じたリー・ミラーの生涯(1907-1977)
23/08/14ニコンのレンズを世界に知らしめたデイヴィッド・ダグラス・ダンカンの功績(1907-2007)
23/08/18超現実的なインスタレーションアートを創り上げたサンディ・スコグランド(born 1946)
23/08/20シカゴの街角やアメリカ史における重要な瞬間を再現した写真家アート・シェイ(1922–2018)
23/08/22大恐慌時代の FSA プロジェクト 最初の写真家アーサー・ロススタイン(1915-1986)
23/08/25カメラの焦点を自分たちの生活に向けるべきと主張したハリー・キャラハン(1912-1999)
23/09/08イギリスにおけるフォトジャーナリズムの先駆者クルト・ハットン(1893–1960)
23/10/06ロシアにおけるデザインと構成主義創設者だったアレクサンドル・ロトチェンコ(1891–1956)
23/10/18物事の本質に近づくための絶え間ない努力を続けた写真家ウィン・バロック(1902–1975)
23/10/27先見かつ斬新な作品により写真史に大きな影響を与えたウィリアム・クライン(1926–2022)
23/11/09アパートの窓から四季の移り変わりの美しさなどを撮影したルース・オーキン(1921-1985)
23/11/15死や死体の陰翳が纏わりついた写真家ジョエル=ピーター・ウィトキンの作品(born 1939)
23/12/01近代化により消滅する前のパリの建築物や街並みを記録したウジェーヌ・アジェ(1857-1927)
23/12/15同時代で最も有名で最も知られていないストリート写真家のヘレン・レヴィット(1913–2009)
23/12/20哲学者であることも写真家であることも認めなかったジャン・ボードリヤール(1929-2007)
24/01/08音楽や映画など多岐にわたる分野で能力を発揮した写真家ジャック・デラーノ(1914–1997)
24/02/25シチリア出身のイタリア人マグナム写真家フェルディナンド・スキアンナの視座(born 1943)
24/03/21パリで花開いたロシア人ファッション写真家ジョージ・ホイニンゲン=ヒューン(1900–1968)
24/04/04報道写真家として自活することに成功した最初の女性の一人エスター・バブリー(1921-1998)
24/04/20長時間露光により時間の多層性を浮かび上がらせたアレクセイ・ティタレンコ(born 1962)
24/04/2820世紀後半のイタリアで最も重要な写真家ジャンニ・ベレンゴ・ガルディン(born 1930)
24/04/30トルコの古い伝統の記憶を守り続ける女性写真家 F・ディレク・ウヤル(born 1976)
24/05/01ファッション写真に大きな影響を与えたデヴィッド・ザイドナーの短い生涯(1957-1999)
24/05/08社会の鼓動を捉えたいという思いで写真家になったリチャード・サンドラー(born 1946)
24/05/10直接的で妥協がないストリート写真の巨匠レオン・レヴィンシュタイン(1910–1988)
24/05/12自らの作品を視覚的な物語と定義している写真家スティーヴ・マッカリー(born 1950)
24/05/14多様な芸術の影響を受け写真家の視点を形作ったアンドレアス・ファイニンガー(1906-1999)
24/05/16芸術的表現により繊細な目を持つ女性写真家となったマルティーヌ・フランク(1938-2012)
24/05/18ドキュメンタリー写真をモノクロからカラーに舵を切ったマーティン・パー(born 1952)
24/05/21先駆的なグラフ誌『ピクチャー・ポスト』を主導した写真家バート・ハーディ(1913-1995)
24/05/24グラフ誌『ライフ』に30年間投稿し続けたロシア生まれの写真家リナ・リーン(1914-1995)
24/05/27旅する写真家として20世紀後半の歴史に残る象徴的な作品を制作したルネ・ブリ(1933-2014)
24/05/29高速ストロボスコープ写真を開発したハロルド・ユージン・エジャートン(1903-1990)
24/06/03一般市民とそのささやかな瞬間を撮影したオランダの写真家ヘンク・ヨンケル(1912-2002)
24/06/10ラージフォーマット写真のデジタル処理で成功したアンドレアス・グルスキー(born 1955)
24/06/26レンズを通して親密な講釈と被写体の声を伝えてきた韓国出身のユンギ・キム(born 1962)
24/07/05演出されたものではなく現実的なファッション写真を開発したトニ・フリッセル(1907-1988)
24/07/07スウィンギング60年代のイメージ形成に貢献した写真家デイヴィッド・ベイリー(born 1938)
24/07/13著名人からから小さな町の人々まで撮影してきた写真家マイケル・オブライエン(born 1950)
24/07/14人々のドラマが宿る都市のカラー写真を制作したコンスタンティン・マノス(born 1934)
24/08/04写真家集団「マグナム・フォト」所属するただ一人の日本人メンバー久保田博二(born 1939)
24/08/08ロバート・F・ケネディの死を悼む人々を葬儀列車から捉えたポール・フスコ(1930–2020)
24/08/13クリスティーナ・ガルシア・ロデロが話したいのは時間も終わりもない出来事だ(born 1949)
24/08/30ドキュメンタリーと芸術の境界を歩んだカラー写真の先駆者エルンスト・ハース(1921–1986)
24/09/01国際的写真家集団マグナム・フォトの女性写真家スーザン・メイゼラスの視線(born 1948)
24/09/09アパルトヘイトの悪と日常的な社会への影響を記録したアーネスト・コール(1940–1990)
24/09/14宗教的または民俗的な儀式に写真撮影の情熱を注ぎ込んだラモン・マサッツ(1931-2024)
24/09/23アメリカで最も有名な無名の写真家と呼ばれたエヴリン・ホーファー(1922–2009)
24/09/25自身を「大義を求める反逆者」と表現した写真家マージョリー・コリンズ(1912-1985)
24/09/27北海道の小さな町にあった営業写真館を継がず写真芸術の道を歩んだ深瀬昌久(1934-2012)
24/10/01現代アメリカの風変わりで平凡なイメージに焦点を当てた写真家アレック・ソス(born 1969)
24/10/04微妙なテクスチャーの言語を備えた異次元の写真を追及したアーサー・トレス(born 1940)
24/10/06オーストリア系イギリス人のエディス・チューダー=ハートはソ連のスパイだった(1908-1973)
24/10/08映画の撮影監督でもあったドキュメンタリー写真家ヴォルフガング・スシツキー(1912–2016)
24/10/15芸術のレズビアン・サブカルチャーに深く関わった写真家ルース・ベルンハルト(1905–2006)
24/10/19ランド・アートを通じて作品を地球と共同制作するアンディ・ゴールドワージー (born 1956)
24/10/29公民権運動の活動に感銘し刑務所制度の悲惨を描写した写真家ダニー・ライアン (born 1942)
24/11/01人間の状態と現在の出来事を記録するストリート写真家ピータ―・ターンリー (born 1955)
24/11/04写真を通じて現代の社会的状況を改善することに専念したアーロン・シスキンド(1903-1991)
24/11/07自然と植物の成長にインスピレーションを受けた写真家カール・ブロスフェルト(1865-1932)
24/11/09ストリート写真で知られているリゼット・モデルは教える才能を持っていた(1901-1983)
24/11/11カラー写真が芸術として認知されるようになった功労者ウィリアム・エグルストン(born 1939)
24/11/13革命後のメキシコ復興の重要人物だった写真家ローラ・アルバレス・ブラボー(1903-1993)
24/11/15チリの歴史上最も重要な写真家であると考えられているセルヒオ・ララインの視座(1931-2012)
24/11/19イギリスのアンリ・カルティエ=ブレッソンと評されたジェーン・ボウン(1925-2014)
24/11/25カラー写真の先駆者ソール・ライターは戦後写真界の傑出した人物のひとりだった(1923–2013)
24/11/25サム・フォークがニューヨーク・タイムズに寄せた写真は鮮烈な感覚をもたらした(1901-1991)
24/11/29ゲイ解放運動の活動家だったトランスジェンダーの写真家ピーター・ヒュージャー(1934–1987)
24/12/01複数の芸術的才能に恵まれていた華麗なるファッション写真家セシル・ビートン(1904–1980)
24/12/05ライフ誌と空軍で活躍した女性初の戦場写真家マーガレット・バーク=ホワイト(1904–1971)
24/12/07愛と美を鮮明に捉えたロマン派写真家エドゥアール・ブーバの平和への眼差し(1923–1999)
24/12/10保守的な政治体制と対立しながら自由のために写真を手段にしたエヴァ・ペスニョ(1910–2003)
24/12/15自然環境における人間の姿を研究することに関心を寄せた写真家マイケル・ぺト(1908-1970)
24/12/20ベトナム戦争中にナパーム弾攻撃から逃げる子供たちを撮影したニック・ウット(born 1951)
25/01/06記録映画の先駆者であり前衛映画製作者でもあった写真家ラルフ・スタイナー(1899–1986)
25/01/10アメリカ西部を占める文化の多様性を反映した写真家ローラ・ウィルソンの足跡(born 1939)
25/01/15フランスの人文主義写真運動で活躍したスイス系フランス人ザビーネ・ヴァイス(1924–2021)
25/02/03サルバドール・ダリとの共作でシュールな写真を創出したフィリップ・ハルスマン(1906–1979)
25/02/06ベトナム戦争に対する懸念を形にした写真家フィリップ・ジョーンズ・グリフィス(1936-2008)
25/02/18芸術に複数の糸を持っていたシュルレアリスムの写真家エミール・サヴィトリー(1903-1967)
25/03/19シュルレアリスムの先駆的な写真家でピカソのモデルで恋人だったドラ・マール(1907-1997)
25/03/25ホロコースト前の東欧のユダヤ人社会を記録した写真家ローマン・ヴィスニアック(1897-1990)
25/04/01ソーシャルワーカーからライフ誌の専属写真家に転じたウォレス・カークランド(1891–1979)
25/04/04写真家ビル・エプリッジは20世紀で最も優れたフォトジャーナリストの一人だった(1938-2013)
25/04/25ロバート・キャパの弟で総合施設国際写真センターを設立したコーネル・キャパ(1918-2008)
25/05/01激動1960年代の音楽家たちをキャプチャーした写真家エリオット・ランディの慧眼(born 1942)
25/05/23生まれ故郷ブラジルの熱帯雨林アマゾン川流域へのセバスチャン・サルガドの視座(1944-2025)
25/06/22風景への畏敬の念と激動の気象現象への驚異が伝わるミッチ・ドブラウナーの写真(born 1956)

子供の頃「明治は遠くなりにけり」という言葉を耳にした記憶がありますが、今まさに「20世紀は遠くなりにけり」の感があります。掲載した作品の大半がモノクロ写真で、カラー写真がわずかのなのは偶然ではないような気がします。20世紀のアートの世界ではモノクロ写真が主流だったからです。しかしデジタルカメラが主流になった21世紀、カラー写真の台頭に目覚ましいものがあります。ジョエル・マイヤーウィッツとサンディ・スコグランド、ジャン・ボードリヤール、 F・ディレク・ウヤル、マーティン・パー、コンスタンティン・マノス、久保田博二、ポール・フスコ、エルンスト・ハース、エヴリン・ホーファー、アレック・ソス、アンディ・ゴールドワージー、ウィリアム・エグルストン、ソール・ライタ、などのカラー作品を取り上げました。

aperture_bk  Famous Photographers: Great photographs can elicit thoughts, feelings, and emotions.

風景への畏敬の念と激動の気象現象への驚異が伝わるミッチ・ドブラウナーの写真

Wind Swept Tree
Wind Swept Tree, South Coast, California, 2006

ニューヨーク州ロングアイランドで1956年に生まれたミッチ・ドブラウナーは、父親から古いアーガスレンジファインダーをもらった瞬間から写真家としてのキャリアをスタートさせた。21歳の時、仕事を辞めてアメリカ南西部を旅し、自然の風景の無限の広がりや、アンセル・アダムスやマイナー・ホワイトといったアーティストの写真にインスピレーションを得た。2009年以降、ドブラウナーはアメリカ全土の異常気象を追い続けている。

Garden Trees, San Marino California, 2006
Lightning and Homestead, Wilcox, Arizona, 2017
Moonrise Trona, Trona Pinnacles, California, 2010
Lightning/Cotton Field, Willcox, Arizona, 2021
Mitch Dobrowner

バイオグラフィー:ニューヨーク州ロングアイランド(ベスページ)で育った私は、10代後半に迷いを感じていました。将来の進路に不安を感じていた父は、遊び道具として古いアーガスのレンジファインダーをくれました。それが私にとってどれほど大切なものになるか、父は知る由もありませんでした。リサーチをしてマイナー・ホワイトやアンセル・アダムスの写真を見てから、私はすぐに写真に夢中になりました。21歳で家を出て、仕事を辞め、友人や家族と離れ、アメリカ南西部を自分の目で見るために旅に出ました。カリフォルニアで妻と出会い、3人の子供をもうけ、自分たちのデザインスタジオを設立しました。ビジネスと子育てが写真撮影よりも優先されるようになり、その間、写真を撮るのをやめていました。数年後、2005年の初め、妻、子供たち、そして友人たちに刺激を受け、私は再びカメラを手に取りました。それ以来、この素晴らしい地球に対する私の思いを形にする写真を撮り続けるという使命を、私は持ち続けています。偉大な写真家たち、特にアンセル・アダムスには、写真という仕事への献身と、10代後半の私にインスピレーションを与えてくれたことに、深く感謝しています。彼らに会ったことはありませんが、彼らのインスピレーションは、私の人生の進むべき方向を決める力となりました。私は妻のウェンディ、息子のジョシュア、犬のジェット、そしていたずら猫のジャックスと一緒に、カリフォルニア州ロサンゼルスとローンパインの自宅に住んでいます。(ミッチ・ドブラウナー)

The Guardian  Mitch Dobrowner (1956-)'s best photograph: a monster landspout in Kansas by Dave Hall

2025年6月20日

歴史を変えたアメリカ人の五つの過ち

History of America
Five Mistakes Made by Americans that Changed History | Source: BBC

歴史がどう変わっていたのか考えたことがありますか? 歴史が決して許すことのできない、アメリカ人が犯した五つの悲惨な過ちをご紹介しよう。アメリカは世界を支配する勢力としての地位を維持している。その国力は経済活動や技術開発に加え、政治体制にも世界的な影響を及ぼしている。最強国でさえも、あらゆる国は時折、判断ミスを犯す。そのミスの中には、野心に起因するものもあれば、誤算や過信に起因するものもある。歴史を通して、たった一つの過ちが状況を一変させてきた。ある決定は経済を混乱させ、ある過ちは社会紛争を引き起こし、最終的には文明全体を変容させた。また、世界の力関係の均衡を揺るがすような結果をもたらした過ちもあった。こうした過ちは発生当初には検知が困難であり、その完全な影響は時を経て初めて明らかになった。いかなる国家も、その大国に関わらず、不完全さを抱えている。過ちは歴史の一部である。歴史を学ぶことで、将来の過ちをより良く防ぐことができきる。こうした教訓は、人々が認識して初めて意味を持ちます。歴史は時を経ても繰り返されるものなのである。

1: The Trail of Tears(涙の道)
Indian Removal Act
Indian Removal Act in 1830 | Source: Wellington Daily News

1830年、アメリカ議会はインディアン移住法を可決し、アンドリュー・ジャクソン大統領(民主党、テネシー州選出)が署名した。この法律は、先住民部族を南東部の先祖伝来の地からミシシッピ川西岸のオクラホマ準州へ移住させることを目的としていた。白人入植と奴隷労働によるプランテーションの拡大のために土地を開墾することを目的としたこの政策により、チェロキー族、クリーク族、チカソー族、チョクトー族、セミノール族を含む数千人の先住民が強制移住を余儀なくされたのである。数千人のネイティブアメリカンが、後に「涙の道」として知られることになる旅で苦難を経験した。アメリカン先住民は、厳しい環境の中、数百マイルも行軍する中で、先祖代々の土地を放棄せざるを得なかった。広範囲に及ぶ疫病と飢餓により、数千人が命を落とした。ジャクソン大統領が陸軍に命じ、銃剣を突きつけて先住民を土地から追い出させた強制移住は、影響を受けたすべての人々に永続的な悪影響を及ぼした。先住民は、神聖な領土から強制的に追放されたことで、重要な文化的・精神的価値を帯びていた先祖伝来の土地とのつながりを失なう。「涙の道」はアメリカの過去において先住民が受けた残酷な虐待を象徴し続けている。

2: The Embargo Act of 1807(1807年の禁輸法)
Embargo Act of 1807
The Embargo Act of 1807 | Source: Britannica

1807年、トーマス・ジェファーソン大統領(共和党、バージニア州選出)が率いるアメリカ、イギリス、フランスの間で外交的緊張が高まりました。アメリカの国益を守り、軍事衝突を防ぐための解決策として、禁輸法が制定された。この法律は、当時ナポレオン戦争を戦っていたイギリスとフランスに圧力をかけ、アメリカからの輸出をすべて停止し、両国にアメリカの中立を認めさせることを目的としていた。禁輸措置の実施は、ジェファーソンもアメリカ合衆国政府も当初予想していなかった副作用をもたらした。1808年、ニューイングランドの商人は深刻な損失を被った。輸出額が1億800万ドルから2200万ドルへと劇的に減少したためである。農家が農産物を輸出できなくなったことで市場に余剰が生じ、価格が下落した。全国的に失業率が上昇したことで、景気後退が始まった。禁輸措置が英国やフランスの外交姿勢の修正を促さなかったため、米国の経済状況は悪化した。貿易制限は、貿易業者が規則を回避せざるを得なくなったため、大規模な密輸活動を引き起こした。この政策は国内経済への影響を無視して経済制裁を行使することの困難さを浮き彫りにした。この事件は、複雑な外交関係と、広範な経済的制約に伴う潜在的な弊害について重要な教訓を与えている。

3: The Vietnam War(ベトナム戦争)
Vietnam War
The Vietnam War | Source: New York Times

ベトナムへの外国の介入は、そのような行動がいかに複雑で予期せぬ結果をもたらすかを如実に示している。冷戦期、アメリカの指導者たちは共産主義の拡大を阻止するために南ベトナムに大規模な軍事力を派遣しましたが、その結果、両国に影響を及ぼす長期にわたる紛争が発生した。1964年のトンキン湾事件をきっかけに、議会はトンキン湾決議を可決し、リンドン・B・ジョンソン大統領(テキサス州民主党)がベトナムにおいて広範な軍事権限を行使できるようにしました。この時期、米軍は1969年に最大兵力の54万3000人に達しました。アメリカ軍は敵軍に対抗するために優れた兵器を投入したが、ベトコンと北ベトナム軍の双方が用いたゲリラ戦法を打ち破ることはできなかった。ジャングルという過酷な環境と未知の地形は軍事作戦を困難にし、戦闘期間と費用を長期化させた。アメリカ指導部が北ベトナム侵攻を拒否したことで、ベトナム軍は北ベトナムからの支援と物資を受け、戦闘を継続することができた。戦争が長期にわたるにつれ、アメリカ国民のベトナム戦争に対する感情は強固な反対へと変化した。メディアが生々しい映像を通して伝える戦争の残酷な現実は、アメリカ国民が国内で戦争を目の当たりにすることを可能にし、大規模な抗議活動を引き起こし、強力な反戦運動を形成したのである。徴兵制度は義務的であったため、低所得者層やマイノリティコミュニティに深刻な影響を与え、社会全体に緊張が高まった。歴代政権がペンタゴン・ペーパーズの公開を通じて軍事作戦に関する重要な情報を隠蔽したため、政府に対する国民の信頼は史上最低水準にまで低下した。アメリカはベトナム戦争に莫大な代償を払ったのである。1,400億ドル以上、現在の貨幣価値で約9,500億ドルを費やしたのである。この巨額の財政支出は、国内のインフレ率を高め、経済に悪影響を及ぼしました。戦後数十年にわたり、アメリカの外交政策は、ベトナム症候群がアメリカの外交関係全体に蔓延していたため、より防衛的な姿勢をとるようになった。ベトナム戦争中の国際介入は、この種の作戦から生じる深刻な複雑さと広範な結果に私たちをさらした。

Iraq War
The Iraq War | Source: Military Times

ジョージ・W・ブッシュ(共和党、テキサス州選出)政権は2003年に連合軍とともにイラク侵攻を開始した。イラクが大量破壊兵器を保有していると考えられたため、ブッシュ大統領は侵攻を命じた。その後の調査で、イラクは相当量の大量破壊兵器を保有していなかったため、この情報は虚偽であることが判明した。兵器備蓄量の誤った評価は、国際政治に大きな影響を及ぼしましたのである。独裁者サダム・フセイン政権の崩壊により、イラクには権力の空白が生じた。複数の勢力がこの空白に乗じてイラクを掌握しようとしたため、長期にわたる不安定な時代が続いた。戦争後の混乱により ISIS をはじめとする過激派組織は地域全体で新たな領土を掌握することができた。この軍事侵攻は、各国間の緊張を高めた。この介入の正当性は、情報機関が政策決定にどのような影響を与えるべきかについて議論を行った複数の同盟国から疑問視された。この経験から生まれた懐疑論により、その後のアメリカの外交政策は国際的な軍事介入に対してより慎重なものとなった。この戦争は、数百万人に及ぶ甚大な人道的被害をもたらした。多数の民間人が犠牲となり、情勢不安が大規模な人口移動を引き起こしました。イラクはインフラの崩壊と経済の停滞により深刻な社会経済的打撃を受け、数百万人の国民に悪影響を及ぼした。イラク戦争は、大量破壊兵器に関する誤った情報がいかに地域全体に広範囲にわたる悪影響を及ぼし、軍事介入に対する世界的な見方に影響を与えるかを歴史的記録を通じて証明している。

5: The 2008 Financial Crisis(2008年の金融危機)
Financial Crisis
The 2008 Financial Crisis | Source: Medium

2008年の金融危機は、現代世界に影響を与えた最悪の経済崩壊の一つとして定着した。銀行は、返済能力を証明できない人々に危険な住宅ローンを提供することで、住宅バブル危機を引き起こした。サブプライムローンは高度な金融商品にまとめられ、世界中の投資家が最終的に破綻する構造の一部として購入した。住宅ローンの債務不履行の連鎖は不動産価値の大幅な下落を引き起こし、金融機関全体に壊滅的な影響を及ぼした。危機の進展段階において、主要金融機関は破綻に近づきました。ウォール街の有力投資銀行であるリーマン・ブラザーズは、他の投資銀行と共に破産を申請し、破綻を回避するために巨額の政府支援を必要とした。大規模な株式市場の暴落は数兆ドルもの富を失わせ、世界的な景気後退につながった。事業閉鎖や差し押さえにより失業率は急上昇し、何百万人もの人々が家を失いました。危機発生の過程で、金融規制とリスク管理慣行には多くの深刻な欠陥があったことが明らかになる。アメリカ政府は、新たな壊滅的な事態の発生を防ぐため、幅広い金融改革措置を講じた。議会は、銀行監督と融資の安全性確保のため、それぞれドッド・フランク法と新たな消費者保護法を施行した。新たに導入された規制枠組みにより、銀行は財務体質の強化を迫られ、将来の破綻リスクは最小限に抑えられました。各国政府が実施した安定化策にもかかわらず、経済危機により、世界中の金融システムの運営は恒久的な変化を余儀なくされた。

hisotry

歴史を通して、人々や権力者による誤った選択は、永続的な影響を生み出してきた。国家の成長は、過ちを見抜き、その知識を発展に活かす能力にかかっていいる。歴史的出来事を無視すれば、過去の過ちに逆戻りする可能性が高まってしまう。進歩の過程は、説明責任の基準を維持することに大きく依存している。組織が失敗を制度的に認識することで、組織は業務改善の見通しを得ることができる。脆弱な規制基準と危険な融資活動は、将来の経済危機を阻止するための適切な改革が策定される前に、2008年の金融危機を通じてそのリスクを露呈したのである。組織が責任を受け入れなければ、その過ちは教訓的な出来事から永続的な問題へと変貌する。意思決定プロセスには、歴史的出来事に関する知識が指針として不可欠です。政策立案者が潜在的な悪影響を予測できなかったため、こうした善意が意図せぬ負の結果につながった例もある。歴史的学習は、公共政策や公的行為がもたらす重要な副作用を明らかにする。社会は歴史的分析を通じてより優れた意思決定能力を獲得し、過去の過ちを繰り返すのではなく、進歩を遂げることができるようになってしまう。下記リンク先はカナダを拠点とする非公開のビデオ・プロデューサー、パブリッシャー、シンジケーターである WatchMojo(ウォッチモジョ)によるリスト「歴史を永遠に変えたアメリカの10の過ち」である。今回リストアップしなかった「禁酒法」や「世界大恐慌」「広島と長崎への原爆投下」も含まれている。

Crying Liberty  10 American Mistakes That Changed History Forever | By Peter DeGiglio | WatchMojo

2025年6月18日

白内障合併症に関するオンライン情報に翻弄される

cataract
白内障(右)は眼球に入る光を散乱させ遮断するため鮮明な像が網膜に届かない(ECOTN

スマートフォンや書籍など、手元の文字が読みづらくなったので、一昨年の秋にした白内障手術の合併症かなとネットで調べてみた。一番怖そうなのが、外傷や継時的変化で「眼内レンズがズレたり落下した」など問題が起きることである。このような場合は眼内レンズを抜去したり、交換を行うことがあという。白内障手術時、眼内レンズは水晶体の嚢(袋)に挿入する。水晶体はチン小帯と呼ばれる細い多数の繊維でその周辺組織に支えられているだけなので、加齢や外傷などにより、このチン小帯が断裂することがありある。その結果、眼内レンズがズレたり目の奥に落下します。このような場合も眼内レンズの摘出や入れ替えなどを検討する必要がある。ケースにもよるが、初めての白内障手術後、眼内レンズが水晶体内に癒着していない間(およそ1ヶ月以内)であれば、眼内レンズの摘出や入れ替えといった再手術が比較的安全に行うことが可能であr。しかし、手術をしてから時間が経ってしまうと水晶体に眼内レンズがくっついてしまうため、入れ替えがかなり難しくなるという。

Old Lady Using Magnifying Glass
天眼鏡と老眼鏡は読書のお伴

さらなる問題点は保険適用外なので、高額の治療費がかかることである。ただ眼内レンズがずれると、視力低下、視界の歪み、光過敏、飛蚊症、視野欠損などの症状が現れることがある。特に、術後に急に見えにくくなった場合は、眼内レンズのずれや脱臼の可能性があるというから、私の場合はこれに該当しないようだ。もうひとつの合併症は後発白内障である。視力低下をはじめ、目のかすみやモノがぼやけて見えたり、光をまぶしく感じるなど白内障と似たような症状が出る。字面から白内障の再発をイメージしかねないが、白内障の再発ではない。治療は外来で行えるレーザー治療で短時間かつ痛みもなく終わるという。私の場合はこれじゃないかと思い、いや思い込んで京都大学附属病院で調べてもらった。まず視力検査、眼圧測定、そして角膜内皮細胞を検査するスペキュラ(角膜内皮細胞検査)をした。主治医の診察によると「問題はない」という。ネット情報に翻弄されたことを恥じたが、老眼鏡を新しく作ることを勧められた。帰路、眼鏡店によって新しい眼鏡を発注した。

hospital 白内障・緑内障・網膜剥離・糖尿病網膜症・加齢黄斑変性・病的近視・ほか | 京都大学附属病院眼科

2025年6月11日

移民捜査をめぐる全国的な緊張が高まるなか抗議活動はロサンゼルスを越えて広がる

Protest ICE LA
A fierce pushback on ICE raids in L.A. from protesters ©2025 Los Angeles Times

ロサンゼルスで数日間の騒乱が続いた後、今週は反 ICE(移民関税執行局)デモがさらに多くの都市に広がると予想されており、トランプ政権による最近の移民摘発に抗議して、全国で少なくとも30件の新たな抗議活動が計画されている。サンフランシスコ、サクラメント、ヒューストン、サンアントニオ、シカゴ、ニューヨークでも既に抗議活動が始まっており、活動家たちは週末から月曜にかけて、ロサンゼルスのデモ参加者と連帯して集会を開いた。月曜午後までに、主催者はほぼすべての主要都市でデモを予定しているという。トランプ政権の移民政策とロサンゼルスへの州兵派遣に対する反発が高まっていることを示しているが、さらに海兵隊の出動も決まってるようだ。抗議活動は先週、職場における一連の移民強制捜査に端を発し、金曜日にロサンゼルスで行われたデモ中に、カリフォルニア州 SEIU(サービス従業員国際組合)のデビッド・フエルタ会長が逮捕されたことで激化した。著名な労働運動家であり公民権運動家でもあるフエルタ会長は、ICE が連邦政府の活動への干渉と表現した行為の後、連邦当局に拘束され、入院した。フエルタ会長の逮捕は労働組合を活気づけ、SEIU の各支部はフエルタ会長を擁護し「私たちのコミュニティへの明らかな攻撃」と彼らが呼ぶ行為に抗議するため、全国規模のデモを行うことを発表した。ロサンゼルスでは、金曜日以降、抗議活動が規模を拡大し対立が激化している。

SEIU-721

数百人のデモ参加者がダウンタウンを行進し、警察と衝突した。一部の参加者は路上にバリケードを設置し、建物を破壊し、警察に物を投げつけた。警察は催涙ガスとゴム弾を使用して群衆を解散させ、カリフォルニア州ハイウェイパトロールは、交通を遮断したデモ参加者を排除するために閃光弾を使用した。抗議活動開始以来、ロサンゼルスでは少なくとも150人が逮捕されており、市当局は週を通してさらなる混乱が続く可能性があると警告した。ドナルド・トランプ大統領は、カリフォルニア州知事ギャビン・ニューサムの指示を無視して、週末に2,000人の州兵をロサンゼルスに派遣することを承認した。海兵隊の出動もあり得るようだ。 ニューサム知事はこの動きを「州の主権の侵害」と呼び、裁判で異議を申し立てる意向を示した。トランプ大統領は抗議参加者らを「反乱分子」であり「プロの扇動者」であり「刑務所に入れるべきだ」と批判した。SEIU が公開した反 ICE デモの地図によると、ニューヨーク、シカゴ、サンフランシスコ、ワシントンD.C.、フィラデルフィア、アトランタ、ボストン、デンバー、シアトル、ラスベガス、ニューオーリンズ、シャーロット、ポートランド、セントポール、サンタフェなど、多くの都市でデモが計画されている。最大のデモは依然としてロサンゼルスに集中しており、州兵が戦術装備を身に着けてダウンタウンのパトロールを続けている。下記リンク先はイギリスのインデペンデント紙の記事「ニューヨーク、オースティン、サンタアナで反 ICE 抗議活動が始まる」です。

independent Anti-ICE protests start forming in New York City, Austin and Santa Ana | Joe Sommerlad

2025年6月9日

ガザ地区に到達しようとした人道支援船マドリーン号をイスラエル軍が拿捕した

n Israeli solider passes a bun to Greta Thunberg
イスラエル軍兵士がグレタ・トゥーンベリにパンを手渡している

自由船団連合(FFC)は声明で、日曜午前3時2分(中央ヨーロッパ時間)頃(午前1時2分、グリニッジ標準時)、イスラエルはガザ地区に接近していた船舶を「強制的に拿捕」したと述べた。ガザへ向けて航海したマドリーン号のレタ・トゥーンベリなど活動家乗組員は、イスラエル国防軍に阻止された後、10月7日のハマスによる残虐行為のビデオを強制的に見せられることになるだろうとイスラエル国防相が語った。イスラエルのカッツ外相は、イスラエル軍の特殊部隊が、国際水域でマドリーン号を拿捕した後、軍が同船を「迅速かつ安全に拿捕」したと表明した。

Freedom_Flotilla
自由船団連合(FFC)の人道支援船マドリーン号の航跡

環境活動家のグレタ・トゥーンベリを含む12人のグループは、スピードボートやドローンに追跡されながら地中海で恐ろしい夜を過ごし、ついに阻止された。イスラエルは先週、象徴的な援助の意思表示で同グループのガザ地区への到着を阻止すると述べていたが、同国は乗組員をイスラエルのアシュドッド港へ移送すると発表した。カッツ外相は、そこで乗組員らはハマス主導によるイスラエル攻撃の「恐怖の映像」を観ることになるだろうと語った。 同外相は乗組員が「女性、老人、子供に対してハマスがどのような残虐行為を行ったのか、そしてイスラエルが誰に対して自国を守るために戦っているのか」を見るのは「適切」だと述べた。 タイムズ・オブ・イスラエルによると、このビデオには「攻撃中に人々が虐殺され、遺体がバラバラにされる」43分間の「無修正」映像が含まれているという。

2025-06-09_02-10-01
イスラエル軍の迎撃中にマドリーンの乗組員が手を挙げている

イスラエル外務省は、ボートの進路を変更した後、オレンジ色の救命胴衣を着た活動家らに水とパンが配られている写真を投稿した。外務省は「有名人」活動家を乗せた「セルフィーヨット」と呼ぶ船を嘲笑し、船内の支援物は「真の人道的ルート」を通じてガザに送られると述べた。カッツ外相は日曜日、イスラエルとハマスとの戦争の何年も前から実施されている封鎖は、パレスチナ過激派による武器の輸入を防ぐために必要だったと述べた。マドリーン号は、国連が「地球上で最も飢餓に苦しむ場所」と呼んでいるガザ地区の食糧不足への意識を高めることを目的として、6月1日にイタリアを出発した。21か月に及ぶ戦争を経て、国連は領土全体の住民が飢餓の危機に瀕していると警告していた。下記リンク先は自由船団連合(FFC)の公式ウェブサイトです。

FFC  We sail until Palestine is free | Official Website of the GAZA Freedom Flotilla Coalition

2025年6月8日

ドナルド・トランプ大統領がイーロン・マスクは「トランプ狂乱症候群」を患ってると発言

TDS Political Satire Long Sleeve T-Shirt | Amazon

世界で最も大きな権力を持つふたりの人物の間で前例のない公の不和が起こっている最中、ドナルド・トランプ大統領が億万長者のイーロン・マスクが「トランプ錯乱症候群」にかかっていると述べた。アメリカの CBS 放送の記事「トランプ大統領とイーロン・マスクが互いに非難し合い、国民間の確執が新たな高みに達した」によると「イーロンには非常に失望している。私はイーロンを大いに助けてきた」とトランプは記者団に語り、マスクは「懸命に働き」「良い仕事をした」と付け加えた。そして「正直に言うと、彼はあの場所を懐かしがっていると思う」と大統領は続けた。「彼は初めてではない。私の政権を去る人たちは、私たちを愛していた。そしてある時、ひどく懐かしがるようになる。そして、それを受け入れる人もいれば、実際に敵対する人もいる。それが何なのかは分からない。一種のトランプ錯乱症候群、そう呼ばれているのかもしれない」と語ったという。トランプ錯乱症候群とは、ウィキペディア英語版によると「ドナルド・トランプ大統領に対する否定的な反応を表す軽蔑語であり、非合理的であり、トランプの実際の政策立場をほとんど考慮していないと見なされる」という。

TDS

この用語は主にトランプ支持者によって、彼に対する批判を信用できないものとするために使用され、反対者は世界を正確に認識できないことを示唆することで議論を再構成する手段として使用されている。一部のジャーナリストは、トランプの発言や行動を判断する際に自制を求めるためにこの用語を使用している。この用語は、大統領を揺るぎなく支持するトランプ支持者の性格を表すためにも使用されるようになっているという。インディペンデント紙によると、この「高度に政治化された用語」は、トランプ大統領の最初の任期中の批判をリベラル派のヒステリーとして退けるために作られたもので、人々は大統領を嫌うためにすべての論理と理性を放棄していると示唆しているという。トランプ錯乱症候群を単純に解釈するのは危険だが、少なくともトランプはマスクへの批判としてこの用語を使ったようだ。「私がいなければ、トランプは選挙に負けていただろう。なんて恩知らずなんだ」とマスク。「私はイーロンを大いに助けてきた」とトランプ。ふたりの関係は木曜日、劇的に、そして公然と崩壊した。共和党の税制・予算法案に対するマスクの反対をめぐって勃発した確執に火がついた。決裂したばかりで罵りあったいるが、再びお互いに利用できると豹変すれば元の木阿弥、復縁する可能性も否定できない。下記リンク先は TIME 誌の「トランプとマスクの関係は激しい舌で崩壊した」です。

TimeMagazine  Trump's Relationship with Musk Collapses in Nasty War of Words by the reporter Nik Popli

2025年6月7日

ドナルド・トランプとイーロン・マスクの緊張が数日で悪化の一途を辿った経緯

Elon Vs Donald
Elon Vs Donald: Egos clashing louder than policies ©2025 Samuel Ojo

ふたりのアライアンスは、2024年7月にペンシルベニア州バトラーで起きたドナルド・トランプ暗殺未遂事件の後、イーロン・マスクが当時共和党大統領候補だったドナルド・トランプへの全面的な支持を表明したことから始まった。しかしかつて公然としていた友情を、激しい対立へと変貌させてしまった。大統領と億万長者の起業家の対立は今週、公衆の面前で露呈し、個人攻撃、政治的脅迫、そしてテスラに数十億ドルの経済的損失をもたらしている。「私はトランプ大統領を全面的に支持し、彼の早期回復を願っている」と、マスクは事件発生からわずか数分後に X(旧 Twitter)に投稿同はその後、特注の MAGA(アメリカ合衆国を再び偉大な国にする)帽子をかぶり、トランプの大統領選挙活動に同行した。ふたりの関係は急速に進展し、トランプ大統領の就任後、マスクは「特別政府職員」の枠内で無給の大統領顧問に任命された。マスクは今年2月「ストレート男性が男性を愛せるのと同じくらい、私はドナルド・トランプを愛している」と X に書き、共和党大統領への気持ちを告白した。トランプ政権の初期には、このテスラの最高経営責任者は新設された DOGE(政府効率化省)の最大の顔となり、積極的なコスト削減改革を推進した。5月31日、大統領執務室での最後の記者会見で、トランプ大統領はマスクを惜しみなく称賛し「世界が生んだ最も偉大なビジネスリーダーであり、イノベーターのひとり」と呼んだ。これは、関係が破綻する前に、公の場でふたりが交わした最後の友情の場面だった。マスクがホワイトハウスを去った直後から、ふたりの関係は崩れ始めた。彼は何度もトランプ政権の「ワン・ビッグ・ビューティフル・ビル (大きく美しい法案)」を批判し、連邦財政赤字の増大と DOGE の取り組みの成果を無駄にするだろうと警告した。このテクノロジー業界の億万長者はこの法案について次のように語っている。「この大規模で法外な、利益誘導のための議会支出法案は、吐き気がするほどひどいものだ」とマスクは6月3日に自身のサイト X に投稿した。6月5日、トランプ大統領が、電気自動車税額控除の廃止をめぐり、テスラの収益に打撃を与える法案を妨害しようとしているとマスクを非難したことで、両社の緊張は頂点に達した。「イーロンと私は素晴らしい関係だった。今後もそうなるかどうかは分からない」とトランプ大統領は記者団に語った。「イーロンには非常に失望している。彼はこの法案のあらゆる側面を知っていた。ほとんど誰よりもよく知っていたし、彼が去る直前まで問題を抱えたことは一度もなかった」と彼は付け加えた。

MAGA Caps
MAGA (Make America Great Again) Caps

マスクはオンラインで反撃し、トランプの事件に関する説明を否定した。6月6日には「この法案は一度も私に提示されず、真夜中に可決されたため、議会のほとんど誰も読むことさえできなかった!」と投稿した。しかし、同日遅くにマスクがトランプと悪名高い金融業者ジェフリー・エプスタインとのつながりを示唆したことで、この不和は極めて個人的な問題へと発展した。曰く「エプスタインのファイルにはトランプの名前が載っている。それが公表されていない本当の理由だ」云々。マスクはさらに、トランプがエプスタインについて語った数十年前の言葉を引用した。「彼と一緒にいるととても楽しいし、女性陣は若い方が多い」。マスクは最後に「良い一日を、トランプ・メディア&テクノロジー・グループ」と揶揄するよう締めくった。彼はさらに X ユーザーを対象に「中間層の80%」のための新しい政党を設立すべきかどうかを問う世論調査を投稿した。マスクはさらに踏み込み、トランプ大統領の弾劾を求める声を支持し、後任としてJ・D・ヴァンスを支持すると述べ、トランプ大統領による世界的な関税措置は「今年後半に景気後退を引き起こすだろう」と警告した。トランプ大統領は、マスクのオンラインでの暴言を受けて、6月6日にマスクの企業に対する政府契約と補助金を打ち切ると警告した。経済への影響は即座に現れた。ANIが引用したブルームバーグのビリオネア指数によると、テスラの株価は 14 %以上急落し、時価総額は約1,520億ドル減少し、マスクの個人資産は87億3,000万ドル減少した。トランプは自らのソーシャルメディアプラットフォーム、トゥルース・ソーシャで新たな怒りを表明し「イーロンが私に反旗を翻すのは構わないが、何ヶ月も前にそうすべきだった」とポストした。彼はこの法案を「これまで議会に提出された法案の中で最も偉大なもののひとつ」と擁護し、可決されなければ「68%の増税」につながると警告した。さらに攻撃を倍加させ「イーロンは『疲れ果てていた』ので、私は彼に辞任を求め、EV義務化を取り消した…すると彼は激怒した」と述べた。トランプ大統領がマスクのビジネス上の利益を標的にしたことを受け、ネット上での激しい攻防は続いた。「予算を節約する最も簡単な方法は…イーロン・マスクへの政府補助金と契約を打ち切ることだ」とトランプ大統領は投稿した。お互いに利用できるから相手を称賛していただけで、もともと「盟友」でもなんでもなかったのである。そして「友情」のバランスが崩れて元の木阿弥に。マスクはもう MGA 帽子をかぶらないのだろうか。下記リンク先の記事はロイター通信のディタ・ボーズとジェフ・メイソン記者による「仲間から敵へ:トランプとマスクのあり得ない関係がいかに崩壊したか」です。

Reuters  From bros to foes: how the unlikely Trump-Musk relationship imploded | Reuters News