2026年7月1日

宗教考現学(9)日本ハリストス教会の歴史

ニコライ堂復活大祭
東京復活大聖堂(ニコライ堂)の復活大祭(ウェブサイトより
ニコライ大主教

日本に正教会の教えを伝え、日本正教会(現在の日本ハリストス正教会教団)を創立したのは、ロシア出身の宣教師で、後に大主教となったニコライ・カサートキン(1836-1912)である。1853年の黒船到来を契機に、それまで鎖国政策を続けていた江戸幕府が開国に転じ、1858年にアメリカ、オランダ、ロシア、イギリス、フランスの5か国とそれぞれ修好通商条約(安政五ヶ国条約)を締結。これに基づき横浜、函館、長崎の三つの港が西洋諸国との窓口として開かれた。帝政ロシアは函館に領事館を開設。その領事館付きの司祭としてニコライが1861年に着任した。領事館の敷地に建てられたチャペルは日本で最初の正教会の聖堂であり、現在は函館ハリストス正教会として、函館で一番の観光名所となっている。最初の聖堂は1907年の函館の大火で焼けたため、1916年に現聖堂が建てられ、現在は国の重要文化財に指定されている。ニコライは日本での布教を志していたが、来日当時の我が国ではキリスト教信仰は固く禁じられていた。しかし明治新政府がキリスト教の布教を解禁したことを受け、ニコライは本部を1872年に千代田区神田駿河台へ移転、現在に至っている。

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  ニコライ堂
日本ハリストス正教会ニコライ堂(千代田区神田駿河台)

その後ニコライは神田を拠点にして日本人宣教師の人材育成と、聖書や祈祷書の日本語への翻訳に生涯取り組んだ。その結果、国内各地で布教活動が行われ、聖堂が建てられた。それらの聖堂の中心となるものは、1891年に本部の敷地に建てられた東京復活大聖堂である。これは当時の東京で最も大きな建築物の一つであり、建立者のニコライの名にちなんでニコライ堂という愛称で呼ばれた。この大聖堂は1923年の関東大震災で大きく損壊したが、1929年に再建され、現在は函館ハリストス正教会と同様、国の重要文化財に指定されている。ニコライは明治の最後の年、1912年に他界した。

京都ハリストス正教会
京都ハリストス正教会(京都市中京区)

その時点で全国の信徒数は3万3千人に達しており、二本国内の教派ではカトリック教会に次ぐ2位の教勢があった。しかし1917年のロシア革命で、日本正教会の運営資金を提供していた帝政ロシアが崩壊。その後は関東大震災による本部の壊滅的な被害、昭和の戦時体制下でのキリスト教会迫害、戦後の米ソ冷戦時代のロシア嫌いな国民感情など、様々なマイナス要因が作用して、現在の信徒数は全国で1万人ほどでに留まっている。なおウクライナ紛争を背景とする「モスクワとコンスタンティノープルの断交」が起きた2019年以降、日本正教会は新生ウクライナ正教会を承認するコンスタンチノープル総主教庁、アレクサンドリア総主教庁、ギリシャ及びキプロスの正教会[要出典]と断交状態にある。これは母教会たるロシア正教会の決定に従ったものである。下記リンク先は教会用品製造販売の A. Agritel の「日本正教会:信仰と文化交流の歴史」です。

christian  The Orthodox Church in Japan: A History of Faith and Cultural Exchange | The A. Agriteli

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