2025年9月7日

アパラチアや南東部の農村地帯の人々の肖像写真で知られているドリス・ウルマン

ChainGang
Chain gang, South Carolina, 1929-31
Doris Ullmann

ドリス・ウルマンは1882年5月29日、バーンハード・ウルマンとガートルードの娘としてニューヨークに生まれた。民族的背景や経済状況に関わらず個人の価値を擁護する、社会的にリベラルな団体であるエシカル・カルチャー・フィールズトン・スクールおよびコロンビア大学で教育を受け、心理学の教師になることを志した。教師になるための訓練を受けていた時に写真に興味を持つようになった。当時、同校ではルイス・ハインが講師を務めていた。コロンビア大学でクラレンス・H・ホワイトに師事し写真の授業を受け、1913年から1917年にかけてホワイト写真学校で学ぶ。1918年、写真家としての道を進むことを決意し、スタジオでのポートレート撮影に専念した。ピクトリアリズム(絵画主義写真)に影響を受けた彼女のポートレートは『アメリカ人編集者の肖写真肖像画ギャラリー』(1925年)などの書籍や『アメリカのピクトリアリズム』や『写真の時代』(1920年)などの雑誌に掲載された。1925年頃、アメリカ合衆国で都市化と近代化が進むにつれ、ウルマンは田舎の伝統や民間伝承の保存に関心を持つようになった。彼女はアパラチア地方南部やペンシルベニア州、バージニア州、ニューヨーク州を広く旅し、ダンカード、シェーカー、メノナイトのコミュニティを撮影した。彼女は旅のパートナーである民謡収集家ジョン・ジェイコブ・ナイルズといくつかのプロジェクトで共同作業を行った。

Church-congregation
Church congregation

ナイルズも同様のプロジェクトに取り組んでおり、アメリカのフォークソングと音楽の伝統を研究テーマにしていた。ウルマンはジュリア・ピーターキンの小説『ロール、ジョーダン、ロール』(1933年)の写真を撮影した。この小説は、サウスカロライナ州にあるピーターキンのラング・サイン・プランテーションに住むアフリカ系アメリカ人ガラ族の生活を描いている。ウルマンは亡くなるまで、南部を旅し、写真を撮り続けた。彼女が1927年から1934年にかけて撮影した、ヴァージニア州、ケンタッキー州、テネシー州、ジョージア州、サウスカロライナ州のアパラチア地方の人々を捉えた写真は、彼女の最も有名な作品である。しばしば理想化された描写ではあるものの、彼女の精巧にプリントされた写真は、当時のアフリカ系アメリカ人と南部白人の民俗生活を記録する貴重な資料となっている。彼女の写真は、こうした伝統のわずかな証拠の一つであるだけでなく、アメリカの写真肖像画におけるピクトリアリズムからストレート写真への重要な転換を象徴している。

Harvesting vegetabl
Harvesting vegetables, South Carolina

ウルマンは、20世紀初頭のアメリカ人写真家の中でも特に著名な人物ではないものの、最も興味深い人物の一人である。ニューヨーク生まれの彼女は、1915年頃から1934年に亡くなるまで、主に肖像画家として活躍した。初期の頃はマンハッタンのアパートで非公式の肖像画スタジオを経営していたが、亡くなる前の7年間は、アメリカ東部、特にアパラチア地方や南東部の農村地帯を旅し、人々を撮影することに多くの時間を費やした。ウルマンの写真家としての進化――スタイルと被写体の両面において――は、同世代の写真家の中でも特異な存在である。ウルマンはアルフレッド・スティーグリッツや他の当時勃興しつつあったアメリカのモダニズム運動に自分を同調させようとはしなかったし、学者や批評家も一般的には彼女の作品をモダニズム的だとは考えていなかった。では、なぜウルマンの作品に関してモダニズムを持ち出すのか。その答えは、アメリカにおけるモダニズムの歴史とその定義をめぐる多くの懸念を伴っている。

Two boys
Two boys lugging bale of cotton

21世紀の最初の数十年間で、学問の世界では、ヨーロッパの芸術的潮流に基づく一連の形式的な躍進によってのみ限定されるモダニズムの定義からの転換が見られた。その代わりに、歴史家や美術館は、アメリカン・シーンや地域主義的絵画、独学の芸術家の作品など、以前は定義から除外されていたジャンルを含め、モダニズムのより広範な定義を提示し始めている。写真史に関するより広範な文献で時折言及されていることを除けば、ウルマンの作品をめぐる現在の議論の多くは、伝記的なもの、あるいは一般的な性質のものだった。ピクトリアリズムとモダニズムと呼ばれるものとの間に溝が深まったにもかかわらず、20世紀初頭の数十年間には、これらのグループに属する人々の間では相当な交流があり、ウルマンもその一人であった。彼女は生涯を通じて、イモージェン・カニンガム、エドワード・スタイケン、マン・レイ、エドワード・ウェストン、チャールズ・シーラーといった、厳格なモダニストとされる多くの写真家たちと共に展示を行った。

Group
Group, 1929-31

彼女の作品は、伝統的なピクトリアリズムを構成する典型的な信条によって形作られてはいなかった。彼女の師であり著名なピクトリアリストであるクラレンス・H ・ホワイトが実践したような、雰囲気があり、演出され、タブロー・ヴィヴァン(生きたタブロー)のようなイメージを、彼女はめったに生み出さなかった。約20年間の制作期間を経て、ウルマンの作品は、ぼかしや柔らかなエッジなど、ピクトリアリズムの典型的な特徴のいくつかを示すものから、より鮮明で、シャープで、より合理的な美学へと変化していったのである。ルマンは1934年8月にノースカロライナ州アッシュビル近郊で作業中に倒れ、ニューヨークに戻る。1934年8月28日に夭折、52歳だった。下記リンク先はニューヨークの国際写真センターによるドリス・ウルマンのバイオグラフィーと作品アーカイブです。

ICP  Doris Ulmann (1884–1934) | Biography | Archives | International Center of Photography

2025年9月6日

ワクチン制限の動きをめぐる上院公聴会で超党派の反発を受けるケネディ保健福祉長官

Robert Death Kennedy
Robert Death Kennedy © 2025 Paolo Calleri

アメリカのロバート・F・ケネディ・ジュニア保健福祉長官は、新型コロナワクチンへのアクセスを限定的にすると発表し CDC(疾病対策センター)の新所長スーザン・モナレスを解雇した。同センターの高官の大量退職につながるなど、非常に混乱した1週間半を経て、上院財政委員会に出席した。約3時間にわたる質疑応答で、ケネディは前回の上院公聴会よりもワクチン反対の意見を声高に主張し、専門家が公衆衛生に深刻な損害を与える可能性があると警告している極端な立場を再び支持しているように見えた。ドナルド・トランプ大統領ははコロラド州選出の民主党マイケル・ベネット上院議員に対し、ファイザー社とモデルナ社の新型コロナワクチンに使用されている新しいタイプの mRNA 技術を用いて開発されたワクチンは、死亡を含む深刻な害をもたらすと考えていると述べた。その後、共和党トム・ティリス上院議員とのやり取りでも、この発言を改めて強調した。ケネディのワクチン批判は両党からの非難を招いた。共和党議員数名は、ケネディと大統領の最初の任期における最大の功績の一つである、新型コロナウイルスワクチンの最初の接種を迅速に開発し配布するための官民連携プログラム「オペレーション・ワープ・スピード」との間の隔たりを強調しようとした。共和党ビル・キャシディ上院議員はトランプがこの取り組みでノーベル賞に値するかと質問したが、ケネディは「もちろんです」と答えた。そして「「あなたはチルドレンズ・ヘルス・ディフェンスの主任弁護士として、新型コロナウイルスワクチンへのアクセス制限を試みる複数の訴訟に携わってきました」とキャシディは答えた。「弁護士としてアクセス制限を試みたにもかかわらず、オペレーション・ワープ・スピードを高く評価していることに改めて驚いています」とも。

Doctor Giving Vaccin
Doctor Giving Vaccine Injection To Patient

キャシディはケネディの承認投票で重要な票を投じたが、その後もケネディの決定の一部に批判的な姿勢を示している。彼はまた保守系トークショー司会者のエリック・エリクソンの X への投稿を読み上げた。エリクソンの妻はステージ4の肺がんを患っており、エリクソンによると現在の保健福祉省の混乱のせいで新型コロナワクチンを接種できなかったという。共和党ジョン・バラッソ上院議員は、CDCの混乱を指摘し、テキサス州西部での麻疹流行に対するケネディの対応に疑問を呈した。流行の間、ケネディはワクチン接種のメリットを軽視し、効果が実証されていない治療法を推進した。「ケネディ長官、あなたは承認公聴会でワクチンの最高水準を維持すると約束されました」「それ以来、私は深い懸念を抱くようになりました」とバラッソは述べた。バラッソは上院で多数党院内幹事を務めており、医師でもある同氏のワクチンに対する熱烈な擁護と一連の質問は注目に値するものだった。ティリスは、ケネディの言葉と行動の間に矛盾があると彼が言ういくつかの例を指摘した。その中にはケネディが自分の信念を他人に押し付けないと約束したにもかかわらず CDC 所長を解雇し、5億ドルの mRNA 研究契約をキャンセルし、CDCのワクチン諮問委員会の長年のメンバーを解任したことなどが含まれる。「保健福祉省の科学者に職務遂行の権限を与えるとおっしゃいましたね。実際にそれを実行した証拠を見せていただきたいです」とティリスは述べた。CDCの混乱、特にモナレスの解雇は、民主党と共和党双方にとっての争点となった。公聴会の直前にウォール・ストリート・ジャーナルに掲載された論説記事で、モナレスは、ワクチンに懐疑的な見解を示すワクチン諮問委員会の勧告を事前に承認するよう指示された後に解雇されたと述べた。下記リンク先は AP 通信の記事「上院公聴会でのロバート・F・ケネディ・ジニアの虚偽と誤解を招く主張に注目」です。

AP A look at false & misleading claims made by Robert F. Kennedy Jr. during Senate hearing

2025年9月4日

イスラエル人はガザ戦争とパレスチナの苦しみをどう見ているのか

 malnourished child
Yazan Abu Ful, a two-year-old malnourished child, sits with his father in Gaza ©2025 Jehad Alshrafi

イスラエルがガザ地区に引き起こしている飢餓に対し世界的な怒りが高まっている。しかしイスラエル民主研究所の世論調査によると、イスラエルのユダヤ系回答者の半数以上が、ガザ地区のパレスチナ人が飢え、苦しんでいるといという報道に「全く困惑していない」と回答したという。かつてイスラエルのガザ戦争を支持していると非難されていた国際紙の一面には、イスラエルの行動による莫大な人命損失を示す写真が掲載されている。しかしイスラエルの極右扇動者集団は明らかに世界の怒りを無視して、飢餓に苦しむガザ地区への救援トラックの到着を阻止した。カナダ、フランス、イギリスなどかつての忠実な同盟国はイスラエルとガザ地区におけるその行動を非難し、何らかの解決に至らない場合はパレスチナ国家を承認すると約束している。イスラエル社会の大部分は、ガザ地区の人道危機の深刻さと、それを引き起こしているイスラエル政府の役割についてまだ広く認識していないという。ガザの苦しみが主流メディアで取り上げられていないため、特にそうである。カタールの衛星放送局アルジャジーラによると、イスラエルの某住民は「私はイスラエルのテレビを避けています」「でも、昨日母の家に行ったら、2人の捕虜のビデオのニュースが報道されていました」と語った。「それで、やっとガザでの飢餓と飢饉んイスラエルのニュースで報じられたのです」と彼女は語り、ガザ地区で飢餓が存在することを否定する代わりに、より広範なイスラエル国民には、そこで飢えているのはハマスの映像に出てくる捕虜のたった二人だと伝えられている、と付け加えた。ここ数ヶ月、イスラエルの主流メディアは、多数の援助機関が記録している広範囲にわたる飢餓は「ハマスが画策した飢餓キャンペーン」だと主張してきた。政治アナリストで元政府顧問のダニエル・レヴィはアルジャジーラに対し、こうした認識はイスラエルの国家主義的なテレビ局による枠組みよりも根深いものだと語った。

Demonstrators against Benjamin Netanyahu in Tel Aviv ©2025 Sandra Mehl

すなわち「これは何十年にもわたる自己正当化と非人間化から生じている」「イスラエル人の大半は、自国に対する何らかの道徳的批判をすることに抵抗を感じるでしょう。しかしそれでも何かがひどく間違っているという感覚は持ち合わせています。ある種の認知的不協和が、彼らにその状況を理解する助けとなっているのです」とレヴィは指摘する。さらに政治家、メディア、そして最終的には一般大衆が戦争を議論する際に使用する言語もあるとイスラエルの社会学者イェホウダ・シェンハブ・シャフラバニは述べた。「彼らは言葉を歪めました。『強制収容所』の代わりに『人道都市』と言い、『殺害』の代わりに『排除』と言います。あらゆる軍事作戦には聖書に由来する名前があり、今ではそれを時間の尺度として使っています」云々。しかし、大半のイスラエル人はガザの飢餓をメディアや政治家のレンズを通して見続けているが、その周辺では雰囲気が変わり始めている兆候がある。「ガザには実際に飢餓が存在していることを人々がますます理解し始めています。イスラエルが今、食糧支援に大騒ぎしているのなら、これまで飢餓の原因がイスラエルになかったはずがありません」と観察者は糾弾している。しかし2023年10月以降6万1,000人以上のパレスチナ人が殺害され、さらに数千人が瓦礫の下敷きになり死亡したと推定されているにもかかわらず、イスラエル社会の多くは、イスラエルがガザに与えている苦しみが現実であることをまだ受け入れていない。 「私の見解では、イスラエル国家と社会はホロコーストの結果、これまで持っていた道徳的権利をすべて失った地点に到達した」「 彼らはそれに関連する象徴的な資本をすべて費やしました」とイスラエルの社会学者シェンハヴ・シャフラバニは踏み込んでいる。下記リンク先はエルサレムを拠点とするガーディアン紙のチーフ中東特派員エマ・グラハム=ハリソンのリポート「イスラエルの抗議者がガザでの戦争終結を求めて『決裂の日』を開催」です。

The Guardian   Israeli protesters stage ‘day of disruption’ calling for end to war in Gaza Strip | Gardian

2025年9月3日

ドナルド・トランプ大統領の Truth Social への投稿は Truth ではない

Trump's Profile Image
トランプ大統領のプロフィール画像

ドナルド・トランプ大統領ほどソーシャルメディアを活用した政治指導者はいない。しかし2022年に彼が設立したソーシャルメディアプラットフォーム Truth Socia における最近の投稿は、ますます奇妙になっている。同プラットフォームのユーザー基盤が小さく、監視が緩いことを逆手に取って、大統領はまさに奔放な発言をしている。就任以来の何百もの「真実」の中で、トランプ大統領は、貿易戦争の結果株価が暴落する中 Truth Social を利用して自らを再び王様として思い描き、アメリカ国民に「冷静に」と促してきた。トランプ大統領は大文字、句読点、不正確なスペルをメッセージ全体で一貫してランダムに使用しているだ。トランプの投稿は、大きく分けて3つのカテゴリーに分類される。敵とみなす人物への攻撃、称賛のリポスト、そして家族のグループチャットに高齢の親戚が映っているような、文脈のない自身の画像や動画の投稿だ。トランプは大統領就任後224日経った9月1日現在、問題に直面している。怒りは爆発するが、統治はできないのだ。裁判官、あるいはトランプ大統領が言うところの「極左裁判官」たちは特に批判にさらされており、大統領は通常の礼儀を無視して、正当な手続きを経ずに人々を国外追放するのを許さない司法関係者を激しく非難している。「我が国の裁判所はどうなっているのか? 完全に制御不能だ」とトランプ大統領は4月18日、政府は正当な手続きなしに外国人を出身国以外の国に強制送還することはできないとする判事の判決に反応して書いた。

その後トランプはジョー・バイデン前大統領が24時間以内に50万人以上の不法移民をアメリカに飛行機で送り込んだという驚くべき虚偽の主張をし「この過激派判事はジョー・バイデンが50万人以上の不法移民をたった1日でアメリカに送り込めると言っている。だが、全員を帰国させるには何年もかけて長く退屈な裁判を開かなければならない」とと付け加えた。述べている。しかしトランプのTruth Socialアカウントには、時折、心温まる瞬間が見られる。例えば、フランシスコ教皇の死をドナルド・トランプほど敬意をもって扱った人物はいないだろう。「メラニアと私はローマで行われるフランシスコ教皇の葬儀に参列します。出席できるのを楽しみにしています!」とトランプは教皇の死去から数時間後に投稿した。続いてホワイトハウスで行ったスピーチの動画を投稿し、イースターバニーの隣に立ちながら教皇を「良い人」と称賛した。投稿は目まぐるしく、トランプは Truth Social に1日に10回以上も頻繁に書き込み、時折「理想の独身者」や「国際的な独身者」の広告が目につく程度だ。法の支配への不満や個人的な恨み節といった言葉が飛び交う中、トランプは時折 Truth Social を利用していない人々、つまりほとんどの人にとって知っておいて損のない情報を発信している。下記リンク先はニューヨークタイムズ紙の「ソーシャルメディア Truth Social はトランプに公式の代弁者と収入源を与えた」です。

New York Times  Truth Social Trump Has Official Mouthpiece & Channel for Revenue | The New York Times