2023年3月28日

高音質デジタル音楽プレイヤー JetAudio の魅力

JetAudio Basic 8.1.7

スマートフォンやタブレットで音楽を聴くときは韓国の Cowon が開発した Android版の JetAudio を使っている。内蔵されている音楽プレイヤーでも構わないのだが、AGC(Automatic Gain Control)と呼ばれる自動利得制御、すなわち信号が強くなると出力が大きくならないようにし、信号が弱くなると出力が小さくならないようにするシステムが欲しい。アルバム単位で聴く場合は最初の曲の音量調節すればよい。しかし複数のアルバムを順番をばらばらにして聴くシャッフル再生の場合、曲ごとに音量調節が必要なのでイライラするからだ。外付け HDD にリッピングした約 3,000 曲の MP3ファイルをストレージしてあるのだが、これを聴く場合は foobar2000 を愛用しているが、JetAudio の Windows 版もなかなかの優れものでお薦めである。JetAudio は幅広いマルチメディアファイル形式のための高度な再生オプションを提供している。

jetAudio Logo

1998年にリリースされた JetAudio は Windows プラットフォーム用の現存する最も古いメディアプレーヤーのひとつである。音楽や動画再生のほか、メタデータ編集、CD リッピングおよび書き込み、データ変換、音声録音などの機能を持っている。多数のサウンドエフェクトも搭載している。JetAudio Basic は、総ダウンロード数が 3,000 万を超え CNET Download.com の「音楽管理ソフトウェア」カテゴリで最もダウンロードされているアプリケーションである。オーディオファイルでは MP3、AAC、FLAC、Ogg Vorbis、ビデオでは H.264、MPEG-4、MPEG-2、MPEG-1、WMV、Ogg Theora といった主要なオーディオおよびビデオファイル形式をすべてサポートしている。また、Mo nkey's Audio、True Audio、Musepack、WavPack など、あまり一般的ではない「オーディオマニア」向けのフォーマットもサポートしている。なおインターネットラジオ放送を聴けるとあるが、ダウンロードしたファイルに放送局のリストがなく、受信ができないのが残念である。

audio  JetAudio for Windows, Android and iOS | Download | News | Supprt | Development

2023年3月25日

写真家フランク・ラインハートのアメリカ先住民のドラマチックで美しい肖像写真

Spokane tribe
Group Portrait of two Spokane men and two women, 1898
Frank Rinehart

ドイツ系アメリカ人の写真家フランク・ラインハート(1861-1928)は、イリノイ州ロディ(現メイプルパーク)に生まれた。1870年代に兄のアルフレッドとともにコロラドに移住し、デンバーのチャールズ・ボーム写真館に就職した。1881年、ラインハート兄弟は、西部劇の写真で広く知られるようになった写真家ウィリアム・ヘンリー・ジャクソン(1843–1942)とパートナーシップを結ぶ。ジャクソンの教えを受け、ラインハートはプロの写真技術を完成させ、アメリカ先住民の文化にも強い関心を持つようになった。1885年9月5日、ジャクソンのスタジオの受付嬢だったアンナ・ランサム・ジョンソン(ウィラード・ベミス・ジョンソンとフェベ・ジェーン・カーペンターの娘)とコロラド州デンバーで結婚した。同年ネブラスカ州オマハに移住、ダウンタウンのブランデイス・ビルにスタジオを開いた。二人の間にはルースとヘレンという二人の娘が生まれた。1898年、トランス・ミシシッピ万国博覧会と同時に開催されたインディアン会議に際し、ラインハートはこのイベントとそれに参加したアメリカ先住民の人々を撮影するよう依頼された。後に写真家エドワード・カーティス(1868–1952)に雇われることになる助手のアドルフ・ムアー(1860-1913)とともに「世紀末のインディアン指導者を撮影した最も優れた写真のひとつ」とされる作品を作り上げた。

Bull Ghost
Portrait of standing Bull Ghost wearing feather bonnet, 1900

カンザス大学スペンサー美術館の元写真学芸員であるトーマス・サザール(1951-)はラインハートのコレクションについて次のように語っている。

そのドラマチックな美しさは、それまでの繊細さに欠けるアメリカ先住民の写真とは一線を画すものであった。ラインハートの写真は、剥離した民俗学的な記録ではなく、表情の強さを重視した個人の肖像画である。ラインハートとムアーは、インディアンの被写体をこのように威厳をもって描いた最初の写真家ではないが、広く見られ、配布されたこの大きな作品群は、その後のアメリカ先住民の描写を変える重要な影響を与えたと思われる。

ラインハートとムアーは、博覧会会場のスタジオで、ドイツ製レンズ付きの8×10ガラス乾板カメラを使って、インディアン会議に出席するアメリカ先住民を撮影した。

Sauk tribe family
Sauk tribe family, Omaha, Nebraska, 1899

プラチナプリントは、この媒体の持つ幅広い階調を実現するために制作されたものである。インディアン会議の後、ラインハートとムアーは2年間インディア居留地を回り、会議に出席していないアメリカ先住民のリーダーを描くとともに、先住民の日常生活や文化の一般的な側面を描いていった。ラインハートンの写真コレクションは、現在ハスケル・インディアン・ネーションズ大学に保存されている。1994年以来、このコレクションは、インディアン局およびホールマーク財団の資金援助を受けて、整理、保存、複写、コンピュータデータベースへの目録作成が行われている。1898年の博覧会、1899年の大アメリカ博覧会の画像、1900年のスタジオポートレート、同じく1900年にモンタナ州のクロウ機関で撮影された写真などが含まれている。

Smithsonian Frank A. Rinehart (1861–1928) Biography and Works | Smithsonian American Art Museum

2023年3月19日

サチーン・リトルフェザーがアメリカ先住民と偽っていたと姉妹が証言

Sacheen Littlefeather marching in a street parade, San Francisco, 1990
Sacheen Littlefeather adorned w. tribal, beaded pigtail decorations & feather in her hair as she wears a down jacket over squaw dress while marching in a street parade; San Francisco, 1990.

ウィキペディアによると、サチーン・リトルフェザー(1946–2022)はアメリカ先住民の女優、活動家で、カリフォルニア州サリナス出身、アパッチ族とヤキ族の血を引く父と白人の母の間に生まれたという。女優としては主に端役で『誇り高きインディアンの英雄・ウィンターホーク』など数本の映画に出演したほか、アメリカ先住民の権利尊重の活動家として活動した。中でも注目を浴びたのは、1973年の第45回アカデミー賞授賞式であった。マーロン・ブランド(1924–2004)は『ゴッドファーザー』でアカデミー主演男優賞を受賞したが、 彼はハリウッドのアメリカ先住民に対する扱いが不当であるという理由で受賞を拒否、授賞式にも席せず、代わりに自分の書いたスピーチをアメリカ先住民の衣装を着た彼女に読ませようとした。ブーイングを受けたため、彼女はブランドのスピーチを壇上で読むことは出来なかったが、後に報道陣に対して読み上げた。このことで彼女は映画界でブラックリストに載せられ、芸能界からも締め出された。以上がウィキペディアの説明で、私もマーロン・ブランドのアカデミー主演男優賞拒否の件はよく憶えている。2022年10月、ニューヨーク・タイムズ紙は、長年にわたる何千もの記事で紹介された「アパッチの活動家であり女優」を無批判に悼んだ。ところが最近 Sacheen Littlefeather was a Native American icon. Her sisters say she was an ethnic fraud(サチーン・リトルフェザーはアメリカ先住民の象徴だった。彼女の姉妹は、彼女は民族的な詐欺師であったと言う)と題した、2022年10月25日付けサンフランシスコ・クロニクル紙電子版の衝撃的な記事に出くわした。

At the 1973 Academy Awards ceremony
At the 1973 Academy Awards ceremony, Sacheen Littlefeather refuses the Oscar for Best Actor on behalf of Marlon Brando, who won for his role in "The Godfather."

リトルフェザーはクロニクル紙の最後のインタビューで、アカデミー賞のステージに立った理由を「インディアン女性である私自身のためではなく、私たち、すべてのインディアンの人々のために心を語った...。私は真実を語らなければならなかったのです。それが受け入れられるかどうかは別として、ネイティブの人々の代表として話さなければならなかったのです」ととクロニクル紙に語った。しかしリトルフェザーはその夜、真実を語らなかった。実の姉妹であるロザリンド・クルスとトゥルーディ・オルランディは、リトルフェザーがアメリカ先住民ではないと暴露したのである。「嘘だ」とオルランディは同紙独占インタビューに答えた。「私の家族はメキシコから来た。そして父はオックスナードで生まれたんだ」。そして「詐欺だ」とクルスも同意した。「部族民の遺産に嫌悪感を抱く。それに......私の両親を侮辱するものです」と。姉妹は別のインタビューで、自分たちはネイティブ・アメリカン/アメリカン・インディアンの末裔ではないと語っている。彼女たちは父方の血を引くヒスパニックであり、自分たちの家族は部族のアイデンティティを主張することはないと語っている。

sisters
Trudy Orlandi (left) and Rosalind Cruz pose with family photos that include their sister Marie Louise Cruz, who later took the name Sacheen Littlefeather.

オルランディは、姉が詐称したことについて「つまりメキシコ系アメリカ人ではプリンセスにはなれないということです」「彼女の中では、ヒスパニックであることよりも、アメリカン・インディアンであることの方が格上だったんです」と分析している。個人的な利益のためにネイティブであることを捏造したプレテンディアンと呼ばれる人々がいて、リトルフェザーはその中の一人であるようだ。アリゾナ州にある連邦政府公認の部族で、スペイン植民地支配から隔離された長い歴史を持つホワイトマウンテンアパッチの血を引くという彼女の主張は興味深い。リトルフェザーは1946年『怒りの葡萄』の著者ジョン・スタインベックの故郷であるサリナスで、マリー・ルイーズ・クルーズという名前で生まれた。両親はマヌエル・イバラ・クルスとジェロルディン・バーニッツである。妹たちは、自分たちの家族はこの遺産を主張することなく育ってきたと話してくれた。姉の話を聞いて、クルーズはホワイトマウンテンアパッチ当局に、自分や家族の誰かが部族に属しているかどうか確認した。しかし登録の記録はなかったという。またリトルフェザーが語った自分たちの暴力的で貧しい生い立ちについても、明らかに虚偽であると主張している。彼らの家族には、何百年も前の先住民の血が混じっているのだろうか? メキシコ系住民の多くはそうである。しかし先住民のアイデンティティはそれ以上に複雑である。

Sacheen Littlefeather
Sacheen Littlefeather took part in "An Evening with Sacheen Littlefeather" at the Academy Museum of Motion Pictures on Sept. 17, 2022 in Los Angeles.

遠いフランス人の血を引く米国市民が、フランス国籍を主張することはできない。そしてその人がアカデミー賞のステージでベレー帽をかぶり、フランス国家を代表して発言することは馬鹿げている。ホワイトマウンテンアパッチは、非常に特殊な部族であり、メンバーシップのルールも非常に特殊である。その遺産を偽り、スポークスパーソンになるために利用し、その寓話を補強するために、虐待するインディアンの父親に関する危険な表現に頼ったことは、実際に損害を与えたのである。リトルフェザーがアメリカン・インディアンであることを主張しなければ、リトルフェザーの人生やキャリアはもっと良くなっていたと思うかと尋ねると、オルランディは「サチーンは自分のことが好きじゃなかった。メキシコ人であることが嫌だったんです。だから、そう、他の人を演じた方が彼女にとって良かったんだ」と語りは「彼女はファンタジーの中で生き、ファンタジーの中で死んでいった」と続けた。なお英国ガーディアン紙がクロニクル紙のインタビュー記事を転載して ‘I promised Brando I would not touch his Oscar’: the secret life of Sacheen Littlefeather(ブランドと約束したんだ、オスカーには触れないって」:サチーン・リトルフェザーの秘密の生活)という記事を掲載している。現代史こそ実は複雑で理解が難しいと言われるが、サンフランシスコ・クロニクル紙のインタビューの内容を見ると、誠に残念ながらサチーン・リトルフェザーの出自に疑問を持たざるを得ない。

Chronicle  Sacheen Littlefeather wasn't Native American, say her sisters | San Francisco Chronicle

2023年3月17日

誰がエレクトリックギターを発明したのか

Paul Tutmarc
Paul Tutmarc (1896–1972) and his Audiovox Electric Guitars circa 1937

20世紀は「電気の世紀」であったといわれる。18世紀までの静電気時代は、電気は単にパチパチと火花のとばす好奇心の対象に過ぎなかった。ところが20世紀に入り、電信電話、電灯、電力と動力、無線、能動素子とエレクトロニクス、IT情報の順で発展してきた。音楽の世界では大音量の出力を可能にしたエレクトリックギターの出現を挙げることができる。しかし誰がエレクトリックギターを考案したのかという点は意外と分かっていない。詠み人知らずの伝承民謡を著作権登録すれば、申請者が作ったということになる。同じようなような意味で、楽器も申請して特許を取得すれば、発明者と呼ばれるようになる。1890年、アメリカ海軍の将校、ジョージ・ブリード(1864–1939)が 電気で音を出す装置の特許を取得した。

George Breed's patent for the fretted string instrument 1890

この装置はギターの上に作られ、弦からの振動を電流に変換するものだった。ブリードの発明は「非常に珍しく、ギターに似ていない」と表現される音を生み出した。音を増幅したわけではなく、弦楽器と電気を組み合わせた最初の発明者の一人だった。次に特許で知られるのがジョージ・ビーチャム(1899–1941)のラップスティールギターである。1934年に出願、1937年に特許を取得した。バンジョーに似た形で「フライパン」と呼ばれた。ピックアップには、磁界を集中させるために各弦の下に6個のポールピースを配置した馬蹄形のマグネットを採用している。ポールピースの周りに巻かれた1つの大きなコイルが、弦を弾いたときにポールピースの端から離れたり離れたりして振動し、磁束の変化を感知する。この特許には、楽器に取り付けられた電気回路と増幅器についても記載されている。

George Beauchamp's patent for the Frying Pan guitar 1937
Lorraine Tutmarc playing the #736 bass with Paul's band

ここで想起すべきはポール・タトマルク(1896–1972)だろう。テノール歌手であり、ラップスティールギターやウクレレの演奏家でもあったタトマルクは、電気増幅されたコントラバス、エレクトリックベース、ラップスティールギターなど、様々なタイプの弦楽器を開発したことで知られている。タトマルクのオーディオボックス社は、エレクトリック・ラップスティールギターを最初に製造した企業のひとつであり、タトマルク自身もしばしばデモンストレーターやプロモーターを務めていた。彼は1935年にソリッドボディのエレクトリック・アップライト「ブル・フィドル」を発明したが、それは主に宣伝ツールとしての役割を果たした。彼は独自の "ブレード" ピックアップを搭載したラップスチールギターとそれに付随するアンプを製造した。彼の真の名声は1936年に発売されたフレット付きのソリッドボディの "Audiovox Model 736 Bass Fiddle" の開発と販売であったが、これは横向きで使用するように設計されていた。この当時の革新的な楽器は歴史上最も早いエレクトリックベースであり、はるかに有名なフェンダー・プレシジョン・ベースよりも10年半も先行した楽器と考えられている。彼は演奏家であり、企業経営者だった。従って電子工学に造詣が深かったとは断言できない。もしかしたらオーディオボックス社の技術者が新しい電子楽器の開発をしたのかもしれない。右上の写真を見ると、妻のロレーヌがこのベースを弾いているが、彼女は最初のエレクトリックベース奏者と言えそうだ。標題に戻そう。誰がエレクトリックギターを発明したのか、その特定は困難である。そもそもエレクトリックギターとは何かという定義が様々で、異なった解釈が非常に多いからだ。

YouTube  Lsten to "Midget Auto Blues" by Paul Tutmarc and his Wranglers (circa 1944) on YouTube